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現代日本人庶民は、

21世紀のサムライになれるのか!?

 

去る5月7日小泉純一郎首相が、所信表明演説で改革精神の範として『米百俵』に言及したことから、俄かに注目を集め、今回の歌舞伎座での上演となった。小泉首相も既に観劇を済ませたと報道された。実際、小泉純一郎という人物は、以前から歌舞伎座で良く見かける有名人の一人だと言われている。私の知人も、一等席で観劇しているのを見たことがないと評していた。つまり、歌舞伎ファンとして、只者ではないというわけだ。その小泉首相が、示した米百俵の精神とは、如何なるものだったのだろうか。

小林虎三郎は、1828年長岡藩新潟町奉行を務めた小林又兵衛の三男として生まれるが、幼い頃疱瘡を患い左眼を失明する。長兄、次兄ともに早逝、家督を継ぐことになる。1850年から江戸に遊学し、佐久間象山の門下で勉学、吉田松陰(寅次郎)とともに「象山の二虎」と並び称されるほどの学才を見せた。1853年帰藩し、儒学者として高名を馳せたものの、常に病がちであった。

1868年明治維新政府による戊辰戦争は各地にその爪跡を残したが、軍事総督河井継之助を擁した長岡藩が戦った北越戦争は、凄惨を極めた。城は落ち、城下は焦土と化し、河井は戦死、長岡藩は完膚なきまでに破れた。この時、藩主牧野忠訓が、官軍総督府に提出した謝罪文を起草したのが、小林虎三郎であったと伝えられている。結果、牧野氏は一旦領地を没収されたものの、取り潰しを免れ、藩主忠訓は弟忠毅に家督を譲り、減封の上で再興がなった。しかしながら、七万四千石から二万四千石への減封である。藩士たちの困窮は深刻だった。

牧野家の分家三根山藩から見舞いとして贈られた米百俵は、大参事小林虎三郎によって二百五十両に換金され、長岡復興の人材育成を目的とし、町人にも門戸を開いた各種の学校を設立、その充実のために使われた。武士たる者、食えないとは、何ほどのことか。「常在戦場」常に戦場に在り。武士ならば、納得もしよう。これに、所信表明演説で言久した小泉首相は、日本国民に共に痛みを分かつ、武士たれと言わんとしたのか。しかしながら、日本国民は武士ではない。

芝居の中で、藩士伊東喜平太は北越戦争時の武功を語るが、その戦時に、長岡城下は長岡藩士によって放火され、焦土と化した。市民は、生活基盤を焼き尽くした北越戦争を、官軍兵士と長岡藩士の区別なく憎悪した。軍事総督河井継之助の墓は、民衆の手によって何度も破壊の憂き目を見ている。北越戦争を果敢に戦ったのは、長岡藩の士族たちで、勇ましかった武装中立を決めたのも武士であれば、敗れて尚誇りあれと自戒するのも、武士の勝手ではなかったのか。

時に、信長、秀吉、家康の三人のうち、自身がどのタイプであるかを言うサラリーマンがあるが、所詮は足軽であろうと言いたくなる。私たちは、農民であり、小売商人であり、職人であり、須く庶民である。武士たれと、その所信を表明した小泉首相を承認した日本国民は、この意味を再度正しく認識する必要があるのではないだろうか。

小林虎三郎の思想を、喜平太を始めとする長岡藩士は納得し、以後長岡から多くの人材が輩出されることになった。『米百俵』を観劇して、現在の困窮に耐え、二十一世紀の武士たる覚悟が、私たち庶民に果たしてあるのかを、改めて問われた気がした。(2001,9,22)


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