二月の歌舞伎座昼の部は、『三人吉三巴白浪』『恋湊博多諷』の世話物二題が上演された。以前から気になっていたのだが、歌舞伎には一般的な道徳とは些か異なる倫理観が見受けられる。『三人吉三』は倫理観について考察するにはもってこいの題材なので、それについて書いてみたいと思う。 日本史上男性同性愛者は珍しくない。武士階級には掃いて捨てるほどその手の話がころがっていたし、歌舞伎も然りであることは言うまでもない。お嬢吉三が女装の盗賊として登場するのが、然程奇異に感じられなくても当然のことだと言えるだろう。 『三人吉三』におけるお坊吉三とお嬢吉三の間には、明らかな恋愛感情が見える。序幕で三人の吉三たちがそれぞれ腕に傷をつけ、滴る血を杯に溜めてこれを飲む。血は射精された精液であり、これを体内に取り込む行為は異性であれば受胎を、同性であればそれに勝る繋がりを意味する。もとろん性行為が全てではない。だからこそ、性的行為を伴わない、つまり血縁ではない義兄弟の契りが、より堅固なものとして認識されるわけだ。 お坊吉三とお嬢吉三の場合は、具体的な性行為がこれに加わる。ここでは、彼らが性同一性障害の人たちとは明確に違うのだということを、改めて認識する必要があるだろう。性同一性障害とは、自己の生物学的性別に馴染めないことを意味する病気であり、その患者は本来の性別から見た異性を恋愛の対象とする、れっきとした異性愛者なのである。 しかしながら、お坊吉三もお嬢吉三も、自己が男性であることに全く違和感を持っていない。互いの男としての在り様に惚れたのであって、お嬢吉三はお坊吉三に愛されるために女になりたいなどと思ったことは、金輪際全くないのである。 今回の吉右衛門のお坊吉三は、お嬢吉三が男性として惚れるに足る艶があったし、菊五郎のお嬢吉三は、あくまでも振袖を着た青年盗賊としての気概が見えた。双方とも些か貫禄があり過ぎる気がしたが、ファンにとっては納得ずくのことだろう。 お嬢吉三の女装について付け加えれば、彼の振袖は盗みを働くための方便ですらないと思う。彼は綺麗な振袖が似合うという自覚があるから着ているだけで、単なる趣味以上の意味などない。コスプレをやっているに過ぎないのである。 一般的には奇異な性癖を持つと言えるだろうお嬢吉三が、絶大な人気を博しているのだから、歌舞伎ファンは同性間の恋愛に関して至極寛容であると言うことができるだろう。 しかしながら、このように昨今の欧米よりも寛容な認識を持っている歌舞伎ファンが、自覚の無い近親相姦には極めて厳しい審判を受け入れている。 十三郎とおとせが双子の兄妹である事実を知っているのは、お坊吉三に殺害される伝吉の他、和尚吉三ただ一人である。彼は二人を殺害することによって、この禁忌を強引に清算する。 和尚吉三は、二人が兄妹だと言うことさえできなかったのだから、盗賊でありながら極めて堅固な倫理観の持ち主だったのだろう。演じた団十郎本人の、道徳的な性質が伺えるような気がした和尚吉三であった。 結果的に兄妹だと言えなかったのなら、黙っていれば良いだけだったのではないかと思うのは、不謹慎過ぎるだろうか……。 |
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