| Kabuki
Review by Sekidobashi Sakura
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や ま と か な あ り わ ら け い ず |
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倭 仮 名 在 業 系 図 |
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ら ん ぺ い も の ぐ る い |
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蘭 平 物 狂 |
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2004年8月歌舞伎座 |
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1752(宝暦2)年浅田一鳥、浪岡鯨児らが合作した全五段の時代物浄瑠璃。今回上演された『蘭平物狂』は四段目にあたる。物語は皇位継承権を巡る政治劇だが、現在では『蘭平物語』のみが上演されている。1953年に明治座で上演された時、坂東八重之助が工夫した立ち廻りによって人気演目となった。 さて、866年(貞観8年)平安宮大内裏の正殿入り口にあたる応天門が炎上した。この事件は朝廷内外を震撼させたが、二ヶ月余り後には、左大臣源信 が応天門に放火したと告発され、更に大きな衝撃が走った。源信を告発したのは大納言伴善男 だったが、後になって、伴善男の方が実は放火犯であり、応天門炎上事件は源信を陥れるための陰謀であったとして逆に密告されることになった。伴善男を放火犯として密告したのは、下級官吏大宅鷹取 だったが、伴善男は頑強に犯行を否定した。その間に鷹取の娘が殺され、その犯人として伴善男の従者の生江 恒山 らが捕らえられた。恒山らは鷹取の密告を恨み、その娘を殺害したらしいが、その取調中に応天門の放火は伴善男の子中庸の犯行であると自白したのである。 伴中庸が実行犯であれば、その主犯は父伴善男であることは疑いない。伴善男は犯行を否認し続けたものの、真犯人と断定され、本来なら大逆罪として斬刑となるところを減刑されて、私財没収の上、伊豆に流刑となった。これによって、源信は放火犯の汚名を着ることは免れたが、結局閉門となっている。伴善男と源信は、予てから確執があったと言われているが、その原因については良く分からない。 応天門炎上事件が発生した当時、太政大臣であった良房は病気療養のため自宅に篭っていた。伴善男が左大臣源信を告発した折り、良房の弟で右大臣だった藤原良相 は、藤原基経に源信邸を包囲して逮捕するよう命じた。基経は叔父良房の養子となり、藤原宗家の後継者となった人物で、良相の命令の重大さに驚き、太政大臣である養父良房に事の次第を報告した。報せを聞いた良房は、左大臣源信の無実を確信し、基経に真犯人の探索を命じた。 伴善男が逮捕された後、良房は摂政に任じられている。このことから、良房が応天門炎上事件を、自らの権力基盤を更に強化するために利用したのではないか、または応天門炎上事件そのものが、伴善男の失脚を狙った、良房の陰謀だったのではないかという説がある。当時、国政は20人ほどの参議と呼ばれる公家によって行われていた。大納言伴善男もその一人だったが、良房は予てから伴善男の有能さを、藤原氏の対抗勢力として危険に感じていた。そのため、伴善男排除の機会を狙っていたが、応天門炎上事件をその好機と考えて、伴善男真犯人説をでっち上げたのではないかというのである。 しかしながら、当時、政局は混迷を極めていた。太政大臣良房は病気療養中、左大臣源信は応天門炎上事件の犯人として告発されて以来、自宅に引き篭もっており、右大臣良相は左大臣邸を包囲するという失策を犯して信用を失墜させ、大納言伴善男は放火の真犯人として逮捕されてしまったのである。時の清和天皇は、元服は済ませたものの、未だ17歳という若年であったため、事態の収拾を図るために、新たに摂政職を設けて、病中と称している良房の出馬を請うたのではないかと考えられる。つまり、結果的に良房が摂政職に就任することになったが、これはあくまでも天皇の要請によるものだったとするのが正解だろう。 この応天門炎上事件をきっかけとして、摂政に就任した良房を始めとする藤原氏は、権力基盤を更に磐石とし、伴氏は中央政界から完全に追放された。そして、良房の後継者である基経が、藤原氏の全盛時代を築くことになるのである。余談だが、基経は、その後所謂「阿衡事件」の当事者として、菅原道真と関わりを持つことになる。結局、応天門炎上事件の真犯人は誰だったのか、歴史は真実を伝えてはいない。その辺りが、フィクションの題材となる可能性を、後世に残したのかもしれない。 『倭仮名在原系図・蘭平物狂』の蘭平/伴義雄は、この応天門炎上事件の主犯と断定された伴善男をモデルにしている。その仇役となった在原行平は、源信と言うよりは、当時の最高権力者であった太政大臣藤原良房をモデルにしていると見た方が妥当だろう。応天門炎上事件発生当時、良房が清和天皇に事情を説明すると、清和天皇は源信邸に勅使を送ったが、その勅使というのが、劇中与茂作/伴義澄として登場する大江音人であった。 終盤、伴家再興が許され、歌舞伎歴史物特有の無理やりな大団円となるが、藤原良房や基経がこうした結末を望んでいたのかどうかは分からない。しかしながら、この一幕には、権力者サイドの言い訳めいた雰囲気が一貫して流れている。行平が蘭平を許す機会を作為的に設けたと言うより、行平の方が蘭平に許されることを願っていたのではないだろうか。多分、蘭平の父は無実だったのだろうと思わせる印象を与えている。 今回の上演で蘭平を演じたのは三津五郎だったが、京劇の舞台を観るような素晴らしい棒術を披露していた。これに限らず、舞台では、アクロバティックな演出が展開し、歌舞伎の殺陣は様式ばかりに拘ってスローで退屈という印象を完全に払拭した。この殺陣で、人気狂言になったという評価も頷けるというものだ。30人に及ぶショッカーの兄ちゃんたちの奮闘に拍手。彼らの身体能力を評価する場が、もっとあっても良いのではないかと思った。 ところで、在原行平の名は知らなくても、在原 業平 の名を聞いたことがない日本人はいないだろう。『伊勢物語』の主人公として知られる人物である。六歌仙の一人に名を連ねる情熱的歌人で、容姿端麗な典型的美青年という評価があるが、この業平が愛したのが、藤原基経の妹高子だった。周囲の反対に出会って、二人の恋は盛り上がり燃え上がり、駆け落ち事件を引き起こすに至るのだが、高子を清和天皇の后として入内させるという野望を持っていた基経が、高子を連れ戻してしまったんだな。藤原家の娘として生まれた高子にとって、業平は単なる恋人と言うよりは、藤原家という重い足枷からの解放を意味する、外の世界への道標のような存在だったのではないだろうか。しかしながら、その想いは基経の野望のために、脆くも潰えるのである。 失意の業平は東国へと放浪の旅に出る。基経らに京を追い出されたと考えるのが妥当だろう。そして、この頃、業平の兄行平もまた須磨に引き篭もることになるのである。これは、基経ら藤原家に対して面倒を引き起こした弟のとばっちりを避けるために、自ら退いたということらしい。須磨と言えば、光源氏が隠遁した地である。紫式部が『源氏物語』を書くに当たって、光の君の隠遁の地を須磨に選んだのは、行平が同地に引き篭もったことをモデルにしたと考えて差し支えないだろう。容姿端麗な業平ではなく、実直な高級官吏だった兄行平が光の君のモデルとなったというのは、なかなか興味深いことだと思う。 業平が東国に出奔したのは850年頃から10年ほどの間のことと考えられるが、高子が入内したのが866年なので、時間的に因果関係が前後することになる。とは言え、何らかの理由で京にいられなくなったのは確かなことだし、『伊勢物語』はフィクションなので、その辺りは問題にしていないらしい。 ついでに『源氏物語』に触れてみたい。光の君が須磨に隠遁していた時、亡父桐壷帝が夢枕に立つ。桐壺帝は、自身は自ら過ちを犯したことはなかったが、それでも知らぬ間に罪を犯していたらしく、地獄に堕ちてしまい、その罪を償うのに忙しい思いをしていると光の君に告白する。桐壺帝が醍醐天皇をモデルにしていることは、国文学者にとっては周知の認識らしいが、そうなると醍醐天皇は地獄に堕ちていることになる。醍醐天皇が地獄に堕ちるような罪とは何かと考えると、藤原時平と共謀して菅原道真を大宰府に左遷したことしかない。しかしながら、菅原道真を中央政界から追放することが、地獄に堕ちるほどの罪悪であったと考えるのは、難しいと言わざるを得ない。 国文学者にとって、菅原道真は、天神信仰の対象であるほどの優れた人物だが、日本史家の一般的認識は、醍醐天皇廃位の謀略については、果して本当に無実だったかどうかの判断は保留している。この辺りは、応天門炎上事件の玉虫色の結末に酷似しているが、過去の真実というものは見極めがつかないというのが、今回の結論なのかもしれない。とは言え、歴史的事件というのものは、例え当事者にとっては悲惨な事件であったとしても、真実を推理し探索するというこの上ない楽しみを後世に提供しているのは確かなようだ。幕。(2004,8,14)
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