名を惜しんだ武将の最期 今年最初の歌舞伎座観劇は、『義経千本桜』の通し狂言の初日、2月1日土曜日昼の部となった。初日の昼の部とあって、舞台だけでなく、客席にも奇妙な緊張感があった。役者の芝居がこなれてから観た方が良いというのが、玄人筋の言い分ではあるが、初日に観劇できる客というのは、やはり限られているのだろう、観劇の仕方が手慣れているような気がした。そうした中での緊張感は、趣のあるものだったと言えるだろう。 さて、『義経千本桜』である。1747(延享4)年に初演された、竹田出雲、三好松洛、並木千柳合作による人形浄瑠璃。翌年歌舞伎としても上演されて、好評を博した、源平合戦の後日談である。同じ作者の『仮名手本忠臣蔵』『菅原伝授手習鑑』と並んで、三大歌舞伎の一つに数えられている。全五段の時代物。 この芝居は、何度も観劇しているが、今回上演された『鳥居前』『渡海屋』『大物浦』は、初めて観た。実際、そういう経緯があったのかと思える展開が窺えたのは、通し狂言ならではの利点だったのではないかと思う。何しろ、これまでは、初音の鼓を巡る狐の物語という印象が強く、時代物とは言え、少々迫力不足の感が否めなかった。今回は通し狂言ということで、その狐の物語である『川連法眼館』は、夜の部で上演されている。 物語は、三つの疑惑を巡って展開する。第一に後白河法皇からもらった初音の鼓の含意、第二に義経が差し出した平知盛、維盛、教経の首が偽物だったこと、第三に義経の正室が平時忠の息女卿の君だったことである。これらを以って、義経が頼朝に対する謀反を企んでいるのではないかと疑われていた。その一つ、義経が差し出したという贋首の主、平知盛、維盛、教経の三人が、実は生きていたという設定から、この物語は始まるのである。 昼の部の目玉は、『渡海屋』『大物浦』における、件の三人のうちの一人、知盛の壮絶な最期だった。また、生き延びた後、すし屋に匿われていた維盛は、自身の首を巡って、交錯する多くの人々の思惑に翻弄され、出家して高野山に篭る決意をする。教盛は、吉野の悪僧を率いて義経が逗留する館を急襲するが、教盛に兄を殺害された過去を持つ佐藤忠信に討たれる。こうして、生き延びたにも関わらず、三人共に不遇の生涯を終えることになるわけだ。つまり、この物語は、終始一貫して、不条理なまでの業に翻弄される人間たちを描いているのである。 物語の主人公である義経自身は、登場人物たちの人間関係を繋ぐ、ある種の媒体とでもいった役割を果している。狂言回しといった役どころだが、義経なしには、物語の背景は勿論のこと、人間関係自体が成立しない。知盛を初めとする、歴史を賑わせた豪華メンバーが顔を揃えているにも関わらず、やはり主人公と言えるのは、義経だけであろう。 今回、知盛を演じたのは、吉右衛門である。渡海屋主人銀平の時から、頗る級の大きさを感じさせたが、白装束姿の知盛の登場には、衝撃的なまでの迫力があった。更に、血塗れの知盛の登場には、腰が抜けるほど感じ入った。その上、仰向け様に入水である。圧巻でございましたよ。 そもそも平知盛は、勇壮な武将でありながら、几帳面でスタイリッシュ、少しばかり斜に構えたやんちゃさをも併せ持つ、稀有なキャラクターの人物である。『平家物語』によれば、壇の浦の戦いにおいて、源氏の兵士らが乗り移ってきても見苦しくないように、御所船の清掃を命じ、自らも掃き拭き塵を拾ったという。その後、平家一門の敗戦の状況を見定めた知盛は、乳母の子と共に壇の浦の海底に沈んだ。『大物浦』における知盛の最期は、この壇の浦での入水を再現したものだと言えるだろう。 満身創痍の知盛に対して、安徳帝は義経に乗り換えたことを通告する。これは明らかに裏切りである。誰が裏切ろうが、知盛は然したる感情を示したりしなかったのではないかと思われる。しかしながら、相手が安徳帝となれば話は別だ。安徳帝だけは、知盛を、平家一門を裏切ってはならなかった。知盛が生きた世界は、この時完全に消失したのである。 恨みを抱いて海底に没した知盛の怨霊が、義経を襲ったのだと伝えて欲しいと、知盛は最期に願う。知盛は、自身が壇の浦で既に死んだ身であると言っているわけだな。そして、知盛は自身の最期を、壇の浦でそうであったろうように演出するのである。拍手。如何に芝居とは言え、背後に仰け反るように倒れ込むのは、勇気以上の何かが必要であろう。役者って凄いと思わせる場面だった。 壇の浦の合戦が始まろうとする時、知盛は以下のように演説している。 「天竺震旦にも、日本わが朝にも、雙びなき名将勇士といへども、運命盡きぬれば力及ばず。されども名こそ惜しけれ。東国の者どもに弱気見すな。何時の為にか命をば惜しむべき。軍ようせよ、者ども、只これのみぞ思ふ事よ」 『失楽園』におけるルシファーの演説も、かくありなんと思わせる名演説である。「名こそ惜しけれ」そして、知盛は、自身の名を惜しんで、怨霊として再度海底に没したのである。舞台の上で、仰向け様に入水した吉右衛門は、まさしく知盛その人であった。 昨秋、私は平泉を訪れる機会を得た。冬を待ちきれないかのように、前夜降った雪が、道路脇に残っているのを物珍しく思いながら、金の仏像が居並ぶ中尊寺金色堂を見学した。私はそこで、義経を、彼が滅ぼした平家を思った。現代に生きる私たちは、歴史を俯瞰しながら芝居を楽しむことができる。しかしながら、歴史的事実を踏まえて尚、義経による平家滅亡の意義を、正確には把握しがたい。 討手に追われた義経は、平泉まで逃れてきたものの、自刃に追い込まれた。劇中、知盛が義経を襲った時、義経は既に頼朝に追われる身だった。にもかかわらず、知盛の怨みは、頼朝ではなく、義経に向かって収束している。知盛は、怨むに足る相手として、軍事の天才義経を選んだのである。しかしながら、知盛が死なねばならなかったのは、義経という軍事の天才一人によるものではなく、むしろ、抗い難い時の流れの勢いによるものだったのではないかと、改めて感じた一幕だった。幕。(2003,2,1)
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