Modigliani

モディリアーニ・真実の愛


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2005年722日金曜日、仕事を終えてから、新宿の映画館で『Modigliani モディリアーニ・真実の愛』を見てきた。一体、どの辺が「真実の愛」なんだか疑問に思える映画だったが、確かに天才モディリアーニが、スクリーンの中に存在していた。アンディ・ガルシアの体格は、少しがっちりし過ぎている感があったが、それは神経質な痩せ型のやつれた近眼ってのが、私の好みだというだけの話で、一般的な評価としては、◎で合格だったのではないかと思う。写真を見ると、顎の線は似ているかも…。そして私が嫌いな女が、そこにいた。

酒、麻薬、女に溺れながら、多くの芸術家たちがパリで暮らしていた時代、モディリアーニもまた、その中の一人だった。成功したピカソを、ことある毎にからかっては、苛めることで憂さ晴らしをする毎日を過ごしていたモディリアーニは、ある雨の日、美術学校の生徒ジャンヌと出会う。モディリアーニがジャンヌの肖像を描くうち、彼女は妊娠する。父親の役割を果たすことができないモディリアーニは、ジャンヌから逃げるが、ジャンヌは子供を手放してモディリアーニとの生活を続けることを選択する。

長年、酒と麻薬に体を蝕まれていたモディリアーニは、医師に年内に死ぬと宣告されていた。ユトリロが、アル中、薬中の強制治療のため、拘束服を着せられ、鎖に繋がれたまま死亡する妄想を見たモディリアーニは、これに自身の運命を重ねて戦慄する。

5000フランの優勝賞金をかけて、コンテストが開かれることになった。金に困ったモディリアーニは参加を決め、彼に煽られたピカソも参加を決める。パリ在住の絵描きたちは、一斉に出品作品の制作に没頭し、モディリアーニもまた、ジャンヌの肖像を描き始める。ジャンヌは、またしても妊娠していた。

作品を仕上げたモディリアーニは、代理人に作品の搬送を頼むと、市役所に出かけて結婚許可証を申し込んだ。その後、一杯だけのつもりで立ち寄った飲み屋で、深酒してしまい、金を支払わなかったため、ぼこぼこにされて重傷を負う。コンテストでは、モディリアーニが不在のまま、彼の作品が最優秀作品に選ばれた。ジャンヌが待つ家に、血塗れのモディリアーニが帰宅した。応急手当てをするジャンヌに、モディリアーニは結婚許可証を示した。喜ぶジャンヌに、モディリアーニの苦しみは見えない。友人たちが訪れ、ジャンヌが止めるのを無視して、瀕死のモディリアーニを病院に運んだ。その病院で、友人たちに見守られながら、モディリアーニは死亡する。モディリアーニを失ったジャンヌは、実家のアパートの窓から身を投げ、お腹の子共々死亡した。幕。

第一次大戦後、1919年のパリ、モンマルトルには、多くの芸術家たちが活動していた。一枚のデッサンで、カフェに集う若き芸術家たちに夕食を振舞う成功者のピカソは、店主にサインを求められ、店ごと売るつもりかと嘯く。オミド・ジャリリ演じるピカソは、本物のピカソが、実は俗物だったのではないかという私の印象を、そのまま体現したような人物像をスクリーンに登場させた。面白い。拳銃を常に携帯するような臆病者…。それが、この映画の中のピカソだった。

ピカソを始めとして、モディリアーニの友人として登場する画家たちの華やかさは、吃驚である。ユトリロ、キスリング、リベラなどなど…。年老いたルノアールまで、登場するのだ。ピカソに連れられて、贅沢な山荘を訪れたモディリアーニは、かつての面影を失ったルノアールに出会う。老ルノアールは、語る。「痩せて、背の高い女が好きだ。そういう女を描きたかったが、あの頃の女は皆、肉付きが良過ぎた…」さいですか…。

ルノアールの例を持ち出すまでもなく、芸術家を自認する輩の傍らには、常に女の存在があった。モディリアーニの場合は、美術学校の生徒ジャンヌだ。ジャンヌはモディリアーニを愛して、子供を生み、第二子を妊娠したまま自殺するほど、底なしの馬鹿だ。ジャンヌがピカソのモデルを引き受けた時、モディリアーニは激怒する。「でしゃばるな!!!」その通りである。ジャンヌは、モディリアーニの成功のために、ピカソの力を利用しようとしたのだが、それがモディリアーニをどれほど傷つけるかを理解しなかった。怒るだろうと、それは彼女も分かっていただろう。しかしながら、彼女のいう「真実の愛」は、その対象であるモディアーニを無視することを是とした。最低…。

誰が考えても、モディリアーニが、家庭を持ち、夫として、父親として、相応しい生活ができるはずがない。破滅型の芸術家に、生活の安定など何の意味があるだろうか。ただ一人、モディリアーニを真実愛したと自負するジャンヌだけが、モディリアーニの芸術家としての存在を否定するわけだ。愛しているから…。嗚呼、今、何と仰いました? いつも不思議に思っていることがある。何故、女たちは、愛した男を理解しないのだろうか。男が女を理解しないのは、理解する気がないからだが、女が男を理解しない理由が、「愛」だというのは解せない。

芸術家を理解した女が存在しなかったわけではない、マネを理解したベルト・モリゾ、ロダンを理解したカミーユ・クローデル、高村光太郎を理解した千恵子などなど…。彼女らは自身が芸術家だったが故に、天才の芸術を理解したものの、男としての凡庸さには耐えられず、逃れ、発狂し、失意の中で死亡する。気に入った女を悉く孕ませないではおかないことを、芸術家の特性と考えるのは傍迷惑な話だが、彼らの前に、女として存在することの不都合を、彼女らは身を以って体験するのである。芸術家を愛することが悲劇であるのと同様に、芸術家に愛されることもまた悲劇なのだ。

第一次大戦と第二次大戦の間、伝統的な価値観が失われ、新たな価値観が確立するには至らない混乱の時代に、若き芸術家たちは自身の天才を信じ、情熱のありったけを作品に注いだ。彼らの傍らにあった女たちは、一体彼らの何を愛し、何を理解したのだろうか。幕。(2005,7,22)

 

今月のお言葉

 でしゃばるな!!!


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