Kabuki Review by Sekidobashi Sakura

芦屋道満大内鑑

葛の葉


2004年11月歌舞伎座


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1734(享保19)年に初演された、竹田出雲作の全五段の時代物浄瑠璃。今回上演された「葛の葉」は、『芦屋道満大内鑑』の四段目にあたる。陰陽師安部晴明の出生の秘密が明かされるという、興味深い内容になっている。

倍晴明(921-1005)と言えば、近年『陰陽師』というタイトルを冠した小説、漫画、芝居、映画、TVドラマなどが大量に市場に出回っており、知らない人を探す方が難しい歴史上の人物である。映画で安倍晴明を演じた狂言師野村萬斎が、映像としての安倍晴明像を確立したため、陰陽師という得体の知れない存在が、想像力を発揮するまでもない実体として認識されるようになったことが、その最大の要因だったのではないかと思う。現在では、陰陽師イコール安倍晴明で、安倍晴明イコール野村萬斎という図式が成り立っている。これが喜ぶべき状況なのかどうかの判断は、私としては保留したいところだが、多くの人々の興味の対象となっているからには、面白い人物だったことは間違いないだろう。

晴明の安倍家は、孝元天皇の子大彦命を先祖とし、その十一代目に当たる倉橋麻呂が安倍姓を名乗って始まった。その倉橋麻呂の子御主人(みうし)は、かぐや姫の求婚者の一人として『竹取物語』に登場する有名人だ。また、倉橋麻呂の娘の小足姫(おたらしひめ)は、孝徳天皇の妃で、中大兄皇子に謀殺された悲劇の皇子有馬皇子の実母となった人物である。このように、安倍家は多くの有名人を輩出した家柄だった。

幼い頃から聡明だった晴明は、早くから陰陽道の教育を受け、その才能を高く評価されていた。私は陰陽道を一種の占星術であろうと理解しているが、陰陽師と呼ばれる専門職に従事している人々は、これによって人物や物事の行く先、失せ先を占うだけでなく、その運命を変える力を持っていると考えられていた。晴明の占いは、非常に良く当たるので、狐の子なのではないかという噂まで流れたという。この伝説にインスピレーションを受けて創作された芝居が、今回上演された『葛の葉』である。

晴明の父保名は信田の森の狐を助けたが、これを恩に感じた狐が人間の姿に変じて葛の葉と名乗り、保名に嫁いで晴明を産んだ。その後正体がばれた狐は、以下の歌を障子に書き残して森に帰っていく。

恋しくば尋ね来て見よ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉

この歌を見た保名は、晴明を連れて葛の葉を捜しに森に入るが、再会した葛の葉は既に狐に戻っており、最早人間の姿でいることはできないと森の奥へと去る。この時、狐は竜宮の秘宝の水晶玉を晴明に与えた。晴明はこの水晶玉によって、世の中のできごとを全て知ることができるようになったのだという。

芝居の中で、客席に向かって並ぶ四枚の障子に、葛の葉狐が前述の歌を書くのだが、先ずは右手で書き始め、幼い晴明に邪魔されて仕方なく筆を左手に持ち替える。更に愚図る晴明を両手で抱えることになった葛の葉は、筆を口に咥えて歌を完成させるのである。今回葛の葉狐と葛の葉姫を二役で演じたのは、鴈治郎だった。役者という職業は、随分と大変なものだと常々思ってはいたが、アクロバット的な演技は勿論のこと、こうした奇術紛いの仕業まで、訓練によって可能にしてしまうのだから、たいしたものだと感心するばかりだ。何しろ、葛の葉は人間ではない狐なのである。だからこそ、このような設定も可能だったわけだが、役者はあくまでも人間で、舞台は常にライブである。CGで、というわけにはいかないのだ。凄い。これが芸というものなのだろうと、鴈治郎の好演に感じ入った。

さて、その後陰陽師となった晴明は、貴族たちの要望にお応えしては、あれこれ怪しい呪文を唱えてみたり、予言めいた発言を繰り返すなどするのだが、こうしたことが覿面に当たったもんだから、当人も吃驚するばかりだった。当時は、菅原道真の怨霊の祟りと噂された凶事が次々と起こり、その事件に纏わる怪しげな因縁話が、未だ人々の記憶に残っている時期だった。そして960年、落雷により内裏が炎上する。心当たりのある人々は、この事件を菅原道真の祟りであると考えて恐怖した。映画の中で晴明が闘った相手は、早良親王の怨霊だったが、当時の人々は是非とも晴明に、願わくは死闘の末、道真の怨霊に勝利して欲しいものだと思ったのではないだろうか。陰陽道に基づいた独自の方法論によって、結果的に社会不安を払拭するのが陰陽師たちの役割だった。しかしながら、安倍晴明が菅原道真の怨霊退治に乗り出したという伝承はない。

古代、後ろめたさや疚しさを、恐怖という感情に摩り替えることによって、心の平安を取り戻そうとした人々が、怨霊という概念を創出した。早良親王は宮廷が公式に認証した怨霊第一号であり、菅原道真は史上最強の怨霊として知られている。晴明のご先祖の一人だった有馬皇子もまた、怨霊となるに足る悲劇的な人生を送った人物だった。陰陽師は英語でエクソシストexorcistという。晴明が退治しようとしていたのは、怨霊などという非現実的なまやかしなどではなく、人の心の奥底に潜んでいるネガティブな感情だったのだろう。劇中、葛の葉狐が晴明に与えた水晶玉には、人間の弱さを象徴するような暗闇が映し出されていたのかもしれない。幕。(2004,11,6)


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