オーケストラル・エッセー 2011(4)
    〜日々の活動を称えて

はじめに

 今回の東日本大震災における、約3万人の皆さんの尊い犠牲と、数十万人の被災者の方に対し、連盟として事務局として、心からのお悔やみとお見舞いを申し上げます。被災地の方々に対してできるだけのことを行なっていきたいと考えております。また被災地の加盟校オーケストラ部で困ったことがありましたら、遠慮なく事務局または事務局長までお知らせください。
 事務局 orchestra@nippon-seinenkan.or.jp
 事務局長  yukishige@nifty.com



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●R.シュトラウスの美が満開 「4つの最後の歌」 エド・デ・ワールト指揮(CD) 2011.04.18.

 デ・ワールトが1990年頃に録音した、R.シュトラウスの「4つの最後の歌」。これまで買ったまま積んでいたのを、今日ふと取り出して聞いてみたら、これがすばらしい演奏なので感嘆。

 表題の「4つの最後の歌」では、このCDのソプラノ歌手はあまり特徴的でないものの、ワールトが歌わせるオランダ放送フィルが実にすばらしい響きを出しているのです。少しゆっくり目のテンポで進むのですが、シュトラウス独特の丸くて透明でつややかな響きが、ふあーっと眼前に出てきて、小さなラジカセで聞いていたにもかかわらずうっとりとしてしまいました。

 シュトラウスというと、多くの方は「ドン・ファン」「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」「英雄の生涯」「ツアラトゥストラはかく語りき」といった若い頃の情熱的な大管弦楽作品を思い浮かべるでしょうし、オペラ好きなら「サロメ」「エレクトラ」といった官能的な2作品や「ばらの騎士」というモーツァルト以来という最高の喜劇を思い浮かべるでしょう。

 もちろんそれらも十分に魅力的であり、次々と若い世代を魅了してやまないのですが、彼の音楽の真骨頂は、晩年のいくつかの透明な作品群に尽きると思います。「オーボエ協奏曲」、歌劇「カプリッチョ」そしてこの「4つの最後の歌」です。

 シュトラウスはワーグナーと同じく、力ずくでは決してうまく演奏ができません。音と音の流れの意味を理解しない限り、うまくいかない、そんなデリケートで難しい音楽です。デ・ワールトは若い頃からこれに秀でていましたが、この「4つの最後の歌」を聞いていて、まさにその音と音のつながりを表出できる、現代では稀有な指揮者の一人だと感じました。名演です。





●ノンビブラートの功罪 ノリントン指揮N響 2011.04.17.

 英国の指揮者、ロジャー・ノリントンが久しぶりにN響に客演しました。ノリントンはノンビブラート奏法をオーケストラに徹底的に強いる、独特の指揮者です。

 通常、現代の弦楽器演奏では、ビブラートをおこないます。初心者にとっては難しいビブラートですが、慣れるとこれほど心地よいものは無く、またビブラートのかけかたも様々で、巧みな奏者、巧みな指揮者ほど多彩なビブラートをかけて演奏を美しく彩ります。

 しかしノリントンはこのビブラートを拒否し、出てくるナマのむき出しの音で勝負しようとする指揮者です。非常に珍しい試みです。なぜなら、響きの少なかった古楽器の時代にはビブラートをかけることそのものが難しかったために、ノンビブラートの響きが当たり前でしたが、それを響きの豊かな現代楽器にあてはめて演奏させるのは、かなり不思議な試みかもしれません。

 今回のプログラムは、まずベートーヴェンの交響曲第1番。この曲の書かれた時代は、たしかにノンビブラートの時代でしたので、ノリントンの演奏もそれなりに説得力があります。しかし私には響きが多少汚く聞こえて、あまり好きではありません。

 後半は私の大好きなエルガーの交響曲第1番。ノリントンはシュトゥットガルト放送響とこの曲をCDに録音しております。が、このような典雅なロマン派の曲をノンビブラートでやることに、あまり意味を感じないというのが私の正直な感想です。確かに面白い響きはしますが、本道でない事を面白がってやっているような気がしてなりません。

 ロマン派の曲は、現代楽器で、現代の奏法で聞きたい、と私は常々思っています。考え方が古いかもしれませんが。






●過渡期のメータにいろいろ思う  2011.04.15.

 現代の名指揮者ズービン・メータが、今から20年以上前に録音したワーグナー・アルバムを入手したので聞いてみました。

 録音は1989年。メータのニューヨーク・フィルの監督の最後の頃です。そのニューヨーク・フィルを指揮して、ワーグナー作曲の「タンホイザー 序曲とヴェヌスブルクの音楽」、「パルジファル 前奏曲と聖金曜日の音楽」、「リエンツィ序曲」という、ちょっと変わった選曲で収録してあります。


 以前にも書きましたが、メータは若い頃のロサンジェルス・フィルでの成功を引っさげて鳴り物入りでニューヨーク・フィルに就任し、最初の2年ほどは蜜月だったものの、なぜかオケと疎遠になり、数年後には追われるようにして去っていったのでした。その最後の頃の録音です。

 このCDを聞いて「やっぱり」と思ったのは、メータ独特の豊麗な歌は影をひそめ、覇気のない演奏が延々と続いています。タンホイザーにしてもパルジファル(私は聖金曜日の音楽が大好きです)にしても、遅めのテンポでじっくり歌うのですが、前進力がないために響きの美しさだけが生まれ、ワーグナー独特の生きとし生けるものへの愛が感じられないのです。

 この時期のメータに何があったのか、想像するしかありませんが、オケとうまくいかない中でもがいている様子が、音楽の中にありありと感じられるのが悲しいです。もっともこのアルバムのすべてがつまらないかといえばそうでもなく、もともと元気印のリエンツィの音楽が、逆にしっとりとした大人のリエンツィになっていて、これは拾い物でした。

 そのメータも、星霜を経て、今は大指揮者です。リセウ劇場での「ニーベルングの指輪」4部作は評判ですし、先年のN響とのマーラー第1交響曲は、テレビで見ましたが大変な名演で驚きました。ニューヨークで受けたつらい仕打ちが、逆にここまで人を成長させるのか、と感嘆したものです。人間は常に進化していくものなのですね。






●ヴァスクス作曲の「ラウダ」に魅かれる 2011.04.09.

 スイスでの演奏会で、私たち日本人生徒の演奏の合間に、現地の高校生オケ、「イル・モザイコ」も1曲演奏しました。ペトリス・ヴァスクス(1946−)作曲の「ラウダ」という曲です。ばりばりの現代音楽です。

 静謐で悲劇的なテーマを持った曲ながら、最後は管打・そして弦の重厚で壮大な響きが会場いっぱいに広がりました。筆者は初めて聞いた曲でしたが、すぐに好きになりました。

 ネットでヴァスクスを調べたところ、ラトヴィア生まれ、リトアニアで教育を受けた現代屈指の大作曲家とのこと。特に1990年代以降に世界的に認められるようになったとのことでした。

 現代音楽といっても、彼の「ラウダ」は、調性を基本として作られているため、聞きやすいのが特徴です。同じ音型を繰り返すミニマルミュージックの一種とお見受けしましたが、それが鼻についたりすることなく自然に扱われているのが好ましかったです。

 2つのことを思いました。1つは高校生がこのような発表されたばかりの現代音楽にチャレンジするスイス人の見識の高さ、チャレンジ精神の旺盛さです。日本人も見習わなければなりません。

 もうひとつは、現代音楽を演奏し続けることの大切さです。現代音楽はややもすると聴衆から乖離する難しい音楽になってしまって、演奏するのも聴くのもやっかい、という印象が免れませんが、それでも私たちは演奏し続けるべきです。先祖から受け継いだ芸術をよりよいものにしていくと同時に、新しいことをも受け入れていかなければ、世界は、そして人生は停滞します。

 筆者は若いころから積極的に現代音楽を聴くようにしてきました。それらのうち99%の音楽は理解不能な音楽でしたが、それでも残り1%は美しい世界でした。その1%を知ることができただけでも、豊かな人生への彩りを加えてくれたな、と感謝しています。

 6月のN響ミュージック・トゥモロー(現代音楽の祭典です)では、西村朗の「蘇獏者(そばくしゃ)」が取り上げられます。昨年、大阪での初演をテレビで見て感銘を受けた作品です。まさか東京で実演に接することができるとは思いませんでした。今から楽しみにしています。

 若い方々も、恐れることなく現代音楽へ接近してみてください。






●スイスでの演奏会無事終わる 2011.03.30.

 スイスのヴァットヴィルにある高校オーケストラ、「イル・モザイコ」の招請によって行われたオーケストラ演奏会も無事終了しました。

 このような小さな町に高校オーケストラがあることが不思議でしたが、熱心な指導者たちのおかげで立派なオケがあることが分かりました。

 日本の高校生たちのオーケストラも、ここの教会で、満員の聴衆のもと、震災救援のためのチャリティコンサートを開催させていただきました。「コッペリア」「ハンガリー舞曲」「美しく青きドナウ」などを熱演しました。私もトラとして中で弾かせていただきました。



 また当地でヴァイオリンの勉強を続ける韓国系スイス人、ボミ・ソンさん(女性、16歳?)のソロで、「ツィゴイネルワイゼン」も演奏しました。ソンさんは国内でたくさんの賞をとっている期待の若手だそうで、この演奏もスイス放送教会が取材していました。

 このコンサートで得られた義捐金は1700フラン(15万円ぐらい)ほど集まったそうで、これはスイスの機関を通じて日本に送られるそうです。

 この時期に海外まで送り出してくださった日本の皆さんへ、感謝の気持ちをこめて演奏させていただきました。本当にありがとうございました。






●メディアといっしょに  2011.04.05.

 先日のスイス公演でソロを弾いてくれた現地の高校生ヴァイオリニスト、ボミ・ソンさんの演奏をスイス国営放送が取材していて、正直うらやましい思いをしたものでした。筆者自身は決してテレビ好きではありませんが、高校オーケストラがメディアに乗ってくれれば、世の中の理解も深まるので、そうあってほしいと思っています。

 さて、某放送局の方が私を訪ねてくれて、「単発30分で高校生がオーケストラにがんばっている様子などを番組にしたいが、どう思うか」と相談を受けました。いくつかのお話をしましたが、まだその企画は海のものとも山のものともつかない未確定要素が多いものの、もし実現すればこんな嬉しいことはありません。ぜひ応援したいものです。また進展があればご報告します。

 さらにその会話の最中にメールが入り、旧知の編集者が某音楽雑誌の編集長に返り咲いたので、お祝いをしたいと知人からのメール。これもまた喜ばしい限り。彼のようなアマチュアの音楽に造詣の深い人が編集長になってくれれば、その音楽雑誌で高校オーケストラが取り上げられる可能性も出てきます。

 私たちは練習にはげんでよいオーケストラ音楽を作ることが一義的に大事ですが、その活動を多くの人に知ってもらうために、これからもメディアとともに発展していきたいと筆者は考えています。





●スイスのハックブレットという楽器  2011.04.03.


 高校選抜オーケストラのスイス公演は大成功に終わりました。私も途中まで同行し、生徒の皆さんと一緒に感動を分かち合いましたが、その報告はいずれまた書きたいと思います。今日は現地で気になったスイスの不思議な楽器について。

 スイスのヴァットヴィルでの2つのコンサートも終わり、その夜は公民館?でさよならパーティが開かれました。もちろん主催は当地の高校オーケストラ「イル・モザイコ」の方々です。

 冒頭にイル・モザイコの4人のメンバーが地元の民族衣装を着て、アンサンブル演奏を繰り広げてくれました。これは以前にイル・モザイコが日本に公演したときも、ほぼ同じメンバーで会場で行われていたものです。ただ私はあれっと思ったのは、日本の時とちがい、左端にあまり見ない打楽器があったからです。写真をご覧ください。


 もう少しその楽器を拡大してみましょう。


 木板らしきものを、独特のバチで叩いています。木板にはどうやら金属弦が張ってあるようです。私は一瞬、「ああ、ツィンバロンかな」と思いました。ツィンバロン(ツィンバロム)も珍しい楽器ですが、ハンガリーなどの東欧の民族楽器のひとつで、ハンガリーの作曲家コダーイの作品などに出てきますので、日本でもそれほど見慣れない楽器というわけではありません。しかし、ツィンバロンにしては音がちがうのです。かなり大き目の華麗な音がします。見たことのない、聞いたことのない楽器です。

 不思議に思い、日本に帰りネットや文献をしらべて、この楽器の正体がわかりました。「ハックブレット」といいます。


 スイスの山岳部アペンツェル地方だけに残る古い打弦楽器(ツィンバロンなどの仲間)で、今回訪れたヴァットヴィルは、まさにそのアペンツェル地方のすぐ近くだったのです。このバイオリン・バイオリン・コントラバス・ハックブレットという編成もスイス山岳部では当たり前のように存在する編成だそうです。

 普通の弦楽合奏やアンサンブルとはまた違った、不思議な明るいサウンドを聞かせてくれました。一昨年のワーグナー・テューバといい今年のハックブレットといい、珍しい楽器を軽々と演奏している現地の高校生を見ると、このような交流も、本当に価値のあるすばらしいものだなと改めて思いました。





3月に書き留めた文章から


●マーラーの歴史的録音(CD)  2011.03.23.

 最近お気に入りの4枚組みシリーズ、ドイツのFabfour。これまでにシュミット=イッセルシュテット、リパッティを聞いて、どれも内容の良さに感心したものです。

 昨日聞いたのは、マーラーの声楽付交響曲集です。いずれも著作権が切れた古い録音なので音は悪いのですが、演奏はどれも気合のこもった演奏でした。



 2番「復活」はクレンペラー指揮コンセルトヘボウ管1951年ライヴ、キャスリーン・フェリアーのアルト独唱。名演で知られた演奏で、早めのテンポで切れ味鋭く豪快に歌います。

 3番はエイドリアン・ボールト指揮BBC響1947年ライヴ、キャスリーン・フェリアのアルト独唱ほか。大らかな演奏で時代を感じさせます。フェリアーの深い声は聞くものを震撼させます。

 4番はライナー指揮シカゴ響1958年スタジオ、デラ=カーザのソプラノ独唱。ステレオ初期の名盤でこれも早めにきりりと歌い上げます。

 8番「千人の交響曲」はストコフスキー指揮ニューヨーク・フィル1950年ライヴ、リプトン(S)、ロンドン(Br)ほか。アゴーギクを多用した古い演奏スタイルながら、当日の熱気がひしひしと伝わってきます。

 完成度はスタジオ録音である4番ですが、熱気は2番・8番のライヴ演奏です。古い時代の名演が、こうして続々と出てくるのは楽しみなことです。





●奇を衒わぬマイスタージンガー  シュタイン指揮バイロイト(DVD) 2011.03.22.

 少し余裕ができた今日この頃、集中的にためておいたCDやDVDを鑑賞しています。昨日は大好きなワーグナー作曲の楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」全3幕5時間を、DVDの映像でたっぷりと楽しみました。

 ワーグナーといえば悲劇、というのが相場ですが、唯一の喜劇がこの「マイスタージンガー」。有名な前奏曲を聞いた人はそのハ長調の明るい響きに圧倒されますし、おそらく多くの人がこの曲を大音響の音楽だと思っているでしょうが、5時間のうちの大半は繊細で静かな音楽だということも知ってほしいものです。

 さて、今日鑑賞したのは1981年のバイロイト音楽祭の映像。もう30年も前になる映像ですが、美しいカラー映像で楽しめます。指揮はホルスト・シュタイン。一昨年に亡くなったワーグナー指揮者であり、N響の名誉指揮者でもありました。



 前奏曲があまりにもぶっきらぼうでストレートなのに驚きます。歌うわけでもなく、部分を誇張するわけでもなく、ただあるがままに鳴っているだけという素朴なもので、こんな演奏でいいのかな、もっと面白く聞かせたほうがいいのでは、などと思ってしまうぐらいです。

 でもこの衒いの無さが、シュタインの真骨頂でした。数時間もかかるワーグナーを聞いていると、面白く聞かせる演奏よりも無骨で正直な演奏のほうが、疲れずに徐々に心にしみてくるものです。そんな大事なことを教えてくれる演奏でした。

 歌手がまた素晴らしい。主役で靴屋のハンス・ザックス親方がベルント・ヴァイクル、若い騎士ワルターがジークフリート・イェルザレム。いずれもその頃絶好調だった名歌手たちです。素晴らしい歌に酔いしれました。

 しかし私が特に心に残ったのは、憎めない悪役ベックメッサー書記係を歌ったヘルマン・プライです。当時最盛期を過ぎていたはずの名歌手ですが、何という声色の使い分け、そして性格的な演技。しかしそこに意地の悪さは見えず、ひたすらに求婚にまっしぐらに向かう男のおかしさと哀しさがにじみ出ていて、何ともいえず切ない気分になりました。

 この中でも特に大好きな第2幕(ベックメッサーの歌を妨害するザックス、しかし誤解が誤解を生んで町中を巻き込んだ大乱闘になる夜中のおかしさ)でわくわくし、第3幕のワルターを支えるザックスの芸術論、後半の歌合戦でベックメッサーの変な歌とワルターの素晴らしい歌、最後にザックスを称える大合唱で終わる大団円にうっとりした5時間でした。この歌劇を見る/聞くときに、私は人生の豊かさを感じ幸せです。





●ピアニズムと指揮  2011.03.20.

 今朝のテレビで、クリストフ・エッシェンバッハ指揮のマーラーの交響曲第1番「巨人」を見て、いろいろなことを感じました。

 まずはこのオーケストラの音色の多彩さ。最初はオケの名を知らずに聞いていて、エッシェンバッハだから彼が監督をしていたフィラデルフィア管弦楽団かしら、と思いながら見ていたのですが、でもどうもアメリカのオケではなさそう。というのはシンバルが0.1秒くらいずれて演奏されるからで、これはヨーロッパのやり方。アメリカ人は合理的だから、このようなずれの余韻を楽しむようなことはしないからです。番組表を見てパリ管弦楽団だと知りました。納得。

 エッシェンバッハは今でこそ指揮者の一人ですが、若いころはピアニストとして有名でした。筆者は実演でピアノも聞き、指揮も聞きましたが、ピアニストのほうが良かったな、と思うことが多いです。エッシェンバッハは豪快な音楽を作るので若い人からは人気がありますが、筆者が見る限りでは旋律線以外の音楽がたてに切れすぎていて、流れがつながりにくくゴツゴツとした音楽になってしまうのです。今回の巨人もそう。外見的には派手なかっこいい演奏ですが、内的には不十分なものだと感じました。

 彼がピアニストだったことと、流れにくいことは関係があるかもしれません。ピアノとは撥弦楽器(弦をはじいて音を出す楽器、ギターなど)の一種であるチェンバロから発展したものです。ですから音は1つ1つが完結していて、次の音へつながることが少ない楽器であり、また音楽です。これに熟達したピアニストほど、音が綿々とつながる弦楽器や管楽器になじめない傾向にある、と筆者は感じています。いや、本人はなじんでいるつもりかもしれませんが、出てくる表現がピアノのような表現になっていることが多いのです。

 指揮のテクニックの問題ではないのです。テクニックが無くても指揮はできます。そうではなく、出てきた音楽がなめらかかそうでないか、という重要なことなのです。オーケストラはよしあしは別にして、常に連続した連綿と流れる音楽だということを忘れてはなりません。熟達したピアニストが指揮者になる場合、オーケストラのこの連続性をうまく手の内のものにした人は非常に少ないです。現代ではダニエル・バレンボイムぐらいでしょうか。なかなかオーケストラ音楽を心から納得して表現するというのは難しいことです。





●伊福部昭の魅力爆発! 東宝怪獣映画音楽の集大成  2011.03.19.

 誕生日に家族から贈られたCD、広上淳一指揮日本フィルの「SF交響ファンタジー」第1集〜第3集が、なかなか魅力的です。

 このCDは、1950年代〜60年代に日本を席巻した、東宝の怪獣映画・SF映画の音楽の聞きどころを集めたもので、その代表作といえば「ゴジラ」のテーマでしょう。誰もが一度は聞いたことのある土俗的なこの音楽たちは、すべて伊福部昭(いふくべ・あきら)の作曲です。

 伊福部昭は先年亡くなった日本のクラシック作曲家。戦前から活躍し、欧米でも名の知られた大家でしたが、彼の名を不動のものにしたのが、映画「ゴジラ」シリーズの音楽です。

 彼の音楽の独特の土俗性は、アイヌ音楽の採集から得られたものだと言われています。どろどろとした打楽器、同じような音型を何度も何度も繰り返すオスティナート、その上で展開される低音金管楽器を中心とした破壊的なテーマ音楽。多くの日本人の心をとらえた、すぐれた作曲技法です。

 しかし私は、そうした点もさることながら、彼が時折みせた乾いたロマンが大好きです。破壊的で人間の根源を揺さぶるテーマ音楽よりも、心の染み入る弦楽器の「祈り」が出てきたときの感動は、筆舌しがたいものがあります。

 このCDでは、最初に「ゴジラ」のテーマが現れ、様々な映画音楽が1分から3分程度ずつつなげられているのですが、上記の点で私は第5トラック「宇宙大戦争」夜曲、そして第24トラック「キングコングの逆襲 愛のテーマ」などが大好きで、何度もそこだけ聞き入りました。

 伊福部昭の怪獣映画音楽は、日本のオーケストラ音楽にとって大事な宝です。聞くこともさることながら、ぜひ演奏を続けていく努力をしたいものです。





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