| Kabuki
Review by Sekidobashi Sakura
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お う み げ ん じ せ ん じ ん や か た |
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近江源氏先陣館 |
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も り つ な じ ん や |
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盛綱陣屋 |
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2005年3月歌舞伎座 |
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3月3日木曜日、中村勘三郎襲名披露公演の初日である。口上は昼の部で、私が観劇したのは夜の部だった。その最初の演目『近江源氏先陣館』は、1769年近松半二、三好松洛らが合作した時代物浄瑠璃である。今回上演された『盛綱陣屋』は、大坂冬の陣を題材とした全十段の作品の八段目に当たる。佐々木盛綱は真田昌幸、高綱は幸村、北条時政は徳川家康、和田兵衛秀盛は後藤又兵衛がモデルであると伝えられている。 初陣同士の従兄弟同士が、戦場で生け捕り生け捕られ、虜囚の身となった小四郎は、父親の都合で納得ずくの死を強いられる。それも自刃切腹である。婆微妙は、この小四郎を評して、成長すれば千騎万騎にも能いする武将になったであろうにと、その死を嘆く。さて、小四郎が成長して、千騎万騎にも能いする武将になったとしよう。敵という名の兵士、あるいは民間人の場合もあろう、千人あるいは万人が、小四郎によって死ぬのである。 戦いにおいて、敵を万人殺害すれば英雄と呼ばれ、味方を万人殺害すれば愚将と呼ばれ、愚将の方は断罪される。しかしながら、いずれにしても万人殺害したという事実に変わりがないとすれば、戦いの場に倫理観などないに等しい。これを武家の妻女である微妙は充分理解して尚、小四郎は敵を万人殺害せしめる英雄となったであろうにと言っているのである。 『盛綱陣屋』に限らず、歌舞伎時代物における武家社会の倫理観は、少年を殺害することを是として成立している。更に、良い子は黙って死なねばならないのが、歌舞伎のお約束である。そこでは、悲劇性が強調されるが、死なずに済ませる方法を模索することはまずない。悲劇であるという判断があるならば、死なせずに済ませる方策を考えれば良いとするのは、後知恵であるという批判もあろう。しかしながら、その不合理さには、どうにも納得できないものがあると言わざるを得ない。 元々武士道とは、「武家のならい」だの、「兵の道」だのと言われ、武勇・礼節・廉恥・正直・倹約・寡欲が主な内容だったが、その根本となるのは忠と孝であった。忠とは主従関係の基礎をなす道徳であり、孝とは同族間の団結の中心をなした道徳である。これらの道徳は、武士が戦場にあって生まれた思想だった。 しかしながら、武士が戦場から遠ざかった江戸時代以降、所謂「武士道」として体系づけられた道徳観は、多分に様式化された規範となった。更に、その規範は、表面的に理解されるに留まった時、歌舞伎時代物に代表されるように、過酷な忠と孝を強要する規制と化す。本来の「武士道」とは、武家社会の道徳観であるにも関わらず、歌舞伎時代物が頻繁に制作・上演されるようになった江戸期には、道徳の名を借りた過酷な制裁として認識されることになるのである。 盛綱が母微妙に小四郎に切腹させるよう頼む場面で、イヤホンガイドの大御所小山観翁さんは、盛綱が無理な頼みをするに当たって、母親に甘えていると解説していたが、私は少し違う印象を受けた。盛綱は、この場面で、母親に決別しているのだ。母親に対して、自身の愛からではなく、一般化された武家の妻女の規範に則って行動することを求めるのである。だからこそ、微妙には母として、祖母として、武家の妻女として、相反する感情の葛藤が生じるのだ。 また、『盛綱陣屋』の最後で、高綱の兄として義を立て、主君時政に対する忠に背いた盛綱は、その申し訳に切腹しようとする。武士だからだ。そして、同じく武士である和田兵衛に、切腹の延期を提案されることになる。高綱が再起した後に切腹すれば、兄としての義も立ち、時政への忠も立つというわけだ。武士の合理性とは、死に関しては一切の無駄がない。哀しいなあ…。 そしてまた、高綱の影武者は誰だったのかということを、私は気にしたい。ただの偽首で済ませられることになった、忠義者の両親は妻は子は、小四郎の切腹を婆が母が叔父夫婦が悼むように、悲しむことが果たしてできたのだろうか。影武者が死亡したことを、高綱サイドの人間は家族に伝えたのだろうか。彼もまた、武家社会の犠牲者であったことを忘れずにいたいと思う。作品は江戸期の制作ではあろうが、観客は現代社会に生きる庶民である。悲劇に泣くより、その不合理に、ここは一発怒ってみても良いのではないだろうか。幕。(2005,3,3) |
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