Kabuki Review by Sekidobashi Sakura

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祇園祭礼信仰記

20058歌舞伎座

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1757(宝暦7)年中邑阿契、豊竹応律ら5人が合作した全五段の時代物浄瑠璃『祇園祭礼信仰記』の四段目。初演当初から大評判を博し、早速歌舞伎に移されてロング・ランを続けたが、現在ではこの四段目だけが単独で上演されている。織田信長の松永征伐を題材とした作品だが、当時江戸幕府は、実際に起こった事件事故を脚色して上演することを厳しく禁じていたため、劇中、織田信長は小田春永、木下藤吉郎は此下東吉と名を変えて登場する。

劇中、松永大膳久秀は、十三代将軍足利義輝を自殺に追い込み、その母慶樹院を金閣に軟禁する。また大膳は、将軍家の絵師狩野之介直信に、墨絵の龍を金閣の天井に描かせようとしていたが、直信がこれを断わったため投獄し、その妻雪姫を軟禁した。大膳は、夫に代わって龍の墨絵を描くか、自分の意に従えば、直信の命を助けると雪姫に迫った。雪姫は雪舟の孫、狩野将監雪村の娘であった。雪姫は、手本とすべき祖父雪舟の残した家伝の秘書を奪われたため、龍の墨絵を描くことができないと、大膳の要求を拒み続けていた。無論、夫のある身で、大膳の意に従うつもりもない。家伝の秘書というのは、宝刀加羅倶利丸のことで、雪村が殺害された時に奪われたものだった。雪村の殺害も、倶利加羅丸の奪取も、大膳が仕組んだことだったと知り、雪姫は逃亡。此下東吉は小田春永の命を受け、大膳の参加に入ると偽って、慶樹院を救い出し、大膳と戦場での再会を期して幕となる。

雪姫は、『本朝廿四孝』の八重垣姫、『鎌倉三代記』の時姫と共に、歌舞伎における三姫の一人として知られている。桜の木に縛り付けられた雪姫は、涙でねずみを描いた祖父雪舟の逸話に倣い、桜の花弁でねずみを描く。すると、その絵のねずみが実体化して、縄を噛み切り、雪姫は逃亡に成功するのである。今回、雪姫を演じたのは福助で、可愛らしいが芯の強い赤姫を、たおやかに演じた。此下東吉は王子様染五郎が演じ、大膳は三津五郎が大きく演じた。

では、史実はどういったものだったのか。

1489年九代将軍足利義尚の病没後、将軍の地位は管領細川氏を中心とする有力守護大名によって左右されるようになる。ところが、細川氏自体も、家督を巡る内部抗争が表面化し、家臣の三好長慶に実権を奪われることになった。今回上演された『金閣寺』の主人公とも言える松永久秀(15101577)は、その三好長慶の家臣であったが、主家である三好氏を滅ぼして、十三代将軍足利義輝を自殺に追い込み、東大寺を焼くなどした、悪行非道な下剋上男として知られている。

久秀は、三好長慶の右筆(書記)をしていたが、事務処理能力に優れていたことから重用されるようになった。三好氏の根拠地である信貴山城を修築した際、日本で初めて天守閣を造営し、これが後になって信長の安土城の天守閣のモデルとなったと言われている。長慶の死後、久秀は三好氏の実権を握ることになるが、期を同じくして、長慶の傀儡であった十三代将軍義輝も、将軍の地位を高めようと、地方の大名たちに檄を飛ばした。義輝が自身の意に添わないことを知った久秀は、二条城を急襲し、義輝を殺害する。その後、義輝の従兄弟義栄を十四代将軍にしたのも、久秀であった。

久秀は、その後、三好三人衆と呼ばれる連合軍と抗争を繰り返し、1567年東大寺に陣取った三好三人衆に夜襲をかけた。この時、大仏殿にも火が燃え広がって、大仏の首が落ちた。この戦闘に勝利した久秀は、畿内の支配者となったが、義輝の弟義昭を奉じて上洛した信長には、降伏を申し出た。大軍を擁した信長には、逆らうつもりはないという意志を示したわけだが、彼我の戦力を的確に評価した結果であると言えよう。仮に、久秀の戦力が充分であったなら、戦うことを選択したのは明白である。信長の方でも、これを知っていた。

1572年、いよいよ武田信玄が上洛するという報を聞き、久秀は信長に反旗を翻した。ところが、信玄は病気のため上洛を果たせず、甲斐に引き返してしまった。孤立した久秀は、再び信長に降伏する。信長は、この時も久秀を許した。1577年、上杉謙信が石山本願寺と連合し、京に向かって進軍を始めた。久秀は、再度信長に対して謀反の旗を翻したが、謙信は現れなかった。信長は、久秀に降伏するよう使者を送ったが、久秀はこれを拒絶する。

信長の示した降伏の条件は、高野山に隠居することと、「平蜘蛛の茶釜」を差し出すことだった。上洛した信長に降伏した時、久秀は天下無双と言われていた茶入れ「九十九髪茄子」を献上していた。信長は、今度は、同じく名のある茶釜を手に入れようとしたのである。久秀は、その茶釜を首から下げ、火薬を使って爆死した。こうして、久秀の野望は潰えたのだった。

卓越した事務処理能力を、時代の趨勢を読むことと、戦闘分析に転用した久秀は、自身の力量を最大限に発揮して一地方の支配者として君臨した。しかしながら、天下を望むには、信玄、謙信の力に頼らざるを得なかった。久秀は、自身だけでは、信長に対抗できないことを知っていたのである。それを知って尚、自身の野望を捨てることができなかった久秀は、結果的に、信長が欲した茶釜を道連れに心中するしかなかったわけだ。

前述したように、久秀は悪行非道な下剋上男として認識されているが、実際は容貌に優れた、上品な教養人であったらしい。容貌については、人後に落ちないのが信長であるが、その他の事柄に関しても、結局のところ、秀才は天才に敵わない。信長という天才が、戦国時代を事実上終結させたが、秀才だらけの武将たちが群雄割拠して、更に戦闘を繰り広げることになっていたら、久秀にも勝利の機会があったかもしれない。『金閣寺』の最後の場面は、久秀が中央に置かれた朱色の台に乗り、上手に真柴筑前守久吉、下手に佐藤虎之助正清を従えてポーズを取って幕となる。この場面は、歌舞伎の典型的な幕切れではあるが、この芝居においては、久秀に限らず、天才の前に屈した、多くの武将たちに対する、劇作家たちの哀惜の情を表現したものだったのかもしれない。幕。(2005,8,14)


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