Kabuki Review by Sekidobashi Sakura

 

ひ  に   む  か  う    し  ま  の    か   げ     き   よ

日 向 嶋 景 清

200511月歌舞伎座


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中村吉右衛門さんが、 松貫四 の筆名で書いた作品。『日向嶋景清』は、『昇龍哀別瀬戸内藤戸』『巴御前』と合わせて、別れを主題とした三部作を構成するという。この『日向嶋景清』では、父と娘の別れを描いている。20054月こんぴら歌舞伎で初演された時には、景清が重盛の位牌を遂に捨てられないまま幕切れとなったが、今回は景清が娘を助けること、その一念のために、全てを捨てて、位牌を海に投じるという結末を現出した。これを、武士の信念を曲げた悲劇と捉えるか、ハッピーエンドと捉えるかは、観客一人一人によって受け止め方が違うだろうと、吉右衛門さんは歌舞伎座公式ガイドブック「筋書」に書いている。

さて、平景清は、平安末期鎌倉初期の武将で、悪七兵衛景清と称された平家の侍大将である。源平争乱の中で各地を転戦した後、1185年壇の浦の戦いを生き延びたものの、1195年源頼朝に下り、その翌年断食の果てに餓死したという。

そもそも『平家物語』に登場する景清は、源氏の武将美尾屋十郎の兜の錣を毟り取った時に、「遠からん者は音にも聞け」と名乗ったという記述があるだけで、それほど重要人物という扱いではない。屋島の戦いの際、那須与一は扇を射落とした後、平家方の男を一人殺害している。これに怒った景清他二人が陸に上がり、源氏方を挑発した。引っかかったのが美尾屋十郎というわけだ。景清は名乗りの後、味方の陣に無事戻るが、これ以後源平合戦は総力戦となった。

『平家物語』以後の語り物である幸若舞の『景清』は、景清伝説を完成させたものとして知られているが、ここでの景清は、壇の浦の戦いを生き延びた後、源氏への復讐に燃える暗殺者として描かれている。景清は37回に及ぶ頼朝暗殺計画を謀るが、全て失敗した挙句、妻の父親熱田大宮司の元に潜伏する。頼朝は景清捕縛を厳命するが、景清の行方は杳として知れないが、景清の愛人阿古屋が景清を密告する。これに怒った景清は、阿古屋との間にできた二人の子供を殺害し、更に逃亡、景清を密告したことで頼朝の怒りを買った阿古屋は、簀巻きにされて川に放り込まれることになる。最終的に、景清は源氏への復讐の念を捨てることを決意、自ら両目を抉って頼朝に恭順を誓う。この後、景清が清水寺に詣でると、両目は元に戻り、視力が回復するというオチがつく。歌舞伎の『壇浦兜軍記・阿古屋』では、阿古屋は景清の行方を白状せず、女の気概と意地を見せている。

幸若舞の『景清』に限らず、景清の盲目説は数多く、盲僧の開祖を景清としている伝承が、各地に残されている。盲僧と言えば琵琶法師。琵琶法師と言えば『平家物語』の語り部である。その琵琶法師の開祖が、景清であるとする研究もあるという。壇の浦を生き延びた景清は、平家滅亡の在り様を、敗れた平家側から語ることのできるほとんど唯一の有名人だった。『平家物語』は景清が語る一族の滅亡に至る歴史であり、これを後世に伝えたのが琵琶法師であるのなら、その開祖を景清であるとするのも納得のいかない話ではない。

おそらく、壇の浦を生き延びた平家の侍大将には、頼朝への復讐の念に縋るしか生きる術がなかったのだろう。更に、生き延びたこと自体が、景清に平家の源氏に対する怨念を一身に背負わせる結果をもたらした。景清は自らの意志に関わりなく、悲劇のヒ−ローとして、後世に生き延びることを余儀無くされたのである。

今回の『日向嶋景清』での景清は、死ぬべき時を逸した武将の哀れを背負って登場する。糸滝が現れるまで、盲目となっても尚、景清は平家の侍大将であったことから逃れられずにいたわけだ。しかしながら、娘糸滝のために、景清は武将としての信念を曲げ、重盛の位牌さえ捨てる。この時の景清は、既に悲劇のヒーローではなかった。

前述したように、吉右衛門さんは、この結末を、武士の信念を曲げた悲劇と捉えるか、ハッピーエンドと捉えるかは、観客一人一人によって受け止め方は違うと考えている。とは言え、この結末がハッピーエンドであるとは考え難い。吉右衛門さんが描いた景清の末路は、武将悪七兵衛景清の末路ではなく、娘を思う一人の老年を迎えた男のそれだった。戦いに明け暮れた平家の侍大将が、遂に陥ったのは、父親としての哀しみだった。景清の娘に対する思いの深さに、観客は感動を禁じ得ないのである。これはやはり悲劇であろうと、私は思う。合掌。幕。(2005,11,5)

○余談;友人のアメリカ人は寝てしまったらしい。


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