1873(明治6)6月東京中村座で初演された、河竹黙阿弥の作品。1727(享保12)年、日本橋の材木問屋白子屋の家付き娘お熊が、手代の忠八と密通、婿の又四郎を殺害しようとした事件に取材した世話物狂言。お熊は、市中引き回しの上、死罪となった。手代忠八は、劇中忠七となっている。この事件は、大岡越前が実際に裁判した、唯一の事件として知られている。 今回、新三を演じたのは菊五郎だったが、彼の新三を観るのは、二度目になる。前回とは印象が変わっていたので、少し驚いた。私好みの新三になっていたのである。これは、楽しい。 新三は店を持たない出張美容師であるが、元犯罪者で、現在もそれなりに課税所得以外の怪しげな収入があるらしい。忠七とお熊の駆け落ちに加担すると見せて、お熊を略奪、白子屋から身代金代わりの示談金をせしめようと謀る。お熊は単なる金づるだったが、そこは美しく若い娘である。いただくものは、ありがたくいただいてしまえと、一晩じっくり弄んだ挙句、押入れに放り込むという念の入れようである。そして、本人は、どこまでも色っぽいのだ。 仮に、望み通りに示談金を獲得することができなかったならば、新三は、迷うことなく、お熊を女郎宿に売り飛ばしたに違いない。新三がお熊を抱いたのは、お熊が若い女だったからで、お熊だったからではない。この突き放した酷薄さが、新三の色気の根本にある。 示談金の金額に不本意ながらも納得し、新三はお熊を解放するが、これを見送りながら、新三は「また、何時でもこいよ」と声をかける。この台詞には、新三のお熊に対する未練ではなく、馬鹿な娘に対する嘲りが込められている。前回の菊五郎は、この台詞に、お熊を可愛いと思う情感のようなものが見えた。一度でも抱いた女には、某かの義理を覚える、光源氏の傍迷惑な深情けのようなものが感じられたのである。しかしながら、今回の菊五郎には、それがなかった。今回の菊五郎の新三は、私が新三に望む通りの、身勝手で酷薄な悪党を感じさせてくれたのである。合格。 今回、些か軽はずみな娘お熊を演じたのは、菊之助だった。示談が成立し、閉じ込められていた押入れから転がり出たお熊は、縛めを解かれると、着物の襟元と裾を素早く直す。この時、お熊の髪に乱れはない。前夜、散々にお熊を弄び、スケベの限りを尽くした後で、新三は、お熊の髪を結ったのだろうか…。余りにも思いがけない展開に、しくしく泣くお熊の髪を、新三はピロートーク地味た言葉をかけながら、結ったのかもしれない。エロい…。 この日の歌舞伎座は、東京観光ツアー客らしき外国人が、一階席の後方を占領しており、更に、私の直ぐ前の席には、数人の外国人学校の生徒らしき少女たちが、座っていた。楽しんでくれると良いなと思っていたのだが、彼女らは『髪結新三』が演じられている間、何処かに消えており、これを観劇しなかった。彼女らの教師だろう、同伴者らしき着物姿の日本人女性が、二本目の芝居『髪結新三』に関して、英語で何やら言っていたが、客席を出るように言っていたのだろうと思われる。多分、教育的に宜しくないという判断があったのだろう。確かに、歌舞伎は子供が見るものではない。彼女らが大人になった時、是非とも、もう一度歌舞伎座に足を運んで、スケベな芝居を堪能して欲しいと思う。 それにしても、着物をきちんと着て英語を流暢に話す、その日本人女性は、頗る格好良く見えた。私が理想とする一つの雛型が、そこにあった。良いなあ。幕。(2003,5,10)
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