絵本太功記


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歌舞伎における戦士たちの掟

『太閤記』ではなく、『太功記』である。1797〜1802年にかけて、豊臣秀吉の一生を紹介した書籍が、数多く出版された。これらを基に、明智光秀を中心に脚色したたのが、本作『絵本太功記』である。光秀が織田信長への謀反を決し、小栗栖村で農民に殺害されるまでの、1582年6月1日〜13日の13日間を、一日一段とした十三段で構成されている。当時人形浄瑠璃業界は、歌舞伎に押されて人気は下降気味で、興行不振と言っても良い状況にあった。是非とも人気回復を図りたいと考えて、この新趣向の『絵本太功記』を上演した。入場料を抑えたことも幸いし、本作は好評を博したという。

今回上演された『十段目』は、俗に『太十(たいじゅう)』と呼ばれている最も人気のある幕で、現在ではここだけが上演されることが多い。前回歌舞伎座で上演されたのは、四年前の1997年だったが、光秀を幸四郎が、その嫡男十次郎を染五郎が演じている。今回は団十郎と新之助なので、両方とも実際の親子が劇中でも親子を演じているわけだ。歌舞伎ならではの配役と言えるのだろうが、これを是とするか非とするかは、観る人によって評価の分かれることろかもしれない。しかしながら、歌舞伎座の観客に限定すれば、絶対是であるという評価になるのだろうと思う。私自身は、面白ければどっちでも良いと思う。観劇を終えた後で、「なんだ、親子だったんかい」と客が思ったら、役者の勝ちなのではないだろうか。

さて、江戸幕府は実際に起こった事件事故を、劇化上演することを厳しく禁じていた。このため劇作家たちは、登場人物の名前を変えたり、時代背景を変えたりと、姑息な手段を講じた上で上演を続けていた。本作の場合は、特に、徳川将軍家の仇敵であった豊臣家の創始者である秀吉を巡る物語である。大坂の庶民にとって、太閤様は当然のことながら人気が高い。芝居として上演するには絶好の題材だったに違いないが、迂闊なことをしては、当局が黙ってはいまい。そこで、明智光秀登場である。『太閤記』の音を残しながらも、『太功記』と題名を変え、主人公を明智光秀として上演に臨んだ辺りに、劇作家たちの苦労が窺える。

しかしながら、劇作家たちが恐れたのは、何も当局に限ったものではない。最も怖い存在は、言うまでもなく客だった。本作で十次郎を演じるのは、通常二枚目と呼ばれる花形役者だが、初陣を果した十次郎が結果的に死亡するほどの重傷を負っているものの、どういう人物によって討たれたのかは、劇中で明らかにされていない。また、その人物を演じる役者も、舞台の上には存在しない。従って、十次郎も、これを演じる新之助も、安心して、ただ気の毒に死ぬことができたのである。

光秀は母皐月を殺害しているが、これは間違えちゃったんだから良いことになる。切腹は《優》、親が子供を殺すのは《良》、馴染みの遊女に裏切られて殺すのは《可》、心中はもちろん《優》である。封建主義的儒教思想に基づく道徳観念の弊害であると同時に、メロドラマ好きの日本人の性格が影響しているのではないかと思う。

『十段目』の最後、久吉は光秀を完全に包囲しながらも殺害せず、後日戦場での再会を約して幕となる。歴史上の人物とは言え、贔屓の役者が殺されるのを見るのは辛い。更に言えば、観客は舞台に歴史上の人物を見るのではなく、これを演じる役者を見るのである。歌舞伎の時代物を観劇する時、史実と違う脚色の在り様に興味を置く傾向のある私でさえ、十次郎と言うよりは染五郎であり新之助である彼らを見ていた。一般の歌舞伎ファンが贔屓役者をどのように見ているのかは、言うに及ばないだろう。

芝居が終った後、有楽町駅辺りで、団十郎のファンが我當のファンに対してリターン・マッチに及ばないよう、歌舞伎関係者は入念な配慮を怠らないのである。同時に、役者たちの安全を期しているのは言うまでもない。つまり、歌舞伎に登場する戦士たちは、好敵手として戦うことは可能でも、決して人気役者同士で殺しあってはいけないのである。一旦、殺害された登場人物が、同じ舞台に他の人物として再登場するのも、歌舞伎のお約束の一つだな。殺されたのはあくまでも芝居の中の登場人物であって、貴女の贔屓役者ではないのだよと、客に媚びつつ喜ばせ、念を押しているわけだ。

蛇足になるが、私が「関戸橋さくら」というペンネームを使っているのは、RPGの攻略本などを執筆している友人に、「実名を出して、新之助のファンに襲撃されたらどうするんだ」という忠告に従ったからだ。猿之助のストーカー裁判も、未だ記憶に新しい。掟破りの異名を持つとは言え、歌舞伎ファンの機嫌を窺いつつ、尚且つ自身の欲求を満たすべく、関戸橋さくらもまた文筆活動に励んでいる。幕。(2001,10,6)


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