Kabuki Review by Sekidobashi Sakura

 お  そめ  ひさ  まつ うきよの よみ うり
久松色読販

お染の

2003年10月歌舞伎座


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お染の無理な七役

鶴屋南北の長編世話物。玉三郎が娘お染、丁稚久松、奥女中竹川、後家貞昌、悪婆土手のお六、許婚お光、芸者小糸の七役を演じるという、ファンには堪えられない芝居である。美しい玉三郎が、出ずっぱりよお。物語は単純で、豪商の娘が婚約者のある身で、他の男の子を身篭り、心中しようとするというお話だ。とは言え、大好きな鶴屋南北先生の作品ではあるものの、一つ気に入らないことがある。久松は、余計だった。

歌舞伎では、人気役者が複数の役を演じ、早変わりをすることで、観客を驚かせ楽しませる芝居が多くある。しかしながら、歌舞伎における早変わりは、早変わりをするためにするのであって、芝居の上での必要から、早変わりをするわけではないことが大きな特徴となっている。そのため、早変わりを演じる役者の出入りが、しばしば五月蝿く感じてしまうことになるわけだ。

今回の『お染久松』も、玉三郎が七役を演じるとあって、時折、どたばたした感が拭えなかった。お染と久松が同時に舞台上にある場面では、ダミーの役者が登場し、その上録音した台詞が劇場に流れるなど、舞台劇としてのライブ性すら危うくするような演出もなされていたのである。こうした作劇は、如何なものかと思うわけだ。

お染と久松は恋人同士なわけだから、同時に舞台にある場面があって当然であろう。だとすれば、この二役を一人の役者が演じるというのは、避けるべきではなかったか。また、久松以外の六役は、性格付けは大きく違うものの、女性であることには変わりない。不世出の女形役者玉三郎の、様々な女性の演じ分けを楽しむことができるというのは、ファンならずとも、興味の湧くところだろう。しかしながら、青年久松を演じたことで、その面白味の趣向が損なわれたと感じても致し方ないと言わざるを得ない。

それにしても、玉三郎の演じた女たちの、何と多様なことか。可愛いが一面強かな娘お染、どこまでも誇り高い武家の奥女中竹川、貞淑だが計算高い豪商の後家貞昌、悪の中にあっても義理堅いお六、錯乱するまでに久松を一途に愛したお光、艶ある色気溢れる芸者小糸、これら美しい女たちの群像を、玉三郎が見事に演じきった。うっとりでございましたよ。

さて、この芝居では、千葉家の宝刀午王吉光が盗まれて、結果、久松の父親が切腹の憂き目を見る。今月一緒に上演された『金閣寺』でも、宝刀倶利伽羅丸が盗まれる。歌舞伎に登場する宝刀は、常に窃盗の対象となり、結果人々を悲劇に陥れるという運命を持っている。日本刀は、世界で唯一、人を斬るためだけに作られ、使用される武器である。昨今では、武器としてよりも、美術品として語られることの多い、その美しさは、存在意義が殺人に限られることに起因すると言っても過言ではあるまい。美しさとは、それ自体危険なものである。歌舞伎ファンなどというものは、その危険な美学に、既に取り込まれているのかもしれない。幕。(2003,10,4)


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