・・・・・・・・・・・『近江源氏先陣館』 ・・・・・・・ |
1999年2月インフルエンザが猛威を奮う中、歌舞伎座を飾ったのは、春を先取りするかのような華やかな顔触れであった。午後の部の『近江源氏先陣館』では、種之助が小三郎を演じての初舞台を勤め、五月人形そのものの可愛らしさには、ただただ顔が綻んで仕方がない。新しい世紀を迎え、種之助が大きな役者に成長した折りには、「彼の初舞台を観たのよ」と若いファンに自慢できるよう、同伴した友人共々長生きしたいものだと語り合った。そしてまた、その兄種太郎は、小さな悲劇のヒーローを健気に演じて、観客の涙を誘っていた。 初陣同士の従兄弟同士が、戦場で生け捕り生け捕られ、虜囚の身となった小四郎は、父親の都合で納得ずくの死を強いられる。それも自刃切腹である。祖母微妙は、この小四郎を評して、成長すれば千騎万騎にも能いする武将になるであろうにと、その死を嘆く。さて、小四郎が成長して、千騎万騎にも能いする武将になったとしよう。敵という名の兵士、あるいは民間人の場合もあろう、千人あるいは万人が、小四郎によって死ぬのである。 戦いにおいて、敵を万人殺害すれば英雄と呼ばれ、味方を万人殺害すれば愚将と呼ばれ、愚将の方は断罪される。しかしながら、いずれにしても万人殺害したという事実に変わりがないとすれば、戦いの場に倫理観などないに等しい。これを武家の妻女である微妙は充分理解して尚、小四郎は敵を万人殺害せしめる英雄となったであろうにと言っているのである。 『近江源氏先陣館』に限らず、歌舞伎時代物における武家社会の倫理観は、これを是として成立している。更に、良い子は黙って死なねばならないのが、歌舞伎のお約束である。そこでは、関係者一同がその悲劇に涙するものの、死なせずに済ませる方法を模索することはまずない。 元々武士道とは、武勇・礼節・廉恥・正直・倹約・寡欲を主な内容としたが、その根本となるのは忠と孝であった。忠とは主従関係の基礎をなす道徳であり、孝とは同族間の団結の中心をなした道徳である。これらの道徳は、武士が戦場にあって生まれた思想であった。 しかしながら、武士が戦場から遠ざかった江戸時代以降、所謂「武士道」として体系づけられた道徳観は、多分に様式化された規範となった。更に、その規範は、表面的に理解されるに留まった時、歌舞伎時代物に代表されるように、過酷な忠と孝、更には義を強要する規制と化す。本来の武士道とは、武家社会の道徳的規範であったにも関わらず、歌舞伎時代物が頻繁に制作・上演されるようになった江戸期には、道徳の名を借りた過酷な制裁が罷り通ることになるのである。 盛綱は偽首が高綱の物であると偽証することによって、主君に対する忠より、兄弟の義を優先させたが、その不忠を詫びるために切腹を決意している。高綱サイドの武将である和田秀盛は、これを制止するが、切腹の延期を提案するのであって、切腹自体を止めているわけではない。 今回、武家社会の相反する規範の狭間で苦悩する盛綱を、重厚に演じたのは吉右衛門であったが、先月の梶原平三といい、盛綱といい、武家社会の中にあって、一筋縄ではいかない武将あるいは智将の役どころは、持ち役としての安定観と共に、彼独得の艶も合わせて堪能することができるのだから、観客としては嬉しいご馳走のようなものだろう。 最後に、高綱の偽首となった影武者は誰だったのかということを気にしたい。ただの偽首で済ませられることになった、忠義者の親は妻は子は、小四郎の切腹を母が祖母が叔父夫婦が悼むように、悲しむことが果たしてできたのだろうか。高綱の影武者もまた、武家社会の倫理観の犠牲者であったことを忘れずにいたいものだ。 作品は江戸期の制作ではあろうが、観客は現代社会に生きる庶民である。悲劇に涙するより、その不合理に、ここは一発怒ってみても良いのではないだろうか。 |