Stage Play Review by Sekidobashi Sakura

BENT


2004年1月パルコ劇場


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1月10日土曜日、渋谷パルコ劇場で上演された『BENT』を観た。1978年に朗読形式で初演された、ナチス支配下の強制収容所における同性愛者を主人公とした、Martin Shermanの作品である。面白かったけど、ちょっと残念なところもあった。「愛」って、何なんでしょうねえ…。

ナチス支配下のベルリン。マック(椎名桔平)とルディ(高岡蒼佑)は、狭いアパートに二人で暮らしていたが、その朝はもう一人の男ウルフ(永島克)が部屋にいた。前夜マックスがお持ち帰りした男だった。そこに、ナチス親衛隊が踏み込み、ウルフを殺害する。マックスとルディは辛うじてその場を逃げ延び、同性愛者たちの溜まり場となっていた、グレタ(篠井英介)の店に辿り着いた。グレタの話によれば、ヒトラーに対するクーデターを謀っていたとして、突撃隊が親衛隊に襲撃され一気に粛清されたのだという。ウルフは、突撃隊の上級将校の愛人だったため、殺害されたのだった。突撃隊隊長だったレームが同性愛者だったことから、その後、あからさまな同性愛者狩りが行われるようになった。

マックスとルディは、逃亡生活を余儀無くされるが、遂に逮捕され、強制収容所に連行されることになる。その護送列車の中で、列車の衛兵に命じられたマックスは、ルディを暴行し、結果的にルディを死に至らしめた。列車の中で、マックスは同性愛者であることを否定するために、衛兵らの好奇な視線の中で、既に死亡している少女をレイプする。

マックスは、強制収容所でピンクの三角の印を縫い付けられた囚人服を着たホルスト(遠藤憲一)と出会う。黄色の星はユダヤ人を、赤の三角は政治犯を、緑の三角は犯罪者を、ピンクの三角は同性愛者を示す印だった。マックスは、看守との取引によって、ユダヤ人の印、黄色の星を縫い付けられた囚人服を着ていた。同性愛者は、収容所の中で、最も酷い処遇を受けていたからである。同性愛者であることを、生きる方便として否定するマックスに、ホルストは苛立つが、次第にマックスに惹かれていく。

マックスとホルストは、石の山を上手から下手に運び、それが終ると下手から上手に運ぶという無意味な労働を命じられていた。二時間毎に訪れる休憩時間には、三分間直立不動でいなければならない。正気を保つのが困難なほどの過酷な状況の中、マックスとホルストは、その三分間を使って、互いの言葉で愛を確かめ合う。客席に向かって直立する二人が、言葉で口づけ、愛撫し、性交するのである。

収容所に新任の大佐(篠井英介)が着任した。大佐は、咳をするホルストに、帽子をフェンスに向かって投げるように命じる。フェンスには高圧電流が流れており、帽子は火花を散らして落ちた。大佐は、帽子を取りに行くよう命じた。帽子を取ろうとすれば、フェンスに流れる高圧電流の餌食となり、命令に従わなければ銃殺される。ホルストは、左手の指で左眉をなぞった。そして、マックスに向かって走り出し、銃殺される。

大佐は、死体を片付けるようマックスに命じ、その場を立ち去った。マックスは、初めてホルストを抱き締めた。左手の指で左眉をなぞるというのは、ホルストが考えた、マックスを愛しているというサインだった。マックスは、一旦はフェンスに向かって死のうとするが、ホルストの服を脱がして、自分でそれを着た。ピンクの三角を自分の印として受け入れ、その印の意味する過酷な運命の中で生きることを選択する。幕。

1934年6月30日、「血の粛清」と呼ばれる突撃隊の幹部らの虐殺が決行された。芝居の中では、ナチスのNo.2である突撃隊隊長レームを排除することを目的として、クーデターを謀ったことを理由に、突撃隊そのものが粛清されたということになっているが、この事件の最大の目的は、ドイツ国防軍の軍事力をナチスが獲得することにあった。ナチスの軍隊を自負していた突撃隊は、国防軍との諍いが絶えず、今後のドイツ支配には、軍隊の一本化が不可欠と考えたヒトラーが、突撃隊ではなく、国防軍を選択したのは当然のことだった。

レームが同性愛者であることは、当時から周知のことだったが、レームの死によって、同性愛者への取締りが厳しくなったことは事実としても、同性愛者に対する偏見と迫害が、ナチスの専売特許であるような印象を与えていることには、些か疑問を感じずにはいられない。ヒトラーとナチスの犯罪は、人類史上最悪の暴挙だったが、ユダヤ人に対する迫害も、同性愛者に対する迫害も、強制収容所の中だけのことではなく、通常の社会生活の中で日常的に行われていたことなのだということを、知る必要があるのではないかと思う。

芝居では、強制収容所という極限状態の中で、懸命に愛することを模索する様子が描かれているが、現実の強制収容所には、その「愛」すら存在することは不可能だった。観客は、マックスとホルストの究極の「愛」が、強制収容所という限定された空間の中で終始することに、涙しながら安堵する。しかしながら、私を含め、人々は、意識しないままに、マイノリティを差別し、迫害し、結果的に死に追いやっているのが現実なのである。

篠井英介、椎名桔平、遠藤憲一ら人気俳優が舞台に登場するものの、私は以上のようなことを考えながら、客席で泣いていた。同行した友人は、この芝居を観るのは、今回で三度目だという。最後の場面で、マックスが高圧電流の流れるフェンスに身を投げ、死亡するという演出もあったそうだ。どちらにしても、苦しい最期であることには変わりない。ナチスの愚行を批判する時、私たちは、同時に自らの言動を戒める必要がある。現在、私には、マックスとホルストの「愛」が見えない。これは、問題あるかも…。

以前、強制収容所を舞台とした短編小説を書いた。その物語は、以下の言葉で始まる。

銃殺は収容所の柵の外側で行われていました。

(2004,1,10)


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