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徳川家康が上田城の真田昌幸を攻め、思わぬ大敗を喫した第1次上田合戦の舞台、神川周辺の紹介をします。 神川は上田市の東側を流れる川で、交通機関ですと、上田駅より丸子方面へ向かうバスに乗ると15分くらいで着きま す。 この神川の河原を挟んで発生したのが、この戦いに参加した大久保平助(後の彦左衛門)をして、「どいつもこいつ も、まるで下戸に酒を強いるようだ」と言わしめた神川河原の退却戦です。 家康本人が直接指揮をしていなかったとはいえ、鳥居元忠、平岩親吉、大久保忠世、柴田康忠といった徳川譜代の将 のほか、信濃の諏訪、保科、下条、知久、遠山、芦田といった中信南信の諸将を従え、圧倒的な兵力で攻めたので す。 ところが、この神川退却戦では、各軍が指揮系統を失ってバラバラになり、我先に川を越えて逃げようとするのみであ ったところが異質です。たとえば有能な指揮官がいて、川を隔てた河原に鉄砲隊を配備して、川を渡って追撃してくる 真田軍に対して迎撃を行えば、追撃の勢いが鈍って時間を稼ぐことができ、あるいは味方の体制が整って反撃の機会 が生まれたかもしれません。 当然と言えば当然であるこの迎撃陣地の設置提案に対して、信濃の諸将は言うに及ばず、後に伏見城の玉砕戦を指 揮した鳥居元忠も、尾張藩の発展を支えた平岩親吉も、ただ震えるばかりで返事もしない。大久保平助が叫んだ「どい つもこいつも、下戸に酒を強いるようで、まるで役に立たない!!」とは、これら徳川諸将への怒りの言葉です。 真田昌幸はこの一戦により、上田小県から吾妻・利根一帯の真田領を確保するほか、東海の実力者である徳川家康 の軍を退けたという名声まで手に入れることができました。
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