よわなさけうきなのよこくし
歌舞伎の美学 乾坤坊良斎の世話講談をもとにした三代目瀬川如皐の作品。通称『切られ与三』と呼ばれている、『与話情浮名横櫛』である。1853(嘉永6)年江戸中村座で初演された。九幕十八場の大長編で、複雑な物語を構成する芝居だが、通し上演されることは滅多になく、現在では『見染』『源氏店』の二幕が上演を重ねている。今回は『赤間別荘』を加え、物語が少しながら理解しやすくなっている。江戸世話狂言の代表作。玉三郎と仁左衛門のコンビが演じる、ファンにとっては、非常に嬉しい作品となった。 「否さ、お富、久しぶりだなあ」の台詞は、誰でも一度は聞いたことがあるはずだ。しかしながら、元々どういう状況で言われた台詞なのかを知っている人は、現在では少ないのではないだろうか。以前、『三国志』を読んで、故事成語がそのまんまじゃねえかと思った私は、今回初めて与三郎の「久しぶり」の意味を知った。 これまでも、歌舞伎における美学が、背徳的であり、不謹慎であることに基づいていると書いてきた。『切られ与三』に見られる美学もまた、例外ではない。『木更津海岸見染めの場』で、お富と与三郎が出会う場面は、その後の彼らの性的関係を観客に想像させずにはおかないし、その関係が極めて淫猥であることを示唆している。更に、『赤間別荘の場』では、お富と与三郎のスケベ場面が、あからさまに演じられている。ここで、注目したいのは、観客が、舞台のお富と与三郎を見る時、実は玉三郎と仁左衛門を見ているのであると認識していることだ。双方男性の歌舞伎役者である、玉三郎と仁左衛門のラブ・シーンを、観客は楽しんでいるのである。 そして、極め付けとも言うべきは、与三郎が斬り刻まれる場面である。赤間親分の子分らは、与三郎を殺害するでもなく、ただ甚振るために斬り刻む。そのシーンは、猟奇的であると同時に、極めて淫猥であり、赤間親分の嫉妬が、果たしてお富に向けられたものなのか、与三郎に向けられたものなのか、困惑するほどの執着を感じさせる。『源氏店の場』では、与三郎が体中に残された斬り傷を見せるのだが、その斬り傷は、赤間別荘での事件が忌わしいものだった以上に、観客にとっては魅惑的なものだったことを再認識させる。与三郎が殊更に着物の裾を翻して見せるのも、ファン・サービス以外の何物でもないし、その翻る裾から覗き見える仁左衛門の生足に、観客は、鼻血ものの性的な興奮を喚起されるのである。 そもそも私は、小説にしろ、漫画にしろ、映画にしろ、舞台にしろ、私独特の邪な見方をしていると自覚している。私は、背徳的で、不謹慎な物語が、ジャンルを問わず好きなのだ。だから、お富と与三郎の関係が淫らであると同時に、玉三郎と仁左衛門の関係の怪しさを楽しむことができる歌舞伎が好きなのだ。しかしながら、一般観客は、果たしてそうした自覚があって、舞台を楽しんでいるのかと考えると、それは甚だ疑問であると言わざるを得ない。 お富と与三郎であれば、或は玉三郎と仁左衛門であれば良くて、現実的な不倫関係や、同性愛関係は認めない。その矛盾を、歌舞伎ファンは、どのように折り合いをつけているのだろうか。TVのワイド・ショー番組で、有名人らの淫らな関係が取り沙汰されることを楽しむのと同じように、現実的に認められないことであるから、心底楽しむことができるのかもしれない。これって、かなり負荷のかかる楽しみ方だと思うのだが、元気な人には然したる困難もないのだろう。 歌舞伎の美学は、背徳的であり、不謹慎であることに基づいている。一般的な倫理観を持ちながらこれを楽しむには、ある種の鈍感さが必要なのかもしれない。何しろ私は不道徳なので、歌舞伎の美学そのものを楽しむことができる。これは、僥倖なのか否か。未だ、答えは森の中だ…。幕。(2003,3,8)
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