社会的不適合者の行方 近松門左衛門は、日本演劇史上最大の作者であると評されている。その作風の中心となるのは、時として社会的規範と相対することになる人間本来の情愛である。代表作である心中物では、社会的規範の犠牲となった男女が、死を以って互いの情愛を貫くという筋立てが、観客の涙を誘い高い支持を得た。しかしながら、『女殺油地獄』の与衛門は、心中物の主人公のように、社会的規範の犠牲になったわけではない。彼は社会的規範そのものに排除された、不適合者なのである。 与兵衛のように社会生活に順応できない人間は、その精神が内向しなかった場合、犯罪に向かう傾向があることを否定できない。彼らは中世時代においては、ただの自堕落な怠け者としてその生存を許されていたものの、時代が新しくなればなるほど、生きるために不自由を強いられるようになった。近代以降の社会は、本来人間性と呼ばれるものまで、貨幣価値に換算することを強要するようになった。従って、貨幣経済の発達と共に、商業的な価値を生産あるいはサービスすることができない彼らは、生存そのものまで脅かされる運命に陥ったのである。 『女殺油地獄』の与兵衛は、若さを持て余したような社会的不適合者である。小菊に言い寄り、お吉に言い寄り、徳兵衛とおさわに挟まれて拗ねてみせる与兵衛は、大人になれない出来の悪い子供である。その子供が一瞬後には、家庭内暴力を炸裂させる。おもちゃをねだる幼児がジタバタと暴れてみせるように、与兵衛の満たされない欲求は外へ外へと向かう。 与兵衛が豊嶋屋を訪れた時、お吉の娘お光と赤ん坊は別室にあるが、不穏な空気に泣き声を上げても与兵衛は気にしない。結果、お光も赤ん坊も生き延びることになった。これが近松門左衛門作ではなく鶴屋南北作であったなら、間違いなくお光と赤ん坊の命はない。良い子は義のため忠のため孝のため、時には親の野心のために、黙って死ななければならない歌舞伎の世界にあって、お光と赤ん坊の生存は特記に値する。 未成熟な青年与兵衛は、油にまみれながらお吉を殺害する。この醜悪極まりない地獄絵図を様式化された美に昇華し、尚リアリズムを感じさせようとする演出は、歌舞伎ならではのものだろう。油に滑りながら執拗にお吉に襲いかかる与兵衛は、この惨劇の中にあってエロティシズムを感じさせるはずであった。しかしながら、今回与兵衛を演じた染五郎は、凶悪な罪を犯しながら、どこまでも未成熟な青年であった。 与兵衛の刹那的な言動は、人間本来の性質が元々不条理な物なのではないかと考えたくなるほど、唐突で乱暴である。にもかかわらず、強盗殺人という凶悪な罪を犯しながらも、静謐ささえ感じさせる染五郎の与兵衛は、近松の意図した与兵衛とは違った印象を与える。しかしながら、染五郎が彼自身の与兵衛のスタイルを模索しているとしたら、その完成を予感させる出来栄えであったと言えるかもしれない。(2001,9,22) でも、色気が足りない!!!
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