竹田出雲、三好松洛、並木千柳の合作による全五段の時代物人形浄瑠璃。初演は1746(延亨3)年8月大坂竹本座。歌舞伎での初演は同年9月京都で、翌年には江戸中村座で上演されている。『義経千本桜』『仮名手本忠臣蔵』と並んで、三大名作の一つに数えられている。現在では人気のある一幕だけを単発で上演されることが多いが、今回は菅原道真没後1100年を記念して、昼の部夜の部を通して上演されることになり、初心者にとっては、物語がより理解し易い構成になっている。昼の部は『加茂堤』『筆法伝授』『道明寺』の三本、夜の部は『車引』『賀の祝』『寺子屋』の三本で、私は昼の部を観劇した。 歌舞伎座公認パンフレット筋書きは、歌舞伎座イヤホンガイドで絶妙な解説をしている小山観翁氏の、『お芝居随談』という文章を掲載している。今月の『菅原伝授手習鑑』の通し上演に寄せて、小山氏は、観客にとって馴染みのない幕があり、魅力を減殺される可能性を否定できない。これが通し狂言の弱点であろうと書いている。彼は、『菅原伝授手習鑑』という芝居が、観客にとっては、当然人気狂言として馴染みであろうという観点に立脚して論じているのである。 菅原道真は、確かに日本史を学ぶにあたって必須事項であるが、受験お助けマン天神様として受験シーズンに接する以外に、身近に感じることはないのではないかと思う。私は、『菅原伝授手習鑑』という芝居を知る日本人が、現在では少数派であろうと考えている。この芝居に限らず、歌舞伎狂言を知る機会は、実際に歌舞伎座などの極めて少数の歌舞伎上演劇場に足を運ぶ以外、皆無であると言って良い。 更に、実際に歌舞伎上演劇場に足を運んだとしても、通常『菅原伝授手習鑑』は、お馴染みと言われている『車引』『寺子屋』が単独で上演されるだけで、物語の全容を理解するのは困難であると言わざるを得ない。これらの幕には、主人公であるはずの菅原道真さえ登場しないのである。知る機会があってこそ、馴染みにもなろうというものだが、一度も観ていない場面を、当然の如く省略されてしまうことは、初心者に半ば扉を閉ざしているという印象を払拭できない。『加茂堤』『筆法伝授』『道明寺』は、実に7年ぶりの上演なのである。 今回、歌舞伎座は、菅原道真没後1100年を記念して、『菅原伝授手習鑑』の通し上演を敢行した。滅多に上演されることのない、これらの幕が上演されたことで、劇中の菅原道真が如何にして失脚したのかを始めて知った観客も少なくなかったのではないかと思う。事実、私も今回の観劇まで、その真相を知らずにいた。そして、『菅原伝授手習鑑』とは、こうした物語であったのかと、大いに驚いたのである。 そもそもの確執は、阿衡事件の際、道真と基経との間に発生した。その確執は、基経の死後、その子時平に受け継がれる。藤原一門の一人として、当然の如く出世してきた時平にとって、道真は最初から気に食わない存在だったわけだ。醍醐天皇の弟斎世の君と道真の養女苅屋姫の逢引事件を機に、醍醐天皇廃位謀略事件をでっち上げ、道真を失脚させたのは、権謀術数を得意とする藤原家の人間であれば、良くできましたの花丸が欲しいくらいの気持ちだっただろう。 『加茂堤』『筆法伝授』までは、道真は養女苅屋姫の一途な恋のとばっちりを受けて、時平の陰謀に陥り失脚したと見える。しかしながら、今回、道真を仁左衛門が、苅屋姫を玉三郎が演じている『道明寺』では、全く違った印象を受けた。彼らは、父と養女という関係を超えて、愛し合っていたのではないのだろうか。 道真は、年齢の離れた従妹苅屋姫を、育てて妻にするつもりで引き取った。或は、既に妻園生の前があったが、彼女には長い間子ができなかったので、若く健康な苅屋姫に、嫡子を生んでもらうつもりで養女とした。若しくは、苅屋姫がただ可愛かったので、側に置いておきたかったというのも、ありそうな話である。 眉目秀麗で、頗る優秀な頭脳を持ち、自身には優しい道真が、筆法伝授の準備に忙しく、最近は話をする時間さえない。苅屋姫は淋しかった。情緒不安定に陥った苅屋姫は、予てから求愛されていた斎世の君の誘いに、つい乗ってしまった。禁断の恋、駆け落ちは乙女の浪漫である。道真失脚の原因になるとは思いもよらなかったが、時平は絶好の機会とばかりにこれを利用し、道真を陥れることに成功する。 ところが、駆け落ちへの幻想は脆くも崩れ去り、苅屋姫は、早々に実母の許に戻るのである。馬鹿だったと、苅屋姫は後悔したが既に遅い。そこに、道真が苅屋姫の母覚寿に別れを告げるために訪れた。しかしながら、道真は、苅屋姫に面会することを拒絶する。姉娘立田の前が殺害され、妹娘苅屋姫の幸せだけを願う気持ちになっている、気の毒な母親覚寿は、苅屋姫の切ないまでの恋を知っていたのだろう。覚寿は、道真に苅屋姫を同行させるよう懇願するが、道真は頑ななまでにこれを拒絶する。何故か。 道真が伯母覚寿宅を訪れたのは、もちろん長い暇を告げるためだったが、もしかしたら苅屋姫に会えるかもしれないと考えなかったわけではない。しかしながら、本当に苅屋姫が邸に滞在していると知るや、会うわけにはいかないと心に誓う。気持ちが残る。ただ、それだけのために、道真は苅屋姫を同行することはおろか、面会することさえ拒絶したのである。 道真を見送る苅屋姫の切なさは観客の涙を誘い、水面に映ったその姿を見詰める道真の哀しみには、皆胸を打たれた。道真が自分に気づいたと知るや、苅屋姫は全ての躊躇を捨て去る。道真に縋りつき、一緒に連れて行ってくれと懇願するのである。この場に至っては、養父と養女という柵(しがらみ)は、最早何処にも見えない。二人には、性的な関係すらあったのではないかと、観客に勘繰らせることを意図したかのような演出である。 以上のように、『道明寺』では、道真の政治的失脚を、養父と養女の禁断の恋に味付けされたメロドラマに仕立てている。結果的に、道真は一人邸を去ることになるが、苅屋姫を愛していたからこそ、一緒に連れて行くわけにはいかないという、分別ある大人の考えがあってのことだったのだろう。そして、苅屋姫は途方にくれる…。 「東風吹かば にほひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」 この歌は、遠く離れて暮らす苅屋姫の幸せを願う、道真の哀惜の情を表現したものだったのかもしれない。(2002,2,9)
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