Movie Review by Sekidobashi Sakura
OASIS
| 2月14日土曜日韓国映画『オアシスOASIS』を見た。韓国版『Talk
to Her』だった。怒り心頭、許せん!!! 辛い…。息苦しい…。泣くことさえできないリアリティに、困惑しきりでございましたよ。 物語は、刑務所から出所したばかりの主人公ジョンドゥが、引越してしまった家族を探す場面から始まる。ジョンドゥは、無銭飲食をして再び逮捕され、迎えに来た弟と共に帰宅する。不器用で愚かなジョンドゥは、暴行、強姦未遂で前科二犯の元犯罪者だったが、交通事故で被害者を死亡させてしまった兄の身代わりとなり、服役していたのだ。そのジョンドゥに、家族は冷たい。これまで彼の身勝手のせいで、散々な思いをしてきたからだ。 ジョンドゥは駕籠入りのフルーツを持って、件の交通事故で死亡した被害者の家に向かい、被害者の娘コンジュと出会う。脳性麻痺で肢体不自由の障害を持ったコンジュは、彼女名義で障害者用の快適なマンションに移り住んだ兄夫婦とは別に、古いアパートの一室で暮らしていた。兄夫婦は、役人が調査に来る時だけ、コンジュと同居していると偽るために迎えに来るのである。隣家の夫婦が、彼女の面倒をみていたが、充分な世話をしているとは言い難かった。コンジュに興味を持ったジョンドゥは、隣家の夫婦が彼女の部屋に出入りするために使っている合鍵を手に入れ、驚く彼女に話し掛け、身体に触れ、レイプする。 その後、ジョンドゥとコンジュは、次第に互いへの愛情を育てていく。コンジュは、身体の自由がきかない。言葉もはっきりしないし、緊張すると話すことさえできなくなる。ジョンドゥは、彼女のために洗濯し、食事を食べさせ、彼女を背負って車椅子を抱え外出する。ジョンドゥと一緒にいる時、彼女の気持ちは車椅子を立ち上がり、歩き、踊る。普通の健康な女のように、ジョンドゥに拗ねてみせるのだ。 ある日、ジョンドゥがコンジュの家から帰宅しようとすすると、彼女は一緒に寝てくれと言う。二人は、レイプ後初めて性交する。その最中、コンジュの兄夫婦が訪れ、ジョンドゥは強姦犯として逮捕されことになる。興奮したコンジュは、事態を説明することが出来ない。警察関係者、双方の家族から、ジョンドゥは障害者をレイプした最低の人間の烙印を押される。 コンジュの部屋には、オアシスを描いたタペストリーが掛けられており、これに窓の外に植えられた木の枝が、影を落としている。コンジュは、この木の枝の影を怖がっていた。警官の一瞬の隙をついて逃亡したジョンドゥは、その木の枝を切り落とし、再び警察に連行されて行った。幕。 これほど醜悪なレイプ・シーンは、見たことがない。肢体不自由なコンジュの身体に触れ、驚愕と恐れの最中で、言葉を失い、抵抗できない彼女をレイプするのだ。そして私は気がついた。女性障害者に対する、こうした性的虐待は、古今東西を問わず行われてきた犯罪なのである。スペイン映画『Talk to Her』では、主人公の看護師が昏睡する女性をレイプするが、『オアシス』のコンジュは明確に意識があるのである。その恐怖は、計り知れない。映画の中で、コンジュがかなり高い知性の持ち主であることが示唆されている。この事実もまた、コンジュの驚愕と恐怖を助長したに違いない。ジョンドゥは、尊敬すべき女性コンジュを、木偶の坊のように扱い、レイプしたのである。 前述したように、ジョンドゥとコンジュは、その後デートを重ね、愛を育むようになるが、外出する二人に対する世間の目は冷たい。コンジュが車椅子を使っているだけの障害者であれば、レストランを追い出されずに済んだかもしれない。だが、コンジュは脳性麻痺による肢体不自由で、手足は奇妙に折れ曲がって硬直し、表情は強張り、視線は定まらない。人々が、これに奇異な印象を受け、偏見を助長するだろうことは容易に推察できる。ジョンドゥは怒りを覚えるが、彼自身が最初にコンジュの尊厳を打ち砕いた当人なのである。クソ馬鹿野郎な単細胞生物が、脳性麻痺を根拠にコンジュを見下したのだ。馬鹿なもんだから、自分がやっことを忘れてしまっているのよ。今の自分の気持ちだけを、彼女を愛しているという気持ちだけを認めろと、周囲に強要しているわけだ。許せん!!! ジョンドゥは、愚かな男である。しかしながら、その愚かさを理由に、彼の犯罪行為を正当化することは金輪際できない。仮に、ジョンドゥが愚か者でなかったならば、コンジュへの愛情が募るにつれ、自身の過去の行為に対する自責の念を強め、彼女と別れることを決意しただろう。人間の尊厳とは、そういうものでしょう?それに、ジョンドゥがコンジュを知ってからも、彼の本質は変わっていない。脱走途上、携帯電話を奪うために襲ったのは、若い女の子だった。ジョンドゥは、コンジュをレイプした時と同様に、確かに自分より弱いものを選んで襲っているのである。 コンジュの場合は、複雑である。自身の理解者が、自身をレイプした男であることを受け入れるのは、とんでもなく困難だったことだろうと思う。映画は、この部分を描写することを省略しており、脳性麻痺による障害者であるコンジュが、初めて理解者を持ったことの喜びだけがクローズ・アップされている。コンジュは、確かに苦悩したはずなのだ。ジョンドゥがコンジュを理解するプロセスは存分に描かれているが、コンジュがジョンドゥを理解するプロセスは省略されている。私はねえ、このことにさえ、映画製作者側の障害者に対する無理解を感じるのだよ。非常に残念…。 映画の中で、コンジュの気持ちが車椅子から立ち上がり、歩き出し、踊り出す。ジョンドゥに拗ねてみせる彼女は、どこから見ても普通の健康な若い娘だ。同じような状況が、何度か挿入されているが、コンジュが立ち上がる場面の自然さは、衝撃的でさえある。車椅子を使用している人が、歩けないとは限らない。しかしながら、一度でも車椅子のお世話になった人であれば、車椅子に座りながら、立ち上がって歩き去る自身の背中を見詰めるという経験をした覚えがあるはずだ。その後、私は実際に立ち上がることができたが、コンジュは生涯立ち上がることはない。この事実が、私を打ちのめすわけだな。 コンジュを演じた女優ムン・ソリは、半年間に渡って脳性麻痺の女性たちと交流を持ち、彼女らの生活の全てを実体験して撮影に臨んだ。『奇跡の人』の舞台を前に、脳性麻痺患者の療養所に住み込んでいた、姫川亜弓お嬢様を髣髴とさせるエピソードではないか。嗚呼、『ガラスの仮面』の結末は如何に!?演技とは、何ぞや。そう考えさせられるくらい、凄い女優だと思ったね。『オアシス』のパンフレットの表紙には、ジョンドゥを演じた男優ソル・ギョングとムン・ソリが並んで、穏やかな表情を浮かべて納まっている。「脳性麻痺なわけじゃないのよ」とでも言いたげで、気に入らない。 さて、貴方が健常者だったなら、この機会を借りて考えて欲しいことがある。 「すいません。おしっこするのを、手伝ってもらえませんか?」 この言葉を発するのに、排尿排便に人手を借りなければならない障害者が、どれほどの葛藤を乗り越えたのかを、ご一考いただきたいのである。如何に、リアルな描写に徹した韓国映画であっても、トイレの場面は諸略せざるを得なかった。この現実を、正しく認識して欲しいと思う。幕。 |
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