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1701年3月14日、播州赤穂藩主浅野内匠頭長矩が、江戸城松の廊下で、高家筆頭吉良上野介義央に刃傷に及び切腹。翌年12月14日、正確には15日未明、浅野藩遺臣赤穂浪士四十七人が吉良邸に討ち入り、上野介を殺害した。

この事件は早速劇化されたが、幕府により上演中止となり、以後47年に渡って本格的な劇化上演は行われなかった。1748年になって、二世竹田出雲、三好松洛、並木千柳の合作による、『仮名手本忠臣蔵』全十一段が、大坂竹本座で人形浄瑠璃として初演される。南北朝室町時代に時を移し、脚色しての上演であった。

浅野内匠頭刃傷切腹事件から、2001年の今年まで、既に300年という長い年月が経過したことになるが、今尚衰えを見せない人気ぶりには恐れ入る。その人気ゆえに、実際の事件に基づいて、様々な形の『忠臣蔵』が製作されることになったが、そのほとんどは、四十七義士による仇討ちをクライマックスに据えた、男の本懐の物語である。浅野家家臣は皆男であっただろうが、母、妻、婚約者、恋人、姉妹といった女たちが、彼らに関わっていないはずはない。

『忠臣蔵』の物語の中で、こうした女たちが登場する時、本筋から外れた一つのエピソードという描写になることが多い。また、「女たちの忠臣蔵」などという煽り文句が帯に印刷されている本など、読まなくても内容の察しがつく。女たちは、浪士たちを愛と忠義の板挟みにするべく登場し、彼らを苦悩させた挙句、死を早める切っ掛けを作り出す。更に、特定の浪士を困惑させた彼女らの言動が、仇討ちというメイン・イベントには、何ら影響を及ぼさないことは、特筆に価するだろう。

軍資金を調達するために、遊女となった妻や姉妹があった。後顧の憂いを気に病んで、自刃した老いた母があった。馴染みとなった浪士と心中した遊女があった。後家になることが明白であるにも関わらず、浪士に嫁ぐ娘があった。数多ある小説や映画に登場する多くの女たちが、刃傷切腹事件によって、突然降って湧いた不幸を嘆いた。『仮名手本忠臣蔵』における、加古川本蔵の娘小浪もまた、そうした女の一人であった。

力弥の婚約者だった小浪は、父本蔵が塩冶判官の刃傷切腹事件にネガティブに関与したことから、婚約解消の危機にあった。しかしながら、小浪自身には、そうした危機感、悲壮感は全くない。八段目『道行旅路の嫁入』における小浪は、あくまでも嫁入りのために旅路を急ぐ婚約者であり、九段目『山科閑居』の冒頭においては、花嫁衣裳に身を包んだ、結婚する気合充分の花嫁なのである。

いくら世間知らずの小浪でも、何らかの事情により、自身の結婚に問題が生じたことは察している。世間を賑わせている事件が、どうやら力弥の大星家に関わりがあるらしい。でも、私たちは愛し合っているんですもの、きっと私が力弥くんを幸せにしてあげるわ。小浪の認識は、この程度だったのではないかと思う。

力弥の母お石に拒絶されて、一時は死を覚悟する小浪だが、結婚を許されると喜色満面で大喜びする。婚約解消の申し出が、小浪を後家にするのを不憫に思うお石の配慮であったと、小浪本人が聞いているはずなのだが、何故の後家で、何故の不憫であるのかを理解している気配はない。

只、単純に力弥との結婚を喜ぶ小浪は、翌日には夫が鎌倉へと出立し、二度と帰らないことを考えない。彼女が危惧するのは、新婚旅行が何時になるのかということに限定されているかのような印象を与えるのである。小浪のこの幼さが、観客の涙を誘うための演出であるとすれば、大成功を相していると言って良い。悲惨な運命を免れない結婚であるという自覚がないまま、妻になろうとしている少女に対して、その夫となる力弥は、どのような思いを抱いていたのだろうか。

九段目に登場する力弥は、感情表現を極限まで抑えている。件の事件以来、家老であった由良之助は多忙を極め、その嫡男力弥もまた張り詰めた毎日を送っていた。力弥は小浪と婚約していたことさえ忘れていたのではないだろうか。とは言え、小浪が山科を訪れた日、力弥の心は確かに揺れたに違いない。

さて、九段目の見所は、後半が瀕死の本蔵が心情を吐露する場面で、前半は戸無瀬とお石の母親対決ということになる。今回は、戸無瀬を玉三郎が、お石を勘九郎がお互い初役で演じた。夫の連れ子である小浪を思って、必死になってその結婚を成就しようとする戸無瀬の、武家の妻としての凛とした気概を、玉三郎は余す所なく演じて見せた。また、どっしりと座して嫌味を言いまくる、冒頭の勘九郎演じるお石は、本気で嫌な婆あだと感じさせる名演だった。

夫と息子を、討入り後の切腹によって失うお石の悲劇が語られることはままあるが、戸無瀬の悲惨さも半端ではない。何しろ娘の婚約者に、夫が殺害されるのを目撃するのである。そしてそれは、告発することが永遠に不可能な犯罪なのだ。

戸無瀬にしてみれば、夫本蔵が師直に賄賂を贈ったのは、桃井家家老として当然のことをしたまでで、恨まれる筋合いのことではない。また、塩冶判官の刃傷を中途で止めたのは、彼に殺人を犯させまいという正義感からしたことで、結果的に切腹することになったとしても、塩冶判官が殺人犯として断罪されることに比べれば、礼を言われても良いくらいだ程度のことは、思っていたかもしれない。その気持ちをぐっと押さえ込んで、戸無瀬は戸無瀬の戦いを戦ったのである。

お家断絶取り潰しとなった塩冶家だけではなく、事件は幾つもの枝葉を伸ばして、多くの人に不条理な運命を強いることになった。女たちもまた、事件の渦中にあった男たちと共に、それぞれの『忠臣蔵』を戦っていたのである。九段目『山科閑居』は、女たちにも『忠臣蔵』があったことを、観客に知らしめる一幕だった。

祝言の夜、力弥は小浪ちゃんを抱いたのだろうか…。

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