嵐の終末
平方 一六
その時すでに天候は嵐であった。
彼は野良設計を生業としている。
野良設計は怪社から餌付けをされているが飼われ設計と違い、躾がなっていないので飼い主に噛みつくようなこともする素敵な職業である。
かといって野生設計ほど技術がないのでしばしば怪社に振り回されるが、ふらふらアルゴリズムの搭載により組織に縛られないスタンドアローンの活動が可能となっている。
よって関東軍並に扱い難いのは当然といえよう。
そんな彼でも仕事を担当して客先と打ち合わせをするような立場にある。
そんなある週末のことだ、特に残した仕事もないし週明けに有休を取る予定だったので、彼は定時でさっさと帰ろうかと思っていた。
そんなところへ営業のハゲヒゲが客先打ち合わせから帰ってきて、彼の上司に彼による仕事の処理を頼んだ。
彼の上司は「週明けに提出する仕様書を作ってくれ、細かいことはハゲヒゲさんの指示に従ってくれ」と詳細を把握しないまま仕事を彼に頼んで帰ってしまった。
まぁ上司の行動は当然ともいえる。しかしあんなことになるとは・・・
彼は週明けに有休を取っていて当日は怪社に不在であることもあり、やむなく残業をしてその仕事を仕上げようと決心した。
定時前にハゲヒゲから受けた指示はすでに客先に提出済みの仕様書の改正だった。また、同じ仕様書にはハゲヒゲ担当の改正箇所もあった。
彼は早く帰りたかったために急いで改正箇所のワープロ打ちをしながら思った。
"1時間残業で片が付きそうだな"
しかし定時を30分過ぎたあたりで最初のプリントアウトした仕様書をチェックしていた彼の側にさっきまで見かけなかったハゲヒゲが寄ってきた。
「おい彼、客の言ってるのはこういうことだ、だからこういう仕様書にしてくれ」
ハゲヒゲが言っていることは定時前に彼の上司に言っていたことより規模と範囲が拡大していた。
しかもそれには他社からの資料が必要であり、休日に突入している現時点から週明けまでは資料を請求することすらかなわない状況であった。
すなわちここで彼が数時間残業したところで解決しないことだったのである。
「とにかく最初の指示通り、今はできる範囲で仕事をしましょう」と彼は至極真っ当なことを提案した。
ハゲヒゲは大きく同意を示し、頷きながら彼の近くの机に座った。
その時からハゲヒゲの挙動は不審なものがあった、ハゲヒゲの机と彼の近くを行ったり来たり往復する。彼は、
"ハゲヒゲさんワープロ打ちができないから、月曜日にワープロ打ちは頼むつもりなのかな、それとも俺にやって欲しいと思ってるのかな?それなら嫌だな"と思った。
しかし、ハゲヒゲが一向に自分担当箇所の原稿をいじる気配がないので、安心してもいた。
しかし、である。
彼が修正作業を終わりかけた段になってハゲヒゲはそのプリントアウトを取り上げて、彼が作業している後ろの机で内容をチェックし始めた。
彼は紙面でチェックが入れたかったが仕方がないのでモニター画面を見ながら修正作業を進めた。
「オイちょっと彼。これじゃダメだよこっち来い」
やむなく呼ばれた彼は180゜ターンして彼の後輩の席に陣取るハゲヒゲと対面した。
ハゲヒゲは自分で作った見積もり詳細表と私の作った仕様書をつきあわせてブツブツ言っている。
「お客はこれとこれの対比ができるようにしてくれって言っているんだ、ちょっと待てよ、たとえばこの項目だ。これそっちの仕様書ではどこにある。」
「ここです」
「それじゃあこっちの次の項目はどこだ」
「1ページ飛ばした3項目の内のここに含まれています」
「それじゃあダメなんだよ、数字と順番が一緒でないと客は何が幾らするのか分からないじゃないか」
「ですがそちらの見積もりの項目番号と仕様書の番号をあわせることは不可能ですよ。
仕様書には仕様が書いてあるのですから。
仕様書は見積もりの解説書ではありませんからね。
見積もりの解説書を作るにしても見積もりが完成していないので今週の完成は絶対無理です。
だから最初にハゲヒゲさんが言った通り、今日のところは仕様書は仕様書として客先に指摘された誤りを改正しましょう。というよりそれしかできませんよ」
「そうか分かった。じゃあ、そうしよう」
ハゲヒゲはまたウロウロし始めた。
彼は中断されていた作業を再開しようと仕様書をプリントアウトした。しかし、何を考えたかハゲヒゲはそれを印刷いるそばから奪いとってしまい彼に渡そうとしない。
そして彼の後ろの席に来てまたブツブツ言っている。
そして再び彼を呼び出した。
『そこでは先程と同じ会話が同じように繰り返された』
彼が先程と違うと思ったのはハゲヒゲの吐き出す息からウイスキーの臭いがすることだった。
ハゲヒゲはなにやら「ダメだダメだ」と独り言を言いながら癖である舌打ちを繰り返した。
「これはここだろ、それはそこだ。全然ダメだよ」
と大声で独り言を繰り返した。
そして三度彼を呼んで、机を挟んで目の前に座らせて
「これから俺の言う通りにしろ」といって三度見積書と仕様書を見比べた。
そして呂律の回らなくなった舌で同じところを10回程、読み上げては途中で止まり、また最初から読み上げ直しては途中でつっかえて初めに戻るということを繰り返した。
彼は作業を再開することもできずハゲヒゲの対面に座ったまま困ってしまった。
このときすでに定時から2時間が経っていた。
彼はいい加減嫌になってパソコンに向き合って仕様書の修正を始めた。
するとハゲヒゲは彼を罵り始め
「オイ彼、何やってんだ。おまえなんかがそこを直してもダメなんだよ。ちょっと待て今俺が考えるから」
と彼の邪魔をして四度彼を対面に座らせて見積書と仕様書を見比べる作業を繰り返した。
彼は全て悟った。
定時後の1時間弱の間にハゲヒゲを見かけなかったのはハゲヒゲが会議室で営業部の同僚と飲んでいたから(しかも完全にできあがってしまっている)だと・・・
ハゲヒゲは普段の急がない時でも大声を上げて周りの人間を不愉快にさせるような人柄だったがそれに輪をかけた大声で彼に絡んできた。
「おまえがしっかりやらないとこの工事で人死にが出るんだぞ、わかってんのか?あぁ?」
「返事はどうした。あぁ?」
「もうおまえの上司なんか関係ないんだ、おまえは俺の言うとおりにすればいいんだよ」等々
彼は交渉の余地なし、というよりは奴にはその能力なし、と見てトイレでインターバルをとることにした。
彼はトイレで取った作戦タイムに考えた。
とりあえずハゲヒゲの錯乱した頭から出る指示に従うことは道理的にも物理的にも不可能である。というよりやつの言ってることは理解不能である。
彼は彼の上司との約束を守ればいいのだという結論に達した。
そのためにはワープロ打ちを完了させなければならないがそのための10分を稼がないと今のままでは妨害されてしまう。しかし今使えるパソコンは今の場所だけだ。
えーと、どうしよう、どうしよう。
と考えて、ハッと気がつくと隣のトイレにハゲヒゲがいて小便しながら気持ちよさそうに大欠伸をしていた。
彼は
"俺には安らぐことさえ許されないのか"
とますますやる気を無くした。
一足先に席に帰った彼に彼の先輩が声をかけた。
「ハゲヒゲさんは酔っぱらってるの」
「見てて分かりませんか・・・」力無く答える彼。
その直後(すでに定時より2時間過ぎた頃)ハゲヒゲの同僚の人(この人も会議室で飲んでいた)に声をかけられた。
「彼君、遠くから君を見ていたがあまりにも気の毒になってね。このままじゃ、君の仕事をする時間が無くなってしまうよ。ダメなときは殴ってもいいから自分の仕事をしなさいよ。誰も怒らないよ、それはみんな良く知っている」
「よく分かりました、でももう少しやってみます」彼は憔悴した顔で答えた。
しかし彼自身も承知のように忍耐も限界まで来ていた。
"このままではリミットブレイクして変身してしまう"
彼は何度も「いい加減にしねえとシメめるぞ」と啖呵を切ろうとしては、
"いやいや、そんな大人げない"と思い留まり。
彼は何度もハゲヒゲが座っている机をひっくり返そうと思っては。
"いやいや、ここは後輩の机だから迷惑がかかるのでやめよう"と思い止まり。
何度もハゲヒゲを殴ってやろうかと思っては。
"いやいや、こんなやつ触れるのも汚らわしい"と思い止まった。
避難トイレも数度繰り返した。
果ては妄想世界に逃避して
「アルチュウ、ゲットだぜっ!!」
「アルチュウ、千鳥足高速移動だ!!」
「アルチュウ、クダを巻け!!」
「アルチュウ、ハシゴ酒だ!!」
などと不思議な世界へ行って、彼はアルチュウマスターを目指して仲間と旅をしていた。
そんなこんなでハゲヒゲの提案の
「この後、飯食いに行くぞ。分かったな」
に対して
「はぁ〜ぃ(限りなく低音)」と気のない返事をしたりしつつ、彼はどうにかハゲヒゲの妨害の合間に騙し騙しワープロを打って仕様書を完成させた。
苦しい戦いであった。
すでに定時から3時間が経過していた。
作戦予定時刻を2時間超えている。原因も明確だ。
彼は脱出の算段をした。
今までの3回はプリントアウトする度にハゲヒゲが
「最近のプリンタは早いね」などとしきりと感心しながら取ってしまい、しかも彼が提出用に完成させている部分の原稿にも落書き(ハゲヒゲにとっては明確なるチェック)をして汚して使えなくしていた。
そこで彼は100ページからなる仕様書を全てプリントアウトしてハゲヒゲをプリンタ付近へ陽動しておき、その隙を見計らってセーブデータの入ったフロッピーを彼の上司の机に置いた。
それがハゲヒゲに見つかると奪われてしまうので、フロッピーを隠すようにファイル名と出力の方法を書いたメモを乗せて偽装した。
そして彼はプリンタに張り付くハゲヒゲを横目にトイレへ行くような仕草でロッカールームへGO
速攻で着替え、ハゲヒゲに見つからないように獣道のような草深い裏の通路を傘を差して帰った。
その後、1時間経ってから彼がいないことに気づいたハゲヒゲは近くにいた若い社員に捜索を命じて彼の行方を心配したが自分は机から動かなかった。
家に帰った彼が休み中に電話に出なかったのは、語るまでもない。
休み明け、彼はちょっとした人気者であった。
なぜなら有休を取って不在だった月曜日の間に、語るも涙の「悲劇の主人公」として語り継がれていたからである。
「先週は大変だったね」とか
「営業はハゲヒゲさんのような人ばかりじゃないから気を悪くしないでね」等の慰めの言葉を彼は数多く頂いた。
しかしそれだけではなかった。
なんやかんやで彼が週明けに出勤した日に彼とハゲヒゲは客先に仲良く出張することとなってしまった。
つまりハゲヒゲの都合により提出書類の締め切りが延びていたのだった。
その帰りにハゲヒゲは
「オイ彼、飲みに行くか?」と誘ってきたので彼は忙しくもないのに
「ダメです。残念ながら今日は父親のお見舞いに行かないといけないのです」と断って家に帰った。
さらに翌日。彼の先輩と彼の会話。
「昨日ハゲヒゲさんが彼を飲みに誘うと豪語していたけど、飲みに行ったの?」
「誘われたけど行きませんでした」
「なんで?」
「だって喧嘩したときに止める人が居ないとトコトンやっちゃうでしょう?」
絶句
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