私が初めて自分で育てたペットは、約25年程前に飼った、マルチーズ犬の女の子。 エマニエル婦人と杉本エマからエマと名づけました。 宝塚の雑誌にも載せていただいたワンコで、とっても綺麗で可愛いいエマでした。

眠っているので私のベッドへ連れて行こうとしても、眠っている格好のままで目だけ開けて、 ベッドに寝かせるとすぐに、また眠ってしまう。何をされても怒らない、おっとりとした性格のエマでした。 しかし、ただ一つだけ欠点がありました。それは私や母がパジャマに着替えて立ち上がると、 立ってはいけないと必ずズボンの裾を噛むことです。お陰でどのパジャマも穴だらけでした。 でも残念なことに・・・美人薄命3歳で逝きました。お墓は、宝塚動物霊園にあります。

私のそばがいいと思って選んだ霊園でしたが、公演のお稽古をしていると窓から霊園がある山が見えて・・・。 あそこで眠っている・・・寂しくない?・・・私はここに居るからね・・・みんなと仲良く遊ぶのよ・・・ と毎日お稽古場で泣いていました。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
それから暫くは何も飼えなくて・・・。そろそろ犬が飼いたいナと思いはじめ、ペットショップの前を 車で通りかかった時、一匹のマルチーズと目が合い「ボクを連れて帰って」と私に訴えているように思えて。

そして次に飼ったのが、21年程前に知人が私のお誕生日にプレゼントしてくれたそのマルチーズ犬の男の子、 名前はラッキーでした。

この子も勿論家族の一員。性格は野性的!一人でもしっかり生きて行けそうなほどきつい所があり、 ご飯を食べている時に横から手を出すと噛み付いたり、エマのように体に触らせるのは基本的に嫌いでした。 でもその反面「遊ぼうよォ」と誘って来たり、いつでも必ず私達の体に自分の体の一部を密着させていないと 気がすまないような甘えん坊のわがまま坊主!。そして14年間私が子供のように可愛がったラッキーでした。

神戸のマンションで育ち、後の3年間は横浜で、そして最後の1年は広島の広い芝生のお庭で元気に走り回って遊んでいました。 しかし、もう一度横浜に戻って来ることは出来ませんでした。1994年の5月1日広島でアイルトン・セナが事故死する2時間前に・・・天国に行ってしまいました。 お墓は広島に・・・そしてお骨の一部は今も我が家にあります。

丁度この時期我が家の主に、ある雑誌社からエッセイの出筆依頼があり、ラッキーが死んだ時のことを 纏めたものが掲載されました。主が書いてくれたこの本ESSAY「黒い小箱」 (←クリック)を読むと、 7年経った今でもその時のことがありありと想い出され涙してしまいす。

そして私の嘆きを少しでも和らげようとする旦那ちゃまの提案で、二人で探して我が家にやってきたのが、 黒目でレモンイエローのセキセイインコのピーターです。

ラッキーの死後5日目にピーターが我が家にやって来ました。まだ幼鳥で餌も自分では食べる事が出来なくて、 私がお湯で温めた「アワダマ」をスプーンで食べさせていました。しかし、直ぐに自分で餌を食べる ようになり育てるのには何の苦労もなく、育てやすい子でした。
今では我が家の大将になっています。

本   名:       ピーター
ニックネーム:ピータロー・ピータン・ピー助


ニックネームのピー助は自分から言い出した名前です。

★ピータンの一日★

飼い主に似て大変な夜更かしなので、夜が遅い分、朝は大変な朝寝坊です。起きた時には、ケージの中のベルを突っついて起きたことを知らせます。朝の第一声は「ピータンおはようタン」です。決して鳥の言葉ではなく人間語です。
ケージから出してやると、まず母の部屋へ直行。「おはようタン」と母に声を掛けます。 そして、その時々のお気に入りのオモチャ(写真)を気に入った場所へ運んで行って遊び始めます。蓋が大好き!光物(スプーン等)大好き!

☆信じられない本当のお話し☆

会話が出来るんです!ホントです!人間語を理解しているようで、何でもよく解ります。

一日中誰かの体の上にいます。

眠くなれば「ピータン寝んねシュ!」「ピータン寝んねしたい!」と言って、自分でケージに入って早く閉めてと言わんばかりに、じっと待っています。

★ピータンのお気に入り★


★えらそうなピータロー★


   
今ではもう・・あの可愛いかった声も聞けなくなってしました・・・
    
愛するピーターは2003年6月2日に天国へ旅立ちました。