Lost Time 4
夜空ノムコウ
先日キャンプに行ってきた。
日常の喧噪から離れて、久々に静かな時間を過ごすために・・・。
護岸の冷たいコンクリートが見あたらない川。短い夏を惜しむように鳴く、ちょっとやかましい蝉たち。山間のキャンプ場には「夏」が溢れていた。
夕食の焼肉をたらふく食べて、寝るまでの時間、僕のキャンプではお決まりの「時間」がある。キャンプチェア(サッカー仲間の間では王様の椅子と呼ばれている・深々と座る姿が偉そうに見えるからだ)に深々と(偉そうに)座り、ボーッと夜空を眺める時間だ。虫に刺されようが、冷たい夜露が木々から降ってこようが、雨の夜ではない限り僕はそんな時間を持つことにしている。
その夜は僕のキャンプ経験の中でも三本の指に入る特別の夜だった。
夜空を見上げると、けっして街では見ることのできない星空の風景が広がっていた。そして流れ星・・・。その夜はまるでプラネタリウムの係員が特別サービスで流れ星をいっぱい流してくれたように、たくさんの小さな星が流れた。それはまるで神様がプレゼントしてくれたかのような光景だった。
約3時間に大小15の流れ星に出会った。煙草に火をつけているときや忌々しい蚊に足を刺されたときに目を離した時もあるだろうから、もっと多くの流れ星が夜空を横切ったかもしれない。
流れ星には願い事を叶えてくれるという言い伝えがある。もちろん「サッカーが上手くなりますように」という願いを頼んだことはいうまでもない(あとはヒ・ミ・ツ)が、ふと途中から願い事はひとつの流れ星にひとつの願い事なのだろうか?という疑問が湧いてきた。自分なりに流星ひとつに願い事ひとつという解釈で結論づけてしまったが・・・。
流れ星は彗星のちりが地球に落ちてくる際に、大気圏で燃えて光を出すものだが、同じ落ちてくるものでも、小惑星のかけらはいん石と言って区別するらしい。ん〜、今のは流星か?いん石か?それとも朽ちて落ちてくる人工衛星か?僕には区別がつかないが、いずれにしても夜空を彩るこの天空ショーはささやかな僕の楽しみでもある。
しかし、久しぶりに夜空を眺めていてひとつだけ気づいたことがある。北極星って何処だったろう?あの星座は何座?そんな疑問が頭の中をかすめていく。すっかり忘れてしまっているのだ。中学時代は「天文ガイド」を愛読し、深夜まで天体望遠鏡の接眼レンズについた小さな穴を覗いていた少年だったのに・・・。
宇宙は動いている。1万2千年後にはこと座のベガが北極星になるというのだから、そんなことはどうでもいいことか、と思いながらその夜は存分に星空を楽しんだ。
僕は子供の時、辛いことや悲しいことがあると夜空を眺めた。どこまでも限りなくつづく夜空の「むこう」には宇宙がある。そこにはとてつもない包容力があると感じていたからだ。
宇宙には現代科学では解明できていない、哲学や宗教といったもので結論づけなくてはいけないほどの広さや起源がある。つまり人類がいま得ている様々な概念の中では「宇宙」を結論づけることはできない。夜空に広がる星のひとつひとつの起源やその星までの距離を考えると、俗世界がなんともちっぽけなものだと感じてしまう。いろんな辛いことや悲しいことに悩んでいること自体がちっぽけなことだと思ってしまうのだ。星の輝く夜空は、元気を与えてくれる。
SMAPの歌に「夜空ノムコウ」というのがある。「夜空ノムコウにはもう明日が待っている・・・」という歌詞で終わる歌だ。
夜空には誰をも受け入れてくれる包容力と次に待っている「明日」への期待がある。そんな気持ちを抱きながら、いまも僕は夜空を眺めている。
・・・・・あなたは最近、夜空を眺めているだろうか?
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