| Kabuki Review by Sekidobashi Sakura |
鎌倉三代記
絹川村閑居場
2004年1月歌舞伎座
歌舞伎に登場するお姫様たちは、通常「赤姫」と呼ばれ、お城だろうが田舎家だろうが、場所を問わず、赤い振袖を着て、キンキラの髪飾りをつけて登場する。今回の『鎌倉三代記』の時姫も、許婚の母親の病気を看病するために、単身田舎の別荘を訪れているのだが、やはり赤い振袖を翻して登場する。お姫様たちは、終始一貫して、お姫様であることを自己主張して止まない。特に、この時姫と、『本朝廿四香』の八重垣姫、『祇園祭礼信仰記』の雪姫は、歌舞伎の三姫と通称されており、天下無敵の難役として知られている。しかしながら、歌舞伎のお姫様たちには、その美しさと共に、過酷な運命が約束されているのである。 時姫は三浦之助を愛しているという感情があるだけだが、三浦之助の方では、北条時政の娘を利用することだけに、時姫の存在価値を見出しているに過ぎない。時姫は、かなり一方的に片思いをしているという状況に置かれているのである。その上、恋する相手が父親の敵方の武将であったことは、時姫の悲劇を決定的なものにした。三浦之助は、時姫に父北条時政の殺害を命じるのである。 古今東西を問わず、親殺しは禁忌中の禁忌であった。その無理難題を要求するにあたって、三浦之助は、時政を討った刀で、時姫自身が時を置かずに自害すれば、親殺しにはならないという屁理屈を考え出している。遠回しではなく、あからさまに、自爆テロを強要しているのである。自分を愛しているなら、父を殺して死ね。そんな恋人などあろうはずなどないが、時姫にとっては、三浦之助は唯一の愛しい男であった。その三浦之助に、「愛」を持ち出されては、納得するしかない。それが、お姫様の生きる道、死ぬ道なのである。恋はいつでも、恋する方に酷い犠牲を強いるものなのだ。悲惨…。 『妹背山女庭訓』において、蘇我入鹿の妹橘姫は、恋人淡海に説得されて、兄入鹿の秘蔵する剣を盗み出す。『鬼一法眼三略巻』の皆鶴姫は、恋人牛若丸に説得され、父鬼一が秘蔵する巻物を奪うのを手伝うことを承知する。淡海も牛若丸も、素性がばれたと知ると、お姫様たちを殺害しようとするが、父や兄を裏切る材料を彼女らが持っていたために死を免れる。男たちは、彼女らを殺すより利用した方が得策だと考えるのである。時姫の切り札は、時政の娘であること、そのものだった。従って、時姫は暗殺者になることを余儀なくされるのである。 さて、こうした悲惨な運命にあるお姫様の中でも、『桜姫東文章』の桜姫の悲運は他の追随を許さない。桜姫は、自宅に押し入った強盗犯にレイプされて妊娠、出産するが、その強盗犯権助に恋してしまうのである。その後、権助との再会を果たした桜姫は、女郎に売り飛ばされ、最終的に権助と自身が生んだ権助の子を殺害するに至る。悲劇と言うより、既に猟奇の域に達している。 男たちは政治的な大義のために、女を道具として使い、その恋心を利用することを躊躇わない。女たちは恋慕う男の意に添うことに、自身の大義を見い出し、父を裏切り兄を裏切る。裏切る価値のあるものを持って生まれたお姫様であったことが、結果的に彼女らを苦況に陥らせることになるのである。 彼女らの恋を犠牲として、淡海は藤原氏再興を、牛若丸は源氏再興の大義を果たす。恋慕う男と添うことのみが、未婚の女の夢と希望の全てであった時代、お姫様たちは、自虐的なまでに、その道徳観を犠牲にしてきた。更に、彼女らは、自身の不幸を嘆き悲しむことはあっても、黙ってこれに耐え、黙って死ぬ覚悟を決めるのである。お姫様たちをこのように描くことで、大義を振りかざす男たちは、利益を得てきた。女は、恋愛のことばかり考えている。男たちにとって都合の良い、こうした偏見が、現在も蔓延している原因がここにある。 残念なことに、恋愛の情熱は、長続きするとは限らない。その刹那の感情で、死を決するまでに人を愛していると錯覚するのは、些か愚かしいことだと思わざるを得ない。狡猾であれと言うのではない。打算的であれと言うのではない。ただ、選択の余地がないわけではないということを、知っておいて欲しいと思うのである。恋に生き、愛に死ぬ。甘美な響きに酔うのも結構だが、少し冷静になって、自分自身の生き方を考える時間を作ってみても損はあるまい。 思春期真っ盛りのお姫様たちが、果たして耳を貸すかどうか定かではないが、死ぬ気になったのであれば、その命を生かすことはそれほど困難ではないはずだ。恋していようが、愛していようが、自爆テロを要求する男に真実などない。この一事だけは、今昔を問わず間違っていない。幕。(2004,1,5) |
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