THE HEIRESS

〜 女相続人 〜

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2006年421日金曜日、六本木俳優座劇場で『The Heiress女相続人』を観てきた。英文雑誌「Eye-Ai」の編集長に招待券をいただいたのだ。『女相続人』は、Henry Jamesの小説『Washington Squareワシントン広場』を、Augustus & Ruth Goetzが戯曲化した作品で、1947年に初演されて好評を博した。1949年には、William Wyler監督によって映画化された。

1850年ニューヨークの高級住宅街、ワシントン広場に面したオースティン・スローパー医師宅の、瀟洒な居間。スローパー家には、オースティン(鈴木瑞穂)と一人娘のキャサリン(土居裕子)、スローパーの妹ラヴィニア(八木昌子)が住んでいた。キャサリンは、頭脳明晰なわけでも、美しいわけでもなく、内気な性格で、オースティンをしばしば苛立たせた。美しい才気溢れる社交的な女性だったオースティンの妻は、キャサリンを産んだ時に死亡した。そのため、オースティンは最愛の妻を奪った、その妻に似ない娘が、気に障って仕方がないのである。キャサリンが母親に似ていないのは、父親に似ているからかもしれないということに、オースティンは気がついていなかった。

オースティンのもう一人の妹エリザベスが、一人娘マリアンとその婚約者アーサーを連れて、スローパー家を訪れた。アーサーは従弟のモリス(増沢望)を同行していた。美しく、才気煥発で、洗練された、ヨーロッパ帰りの青年モリスは、その後、スローパー家を頻繁に訪問するようになる。モリスはラヴィニアを篭絡することに成功するが、キャサリンはモリスを激しく警戒する。しかしながら、モリスが愛していると告白し、抱き締め、キスをすると、最早キャサリンに抗う術はない。三度目のキスで、キャサリンはモリスと結婚することを承諾した。

その夜、オースティンが帰宅すると、キャサリンはモリスと婚約したことを報告する。オースティンは、金目当てに決まってんだろうと激怒。それでも、翌日11時に挨拶に来るというモリスに会うことには同意した。翌朝10時、エリザベスとモリスの姉モンゴメリー未亡人がスローパー家を訪れた。オースティンが、モリスに関する情報収集のために呼んだのである。モンゴメリー未亡人は、夫の死後倹しい生活の中で5人の子供たちを育てていた。幾許かの遺産でヨーロッパに旅行し、その遺産を使い果たした後、モリスは就職することもなく、姉の家に居候していたのである。モンゴメリー未亡人は、弟モリスは些か経済観念が欠落していることを認めるものの、浪費家であることは断固否定する。しかしながら、オースティンにとって、事態は明白だった。モンゴメリー未亡人は、モリスを心配しつつ帰宅した。

時間通り11時に、モリスがやってきた。キャサリンは、亡き母親から年間1万ドルの遺産を受け取り、父親からは2万ドルの遺産を受け取ることになっている。つまり、オースティンの死後、キャサリンは年間3万ドルと遺産を受け取る、文字通りの女相続人だった。モリスはそれを承知しており、オースティンはモリスがそれを知っていることを知っていた。キャサリンはモリスが自分を愛していることを疑わなかったが、オースティンがそれを信用するのは無理な話だった。キャサリンの興奮は、限界に達していた。オースティンはキャサリンのヒステリーを鎮めるため、冷却期間を設けることを提案する。オースティンが計画していた半年間のヨーロッパ旅行に、キャサリンを同行するというのである。キャサリンは同意した。

半年後、モリスはスローパー家の居間で寛いでいた。この半年間、スローパー家の留守役ラヴィニアは、毎日のように訪問するモリスと楽しい時間を過ごしていた。モリスはオースティンのブランデーを飲み、オースティンの葉巻を味わい、キャサリンと結婚すれば、こうした生活を一生続けることができると考えて、有頂天だった。なるほど年間1万ドルの遺産は魅力的だと言うラヴィニアに、モリスは1万ドルでは足りないと答えた。モリスは翌日帰国するキャサリンと、駆け落ちする計画を立てていたが、オースティンとキャサリンは、一日早く帰宅してしまった。モリスは慌てて台所に隠れ、何やら具合の悪そうなオースティンと、元気一杯のキャサリンが居間に入ってきた。部屋の様子から、モリスの訪問を察知したオースティンは、絶対に結婚は認めないと激怒した。キャサリンは激高する。

オースティンが最愛の妻と新婚旅行で訪れたパリで、キャサリンは父親に愛されていないことを思い知ったと、オースティンを責めた。馬鹿で美しくない娘が、誰にも愛されるはずがないと思っているのだろうが、モリスは愛していると言ってくれたのだ。そんなこと信じられるか! 父と娘の気持ちは、衝突するばかりだった。

ラヴィニアの配慮で、キャサリンとモリスは再会を果たした。明日予定通りに駆け落ちしようと言うモリスに、キャサリンは、最早一刻も待てないと、駆け落ちを今晩決行することを提案した。モリスは承知し、オースティンに手紙を書くよう促すが、キャサリンは必要ないとこれを拒む。モリスは、キャサリンが父親に二度と会う気がないことを知った。深夜、迎えに来ると約束して、モリスは駆け落ちの準備のために去った。

深夜、旅装のキャサリンが居間に旅行鞄を運んできた。物音を聞きつけて、ラヴィニアが起きてきて吃驚。今夜駆け落ちをすると聞いて、更に吃驚。キャサリンが、オースティンの遺産を受け取る気がないことを、モリスが知っていると聞いて、ラヴィニアは言葉を失うほど吃驚仰天した。何と、愚かな…。それだけは、駆け落ちの前に、モリスに知られてはいけなかった。ラヴィニアは、モリスが迎えには来ないだろうことを、静かにキャサリンに話して聞かせた。キャサリンは吃驚仰天。

モリスは私を愛していると言ってくれたの。モリスは私を欲しいと言ってくれたの。モリスは、もう一日なんて待てないって、今晩でなけりゃ駄目だって言ったの。いいえ、それは私が言ったの。でも、モリスは私を愛してくれたの。お金じゃなくて、私を愛してくれなきゃいけないのよおおおお!!!! 床に伏して泣き叫ぶキャサリンに、ラヴィニアは声をかけることさえできない。その夜、モリスは現れなかった。

数日後、マリアンがスローパー家を訪れた。キャサリンからヨーロッパ旅行の話を聞こうとやってきたのだが、モリスがアーサーに金を借りにきて、カリフォルニアに行ってしまったことを、キャサリンに知らせる。キャサリンは、全てが終わったことを知り絶望。その頃、オースティンの病状は悪化していた。ぐったりと椅子に腰を下ろし、聴診器を自分の胸に当て、死期が近いと診断したオースティンは、マリアンに、彼女の母エリザベスに明日にでも訪問するよう伝えて欲しいと頼んだ。オースティンはキャサリンと和解してから死にたいと思ったが、キャサリンは和解に応じようとはしない。残された仕事を片付けるように、片付けられてたまるかというわけだ。遺言書を書き替えて、遺産の相続人をキャサリンから診療所に変更すれば、余程社会の役に立つではないかと言うキャサリンに、オースティンは父親としての愛を語ることができない。失意のままオースティン死亡。キャサリンは年間3万ドルの遺産相続人となった。

二年後の夏、キャサリンは白いドレスを着て居間に現れた。ラヴィニアとメイドのマリアがドレスを褒めると、キャサリンは一番涼しそうだったから着ただけだと答える。コックと散歩に出かけたいのなら、行けば良い。つまらないお世辞を言う必要などないと、キャサリンはマリアに冷たく言い放つ。マリアは傷ついたが、キャサリンの心の傷の深さに思い至って、静かに居間を去った。ラヴィニアは、キャサリンが日に日に気難しくなっていくことを心配していたが、それを口にすると、お一人でお暮らしになりたいなら止めはしないと返されて、言葉を失う。

玄関の呼び鈴が鳴った。カリフォルニアから帰ったモリスが、オースティンが死亡したことを知って訪ねてきたのである。ラヴィニアが席を外し、キャサリンは一人でモリスに対面する。昔日の別離に関して、キャサリンの遺産を減らすようなことはしたくなかったのだと淀みなく弁明し、今でも愛していると熱を込めて語るモリスに、今のキャサリンは冷静さを失うことはない。モリスとの結婚を承諾し、パリでモリスへの土産にと購入した、ルビーをあしらった飾りボタンを渡して、一旦帰宅させた。話を聞いていたラヴィニアは喜ぶが、キャサリンは、モリスが相変わらず馬鹿だったと、不愉快さを隠さない。ラヴィニアは、キャサリンが、既に人生における全ての希望を捨ててしまったことを覚る。

しばらくして、玄関の呼び鈴が再び鳴った。散歩から帰ってきたマリアが応対しようとすると、キャサリンは扉の鍵を閉めるように言う。マリアはそうした。扉を叩く音が響く中、キャサリンは自室に引き上げた。幕。

結婚しちゃえば良かったのに…。そう思った。厳しい芝居だったが、実に面白かった。物語は、終始ブルジョア階級の邸宅の瀟洒な居間で展開する。オースティン役の鈴木瑞穂さんは、TVや映画で良く見かける役者だが、厳格な医師であり、娘との拗れた関係を修復できない父親を、渾身の演技で舞台に現出した。休憩時間に、自分の父親を思い出したとTerriさんに話したら、Terriさんも同じく父親のことを考えながら、舞台のオースティンを見ていたと言っていた。

キャサリンを演じた土屋裕子さんは、内気なお嬢様、恋に目が眩んだ若い女、たった一度の失恋で人生に絶望した女相続人という、一人の女性が変貌する様を見事に演じきった。昨年『贋作・罪と罰』で松たか子さんの演技に感銘を受けたのと同じくらい、土屋裕子さんのキャサリンは凄かった。駆け落ちの夜、モリスが来ないことを知ったキャサリンが嘆き叫ぶ様は、見るに耐えないほどだったもんね。確かにキャサリンは、世間を知らないお嬢様だったが、それ以上に自分を知らなかったんだと思う。

八木昌子さん演じるラヴィニアは、可愛いおばさんだった。キャサリンとモリスが駆け落ちするという夜、話を聞いたラヴィニアは、吃驚して、寝巻きを着替えるから待っていてくれと、キャサリンに頼んだ。一緒に行くというのである。その一方で、モリスがキャサリンの金に重大な関心を持っていることを正しく認識しており、キャサリンにモリスが来ないだろうことを伝える場面では、愚かな世間知らずの姪に対して慰めの言葉もない様子を、ただ立ち尽くすだけで表現してみせた。これも凄い。

そして、モリスである。増沢望さんは、魅力的な女ったらしを演じた。モリスが、1万ドルでは足りないと口にする場面では、この野郎〜!!! と思わせてくれた。でもね、ちょっと不満が残った。あの程度の女ったらしぶりでは、世間知らずのお嬢様を迷わせることができても、私の目を眩ますことはできない。しかしながら、だからこそ、二年後のキャサリンにはモリスの魅力が通用しなかったわけだから、増沢望さんはやり過ぎることなく、的確にモリスを演じたということができるだろう。

モリスに結婚を申し込まれた時、キャサリンは、結婚による財産分割をしないことに同意する書類に、サインを求めるべきだった。そして、キャサリンが更に用心深い性質だったら、キャサリン自身の遺産相続人が、モリスではないことを明確にしておくに違いない。私なら、そうする。モリスがキャサリンを愛していたなら、これらの書類にサインすることに躊躇しないだろう。しかしながら、モリスがキャサリンを愛していなかったとしても、こうした契約が、キャサリンとの結婚の旨味の全てを消滅させるわけではないため、サインするかもしれない。キャサリンが年間3万ドルの収入を得ること自体には、変わりがないからだ。つまり、モリスは経済観念に乏しい浪費家であるだけではなく、長期的な計画性を持たない、目先の利益にのみ興味を示す短絡的な性格だったわけだ。

オースティンとキャサリンがヨーロッパ旅行に出かけていた半年の間、モリスが待っていることができたのは、キャサリンの気持ちが変わらないという確信があったことに加えて、ラヴィニアの存在が大きかったことは想像に難くない。キャサリンにとってモリスは王子様だったが、ラヴィニアにとってもまた、モリスは若く美しい機知に富んだ青年であったわけだ。モリスは、キャサリンではなく、ラヴィニアおばさんと結婚すれば、万事問題なかったのではないかと思う。

キャサリンはモリスの愛が欲しかった。愛して欲しかっただけだと、キャサリンは思っているが、その「愛」には、彼女の人生の全てが付属していた。キャサリンが問題にしているのは、終始モリスが自分を愛しているかどうかであり、キャサリンがモリスを愛していることについては、どうでも良いかのように表現されている。自分の気持ちが一番大事だろうに…。モリスを愛しているのであれば、モリスを養うくらいのことは、キャサリンにとって何でもないはずではないかと思う。男の一人や二人、養ってやろうという気概が、キャサリンになかったのは残念なことだったと言わざるを得ない。

モリスは金が欲しかった。だが、それは年間1万ドルではなく3万ドルだった。そしてその金は、キャサリンとの結婚によって、キャサリンの夫であるという社会的地位を伴って、彼にもたらされるものでなければならなかった。キャサリンもモリスも、欲張り過ぎたために、結局何一つ望みのものを手に入れることができなかったのである。そして、二人とも不幸になった。合掌…。幕。

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