Kabuki Review by Sekidobashi Sakura

 片岡十二集の内

ち  か  ご  ろ    か   わ   ら                た  て  ひ  き

近頃達引

20053月歌舞伎座


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為川宗輔、筒川平二、奈川七五三助の合作による、全三段の世話浄瑠璃。正確な初演年時は不明だが、1782(天明2)年頃江戸で初演されたと推定されている。歌舞伎での初演は1798(寛政10)年大坂だが、原作を改作した上での上演だったらしい。その後、十一代目片岡仁左衛門が原作に忠実な脚本に基づいて上演し、これを片岡家の芸「片岡十二集」の一つとして選定した。今回上演された『四條河原』と『堀川与次郎内』は中の巻、二段目に当たる。

1703(元禄16)年に起こった、お俊と庄兵衛の心中事件は、様々な媒体で流布されたが、その戯曲の代表作が、この『近頃河原の達引』だという。1723(享保7)年、幕府は心中物を上演することを禁じたため、1798(寛政10)年に初演された『近頃河原の達引』も、主人公である伝兵衛とお俊は、心中を図ったものの、最後の最後に命を落すことなく幕切れを迎えるらしい。とは言え、今回上演された『第二場:堀川与次郎内の場』で、盲目の老いた母ぎんが近所の娘おつるに指南するのは『鳥辺山心中』であり、兄与次郎が猿たちに演じさせるのは『曽根崎心中』であるのだから、劇作家らは、心中物であることにかなり拘っていたと推察できる。

この物語もまた、遊女の不幸な身の上を、更に心中という破滅へと向かわせることで成立している作品である。こうした芝居が上演されると、心中事件を誘発するとして、幕府は上演を禁じたわけだが、観客である庶民は、遊女の不幸を舞台の上に見ることで、虐げられた自分たちの不幸が、お俊や伝兵衛ほどではないということに、一時ではあれ安堵したのではないだろうか。

今回の上演で、最も印象に残ったのは、お俊の美しさでも、襲名披露公演を終えたばかりの坂田藤十郎の艶でもなく、悪役横溝官左衛門であった。官左衛門は武士ではあったが、勘定方の役人で、言わば内勤の公務員だった。そのため、剣術の稽古に励むこともなく、ひたすら算盤をはじく毎日だったに違いない。そうした凡庸な男にとって、遊女お俊は、愛すべき対象であるのと同時に、金さえ出せば言いなりになる玩具の様な存在だったと推測される。

しかしながら、官左衛門が、お俊を身請けして、ラブラブなところを伝兵衛に見せつけようと考えたのは、大きな勘違いだった。金を出せば言いなりになるのは、遊女としての仕事であり、その対象は官左衛門に限らないのである。官左衛門は、お俊の多くの客の一人でしかない。金で買っていながら、自分の意に添うのが、お俊の望みでもあるかのように錯覚する官左衛門の愚かしさは、現代にも数多ある擬似恋愛の典型であろう。女は、秋葉原で売られている等身大の人形とは違う。玩具が欲しければ、玩具を買えば良いのである。世の男性諸氏は、金を支払った時点で、愛される資格を放棄したのだと知らなければならない。そのことを、官左衛門は理解していなかったんだな。

武士ではない伝兵衛に、不意打ちを喰らったとは言え、斬り殺されたというのは、武士としては、いかにもみっともない死に様だった。一方、官左衛門を背後から斬り付けた伝兵衛は、いかに腹を立てていたにしても、卑怯の謗りを免れない。武士ではないと、従って武士道は、伝兵衛を拘束する規範ではないと考える人もあるだろう。ではあるが、経理担当の公務員だった官左衛門にもまた、武士道という規範が存在しなかったのだから、条件は同じである。双方が、お俊という遊女の存在を、敬意を以って認識し、愛したなら、こうした事態は避けられたはずだ。

尊敬できない女を愛することはできないと、友人の公務員は言う。自分を尊敬しない男を愛することは、女にとっても不合理であり、不可能なことだと、現代の男性諸君にも知って欲しいもんだと思った。幕。(2006,3,4)

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