Kabuki Review by Sekidobashi Sakura

ば  ん  ず  い  ち ょ  う  べ  い

幡随長

20062月歌舞伎座

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江戸時代初期。禄高が一万石以上なら大名だが、一万石に達しない徳川家譜代の家臣のことを旗本という。同じく徳川家譜代の家臣ではあるが、お目見え以下の家臣を御家人といった。また、旗本も御家人も、同じく直参と呼ばれている。その直参、特に旗本連中は、元は敵だった裏切者である外様大名に、大名面をされるのは心外と、かなり横柄で高飛車な態度を取っていたらしい。旗本としての責任を口にするのは、専ら苦労した年寄りばかりで、世情が天下泰平となってからは、旗本は潜在的失業者と変わりない。当時、世間では、旗本は不穏分子という認識があった。

派手な着物を着て、群れて出歩く居丈高な旗本連中は、旗本奴と呼ばれるようになった。その旗本奴には、白柄組、大小神祇組、六法組などがあったが、その代表的な人物が水野十郎左衛門であった。水野は大小神祇組の頭だったが、『極付・幡随長兵衛』では、白柄組の頭として登場する。

旗本に奴があるなら、町人に奴があっても良いじゃないかと、似たような町人の若者たちが集まって、町奴を名乗るようになる。生活に困らないフリーターの足は、ゲーム・センター、クラブ、風俗へと向かう。旗本奴が、遊郭辺りで町奴と揉めるのは当然だった。そうした世情が、この事件の発端となったわけだな。

今回の『極付・幡随長兵衛』の主人公である長兵衛は、所謂任侠の人物として描かれているが、私は彼がどうも誤解されているような気がしてならない。長兵衛が、自殺とも言えるような殺され方をしたのは、果たして、心優しい勘違いが得意な子分たちのため、黙っていても夫を理解していると思い込んでいる妻のため、何一つ理解していない幼い息子のためだったのだろうか。

際立った才能はないものの、何かしら他人を惹きつける魅力を持った人物がいる。そんな人の周囲には、意図しなくても人が集まるものだ。長兵衛もそういった人物の一人だったに違いない。ところが、長兵衛の場合は、集まって来るのがろくでもない野郎ばかりだった。自分もかつてはろくでもないチンピラだったが、今では大人になったと自負しているのに、今度はチンピラたちの面倒を見る破目に陥ってしまったのだ。

自分のように大人になる可能性があるチンピラならまだましだが、誰もが学級委員になれるわけではない。おまけに自分の存在が、チンピラを集める餌となり、チンピラたちは居所を見つけた気になってしまった。集まったチンピラたちは、自分を肯定する言い訳を長兵衛に求める。長兵衛は、困惑せざるを得ない。何故なら、長兵衛はチンピラであることを、既に止めた人間だからだ。

大方のチンピラはチンピラのまま、その一生を無駄に終える。長兵衛は、それを見るのが嫌になったのではないだろうか。女房お時にせよ、子分たちにせよ、長兵衛が自分たちのために死を選ぶことを疑わない。長兵衛が殺されることに納得しているわけではないが、それは、水野ら旗本奴が原因であるからで、自分たちのために死ぬことが、長兵衛にとって理不尽であるとは考えない。

長兵衛は、女房お時に息子をチンピラにするなと言い残して、水野家邸へと向かう。長兵衛は、この時完全に子分たちを否定し、拒絶したはずだった。ところが、聞いていたはずの彼らは、これを完全に無視するんだな。長兵衛を慕い群れたチンピラたちは、自分たちにとって都合の良い、長兵衛親分という幻想を作り上げた。これが、誤解でなくて何だろうか。

任侠とは、弱きを助け強きを挫く気性、またその気性に富む人物のことをいう。旗本奴を束ねる水野は、江戸幕府という権威を後ろ盾とした強者であり、江戸期の庶民、或は何の取り得もないまま長兵衛を頼ったチンピラたちは、確かに弱者だったと言えるだろう。江戸期の庶民も子分たちも、自分たちを守り救ってくれる正義の味方が、長兵衛であると思いたかった。そして、そう誤解することにしたのである。しかしながら、長兵衛は変身できるわけでも、宇宙船が助けに来るわけでもなかった。

江戸幕府は実在した事件や人物を脚色上演することを厳に禁じたが、明治新政府は史実に基づいた芝居の上演を奨励した。このため、世間では周知の事件だった、長兵衛率いる町奴と、水野十郎左衛門率いる旗本奴の争いが、『極付・幡随長兵衛』では実録風に描かれている。水野は確かに悪役だった。江戸期の庶民にとって、旗本奴の横暴は腹に据えかねるものだったことだろう。武家社会の横暴を示すことが明治政府の意図だったとしたら、それは確かに的を射たものだったに違いない。しかしながら、芝居では、江戸期の庶民が、その腹癒せのために求めたのは、長兵衛の死だった。長兵衛は、誤解されたまま、自身の運命を甘受して死んだ。長兵衛を死に追いやったのは、水野でも旗本奴でもなく、心優しい子分たち、しいては江戸庶民自身だったのではないだろうか。幕。(2006,2,6)

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