『四谷怪談』の2003年バージョンである。鶴屋南北作『東海道四谷怪談』は、元々『仮名手本忠臣蔵』の外伝として書かれた作品だ。1825(文政8)年江戸中村座で初演された時は、『忠臣蔵』と併演し、初日は『忠臣蔵』の大序から六段目までと、『四谷怪談』の前半を、二日目には『忠臣蔵』の七段目から十一段目までと、『四谷怪談』の後半を上演するという、二日間に渡る通し上演だった。猿之助は、この構想を生かして、1970(昭和55)年、二作品を一つの作品として再構成した『双絵草紙忠臣蔵』を上演し、好評を博した。今回の舞台は、これを新脚本として書き下ろしたものである。 『四谷怪談』も『忠臣蔵』も、日本人にとっては、極めて馴染みの深い物語である。現代人にとっては、どんなものかと思わないでもないが、私の母は、毎夏恒例のイベントとして、『四谷怪談』の映画を見るのを楽しみにしている。私自身は、怪談を楽しんで見たり聞いたりする習慣はないが、何時の時代も、オカルト趣味は好まれるらしい。今回も、お岩さんの幽霊が、怨めし気に登場すると、観客は大喜びだった。 実際のところ、今回の上演では、通常演じられない「三角屋敷の場」や、『忠臣蔵』の場面が上演されたため、お岩が死に至る場面が簡略化されており、彼女の性格的な醜さが強調されることがなかったので、観客は、幽霊となったお岩に、単純に同情することができたのではないかと思う。以前、勘九郎のお岩を見たが、この時には、あれじゃあ嫌われても仕方ないと思ったものだ。嫌な女を演じさせると、勘九郎には本気のリアリティがあるのだ。 『四谷怪談』と『忠臣蔵』を一つの芝居として上演するという趣向は、芝居の構成として、大成功だったと思う。様々な仕掛けがあって、知ってる人には、楽しめる場面が盛り沢山だったようだ。私としては、物語の因果関係が合理的に説明されている辺りを、評価したい。登場人物たちの関係が交錯する様子を、推理小説を読むように、楽しむことができた。そして、今回、私は役者の皆さんの素晴らしさを評価したいと思う。 高師直を演じた猿弥の、塩冶判官を罵倒する高笑いは、是非とも特撮物に出演して欲しいと思ったくらいの悪党ぶりであった。その師直に憑依した新田義貞が、その正体を現す場面では、義貞を演じた段四郎の声に、猿弥が口パクで合わせるという芸を見せた。これが、お見事!!! この日、私の席は、前から二列目の花道の近くだったので、花道の役者の表情がTVで見るように、はっきりくっきりだった。お蔭で、定九郎、伊右衛門、又之丞らの色男ぶりを、たっぷりと堪能することができた。 定九郎は、『忠臣蔵』本編では、悪役であるが、今回は由良之助の密命を帯びた隠密として登場する。悪の美学を追求する『忠臣蔵』本編の演出も捨て難いが、なかなか味のある色男であったと思う。春猿てば、格好良いのよ。合格です。片や、段治郎演じる伊右衛門は、俗世の悪役を一手に引き受けた格好になった。これが、格好良いのだ。首が飛んでも動いてみせると嘯く伊右衛門は、惚れ惚れする程の悪党ぶりだった。お梅が惚れるなんぞ、百年早いわ!!! 特筆するまでもないとは思うのだが、右近の役者ぶりには、今回も感銘を受けた。前述したように、前から二列目の花道近くに座っていたので、役者の表情が良く見えた。錚々たる歌舞伎役者たちの中にあって、右近の歌舞伎ぶりは、群を抜いている。今回も、与茂七として、他の塩冶浪士たちより目を引いていた。最後の本水を使った大滝の場面では、楽しそうにはしゃいでおり、滝壷を模したプールに、頭から飛び込んだのには大笑いだった。磐石な歌舞伎役者として将来を期待するのは当然であろうが、右近自身が楽しいと感じられる舞台が、今後も続くことを願っている。 そして、今回の芝居で、私の目を最も引いたのは、小汐田又之丞だった。伊右衛門に足を傷つけられ、破傷風になってしまって、歩行困難のまま討入りの日まで、思うように働くことができない塩冶浪士である。出番は、足を傷つけられた場面、与茂七に介護されている場面、討入りに駆けつけた場面だけ。この僅かな出番で、私にその美しい顔を強烈に印象づけたのである。誰!? 歌舞伎座公式ガイドブック「筋書き」によれば、猿四郎という役者だった。これまでも、舞台で見ているはずだが、今回は頗る美男ぶりを印象づけてくれた。今後の活躍に期待したいと思っている。 さて、毎年7月の歌舞伎座は、猿之助が汗だくになって奮闘する芝居が展開することになっている。十役、二十役当たり前、早替り、宙乗りと、目まぐるしいまでにドタバタする場面が続くわけだ。今回は、直助、義平、鬼龍丸の三役を演じたが、これまでのように、無理な早替りがあるわけでもなく、安心して猿之助という役者の芝居を堪能することができた。鬼龍丸/暁星五郎の宙乗り場面は、相変わらずモタモタしていたが、猿之助歌舞伎の面白さが、少しばかり分かった気がする。客が、楽しそうなのだ。 歌舞伎座で観劇するのは楽しいことだ。通常は、年に数度のイベントとして、歌舞伎座に訪れる人が大半であろうと思われる。一年に一度なら、多い方なのかもしれない。そうした歌舞伎ファンが、選ぶのが猿之助の公演なのだ。芝居が始まる前から、観客は通常よりも楽しそうだった。楽しもうという気が満々だったと言っても、過言ではないだろう。 これまで、私は、猿之助歌舞伎に関して、些か辛辣な批評をしてきた。しかしながら、観客が楽しんでいるなら、それで良いのではないかと、今回の公演を観てそう思った。舞台に猿之助が登場すると、割れんばかりの拍手が起こり、次は何をしてくれるのかという期待が窺える。宙乗りがモタモタしたところで、猿之助が飛んでいるなら、それだけで楽しいのである。 私の父と同じ世代の猿之助は、当然のことながら老年に入った。そのため、最近は、演出に力点を移し、舞台の上では、若手の役者が活躍するようになってきた。そうであるなら、その演出に、一言言わせていただきたい。笑三郎が二役を演じているお岩と小平が、戸板の裏表に貼り付けられ、これが反転する場面が、余りにもお粗末だった。世界に冠たる日本の歌舞伎の大道具は、もっと巧妙な演出を可能にする方法を持っているはずである。是非とも、今後の大道具の奮起に期待したい。幕。(2003,7,5)
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