河竹黙阿弥の四幕の世話物作品で、通称『十六夜清心』という。初演は1859(安政6)年市村座。坊主の清心、遊女の十六夜が主人公の、白浪狂言と呼ばれる盗賊物語で、後に清心は薊の清吉、十六夜はおさよという全国指名手配の強盗殺人窃盗犯となる。仁左衛門の清心、玉三郎の十六夜の名コンビでの通し上演となった今回、芝居は艶っぽく展開する。 1853年、合衆国東インド会社艦隊司令官ペリーが浦賀に来航し、幕府に開国を迫った。翌1854年日米和親条約締結、これに基いて1856年合衆国初代駐日総領事ハリスが着任、1858年には日米修好通商条約が締結された。この後、幕府はオランダ、ロシア、イギリス、フランスとも同様の条約を締結することになった。 ペリーの来航に際して、幕府は諸侯に対策を諮り、朝廷に報告したことをきっかけとして、これまでのような幕府の独断専行の政策は崩れ、諸侯や、朝廷の発言権が増大した。1858年になると、条約締結問題と将軍後嗣問題が政争の焦点として急浮上した。水戸藩主徳川斉昭、薩摩藩主島津斉彬、土佐藩主山内豊信、越前藩主松平慶永らは一橋慶喜を押し、彦根藩主井伊直弼らは紀伊藩主徳川慶福(家茂)を押した。 日米修好通商条約の締結が遅れれば、列強の軍事介入は火を見るよりも明らかだった。一橋派は人望ある将軍を擁立し幕政改革を行いつつ、雄藩の協力によって、この対外危機にあたろうとしたのに対し、紀伊派は従来通り幕府独裁によって難局を乗り切ろうとした。幕府は最後の切り札として、井伊直弼を大老に任じ、日米修好通商条約を朝廷の勅許のないまま締結し、慶福を14代将軍家茂として、一挙に事の解決を図り、これに反対する一橋派を厳しく弾圧した。これが俗に言う安政の大獄である。 1858年から翌年にかけて、一橋派は続々と処刑された。前述した一橋派の諸侯は、蟄居、隠居、謹慎などを命じられ、吉田松陰、橋本左内らの志士たちは死刑に処された。裁判は迅速かつ一方的に行われ、尋問は形式的で、その処罰者は総計100名を超えた。この弾圧に激昂した水戸藩浪士たちによって、1860年井伊直弼は暗殺されることになる。桜田門外の変である。時代は、正に紛糾していた。 こうした中、1855(安政2)年3月6日、千代田城御金蔵破り事件が勃発する。1859(安政6)年に初演された『花街模様薊色縫・十六夜清心』のモデルとなった事件がこれである。犯人は、浪人藤岡藤十郎と無宿者富蔵の二人。この藤岡藤十郎が白蓮のモデルとなり、1805(文化2)年に処刑された盗賊鬼坊主清吉が清心のモデルとなっている。これに上野寛永寺の僧と遊女の心中事件を絡め、実際の事件の舞台を江戸から鎌倉に移し、幕府の御用金を頼朝奉納の祠堂金とすることで、時代を鎌倉時代に設定するという脚色がなされている。因みに十六夜と清心が心中し損なう稲瀬川は、隅田川のことだ。 度々言及しているように、江戸幕府は実際に起こった事件事故を、そのまま舞台で上演することを禁じていた。歌舞伎劇作家たちは、場所を変え、時代を変え、関係者の名前を変えて、様々な事件事故を脚色し上演し続けていたが、今回の芝居のモデルとなった御金蔵破り事件には、殊更神経質にならずを得なかった当局から、かなりの圧力があったようで、芝居の筋が理解できないほどの大幅な削除変更が行われた上、大入りのまま上演打ち切りとなった。如何に大幅な削除変更が行われたとしても、当時の観客は、自身が何を観ているのかを十分承知していたので、問題はなかったわけだが、それが結果的に上演打ち切りを当局に決断させた原因となったのであろう。 1868年明治維新を迎えると、この禁令はなくなり、作者河竹黙阿弥は同じ題材の芝居『四千両小判梅葉』を実名で書いた。『十六夜清心』が初演されたのが1859年なのだから、後10年ばかり待っていれば、オリジナルの脚本で上演できたわけだ。とは言え、それではワイドショー的な要素の濃かった、当時の歌舞伎芝居の即時性を失うことになるし、1859年の段階で、江戸幕府が終わってしまうことを予測していたのは、当時世間を騒がせていた、勤王派の浪士たちだけだったことだろう。 作者河竹黙阿弥は、この他にも盗賊物を書いており、俗に白浪作家と呼ばれている。歌舞伎における盗賊を白浪というからだが、中でも『青砥稿花紅彩画・白浪五人男』が良く知られている。これに登場する弁天小僧は、清心が追放された極楽寺で自害して果てる。江の電極楽寺駅から徒歩1分の、ひっそりとした佇まいの寺だという。友人に依れば、極楽寺周辺は、天気の良い日は静かな雰囲気があるが、雨の日や海が荒れている日は、閑散とした印象を与える場所だそうだ。 序幕で登場する十六夜は、遊女でありながら清心を一心に愛する純粋さを持っている。ニ幕目白蓮妾宅の場では、幾分擦れた雰囲気があるものの、清心を愛する気持ちは失っていない。それが、大詰白蓮本宅の場では、すっかり姉御ぶりが身に付いて、その迫力には恐れ入るばかりである。この十六夜の変身ぶりが、この芝居の見所の一つであることは言うまでもないが、玉三郎の熟練された様子には、頗る感じ入った。拍手。 しかしながら、序幕で清心が求女を介抱するエロ的な場面では、ホモセクシュアル的な雰囲気がまるで感じられなかった。勘太郎の求女は、性的にストレートな青年でしかなかった。仁左衛門の清心が、十二分にエロティックだったので、その対比が余計に感じられ、残念だったと言わざるを得ない。 さて、今回、大詰では、おさよが煙管煙草を吸うシーンがある。歌舞伎座公認パンフレット筋書の今月号には、『歌舞伎・小道具ものがたり』と題した随筆が掲載されている。これに依れば、今では煙管を使って煙草を吸う人の姿を見かけることはほとんどなく、煙管で煙草を吸う風俗は、今後芝居や映画でしか見ることができなくなるかもしれないとしている。しかしながら、煙管煙草の風俗は既に失われ、煙管文化とも呼んで差し支えないカルト文化が、細々と継続しているに過ぎない。 大江戸を震撼させた御金蔵破り事件が、人々に与えた衝撃は、府中市で起こった三億円強奪事件を上回るに違いない。これを題材とした『十六夜清心』に、当時の江戸庶民は、先の見えない社会の不安を見たのかもしれない。初演は、安政の大獄に揺れる幕末の騒乱期のことだった。幕。(2002,3,10)
|