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2004年10月31日

 朝から最悪のニュースが飛び込んで来た。イラクでの武装勢力に拉致された日本人の遺体が発見されたとの情報でした。ニュースを読んでいるアナウンサーの話し方は非常に慎重になっていた。でも、最終的に本人だと確認されたとのことだ。まさに最悪の事態が起きた。イラクは治安が悪いからではなく、まだ戦場そのものと思う。現代は不正規戦闘の時代だ、非戦闘地域とか戦闘地域の区別はないでした。合掌。
沖縄でも季節は晩秋に差し掛かっている。ただ本州のように紅葉という現象が起きないことだ。でも、森林を見ると赤茶色になっているものを見かけますが、これは松くい虫の影響でダメになっているのでした。または台風の暴風雨にて海からの塩気をたっぷりと含んだ雨が大量に降り続いたのでした。そのためというか松が枯れているのでした。本州から来た観光客の方にとっては、あぁ沖縄にも四季があるのだって喜んでいます。実際には枯れているのでした。早い段階で赤茶けた松の木を伐採、焼却処分にしないと沖縄の松が全滅してしまう可能性があるのでした。それは立ち枯れしているのではないのでした。
ちょいと問題があるのでした。ダイビングする際に酸素を持って行くことを推奨しているのですが、装備品に?がつくのでした。現在は、自分等はDANジャパン推薦の酸素供給器材を使うようにしています。自分も2セット持っています。その酸素供給器材の中で、ノンリブリーザーマスクなのでした。実は酸素供給器材については様々な器材が販売されているのでした。現場では高濃度酸素マスクと中濃度酸素マスクが販売されています。これらは完全に顔にフィットするのようにはなっていない。個人差のある顔の起伏に合うためにスカート部は柔らかく、透明なビニール系の素材で出来ているのでした。口と鼻に当たる部分に酸素供給器材から透明な酸素チューブで酸素が供給されるのでした。酸素を吸い込むのは問題がないのですが、吐き出す際はマスクを外すことなく鼻の両脇に2箇所、排気用の穴が開いているのでした。ここでは弁がついているのでした。
実は、この弁が問題なのでした。DANはアメリカのデューク大学にて開発された酸素供給システムだ。高濃度酸素マスクについては、アメリカで製作されたビデオ教材には、排気弁が2個セットされた状態で事故者に使っているのでした。日本では排気弁については、2個穴が開いているにも関わらず1個しかついていないのでした。それでも販売している医療器具メーカーの製品箱には、高濃度酸素マスクとチェックがついているのでした。場合によっては2個とも排気弁がついていない製品もあるのでした。
ダイビング関係で、現場では極力酸素濃度を高い状態で供給できるようにと教育していますが、デマンド式のマスクであれば問題ないのですが、ノンリブリーザー酸素マスクを使用するとなると大問題、はいご理解して頂けたと思うのですが、本来は付いてるべき排気弁がなかったり、1個だけついているだけなのでした。当然、口と鼻の近くで穴が開いていれば、酸素を吸おうと吸気した際に酸素と一緒に空気も吸うことになるのでした。100%に近い高濃度酸素を供給するようにと指示されているが、日本で販売されている酸素マスクの形状によっては、不可能なこともあるのでした。
規定された酸素マスクの穴を塞いでしまえばって考えるが、医療承認番号がついているので勝手に排気弁を塞ぐことはできないのでした。あぁ、どうしようか。酸素を吸う時だけ、穴を指で塞いで酸素を吸って、排気する時に指を離すかな。でも、こんな方法はDANとしては指導していないから、自分等も指導することができないのでした。かつて海外でDANインストラクター資格を取得した際に、ちょっとだけ余分にもらったノンリブリーザーマスクがあったのですが、それも無くなったのでした。
医療関係については厳密な法律があるために勝手な解釈はできないのでした。まして厚生労働省管轄の部分を国土交通省所管のDANジャパンですので、拡大解釈はできないのでした。先日、知人がアメリカより持ち帰ったUSDANの分厚いカタログを眺めながらため息をついているのでした。
海外ではダイビングポイントには緑色のパッケージの酸素供給器材を目にすると思います。日本では酸素は黒ですが、アメリカ圏では緑色となっているのでした。潜ったあとの酸素を吸うってのはタブーではありません。気軽に酸素を吸ってください。沖縄でもダイビングする際には酸素を携行するように運動をしています。日本の場合は、オレンジや黄、ねずみ、黒色の大型のペリカンボックスに酸素が入っていると思います。迷わず酸素を吸ってください。遠慮なくね。



2004年10月30日

 久しぶりに晴天でさわやかな週末を迎えた。風は北西ですが、清々しさがありました。悪夢の中越地震から、ちょうど一週間が経過した。東京では震度4くらいだった。揺れは凄かった。
最近のマスコミ、その存在感が危ぶまれるようなお粗末な取材となっているように思う。長岡での親子さ三人の救出劇での、全員生存の放送が実況中継の中でアナウンスされ、テレビを見ている多くの人々をヤキモキさせた一件。それに本日のイラク人質の日本人の死亡記事。イラクについては、直接取材陣が取材することが出来る状況ではないこと。騒乱状態が治まっていないこと。情報の発信源が米軍であること。現場での直接的な取材が困難な状態。検証しようがない状態での記事となったようだ。外務省も再検証するってことができなかったのだろうか。お隣の国の首都まで副大臣が出張ったが、何をしにいったのだろうか。現地の大使館で済むのではないだのろうか。わざわざ副大臣を派遣したのは、とりあえず政府上げての救出劇を演じていますよっての政治的なポーズだったのでしょうかね。真剣に日本国民を守っているというポーズだった。それにしてもニュースソースが正しいかの検証をして欲しいものだ。日本国政府の情報収集能力の無さを垣間見たようだ。沢山の税金が投入されているにも関わらずだ。もしかして日本は53番目のアメリカの州にでもなったのかな。
もう一件は、大誤報になったというか公的救助機関が活動している際に、ちょくちょく起きることだ。現場の情報が正確に伝わってこないのだ。最初に誰かが「三名とも生きている」って情報を伝えたのだろうか。まるで伝言ゲームのように内容が、ドンドン膨らんでしまうのに似ている。実際に、自分等も行方不明者を捜索する際に生きていて欲しいとの願望が沸いて来ます。同じような感情が現場を支配していたのかもしれない。実況中継では、子ども二人は既に救助され病院で手当てを受けているとのこと。お母さんは、まだ車内に取り残されているが心拍を感じることができるが、岩石に挟まれて車内から救助することが難しい。心拍数が弱っているとか、様々な生存を確信させるような情報が飛び交っていた。あたかも真実の情報としてだ。でも実際の中継を見ていておかしいと思った。お母さんを車外に引き出した段階からブルーシートが張られ、テレビカメラから救助隊員の動きが遮断された。またヘリコプターに揚収される際に、現場の救助隊員が付き添って揚収されていなかった。本来ならもっと慎重に吊上げるはずだが、それが見られなかったのでした。
この何日間かで、マスコミの検証能力というか取材能力の限界を感じた。取材って、もしかして現場を見ないで伝言ゲームか携帯電話だけの通話で記事にしているのだろうか。政治の世界での取材が、マスコミ各社の感覚を鈍らせているのだろうか。日本人の頭の中、全てが情報の垂れ流しを右の耳から聞いて、左の耳から抜けているのだろう。思考しなくなっているのだろうか。ただ見ているだけになっているのだろう。誰も判断しなくなっているのだろう。それとも判断したくないのだろうか。助ける側の絶対に助けたいという願望が、単に膨らんだだけなのだろうか。緊急事態が発生している際の情報の発信には難しいものがあるが、今回の件を再検証して、誤報が伝わらないような方策を考えて欲しいものだ。情報統制し過ぎかな。こうなると怖いのでした。
久しぶりに床屋さんに行ってきた。相変わらずの5厘カットだ。床屋さんでのお値段、2800円だった。シャンプーを2回とバリカンでの刈上げ君、最後に調整で鋏を使った。約1時間半の対応だ。外に出ると5厘カットの絶壁頭には、ひんやりとした涼風が当たった。1ヶ月半ぶりの床屋さんでした。髪の毛が長くなると潜り終わったあと、塩気で濡れたままだと湿気を含んだままになり、風が当たると冷たくなるのでした。とりあえず潜り終わったら、すぐに真水で頭の塩気を取るのでした。これを怠ると風邪をひくかもしれないのでした。さっとヒト吹きで乾いてしまうのでした。5厘カットは便利なのでした。
本日は、午前中に乗合船の枠があったので乗せてもらいました。いつもの定点観測潜りでした。じっくりと水中を観察することができました。台風23号とUターンしてきた24号の影響は浅場では砂が大量の動いた。直径20〜30cmサイズの大きさのサンゴの塊が砂に埋もれていた。掘り起こすと既に表面はダメになっていた。ユビエダハマサンゴが点在するが、サンゴ表面の色が薄くなっているのでした。相当ストレスがかかっていると思われます。深度20mくらいでもサンゴに砂が薄っすらと堆積していました。またトウアカクマノミのイソギンチャクも、こころなしか活力を失っているようにも見えました。この二〜三ヶ月で、砂地ポイントでは景観が大きく変化している。これまでは砂の中にサンゴが点在していたが、それが砂に埋もれてしまったのでした。砂の惑星になりそうだ。



2004年10月29日

 10月も残すところ3日となりました。あぁ、もう11月かよって。恥ずかしながらダイビングのお仕事は10月1日に一人にガイドダイビング。2日に那覇空港へ送った。これが10月の仕事だった。あとは何をしていたか北風が強くリーフを越えて押し寄せる波を恨めしそうに眺めていた。あとは台風かぁ。とりあえず初心者講習の予約もありましたが、台風の問題があるために「とにかく沖縄に来れば、何とかなるよ」が言えなくて、しばし考えて直球の「キャンセルしてください」とお願いしました。あとはお客様の都合で来沖を中止されたのでした。自分としては正解だと思う。しかし、収入は限りなくゼロに近くなったのでした。自然相手の仕事なので、お天気次第となるのでした。
沖縄も久しぶりに天候が穏やかになっています。海も少しづつ凪いで来ています。このまま年末まで安定した気象状態が続くとありがたいと思うが、実際には甘くないですね。前兼久漁港ではモズク栽培の準備が始まっています。モズク網にモズクの胞子の植付け作業も同時並行で始まっています。11月になると実際に海への網の設置が始まります。ただモズク養殖は手間隙がかかります。ただ単にモズクの胞子を付けた網を水中に鉄棒で固定するだけでは、商品になるモズクは育てられないことが判っています。モズクがある程度成長するとサカナの食害に会うのでした。そのためにサカナ侵入防止網も必要となるのでした。フーカー潜水器材を使って、潜水作業となりますので、体力的にハードなダイビングになります。今日も港ではモズク網の修理と洗浄、種付け等が忙しく行われています。サカナの食害は、凄いことになります。そのサカナって、筆頭はアイゴの群れが強烈にアタックするのでした。あとはご愛嬌なのがイザリウオさんのベッドになっているのでした。1cmとか2cmクラスのイザリウオがワサワサと出てくるのでした。
これはアメリカでのお話、先日アメリカから戻った知人がDANアメリカのカタログを携えて戻って来ました。カタログを見た瞬間、羨ましい限りでした。DANアメリカというか、英語圏に向けてのカタログになっているのだろうかな。内容は凄いのでした。酸素供給器材については、DAN推奨のファーストステージとセカンドステージが、DAN専用の緑のケースに入っているのでした。日本では、ペリカンボックス(DANジャパン推奨ということで”黄色”にDANジャパンのステッカーが特別に貼られているのでした)が用意されているのです。その他に酸素供給装置として長時間の酸素供給が可能なように再呼吸できるセットも販売されているのでした。さすがにこれは日本では使うことができないだろうなって。あとビックリしたのが、AED(自動除細動機器)もDAN専用の緑色のケースに入っているのでした。あと圧巻なのは、ファーストエイドキットも各種サイズが用意され、これも緑色の専用ケース(ハードケースで、防水型、圧力調整可能バルブ付き)がありました。中身は3種類くらいのパッケージ化されていました。お値段については、国際標準ということなるとありがたいのですが。仕方がないかぁ。医療承認番号がなければ日本国内では、使うことは法律違反となるのでした。
自分もカタログにて商品を注文しようと考えているが、またもや国際指名手配されてDANジャパンに、こんな日本人がDANアメリカに商品を注文しようとしているよって、通告されるのだろうか。3年くらい前にDANアメリカが発行している定期刊行物を注文したらDANジャパンから連絡があった。日本からは注文することはできないから、改めてDANジャパンが注文して販売するからということで2回くらい雑誌が送られてきたが、2回かな郵送されたが、それっきりで終わり、料金は実際のドルにて購入するよりも高い請求書が届いたのでした。自由に情報を入手することができなく制限されているのでした。もう、これも解除されたかな。またDANアメリカのメンバー登録から再チャレンジするかな。情報開示が当たり前の時代になっているのに、国別の管理ということで押し切られるのだろうか。
生まれた故郷を離れて30年が過ぎたが、放送にて震災情報として長岡とか小千谷とかの馴染みの地名が出てくるとフッと昔にタイムスリップして思い出すことがあります。DNAに刻み込まれた記憶が蘇ってくるのだろうか。それとも初老を迎えた年齢に達したからだろうか。山古志村の一時帰村のニュースがあった。人間はヘリコプターで搬送することができるが、錦鯉や肉牛(闘牛も)の航空搬送は難しいとのことだ。またペットも同じで村に残されるとのことでした。錦鯉は何とか搬送することができるとは思うが、肉牛はネットで吊るしてヘリコプターで搬送することができないのでした。それは肺を圧迫するために長時間の吊り下げての飛行はできないのでした。あとは陸路、あるいて降ろすしか方法がないようだ。明日は中越地震が起きて一週間目となるのでした。一日も早い復興を願っています。



2004年10月28日

 沖縄も寒くなってきた。日中は太陽が出ていればポカポカですが、一旦日が陰ると途端に半袖はブルッとするようになりました。いつのまにか夏から秋に季節が移動したのでした。でも、晩秋って言葉は沖縄にはあるのだろうか。暦は晩秋から初冬へと変化した。新潟では、そろそろ山間部には雪がちらつく時期でもあります。雨から霙(みぞれ)、霙から雪へと変わり、やがては根雪へと変わっていくのでした。
連日、テレビでは中越地震の被災地でのヘリコプターの活躍がテレビを通じて、お茶の間で見ることができます。ここ沖縄では、話題のヘリコプターが山口県の岩国に向けて飛び立って行きました。CH−53D型機が3機、黒煙をたなびかせて普天間基地から離陸しました。この機体は、今年の8月に沖縄国際大学構内に墜落した機体と同じです。あと同基地には2機が残っており、来月には岩国に向けて飛び立つとのことでした。そういえば、先日ですが恩納村上空を普天間基地に向けて試験飛行する同型機が我々の頭上を通過して行きました。災害時には被災者にとって、その活躍が期待されるヘリコプターですが、沖縄では逆でした。昼夜を分かたずの騒音と墜落の恐怖でした。CH−53型機は好きな機体なのです。長距離を飛ぶことができる機体であり、重量物を運ぶことができる機体であり、捜索と救助に適した機体ではあるのでした。でもベトナム戦争時に活躍した機体ですので老朽化が否めないのでした。
空の話題として新潟空港が24時間体制での離着陸ができるようになった。これはあくまでも臨時の措置とのことだ。また東京と新潟間の空路も臨時に開設されたとのことだ。以前は、東京と新潟間では航空路が開設されていたが、上越新幹線が新潟まで全線開通してから飛行機の需要が乏しくなったので、非採算部門として運行が休止となった経緯があるとのことでした。日本航空と全日空が、それぞれ臨時便を飛ばしてくれているとのことでした。首都圏との交通が、山間部にて土砂崩れが起きて道路が至るところで遮断されている。また鉄路も道路同様に大規模な被害を蒙っているのでした。救援資機材や物資を送るとなると陸路が多くなるが、道路網が使えないとなると飛行機で、運び、そこから陸路で搬送できるところまで運び、最終的には人力となるのでした。新潟は西側は海に面している。大きな港は新潟港と直江津港くらいだ。船は大量の物資を運ぶことができるが、速度的には遅いことが問題となります。空路は短時間に世界を結ぶことができるが、運送コストは高くつくのでした。でも、陸路だけでなく空路も確保された。でもこれからは降雪時期になりますので、24時間運用は難しくなるかもしれないですね。
小泉政権としての正念場の国会と位置付けられていたが、23日に発生した中越地震によって、一挙に台風および震災被害の対策国会の様相を呈してきた。懸案だった年金の一本化、郵政民営化、政治献金の問題等でしたが、23日の激震とともに消えたのかな。イラクへの自衛隊派遣が、この12月で延長するのか撤退するのかを決めなければならない。その前に台風と震災被害の復興への補正予算を組む必要性があるのでした。11月2日は、アメリカ大統領選挙の投票が始まるのでした。おまけに地方への補助金を大幅に削減する案があるが、地方の猛反対を受けている。そんな雰囲気の中での国会運営、でも簡単に小泉さんが退散しても政治的な空白は大問題となるので、なんとか玉虫色の解決策となるのだろうか。新潟の被災地では、超保守の政治体制の中だったので、これまでは何とかなっていたが、今回の大震災の救援の支援体制が遅く見えるのだろうか。余震が続く現地にいないが、救援体制が心配になっているのでした。短時間に政治的な決断をしなければならないことが山積みなのでした。
10月も台風で苦しめられたが、気象庁は11月も台風の被害が発生するかもしれないよって警告を発しているのでした。しかし、大陸からの冷たい寒気が降りてきています。海水温も徐々に下がり始めています。台風が発生しても沖縄には影響を与えないのかなって心の底で願っているのでした。熱帯から贈り物の台風が勝つか、シベリアからの贈り物の冷たい寒気が勝つか。気象配置図では西高東低の典型的な冬型になっているのですが、10年くらい前に沖縄で台風に会ったのが、その後サイパン島で仕事をしていたら、その台風が追いかけてきたことを覚えています。猛烈な北風の影響を受けて、常夏の島サイパンでブルブル震えていたことを思い出しました。震災地では外気温が一桁になっているとのこでした。



2004年10月27日

 非常に複雑な気持ちだ。たまたま土砂崩れで埋もれた車からの救助作業、余震が来る中での救助作業、当然二重遭難が懸念される中での救出劇だった。お母さんはDOA状態とのことでした。奇跡が起きないのかなぁと祈った次第です。現実は厳しい状況だった。最初に救出された男の子は、病院に搬送されて生命には別状がないとのことだった。次にお母さんが救出されたが、無念な結果だった。残る長女は、まだ車体と岩石の間に確認することができるが非常に厳しい状況であるとのことだ。92時間ぶりの救出劇だった。
救出劇はテレビ中継されたが、アナウンサーは在京でテレビモニターを見ながらの画面解説だったようだ。信濃川の対岸から救出現場を望遠レンズで撮影しているのでした。言い方は悪いがスポーツ中継みたいにも感じた。救出現場は大規模な土砂崩れが発生した場所で、おまけに余震が続く中での救出だった。救出現場では、消防署員が岩石の崩落の監視に当たる隊員、救出作業に当たる隊員、救出されたあとに搬送に当たる隊員、警察官かな、多くの救助関係者が対応していた。中継では現場に自衛隊の医者が被救助者の容体を確認しながら対応しているとの解説があった。救急救命士の参加と医療器具は持ち込まれていたのだろうか。救助は救助、緊急医療を施すのは救急病院という発想なのだろうか。まさか。お母さんが救出されて東京消防庁のヘリコプターに揚収され、長岡の日赤病院まで搬送されたとのことでした。NHKのヘリコプターは東京消防庁のヘリコプターの上から空撮していたが、大丈夫なのだろうか。まだ、徹夜で不明の長女を捜索、救助しようとしている救助隊員には敬意を表します。
現場からの情報がなかなか入手困難な状況の中にあって、実況放送を担当するアナウンサー諸氏は、一言一言言葉を選んでの解説だった。心情的には辛い実況中継だったと思うのでした。人の生き死にがお茶の間に飛び込んで来るのでした。一家全員が生存していることを期待したが、現実は厳しかった。人の命の尊厳、改めて考え込んでしまった。助かって欲しいという願望が強ければ、その反作用としては落胆は強烈に訪れるのでした。涙が止まらないのでした。救助活動に従事している消防や警察、自衛隊員等の心情も辛いものがあると思うのでした。合掌。
地震が、余震が続いています。本日の震度6弱はびっくりした。越後平野では太古のロマンなのですが、縄文時代の遺跡が多数発掘されています。中には土器も多数含まれています。印象に深いものと言えば火炎土器です。炎が優雅に燃えるデザイン、現代の芸術家が製作したのではないかと思われる火炎土器。縄文人が製作したのでした。信濃川の河岸段丘が形成された土地、地質学的には若い地質とのことでした。そのために大規模な崩落が起きているとのことでした。太古から繰り替えさえる地震、もちろん縄文時代でも地震はあったのだろう。震度はどれくらいだったのだろうか。以前に遺跡を発掘する際に、液状化した痕跡があったりと。いわゆる地震考古学なるものが俄然脚光を浴びることになるのでした。縄文以前の旧石器時代の遺跡ついては捏造問題でガタガタになったが、地震考古学については、着実に実績を積み上げているのでした。山古志村での土砂崩れ現場の状態を見る限りでは、震度6強の揺れがもたらした災害、何千年もの前の地震でも大きく地形を変えるような規模で災害があったのだろう。恩納村の水中地形は、氷河期に形成されたことがわかっているので、ついつい生まれ故郷の地形とオーバーラップするのでした。自分も非常に興味のある学問なのでした。
知人がアメリカで開催されたDEMAショーから戻って来ました。DANアメリカの情報を沢山持ち帰ってきてくれました。パンフレットや情報誌、マニュアル等、それ以外に日本に入っていない潜水器材の小物類まで様々でした。一番ビックリしたのは「レールダール社」のカタログだ。何で日本では、販売されていないのだろうかっていう疑問が沸いてくるような内容のカタログでした。もっと身近にCPRトレーニング機器やAEDトレーニング機器があればなぁって。ため息まじりの吐息が漏れてしまうのでした。あぁ。ポケットには綿埃しか貯まっていない現実がありますので、今回はカタログを眺めるだけにします。現実は厳しいからね。無いものはないのでした。
自分の生まれ故郷が長岡ということで多くの方から「大丈夫ですか」ってご心配の声を頂いていますが、幸いにも皆無事とのことでホッとしています。ご心配をおかけしています。生命って重かった一日でした。



2004年10月26日

 台風24号は東シナ海を駆け足にて東に動き、午後2時過ぎに熱帯性低気圧になったようだ。午前中は南風が強く港に吹き付けていた。時折パラパラと雨が降ったが、大きく天候が崩れることはなかった。
やはり朝鮮半島は戦時下だった。ぶっそうな書き方をしたが、本日38度線の非武装地帯で北側から潜入したと思われる形跡が発見されたとのこと。韓国軍は全軍に最高レベルの警戒態勢を敷いたとのことでした。「冬のソナタ」以来、熱狂的なヨン様ファンが撮影地に大挙押し寄せている現実があります。先日、ある新聞には北側の小型潜水艇が軍事境界ラインを越えて南下しているとの情報があった。ただ情報の発信源は、韓国海軍ではなく、アメリカ軍からの情報だということで。ただ韓国軍に米軍が通報したが、反応は鈍いという感触だ。韓国だって、改めて第二次朝鮮戦争を起こしてほしくないはずだ。でも北のお国は外敵を恣意的に作っておく必要がある。そのために軍隊には南進策を命令することになるのでした。そんな一面もある韓国に日本からノー天気な方々が殺到しているようだ。実際に戦端が開かれたら、在韓日本人観光客は、どのように動けばよいのだろうか。何て独り言を書いていたら、どうも北からの挑発ではなく、南側から北側に侵入した形跡があるということで警戒態勢は解除されたとのことでした。一本の国境線を隔てただけの防衛体制は、現実的には厳しい状況が続くのでした。
中越地震での避難所の様子が連日、テレビで報道されている。被害が甚大であるために救援物資の配給システムがうまく稼動していないようだ。不公平感が感じられる報道内容だった。公的な組織が指定した避難所が配給の優先先となるのだろう。保守地盤の強い地域だったので、行政も、そんな風潮の中で中央政府に陳情すれば、他地域に比べると補助金が湯水の如く投下されていた。山間部の奥まで舗装された道路が出来ており、食料の輸送も日々配送されるシステムとなっていた。かつては、ある程度の食料の備蓄が余儀なくされていた時代とは違った。そのために一気に道路網が寸断されたので避難生活も難しくなったのだろうか。それにしても避難所を利用している人数が、10万人を超えたとのことだが、政府が食料調達できる数は2万食とか3万食とかの数字が新聞に出ていた。例えば10万人が三食(朝・昼・晩)食べるとしたら単純計算では30万食が必要となるが、差を考えると被災者は1日1食しか食べることができないのかな。また暖めるシステムが稼動していないために「暖かい食べ物」ってのが、なかなか避難所に供給されるないのでした。
公的な施設に避難している方以外に車両に寝泊りしている被災者もいらっしゃるとのことだ。これも新聞で指摘されていたが、エコノミー症候群によって血液循環が阻害されて亡くなる事例が起きているとのことだ。まして未曾有の大災害に見舞われ精神的なストレスが講じているが、避難所で配給される水も少ないために脱水症状を呈しています。人体の成分の中で水分が不足すると血液がドロドロ状態になりやすい。もし血液のドロドロ状態が続けば、生活習慣病を患っている方にとっては、辛い状態になることが容易に伺える。血液がドロドロになれば血管内での流動性が悪くなり栓塞を起こしやすくなっているのでした。車にのった姿勢で長時間いるわけです。ワンボックスカーみたいに手足が真っ直ぐに伸ばすことができれば血液循環は大丈夫とは思うのですが、座った姿勢では、流通の悪い血管があれば詰まってしまう可能性もあるということです。最近旅客機に乗った際に、「エコノミー症候群を防ぐには」って記事がありました。ついつい読んでしまった。血液ドロドロは、身体的には悪いのは理解している、自分も同じかなぁ。
自分は下戸のために新潟で製造されている日本酒については、まったく判らない、「久保田」は醸造蔵にある一升瓶が全壊したために瓶詰めができないのかな。その他の日本酒は大丈夫とのことでした。長岡・小千谷・十日町等に救援物資の集積所を作って、区分け作業をして発送するシステムが作れないのかな。もし可能であればクロネコヤマトや佐川急便等の物流専門家が仕事を請け負って集配システムを構築したほうが被災者にとっては有益ではないのかな。輸送手段は、最終的に自衛隊のヘリコプターが担当するってことはできないのかな。テレビ中継で見え隠れしているのは、行政の縦割りの弊害が出ているようにも見えるのでした。
電気が日常生活に深く浸透している現代社会、台風での停電だけでも生活が困ることが多々あるのですが、広い地域での災害での停電となると復旧活動に長い時間がかかります。余りにも電気が身近になり過ぎているために一瞬の暗闇でも不安になってしまうのでした。自分はタバコを止めたので、ライターやマッチ類がポケットや机から消えてしまったのでした。地震が発生してから3日目が過ぎ、4日目を迎えるのでした。



2004年10月25日

 新潟では、まだまだ余震が続いている。本日は本格的に雨が降り始めているのでした。震災が発生して本格的な救援組織が立ち上がるまでの3日間は、各自で確保することが原則って言われているが、被災者が余りにも多いために救援物資が、全員に行き渡ることがないとのことだ。食事は1日一食ということもあるとのことだ。山間部では、被災者全員を長岡市にヘリコプターでピストン搬送したとのことだ。倒壊した建物が多過ぎるのと道路が土砂崩れで崩壊したために交通手段も確保できないとのこと。全員の離村となったとのこと。ある程度の私権の停止処置が発動されたのだろうか。私権は、日本国憲法でも認められている、どこに住むことも制限を受けないということだが、大災害が発生して現状を回復するまで居住地の制限となるのでした。これまでは三宅島の火山噴火で全島避難という処置があった。山古志村、かつて幼稚園生くらいかな父母に連れられて闘牛を見に行った記憶が微かですがあるのでした。高齢者と過疎地帯ということで完全に復旧するまで対応するのだろうか。結局は、3日間分の水・食料・情報は、各自で確保ということになるのでした。
台風24号は、もののみごとにUターンで東シナ海を横切って来るのでした。比較的水温が低くなったのだろうか、台風は衰退気味になっているのでした。時速20km/hとなっているのでした。暴風圏は狭いが、まだ台風の名称がついているのでした。明日のお昼くらいに沖縄本島周辺を奄美大島方面に進んで行くことになるのでした。強風だけで通過して欲しいのでした。
本日は、ワクワクのダイビングを行ったというか、見学をさせてもらった。私の知人のインストラクターが主催しているダイビングサービスのお客様で筋ジストロフィを煩っている方の潜りがあるというので参加してきた。腰に10kgのウエイトベルトを巻くというので、今日は村田が持っているウエイトベスト(散弾銃の鉛の粒:6kg)を用意した。またドライスーツの首と手首のラテックスシールをチョキチョキ切るために外科用の鋏を持参したのです。前回はウエットスーツにて潜ったとのことですが、体温低下を訴えたので、ドライスーツでのダイビングとなったのでした。昨日は10kgのウエイトベルトを巻いて潜ったのですが、ウネリが高かったために水面での器材装着で手間取り波酔い気味となった。首のシールがきついと言うことでストランギュレーションを起こしたようだ。で、装備をちょっとだけ替えて潜ろうっということで、本日は再チャレンジということになった。
港にてスーツの首と手首を慎重に切って、装着、調整、また切断の繰り返しだった。ジャストサイズに合わせた。ポイントに到着して、エントリー、筋ジストロフィーのためにフィンは使わない。移動と圧平衡はインストラクターが対応することで潜った。後ろのステップに降りて水面にて器材装着。ドライスーツ内の空気を抜くが、全部抜ききることが難しかったようだ。上半身はウエイトベストを装着したので、若干空気は押さえられたと思う。左腕の排気弁を作動させるがうまく作動できなかった。入水前だったので首筋からアシスタントに指を一本入れるように指示して若干排気させた。何とか潜降できた。インストラクターがタンクバルブを保持しながら、移動、圧平衡はインストラクターがマスクを押さえてのバルサルバ法でした。マスクは通称ブタマスクでマスククリアーも簡単に対応することができるのでした。
筋ジストロフィーのために筋力が低下しているのでフィンキックすることができなかった。そのために最初から最後までインストラクターがサポートする方法で潜った。久しぶりに興味津々のダイビングでした。お客様は楽しんで潜ることができてニコニコ顔で下船された。ウエイトベストを装着することで腰にかかる負担を軽減できたかな。ダイビング専用船だったので大人ひとりを寝かせるスペースが確保できたこと。風が冷たくなっているために風除けもあったのが幸いしたかな。彼が日常生活で使っている車イス、完全に電動式となっているために操作性は容易だった。指先でほんの軽くジョイスティックを動かすことで操作できた。
新潟の地震の震源地。川あり、山あり、緑あり、河岸段丘等、非常に風光明媚な地域ですが、土砂崩れで完全に崩壊している姿をテレビ中継にて確認できた。化石掘りに通った妙見も大きく崩壊して信濃川に土砂が崩れていた。太古のロマンを求めた丘陵地帯、それが今回の地震で倒壊した。200年ぶりとも言われているが、化石では何万年単位での地震を記憶しているのだろう。昔の記憶が、また一つ蘇って来たのでした。



2004年10月24日

 気象庁は昨日起きた地震を「04年新潟県中越地震」と命名した。一説によると震度7とのことだ。地震により発生した加速度は阪神淡路大地震の倍のガルを観測したとのことでした。これまでの地震での加速度については、今回の小千谷市では1500ガル、阪神大震災では818ガル、阪神大震災を大きく上回った。また昨年7月の宮城県北部地震で気象庁が観測した2037・1ガルに次ぐ強さとのことでした。新聞によると、この加速度については、以下のように定義されているのでした。「加速度は一定の時間ごとに速度が変化する割合で、地震の揺れの激しさを示す指標の1つ。止まっている車を10秒間で時速360キロ・メートルまで加速するのが1000ガル。」とのことだ。震源地が10km程度と浅いために、その衝撃は強烈なのでした。
救助活動にヘリコプターが多数動員されている。自衛隊・海上保安庁・警察・消防・防災等が偵察、救助、搬送に当たっている。航空管制は、どうなっているのだろうか。国土交通省の管制が行われているのだろうか、それとも各機体が有視界飛行で飛んでいるのだろうか。航空管制を含めた陸空の全体的な統制は、誰が管理しているのだろうか。各組織が単独で飛ばしているのだろうか。それともある程度の管轄の割り振りがあるのだろうか。まだ晴天が続いているので飛び易いとは思うが、そろそろ天候が崩れる始める。また陸路が土砂崩れで交通遮断となっている地域の殆どが山間部となっているからだ。航空機の二重事故がないことを願っています。
まだまだ余震が続く中、救助活動と復旧活動が行われるのでした。避難生活を送っている被災者への食事と防寒対策、行政も機能麻痺を起こしているのだろうか。うまく機能していないようにもテレビ中継から伺えるのでした。市町村単位での被災者対策よりも県単位での総合的な被災者対策を講ずるようにすべきではないか。それぞれの地域での被災者に救援物資を届けるのは、市町村となるようにすべきかな。物流では民間業者が、その機能を最大限に生かして対応を取ることも考えたらすごいと思うのでした。もうじき雪が降る地域も出てくる季節ですので、大丈夫かな。大規模な山崩れが起きている山間部では、この冬の本格的な雪シーズン前までに復旧工事が終了することはないが、どこまで復旧工事が施されるのだろうか。
新潟の山間部での大地震だったので、津波の問題は考える必要がないのでした。この中越地震くらいの規模の大震災が沖縄で発生したら、どんな結末を迎えることになるのだろう。今年は台風の接近と襲来が過去最高を記録しています。沖縄本島を含めて沖縄県は離島県であるために大量の食料品については船便になります。今年のように台風が多いと日常生活物資を海上輸送しようとしても船が欠航することになります。3日とか4日も続くと、それぞれの島では備蓄にも限界があるために食糧不足となってしまうのでした。生鮮食料品を航空機で運ぶとなるとコストが割高になるために緊急事態でなければ航空機での輸送はないのでした。季節によっては島民よりも観光客の数が多いなんてこともあるのでした。
例えば西表島では、石垣島からの日帰り観光客の数が2000名くらいとなる場合、島での宿泊施設もないのでした。沖縄本島より600km離れ、1500mの滑走路が石垣島にあるだけ。そのために大規模は災害が発生した場合は、観光客の方の処遇を考えなければならないのでした。何とかして石垣島に送り届ける必要があるのでした。季節によっては、露天で眠ることが余儀なくされるが、毒蛇の問題もあるために野外では無理があります。また蚊の問題もあります。
震源地は海底となるために、大きな津波が発生する可能性が大。地震発生直後に津波の発生が予測されているために高台への避難となるのですが、大量の観光客を迅速に高台に誘導することは可能なのだろうか。地元民の避難も大変なことになる。今年のように台風が多いために船便が3日とか4日とか欠航になっているために大規模災害が発生した場合の対応は、難しいと思うのでした。沖縄本島にあるヘリコプター(米軍も含む)にも限りがあり、全てが長距離の海上飛行が可能かというと厳しいものがある。大きな病院設備があるのは沖縄本島、久米島。宮古島、石垣島だけで、それ以外は診療所対応となる。しかし大きな重症例となると近隣の大病院に海上保安庁や自衛隊機による急患搬送となるのでした。それすら危うくなるのでした。ってことは最悪のシナリオが起きることは考えないようにするしかないのだろうか。現在、沖縄県は観光客の誘致に必死になっています。年間500万人を越える観光客の誘致となっている。防災対策は、どうなっているのだろうか。心配になってきます。これまでの明和の大津波、チリ地震津波での被害を沖縄周辺では受けているが、現在までにしっかりと危機管理として伝承されているとは限らないのでした。台風24号が西に動いているが、それがもしかしてUターンするかもしれない状況でもあるのでした。世界の中での大地震の発生の20%が日本国とのことでした。



2004年10月23日

 ビッグニュースだった。自分の生まれ育った長岡にてどでかい地震が発生した。自分は偶然にも東京に居た。それも地上51階の高層ビルの中でした。そろそろ退席の準備を始めたら、大きく揺れているのでした。大きな巡視船に乗っているときの揺れに似ていた。エレベーターが運行停止となった。別室にてエレベーターが回復するまで待機していたが、またもや大きな揺れを感じた。六本木ヒルズでは、東京映画祭の真っ最中、沖縄に戻ってインターネットで見たら小泉首相もいたとのことでした。揺れに揺れたぁ。
最初は携帯もつながっており、沖縄本島に連絡して地震状況を確認した。震源地が新潟の長岡とか小千谷ということも教えてもらった。地震の発生した午後6時くらいは夕食の準備の時間帯。大きな火災も発生していないようだ。航空会社にも連絡して搭乗便の変更をお願いした。この直後から携帯電話が交信規制がかかったようで、辛うじてパケット通信が可能だったが、午後7時15分くらいからはパケット通信も厳しかった。超高層ビルの問題点、地上に降りることができないのでした。一瞬、あぁこのままダメかなって思ってしまった。
すでに夕暮れとなり、真っ暗な中でも情報収集。首都圏に近いためにテレビ局も積極的に情報収集、即放送していた。羽田空港にてテレビを見ることができた。被害状況は徐々に明らかになってきているが、最終的には朝を迎えて明るくなってからの調査となるのでした。長岡市や小千谷市周辺の集落名が出てくるとかつて遊んだ記憶が蘇ってくるのでした。30年や40年前の記憶だ。山岳地帯の集落では、電話や無線が通じなくなっているとのことでした。
震度6弱とか5強、5弱等が連続して発生している。新潟平野ではトンネルは少ないが、群馬県境から長岡まではトンネルの連続だ。上越新幹線が、新幹線史上初めて走行中に地震に遭遇し、脱線したとのことでした。10両編成中8両が脱線したが奇跡的にもケガ人ゼロとのことだ。未知の活断層が動いたのだろう。この地震の予兆はなかった。ただ、午後から六本木ビルズの超高層ビルに入った際に、地震がなければいいのだがぁって思ってしまった。まさか本ちゃんになるとは思わなかった。そんな心積もりがあったのだろうかパニック症候群として心拍数の上昇もなかった。長岡・小千谷・湯沢にかけての地域で、想像を絶する地殻変動が起きた。
柏崎には東京電力所有の原子力発電所があるが、大丈夫だったのだろう。10月も末になるので、朝晩の冷え込みは厳しくなります。余震が震度5とか4とか続いているために避難所に集合している。寝具の備蓄が少ないので、毛布を持参して欲しいとのことでした。停電が続いているために暖房って訳にはいかない。地域によっては石油ストーブを出してあれば使えるとは思う。夕食の前くらいだったので、その後夕食を食べたのかな。
羽田空港では、一時的に滑走路が閉鎖され、成田空港に着陸した機体もあったようだ。余りにも地震の揺れが大きかったので、滑走路が閉鎖され点検したとのことだ。自分が空港についた時点では、離着陸は通常通りとなっていた。かなり広い範囲での地震を感じた。最初は関東大震災かなって一瞬脳裏を霞めたが、沖縄の知人に確認したら新潟での地震だったことが判明した。ライフライン(電気、通信、水道)が、それなりに厳しい状況とのこと。大都市部では都市ガスのラインが、至るところで損傷しているとのことだ。ただ各家庭のガスメーターには、地震を感知するとガス供給が止まる装置が組み込まれているのでした。都市ガスが供給されていない地域ではプロパンガスを使っている。時間が経過するとともに地震による被害者の数が増えて来ている。山岳地帯では道路が崩壊したり、トンネルも一部崩壊している可能性があるために自衛隊機による夜間偵察での情報が欲しい。でも夜間に情報収集するシステムがなかったりして。長野や群馬、福島等の県境の山岳地帯での被害は拡大するだろうな。
NHKが終日、地震情報を伝えてくれているので助かります。自衛隊や消防、警察も救助隊を組織して続々と新潟に向かっているが、至るところでの道路が崩壊しているので、車両の搬入ができないでいるようだ。とくに山間部への偵察隊も徒歩での強行軍となりそうとのことでした。航空機(回転翼)の有効利用だが、夜間になっているために機動力は上手く活用できていなく、明るくなってからの偵察活動となるとのことでした。
沖縄への最終便のJTA59便も結局離陸したのは、予定時刻の30分遅れだった。午後9時過ぎだった。午後11時20分に着陸した。ボーイング737型機のために機内ではラジオ放送を聞くことができなかった。ジャンボジェットでは、ラジオ放送を聞くことは出来るのでした。



2004年10月22日

 なかなか自分の人生が定まらない。人は自分の未来に対して、こうありたいと理想像を掲げ、それに向かって前進していくことになるのだろう。ついつい自分の日常生活が、忙しさにかまけてしまう。ときには惰性で人生を送っているのではないかと思うこともあるのでした。巷では、5年後とか10年後の人生設計をすべきだとの指示書的な本が氾濫している。またビジネス系の雑誌でも同様に取り上げられている。人それぞれの生き方については、人生が終焉を迎える頃に判るのだろう。今の時代は先が読めないって風潮となるために占いが大流行となっているのだろう。テレビも同じだ。人生の羅針盤は、結局は自分自身でコントロールするしかないのでした。
富山湾での海王丸の救助活動については、海上保安庁のヘリコプターと特殊救難隊が出動しての救助活動だったようだ。海王丸は帆船で帆柱が高く林立している中に救難隊員を降下させなければならなかった。どのように降下させるかなって見ていたのですが、マストの途中に降下して、それから帆柱を降りていった。骨折した乗組員をエバックハーネスを使って機内に揚収した。風の影響なのだろうか、被救助者がヘリコプターに揚収されるまでゆっくりではありますが、振り子のように揺れていました。港の外側だったので、すぐに地上に待機していた救急車に引き継いで病院へと搬送された。マストについては折ってから救助活動を行うのかって思っていたのですが、そのままで救助活動が行われた。負傷していない乗組員は、岸壁と船の間に渡したロープによって救助活動となった。
 その他地域の洪水で孤立した方々は海上保安庁や海上自衛隊のヘリコプターにて救助されたとの情報でした。今回のように強風圏が広大で、長くそして強く吹き付ける風の中での救助活動には限界があるのでした。自動販売器に攀じ登ったり、電柱に攀じ登ってヘリコプターに揚収された人もいたのでした。今回もバスの運転手さんから会社に携帯電話にて第一報が入って救助活動が立ち上げられたとのことでした。早い段階での救助連絡をしたことがバスの天上に避難していた37名の方の救助につながったのだろう。連絡手段がなかったら朝になってから救助体制を立ち上げることになったのだろう。四国や中国地方では、大規模な土砂崩れが発生したり、洪水となっていた。四国の太平洋岸では、巨大な寄せ波となって打ち寄せたのでした。国土交通省が測定した波の高さは17mくらいの巨大に発達したとのことでした。17mの寄せ波って想像しただけでも凄い。
1970年代以降は気象的に安定した時期だったのだろう。それが30年くらい安定期というか小康状態だったのかもしれないですね。気象的に安定した時期を経験しているので、今年の気象変動(?)の脅威を、もっと恐ろしい地球規模での気象変動と関連したのかなって不安に感じるのでした。地球規模となると身動きすらままならなくなるかもしれないのでした。現在は地球温暖化の傾向が強くなり、海水も暖かくなっているのでした。本州近海では平均水温が1℃くらい高くなっているとのことです。海流に変化を生ずることもあるし、そこに生息するサカナの種類や獲れる季節も違ってくるのでした。
たまたま自分が生まれたのは昭和27年(1952年)だが、昭和20年代や30年代は大きな台風が襲来して大規模な被害をもたらした。戦争が終わった直後で防災って観点は、日常生活を取り戻すだけに費やされたので概念はなかったのだろう。また気象観測にも限界があり、台風が近くになってから予報となったのではないか。昭和40年代くらいからは気象的にも安定期になったのか。自分が小学生の時期に経験した信濃川が決壊するかもしれないという記憶はかすかに残っているのでした。でも、大事にはならずに済んだのでした。今年の7月の越後平野、三条市での洪水騒動は驚きました。
仕事面では、完全にお手上げ状態だ。お客様の予約に対しては、台風の襲来の可能性がある旨を伝えます。例年ですと9月末くらいまでの対応なのだが、今年は10月末いや11月も台風襲来が、沖縄方面で考えなければならないのでした。9月末くらいでは、沖縄寄りよりも本州方面に進んで行くのが当たり前だったのですが、今年の台風の動きは変なのでした。これまでの気象の常識が通じないのでした。完全にお手上げ状態なのでした。こんな調子が11月や12月も続くようだとお手上げ状態では済まされなくなるのでした。
相変わらず北寄りの風となっているのでした。今度は台風24号の進路が、またまた沖縄方面にばっちりと向いているのでした。さあ困った。明日くらいから影響が出てくるのだろう。



2004年10月21日

 台風23号では、NHKが総力を上げて台風の中継を行った。通常番組を延期してまで台風の状況を全国各地の定点カメラや取材カメラ等で中継していた。台風は進行方向の右側が勢力的には強くなっているので太平洋岸では前回の22号の被害が仮復旧の状態だったために、大きな被害を蒙っているのでした。それにしても、高潮の破壊力は凄いものがある。改めて自然の脅威を再認識せざるを得ない台風なのでした。
昨日、日中にラジオでクラシックを聞こうとスイッチONとしたが、スピーカーからは麻生総務大臣のだみ声が聞こえてきたではありませんか。一瞬、チャンネルを間違ったかな。あれぇえって、理由が判りました。NHKのテレビとラジオ第一放送は、終日台風情報の伝達ということで国会中継は、ラジオのFM放送となったのでした。あぁ唯一の楽しみまで台風に奪われたのでした。それにしても国会中継、小泉最終政権がお大臣様たちの珍問答も唖然としていた。聞いていても馬鹿じゃないのぉって感じになるのでした。彼らにノーを叩きつけるためには、選挙に参加して政権をひっくり返すしかないのだろう。これまでのような投票率が低い状態が当たり前ってのは避けなければならないのだ。法相の失言というか、チンプンカンプンな問答、そんな方が法の番人の頂点に立っていると思うと愕然だ。もしかして、訳判らない状態で刑の執行書類に署名捺印をしてしまうのだろう。失言癖と切れ易い幹事長の対応も総理大臣の任命したのは、ある方が言っていた小泉個人商店の人事だった。首相の責任となるのでした。税金の無駄遣いなのでした。
太平洋を隔てた巨大な国の大統領も時々発音が不明瞭になってしまう癖が抜けないのでした。11月2日が選挙というが、運命共同体の日本なので一緒に何が起こるのだろうか。ここ沖縄では国からの補助金で県政を運営してきたが、三位一体の改革というお題目のために大幅に補助金が削減されるのでした。沖縄県自体が倒産してしまう可能性が高いのだ。こうなれば国の管理下となり米軍基地は、そのままであり辺野古や中城湾の埋め立ては国の継続事業として継続され、そのためにだけお金が捻出されることになるのでした。政治の不安から沖縄の現実も垣間見ることができるように感じるのでした。
台風話題で失礼します。それは大きな木が風の影響で倒れる映像や倒れた映像が映し出されます。よく見ると木の根っこが思ったほど、しっかりと根が張っていないのでした。大きな木の割には、根っこが貧弱に見えるのでした。沖縄では、急遽植えた木が倒れたのではないかってくらい貧弱な根っこなのでした。都市部での樹木については市町村が管理しているのでなんとも言えないが、根の成長が遅くなっているのでしょうかね。大自然の中の樹木は、ど真ん中の幹が折れるが、根っこからポロリと行くのは、余りみたことがないのでした。ただ見た目だけの樹木として、とりあえず差してあるのでしょうかね。もしかして子どもたちが木に攀じ登ることはご法度なのだろう。子どもの遊び場としての樹木も、見るだけなのだろう。素足で攀じ登ることがないから足が偏平足になるのかな。重量オーバーの村田は、足の裏にも負担がかかり偏平足になったのだろうか。素足で歩くとペタペタと音がしてしまうのでした。おまけに足の指の間が狭いのでした。
何十億、何百億円もの大金をかけて作った海岸線の護岸が、ものの見事に激しく叩きつける波浪の影響によって倒壊している。完全に倒壊しなくても防波堤を越えて内側に叩きつける波浪の影響も、凄いのでした。一瞬にして家屋を叩き壊してしまい、それまでの平凡な生活を破壊して行くのでした。それぞれの家族の思い出の品物が無残にも壊れてしまうのでした。護岸の設計上の性能を超える強い波浪が打ち寄せて来たのだろうか。まさか今回のような波浪が打ち寄せて来る事は想定外だったのかな。
現状ではテレビ中継が伝える被害は陸上だけは見ることができますが、護岸が崩れた海岸の水中は、もっと凄い状態になっているのではないかと想像してしまうのでした。大雨で流された物体は、大量に海に流れ込んでしまうのでした。浮力のあるものは海面に浮いていますが、浮力がマイナスだったら、そのまま沈んでしまうのでした。時間が立ってから岸に打ち寄せられることになるのだろう。様々な生活ゴミの処理、法律では裁くことができないために一括処理となるのだろう。それともしっかりと二次的に集積して分別するのだろうか。沖縄では、まだ海が荒れたままなので、生活ゴミの一部が海岸線に打ち寄せられているが、多くは海中を漂っているだけなのでした。



2004年10月20日

 何とか停電だけは免れたようだ。知人の電話では、10月19日の午前9時過ぎから停電に見舞われたとのことでした。秘密基地ではとりあえずセーフでした。午後6時半過ぎに車で外出したら、58号線沿いの山側では、午前零時過ぎみたいな暗さになっているのでした。おまけに行き交う車もめっきりと少なかった。滅多にダイビングの問い合わせがないのに、昨日に限って「明日は潜りたいのですが、大丈夫でしょうか」って問い合わせがありました。一瞬目が点にではなく、耳が凍りついた。無理ですとだけお答えしました。悪戯電話だったのかな。台風が過ぎ去るとすぐに潜れると錯覚しているのだろうか。まあ今回の台風は沖縄本島の東海岸ギリギリか、沿岸沿いを移動して行ったのかな。そのために秘密基地では大きな被害はなかったのでした。東シナ海沿いに移動されたら、停電騒ぎで大変だったと思います。あとは24号の行方が心配だぁ。
今回の台風では、風は強かったが恩納村では、それほどの大雨でもなかった。本島や離島では台風対策のために陸揚げしていた漁船まで深刻な被害を及ぼしているのでした。阿嘉島では防波堤が決壊したために陸揚げした船に波が打ち寄せての被害となったようだ。本来、防波堤って外洋の波の影響を和らげる働きをするが、防波堤自体が決壊したのでした。防災対策を根本から考え直す必要があるのだろう。あとは防波堤が簡単に決壊した理由を知りたいのでした。想定外の強い力の波が打ち寄せたためなのだろうか。陸地が少ない阿嘉島ですが、大丈夫なのだろうか。高潮で生活の場に海水が流れ込んでは来ないのだろうか。離島生活者にとっては不安材料が増大するだけだ。また港湾工事というか修理の工事となると海洋汚濁の問題も出てくるのでした。
ナイトダイビングでのオニヒトデ駆除を計画しているのですが、ずっと台風の影響で駆除作業に出ることができないでいるのでした。すでに1ヶ月くらい海が荒れた状態が続いているのでした。これまでは昼間の駆除を行っていたのですが、サンゴの奥底に潜んでいることが多く、最悪の場合にオニヒトデを駆除する際にサンゴを傷つける可能性があるのでした。夜間になるとオニヒトデの活動が活発になるのでした。そのためにサンゴの奥底から湧き出て来る感じでサンゴの表面に沢山群がるのでした。そこを一挙に片付けようとしています。このときは船上に採捕するのではなく、水中で破砕して駆除する方法を選択しています。諸外国で行われているような水中薬殺については海上保安庁の許可が出ないために、剪定バサミでの破砕駆除となるのでした。
我々がオニヒトデ駆除に使おうと考えている薬剤は、食品添加物としても認証されている水質安定剤です。オニヒトデの体内に注入して浸透圧を変えることで生命活動をシャットアウトしちゃうという考えです。以前に水産関係の沖縄県庁職員に打診した際に、ダメって頭ごなしに否定された。「ホルマリンを使うのだろう」って、ただ水中で薬殺したいと聞いたのが悪かったのだろう。「食品添加物であり、水質安定剤を使う」と訂正しましたが、ダメだと思うとのことでした。前例がないからダメなのだろうか。
水中生物の駆除作業については、様々な条件があって厳しいことばかりだ。また有毒生物の駆除になるために駆除者自身が傷害を受けることが多いのでした。とくにオニヒトデは、体表面を覆う棘には、顕微鏡的なサイズで確認しても毒液が注入できる注射針みたいな溝や穴がないのですが、体内に毒液が注入されるのでした。刺された傷跡は、炎症が酷くなり、場合によっては化膿したり、腫れたりと手がグローブくらいのサイズにまで大きくなることもあるのでした。一度でも刺されたことがある方は、傷の痛みや腫れたりが長い期間続くのでした。自分も刺された経験があるために、傷が治るまでの間の苦痛は十分に理解しています。
オニヒトデについては、二回目に刺されると恐ろしいアナフィラキシーショックに陥る危険性が高くなります。身近で3例の危険な症例に発展した事例を知っています。二例はオニヒトデ駆除を行っている際に起きています。残りの一例は、オニヒトデの研究者の方が実験水槽の中で受傷しています。どの場合も、二度目の受傷直後の10分とか20分くらいで呼吸器系がおかしくなっています。4年くらい前までは、単なる噂でしかなかったのですが、オニヒトデ駆除回数が多くなってくると噂が噂でなくなったのでした。受傷部位については、大半が指を刺してしまうことが多いのでした。それも利き腕を刺されるために、とりあえず腫れが引くまでの期間は日常生活にも支障を来たすこともあるのでした。あまり腫れが酷い場合は、神経や血管が圧迫されることもあるので、専門医の診断を受けることが重要です。顕微鏡サイズでも棘が体内に残っている場合は外科的な手術にて完全に取らなければならないのでした。
台風で海が荒れていますが、食欲旺盛なオニヒトデはサンゴを食べているのでした。サンゴの食害にて自然の防波堤で守られている沖縄周辺ですが、台風の影響で港湾施設が壊れるなんてニュースが舞い込んでくるのでした。あとは24号の動きが心配だぁ。



2004年10月19日

 雨風が強くなってきた。沖縄本島近海に接近しているが速度が10kmとスピードが落ちた。もしかして方向変換するために遅くなっているのだろう。本州上空で吹いている偏西風は強く吹いているとのことだ。沖縄本島を直撃して、そのまま北上して九州方面に上陸するのだろうか。日本列島をスッポリと被うくらい大きな台風23号。真夏の台風と違って海水温が25℃くらいと、ちょっと冷たくなっているので台風の勢力を弱める働きがあるのだろうか。午前9時沖縄本島全域が暴風雨圏内に入った。
昨日、航空会社の運行状況を確認していてびっくり、JAL1918便東京(16:00発)那覇行きは天候関係で福岡空港に着陸したとのこと。30分遅れで東京を出発した1922便(16:30発)は那覇空港まで飛んだとの記録が残っていた。あれぇ、30分違いで大番狂わせとなった。福岡空港で降ろされたお客様の、その後については判らない。もしかして夕方の福岡発の那覇行きJTA929便福岡(18:55発)に接続させたかな。でも使用機体はJTAボーイング737型機で定員が120人くらいだから、機体を交換して出発したかな。1918便で使用された機体は、ボーイング777−300型、1922便はボーイング777−200型となっている。機体的には大きな違いはないかな。操縦室は機長と副機長、航空機関士の三名となっているはず。条件的には一緒に見えるのだが。何故なんだろう。
また昨日は、すでに沖縄方面への航空機の乗り入れは欠航便が出ていた。本日は、第一便から航空各社とも欠航が決まっているのでした。昨日も修学旅行生が大挙来ていますが、今日は観光地巡りとなるのだろうか。沖縄本島のモノレール、路線バスは終日運休が決定。公立学校は休校、恩納村役場はお休みとなった。役場関係では、路線バスが運休になるとお休みになるのでした。スーパーは一部お休みとなったとの情報。ジャスコは営業するとのことだった。昨晩遅く食料の買出しに出た。野菜類・惣菜関係は陳列棚から姿を消していた。ラーメンをどっさりと買い込んでいた方々が多かった。もう少し早い時間帯に買出しに行くべきでした。深夜零時過ぎでは遅かった。トホホ・・・。それでも二軒回って、何とかキムチ鍋の材料は確保できた。車が揺れたぁ。風のお陰でした。
台風が来ることが判っていても旅行日程が決まっているからとお客様は沖縄にやってくるのでした。以前にダイビング関係の共済組合を作った方がいました。その共済の目玉は沖縄にて台風の遭遇した場合の旅行代金をカバーしましょうって趣旨がありましたが、今年のように台風が連発して発生すると払い戻し金額が多くなっていると思われる。共済関係としては破産する可能性があるように思えるのでした。本土でも災害に伴う損害保険関係の支払いが膨大になっているとも聞いています。台風1個で何十億円とか何百億円もの被害となる。保険で対応するしか自己防衛策はないのでした。まあ本日と明日も航空機の運行が危ぶまれる。でも、本日、チェックアウトする方々は、飛行機が欠航が決まっているので、本日の宿泊先を探さなければならないのでした。宿泊よりは明日には飛ぶであろう航空機の席を確保するために那覇空港に寝泊りしてキャンセル待ちの整理券を貰うしか方法がないのでした。空港ロビーでの待機を覚悟して空港に向かうのだろう。ご苦労様です。
 既に何回も独り言に登場していますが、お天気情報を確認する方法で、台風情報で那覇の南南西100kmにある台風○△号ってアナウンサーが説明してもピンとこないのでした。そのためにこのホームページをhttp://tenki.or.jp/クリックして、その表紙にある「レーダー」って書かれた項目をクリックしてください。北海道地方、東北地方、関東・中部地方、近畿・中国・四国地方、九州地方、沖縄地方と6分割された画像が表示されます。私は沖縄本島で生活していますので、沖縄地方をクリックして拡大画面にします。雨雲と台風特有の反時計周りの雲の動きを映し出してくれます。それにアメダスデータの風向・風速をクリックして沖縄方面を見るのでした。視覚的に台風と自分の位置関係が明確になるのでした。インターネットの恩恵ですね。ただ現在、停電になっていないのが幸いしています。是非皆様のお気に入りに追加してください。
もう台風の襲来にはウンザリです。ただただ自然の脅威に驚愕しながら台風対策をしてじっとしているしか対処法がないのでした。秘密基地に強い東寄りの風が当たっています。南東、南、西、そして北風となるのだろう。秘密基地は南風に弱いのでした。



2004年10月18日

 どうも台風23号は沖縄本島直撃コースに進路が定まったようだ。台風の進行速度が遅くならないように願うのみです。ただただじっとして台風が過ぎるのを待つのみです。後続の24号は、どのような動きをするのだろうか。二連発の台風だけはご勘弁願いたいのでした。金武湾の中の東海岸でも大きな波が打ち寄せていた。また底揺れが強いために浅場は、これまでに海底に堆積していた土砂が舞い上がり、水中視界ゼロの様相を呈していた。前兼久漁港では、船の台風対策をばっちりと行った。やはり予報が沖縄本島直撃ということもあり、今回は早めの台風対策であり、しっかりと固定されました。久しぶりの台風直撃なので緊張しています。
これまでの台風ではなんとか無事に乗り切ってきた秘密基地だが、さすがに久しぶりの台風直撃では心配だ。窓枠のアルミサッシの間から、それも下と上の両方が吹き込んでくるのでした。恒久的な対処法については、全てのアルミサッシの窓枠を交換するしかないのだ。まあガラスはちょっと厚めになっているので少しは安心していますが、風で巻き上げられた木片でもガラスに当たらないか心配だ。これまではたまたまラッキーだったに過ぎなかったかもしれないのでした。透明なビニールテープでも貼って補強するかなとも考えています。あとはアルミサッシと木枠の間には新聞紙を詰め込むしかないのでした。
台風での怖いのは、直撃中の停電だ。電化製品に囲まれた生活となっているので、電気が使えないのは辛いのでした。10月とはいえ外気温は、25℃前後となっているので閉め切ったままでは室内の温度もグーンと上がってしまうのでした。窓を開ければ、暴風雨の洗礼を受けることになるのでした。また玄関のドアでも同じことがあります。迂闊にも開け閉めしようものなら、勢いよくドアが開いてしまい、閉めるのに苦労します。場合によっては、ドアの開け閉めで指を挟んで骨折したり、骨折は免れたが裂傷を負ったなんてことはザラにあるのでした。知人で人差し指の爪をダメにした方もいらっしゃいます。たまたま診療所が開いていたので治療してもらい傷口が化膿することなく直った。停電の中でのドアの開け閉めは注意してください。停電が復旧するまでの時間が永遠に思えることもあります。汗ダラダラでも、じっとしていなければならないのでした。冷蔵庫、とくに冷凍庫については、やあらめったら開け閉めができないのでした。冷気が逃げることで冷凍食品が、どんどん劣化してしまうのでした。一旦解凍してしまったものを再冷凍することは味がダメになるのでした。そんなのを当たりまえかぁ。そのために台風中は、冷凍庫にあるものから食べていかないとダメなのでした。でも、停電となると加熱することができないので、自然解凍して加熱しなくても食べられるような食材でないと難しいのでした。お手軽に携帯ガスコンロを使えばと思うのですが、密室状態では一酸化炭素中毒の危険性が高くなるのでした。
マンションや最近の一般家屋などでは、空調がクーラーだったり、換気扇であったり、ガス調理器やお風呂については、換気装置が使える状態になっていないとガスが点火することができない設計になっているのでした。食事の煮炊きすらままならなくなるのでした。マンション形式だと密室状態というか密閉状態になるために生活している方にとっては非常に生活が制限されることになるのでした。まあ秘密基地は完全密閉状態にはなっていないので、どこからか風が抜けていくのでした。
沖縄本島の那覇市内の様子をリアルタイムで見てみたいという方は、次の沖縄タイムスのホームページの表紙、その表紙の左側に「ライブカメラ」って項目がありますので、そこをクリックしてください。再度、沖縄タイムス提供のライブカメラは、http://www.okinawatimes.co.jp/index.html
をクリックしてください。実際に各自が確認したい方向も指定できますので、お楽しみください。琉球新報もありましたが、お試し中のようで恩納村にて接続を試みたのですが、接続することができませんでした。
最後になりましたが、オリジナルフィンの件。MSサイズが完売となりました。ありがとうございました。XL(残り10本)・L(残り5本)・M(残り9本)です。是非ともご検討ください。これからはドライスーツの季節となりましたが、ブーツ式のフィンでも十分に使えますので、是非とも一度お試しあれ。



2004年10月17日

 申し訳ないのですが、またもや台風話題です。台風23号は沖縄本島目指して北上する構えとなりました。週末ではなく週のど真ん中、またもや経済的には大打撃となりそうだ。そのあとに発生した24号の動きも気になるところだ。北東の風が10m以上の強さで吹いているのでした。気象学的に考えれば明日からは東風なのだろうか。9月の最終週からずっと北寄りの風ばかりだ。リーフアウトできていないのでした。おまけに水温が一挙に24℃となってしまった。ガイドさんもフードを被り始めているのでした。お客様は船上ではブルブルと本格的な震えとなっているのでした。スタッフは鼻水を垂らしているのでした。
昨日の原子力発電の研究問題の報道については、本日は話題にもならなかった。沖縄では原子力発電はできないと思っているだけなのかな。沖縄県内に安定して電力を供給することを使命にしている沖縄電力ですので、最終的には原発を作ることも真剣に考える時期が来ることもあり得るのだ。火力発電所では石炭が使われているが、やがて石炭から天然ガスに転換しなければならない。天然ガスも無尽蔵とは限らない。また諸外国からの輸入に頼ることになっている。突然、供給国にて政変でも起きて、日本への天然ガスの供給はしないぞってことになった場合、土下座して謝って、何とか供給してもらうのだろうか。天然ガスではないが、日本独自で大陸棚に埋まっているメタンハイドレイトでも掘り起こして、天然ガスの代わりにするしかないかな。
沖縄近海では中国が、当初は経済的排他水域にて海底油田の採掘リグを作っていたが、今度は挑発的なこととして日本の領海近くでの開発も始まったとのことだ。その海底油田は石油ではなく、どうも天然ガスとのことだ。中国大陸でも急速な工業化にともなって電力の安定供給が課題となっているようだ。一般家庭でも停電が続くことは、さすがに一党独裁の国であっても国民の不満が増大することになる。不満が増大すると政権を維持することは難しくなる。そのために石炭から天然ガスでの火力発電の燃料として大気汚染を少なくする必要もあるのでした。
沖縄での電力維持を、どのようにするか。次世代のことも考えて結論を出さなければならないのでした。理想的な燃料としてのメタンハイドレイトを工業的に利用できるように安全に掘り出すことができる技術の確立は、まだ為されていない。大陸棚での開発となるとジムスーツだと300mくらいまでは大気圧潜水ができる。誰かが、現場に潜り込んで作業をすることになるのだろうか。仮説だが、バミューダトライアングルでの航空機や船舶の大量行方不明事件は、このメタンハイドレイトが一気に気化したためともされているのでした。その爆発に巻き込まれたって説もあるのでした。東シナ海での海底資源が豊富とされているが、日本はどれだけ調査活動をしているのだろうか。以外に沖縄周辺には資源が沢山眠っているようだ。もしかして宝の海だったりね。
現在の電力事情、これから将来の電力需要も予測しなければならない。あとは無駄なことがないような配慮。天然のエネルギーを転換することができないかな。風・波・潮汐・潮流・太陽・地熱・太陽の電磁波等を変換して電気エネルギーに替えて貯蔵して使えないかな。
新しい外務大臣が足早に沖縄の問題点(辺野古・普天間基地・ヘリコプター墜落現場)を視察した。その際に報道陣のマイクに米軍の墜落ヘリコプターのパイロットの技量が良かった旨の発言が、ばっちりと聞き取れた。マスコミは一斉に報道。本日の新聞にも同じような論調で書かれていたが、その後外務大臣さんは前言を訂正したとの報道もあった。まあその前に官房長官が外務大臣の無神経な発言は、口を慎むようにと注意喚起をしたばかりだ。舌禍ですまされるのだろうか。
いよいよ沖縄でも奇数日と偶数日によって乗れる車のナンバーで識別とか、那覇市内には車一台に一人だけの乗車は進入禁止とか、思い切った交通政策を発動しなれければならないかもしれないですね。で違反者はビシビシ検挙ってことになるかな。公共交通機関を最優先にするような施策も必要かもね。大気汚染の問題も含まれますが、沖縄本島での大渋滞は、東京以上の混雑ってことだ。渋滞による経済的な損失をエネルギーに変換すると膨大な量になるはず。時間的にも金銭的にもロスを少なくするように行動できるかな。電気がない生活に逆戻りってことは考えれない。台風時の停電で、いやというほどに電気のありがたさを経験しているだけに電気ない生活は考えられないのでした。あぁあ台風23号が接近中なのでした。雨が降り始めているのでした。さあ困った。大ピンチなのだぁ。逆さにされても鼻血しかでない。ポケットは空っぽなのでした。



2004年10月16日

 沖縄にも原子力発電所を検討って記事が、朝刊の一面に出ていた。ある新聞社は一面トップに持ってきた。沖縄電力の社長へのインタビュー記事だった。現在の沖縄での電力発電については石炭を燃料にしているとのことだ。石炭を燃料にしていると排出される二酸化炭素の量も膨大となりそうだ。でも二酸化炭素の排出についてはフィルターを通して少しでも排出量を制御しているとのことだ。ただ石炭なので限界があります。次世代の燃料としては天然ガスの導入となりそうだ。石川市にある沖縄電力の火力発電所は金武湾に伸びた専用バースがあります。沖合いに停泊した石炭運搬船からベルトコンベアーに載って陸地に送られるのを見ることができます。火力発電所からモクモクと黒煙が吐き出されている訳でもないが、二酸化炭素が確実に排出されているのでした。
かつて東京で生活していた時期は、東京電力が天然ガスに転換したのは覚えているのでした。あとは原子力発電も積極的に取り入れていた。電気のスイッチをONにする際、この電気は天然ガスで発電された電力か、原子力で発電されたものかは理解できない。でも、確実に議論しなければならない事柄だ。道路を走るだけで気になる排気ガスの問題等も考えるとごく一部の知識人だけで話合うってのは無駄かなって。海を埋め立てることで土地が広くなる、あるいは米軍基地を移設しちゃえ。サンゴ礁を埋め立てることによるマイナス要因としてサンゴが代謝する二酸化炭素を吸収して酸素を放出する光合成のシステムがダメになってしまうのだ。また本州では車が排気するガスを規制したり、排ガス規制をクリアーできない車両は運行停止となっている。ここ沖縄では、本州で走れない車が堂々と黒煙を撒き散らしながら走っている。環境破壊を嘆く前に身の回りの、何か変だぞを再考する必要があるのではないだろうか。
日本での原子力発電については、二酸化炭素を排出しないクリーンエネルギーとの定義付けになっています。でも、密室での原子力行政を行ってきたツケが大きくなっているのでした。適正な情報開示をしてこなかったツケ。嘘の情報を沢山開示してきたツケ。原子炉および原子力発電所内での工事や清掃作業での被爆者なしと突っぱねてきたツケ。原子力関係では労働災害はゼロ、だから安全だぁ。実は下請けや孫受けでは相当な被爆事故にあっている事実を強権を発動して隠蔽した手法だ。
ドイツでは原子力発電を封印して他の代替エネルギーに転換する方向を国民に提案、国民も納得している。沖縄での将来に向けての発電については、どうなんだろう。一部では風を利用した風力発電、ラ・マンチャがドンキホーテとなって突っ込んで行くかもしれないね。大きな風車を使っている。日本アルプスでは、ヘリコプターのテールローターを風車代わりにして風力発電を行っているのでした。昔、西表島では某大学が波の力か潮汐を利用した発電装置の実験を行ったことがある。残るは太陽光発電となるかな。年々太陽電池の性能が向上して光から電気への転換率は50%以上を記録しているものもあるようだ。沖縄で有力な発電については、風力と太陽光と思う。行政も積極的に技術革新を促して欲しいものでした。まあ自分等も環境に宜しくないことを辞めにすることを真剣に考えないとダメですね。
もし沖縄に原子力発電所を作るとなると、どこに作るのだろうか。まあ今回は、あくまでも原子力発電についての研究を行っているとのことだ。原発を作る際の注意点としては、人口密集地帯ではなく過疎地域かな。大量の海水が必要。核燃料を安全に運搬するシステムと港湾施設、広大な土地等が必要になる。北部につくるのかな。大きな港を作る場所はないかな。もしかすると中城湾口の埋立地にでも誘致するのだろうか。原発の上を航空機が通るルートがないとか、様々な用件が必要なようだ。
外務大臣がやってきた。全然事前のレクチャーを受けていなかったのだろう。十分あぶない発言が続いたようだ。ノー天気なおじさんがやってきただけのことだ。政府は普天間を辺野古に移すだけしか考えていないことが判明した。民間地域に米軍機が墜落しても操縦がうまいから大丈夫なのだろう。と堂々と報道陣の前で、ついぺロッてしまったようだ。あくまでも米軍基地は沖縄限定という発想もあるのだろうか。となると小泉末期政権としては、沖縄から米軍の本土への移駐は、あくまでもリップサービスだったのだろうか。沖縄の人も政治家の一言では、動かなくなっていることは事実だ。台風23号の動き・・・・・。



2004年10月15日

 もう10月も半ばとなりました。この半月は何をしていたのだろうか。あぁあタメ息混じりの吐息が漏れてしまうのでした。久しぶりの沖縄県内でのマグネチュード6.6の地震の情報に接した。前兼久漁港にて午後のダイビングの準備をするために車を止めた。車のラジオからは那覇市内にあるラジオのスタジオが揺れたとの第一報。しばらくすると気象庁から情報として与那国島近海が震源地とのことだった。津波警報は出なかった。深度が90kmと深かったのが幸いしたようだ。もし震源地がもっと浅かったら、とんでない被害が出ていたと予想される。台風の襲来だぁ。地震だぁ。火山噴火だぁって災害頻発の日本列島だったのでした。台風23号の速度が遅くなっているのが心配だ。発達しているのでした。このまま西に進むのか、それともそろそろ北上するために進路を変えるのだろうか。明日くらいには明確になって欲しいのでした。心の準備を整えたい。
今回、たまたま車に居てラジオ放送を聞いていたので与那国で起きた地震の情報をキャッチできた。沖縄ではラジオの混信が著しい。地域によってはAM放送では、中国語やハングル語等の電波と被って聞き取り難くなっている。中国大陸では電波の出力を高く設定しているのだろう。離島ではAM放送は一切聞くことが出来ない場所が沢山ありました。そのためにFM電波に切り替わった地域もあります。俗にいう難聴地域解消の動きで整備された。災害発生時の情報伝達としては有効になりつつあります。自分の住む恩納村の前兼久では防災無線としてスピーカーが設置されて災害情報を伝えくれるのでした。今回の与那国での地震情報は、ありませんでした。
あとは海に出ている際に情報が、どのように伝わるか。幸いにも自分が乗合で使っているアキさんはラジオ放送を流したままにしてくれるのでした。これは助かります。とりあえず、ラジオにて災害情報があった場合、自分等が水中に居る場合は、エンジンを回して空ぶかしして教えてくれることになっています。自船のエンジンは、アンカーリングしてからエンジンを止めます。それが潜っている最中にエンジン音が聞こえた場合は、何らかの緊急リコールサインとなっています。また乗合船なので自分のグループが大丈夫でも、他のグループでトラブルが発生した場合でも同じように対応することになっています。ただ他の船が行き交うポイントでは、聞き取りにくい場合もあるのでした。
和船の場合、エンジンは船外機なので、この手は使えません。それでは何をするか。ステンレス製のステップをウエイト玉で叩いたり、カナヅチで叩くことで知らせます。重いですが、タンクをロープで吊るして水中に先端を浸けてカナヅチで叩きます。廃棄処分したタンクの底を切って釣鐘状にして叩くことも考えれます。ちょっとお金のある方は、水中スピーカーを水中に吊るして音声で知らせることができます。ただこれはお金がかかりますので、公的救助機関が装備するだけかな。民間では、余程のお金持ちでなければ装備は出来ないのでした。
かつて伊豆半島で潜りこんでいた時期は、大地震とそれに伴う津波の脅威を感じながら潜っていました。また実際に、海岸線で大地震に見舞われたこともあります。帰路は135号線に亀裂が至るところにありました。また崖から岩や土砂が道路に転がっており、それらを交わしながら戻って来こともあります。また、水中でも地震の地鳴りを聞いたこともあります。伊豆大島の火山噴火を見ながら、水中で地鳴りを聞きながら対岸で潜っていたこともあります。伊東市近郊で群発地震が発生していた時期は、反対側の土肥で潜っていました。同じ伊豆半島だったのですが、伊東市の群発地震で揺れまくっていたが土肥では全然揺れも感じなかったのでした。群発地震では、西表島でも経験したことがありました。震源地は西表島と鳩間島の近くでした。当時、東京大学の地震研究所の研究者が何人も泊まっていた。当時は電話事情はよくなかったのでフロント脇にある公衆電話を使っていた。研究者が電話している際は、じっと聞き耳を立てていたことを思い出した。震度3クラスはざらだった。余りにも震源地の近いというよりも震源地の前くらいだったので地震の際は、揺れよりも先に地鳴りの音が先にあった。寝ていても地鳴りの音が聞こえると身構えていた。それから揺れが来るという感じでした。
まあ本日の与那国島近海での地震、震源地が深くて助かった。これが深度が10kmとか20kmとか浅かったら、とんでもなく大きな被害が発生し、大津波が発生していたかもしれないのでした。災害は忘れた頃にやってくる。忘れないようにしなければ。



2004年10月14日

 空気中の水分がドンドン低下していく。本日は湿度が50%を切った。ありがたいのは洗濯物がよく乾くことだ。これはありがたい。ただ北風が強いために海より海水の飛沫が一緒に飛んでくるのでした。車には、すぐに塩気がこびりついてしまうのでした。北風は一段と強くなっているのでした。あぁ台風23号が西に進路を向けている予報になった。またもや週末から週明けにかけて台風襲来となりそうだ。
本日、58号線を走る機会があったので、対向車を観察していたのですが、結構携帯電話をかけながら運転している車に出会いました。大型車両の運転手さんは左手で携帯電話を耳にあて、右手でハンドル操作、どうしても運転している姿勢は身を乗り出しているのでした。軽乗用車で男性の場合は、左耳に電話をあてがい上半身をやや左に傾けて運転する傾向がありました。女性は身体は真っ直ぐにしたまま視線は真っ直ぐは向いていないように見えるのでした。すれ違い様にチラリと眺めて運転していました。運転中の携帯電話が当たり前になっている現実、警察官が現認した時だけ検挙するというのは、効果はなさそうに思えるのでした。あまり警察官の姿を見ることがない沖縄では、どうなんだろう。
あなたは電話をかける際に、どちら側に受話器を持っていきますか。右側ですか、それとも左側ですか。これは右の脳で聞く姿勢と左の脳で聞く場合では、会話を記憶することができるのかの違いがあるそうだ。真剣な話をする場合は、右耳に受話器を充てることだと言われています。左側では記憶に残ることはなく、一過性に忘れてしまうのだというのでした。左脳とか右脳とかの刺戟の問題だ。ということは左側で受話器を握っているのは、その時にどんなことがあっても会話しなければならない内容ではないかもしれない。痴話話の類かもしれないですね。交差点の中で携帯電話で会話していた車にはねられて亡くなった方の無念さ。あなたは右耳で聞きますか、それとも左耳で聞いていますか。
運転中の携帯電話よりも車検切れの車両の摘発が優先されるのではないか。昨日、58号線の前兼久漁港の入り口にて検問所を作って車検切れ車両の摘発だった。「車検切れの車の運転はダメよ。」って広報があります。テレビやラジオにて車検を受けるようにとの広告だ。広告まで行うってことは深刻な問題となっている。車検切れについては、自賠責保険が未加入となり、自動車税は未納となるのでした。税金を払うってことは苦手なのだろうか。最近の車は、そんなに故障することは珍しくなった。そのためについついうっかりと忘れてしまうのだろうか。自分が本州で車を保有していた時期は定期的に車検ですよって手紙が送られてきました。沖縄の車屋さんは顧客管理をしていないのだろうか。
またもや愚痴になりそうだ。パレットの交差点でのお話。スクランブル交差点での出来事。それは50代のスラリとした身なりの男性が犬を連れて横断歩道を県庁側からおきなわ屋さん側に歩いて来ました。当然、連れの犬には首輪がつけられ、紐で繋がれて一緒に歩いていた。おぅしっかりと犬を管理しているなぁって車窓から眺めていました。ところがです。横断歩道を渡り切った途端、くだんの男性は、こともあろうか犬の首輪に手をかけて、紐を外してしまったのです。あとは犬は一人歩きとなったのでした。放し飼い状態で人ごみの中を歩いて行きました。ペットの放し飼いはご法度のはずだが、何で人ごみにて放し飼いにするのだろうか。放し飼いが捨てられたペットか判らないが、目撃する例が多くなりました。一部では野犬化して場合によっては危険な犬のいるのだろうって思うのでした。
国会が始まったが、首相の所信表明演説については拍手がないのでした。政権末期の状態かな。パリーグのプレーオフが終わり西武の逆転優勝で幕引きだった。覇者になる予定だったダイエーが敗れてしまった。相前後して経営母体のダイバーグループの総帥が産業再生機構の軍門に下った。その翌日には西武の堤社長が西武グループの経営から引退を宣言、それと同時に株取引の不祥事も表面化。日本での大きな経営母体だったダイエーや西武もコケテしまうのだろうか。国会演説も滑稽な学芸会の演劇を見ているようで頼りないのでした。何十億円もの経費がかかっている国会運営ですが、中身が乏しい茶番劇の連続だ。それを中継しているNHKも会長の解任が取り沙汰されている。俗にエビジョンイルってあだ名されている。時代を風刺した傑作な話題と思った。2004年の流行語大賞の「エビジョンイル」も選ばれても良いのではないかと思った。さあ明日くらいから台風23号の影響が強くなってきそうだ。頭痛い。



2004年10月13日

 連日の北寄りの風、空気は異常に乾燥している。湿度は60%を切っている。さわやかな空気を吸おうって深呼吸するとダンプカーの爆音と排気ガスの匂いだ。建設業界不況だぁって言われる割にダンプカーが土砂や石灰石、鉄くずを積んで疾走している。場所によっては信号はあってなきが如くで疾走して行くのでした。何でも無敵なハザードランプを点滅させて交差点を突き抜けて行くのでした。
あぁぁ第二弾、マリアナ諸島にて台風23号が発生した。進路予想では週末にかけて沖縄近海に接近する可能性が高くなりました。まな板の上のうなぎ、いや鯉状態だ。どうにでもしてくれぇ状態だ。現時点では勢力は大きくないが、今後の予想では950ヘクトパスカルくらいまでに発達しそうだ。風速が40〜50mくらいまでは吹くことになりそうだ。ただ沖縄周辺から本州方面に進行方向が向くのは九州か、四国か、紀伊半島なのか、また本州に台風の被害を蒙ることになるのでした。台風22号の直撃で大きな被害を蒙っている地域は、当分の間緊張状態が続くのでした。
運転中の携帯電話が処罰の対象になることになった。携帯電話の普及が著しい中、いつでも、どこでも通話できるということ。それに追加してメール機能、ラジオ機能、テレビ機能、カメラ機能等まで様々な機能が手の平サイズにコンパクト化された。ますます生活にはなくてはならない携帯電話。でも車を運転していて困ることは、運転が定かでなくなることや事故が多発しているのは事実だ。
最近は、運転中の電話は当たり前、ツワモノにあるとメールを読んだり、中にはメールを打ち込んでいる方も。車だけでなくバイクを運転中に右手はハンドル、左手で携帯を耳に当てて話ながらノロノロ運転。それも大型バイク、足元はスポーツサンダルって格好。ダンプカーでも、携帯片手に運転しているのは当たり前になっている。だから交差点に差し掛かっても止まるってことをしないでハザードランプを点滅させて突っ込んで行くのだろうか。あとは電話に集中して蛇行運転やノロノロ運転となるのでした。でも、警察は運転中の携帯電話は交通違反になりますよって広報活動を開始したようだが、どこまで浸透しているのだろうか。電話をかけるのは個人の勝手だからと主張するかもしれないね。運転中の携帯電話は当たり前、どこが悪いのかぁって開き直る。着信しているのに出ないのは失礼になると出てしまうのかな。手を使わなくてイヤーフォンを使っていれば大丈夫ってのも、「アレェ」です。会話に集中して運転が疎かになるのが判っているのに。何か釈然としない規制のようにも思うのでした。
生活に便利なものが開発されるのは喜ばしいが、しかしその使う場面を間違うと危ないことになるのでした。携帯電話の究極のサイズは腕時計くらいのサイズが理想なのだが、あとは電力を供給するシステムが問題なのでした。初期の携帯電話に比べるとバッテリーのサイズは小さくなりました。人間自体をバッテリーには使えないのだろうか。生物バッテリーって難しいのかな。自分の人差し指は太いので誤って隣のボタンを押してしまう可能性があるのでした。
イヤーフォンとマイクは、どうするかって。そんなの簡単だぁ。例えば、人差し指がイヤーフォン替り、そして親指がマイク替りってのは、どうだろうか。時計から細いケーブルが伸びてイヤーフォンとマイクになるのです。面倒臭いかな。サーファーさんだったら、親指がイヤーフォンに人差し指がマイクかな。かつて鉛筆の2本分か3本分くらいの太さの携帯電話が製造販売されたこともあった。当時の村田の携帯電話は、羊羹一本分くらいの大きさで、でかく、そして重いのが当たり前だったのでした。別名トランシーバーって言われていた。
今は沖縄のスーパーでは、お惣菜コーナーではサンマ、各種サンマの料理のオンパレードだ。炭火焼、竜田揚げ、梅肉とオオバを巻いた揚げ物、生サンマ、骨抜きの開き、サンマのお寿司とか様々だ。炭火焼と梅肉とオオバを巻いた揚げ物は、買って食べました。美味しかった。大根おろしにレモン汁と醤油、あるいはポン酢をかけて食した。生サンマを買って焼けばいいのだが、匂いが篭るのもイヤなのでした。調理済みを買ってしまうのでした。生サンマの骨抜き、売り場の裏方が、丁寧にサンマを開いて一本づつ骨を抜いているのだろうね。国民的な水産資源なのだが、体験ダイビングで使っている冷凍サンマと同じものでした。陳列棚には、その他にスギ、カツオ、マグロ、シャケ、イカ、タコ、エビ、ホタテ等のお刺身がありました。海産物の原産国を確認すると中国やベトナムがありました。ホタテの剥き身の冷凍品は、多くが中国産と表示されていた。北海道産ばかりと思っていたが、とんでもなかった。天高く馬肥ゆる秋なのでした。



2004年10月12日

 ますます北風が強さを増して来ている。あぁぁどうなっているんだぁ。昨年も10月は北風の影響で、随分泣かされたが、今年は昨年以上に厳しい状況が続くのでした。いつまで続くかな。またもや大東島近くに熱低が鎮座ましたままだ。台風に発達するのかな。ちょっと心配だぁ。10月は修学旅行の体験ダイビングが目白押し状態なのです。これが天候の関係で、できませんとなると引き受け元は相当苦しくなるのでした。それに、それらの仕事で生活を支えているフリーインストラクターやサービススタッフも苦境に陥るのでした。「風が吹けば桶屋が儲かる・・・」の江戸時代の戯言ではなく「風が吹けばダイビング屋は・・・・」とシャレにならない戯言というよりは実話になってしまうのでした。秘密基地の内部も、ちょっとだけ寒くなってきた。朝は21℃くらいかな。
8月に普天間基地所属のヘリコプターが墜落してからかな、恩納村上空を飛行する航空機が減ったように思うのでした。ただ思うだけかもしれないですね。早期警戒機や空中給油機、対潜哨戒機、ジェット戦闘機等の主力は何回か見ることがありますが、ヘリコプターはめっきり少なくなった。イラクに戦闘部隊が出撃したので、一緒にヘリコプターも居なくなったのだろう。嘉手納基地は空軍と海軍が併用している。北朝鮮情勢が不安定なのために弾道ミサイルを追尾できる特殊な航空機、それに胴体の背中に大きなお皿をつけた早期警戒機は、タッチアンドゴーを繰り返していた。C−130型の特殊作戦用の機体も飛び回っているのでした。沖縄の米軍基地の機能が、少しづつ変化しているのだろう。
昨晩のパリーグのプレイオフでは西武が優勝した。熱狂的なダイエーファンには、とんでもない事態になった。野球を面白くするためかもしれないが、ペナントレースを一年間頑張って一位をキープしていたダイエーが西武に3勝2敗で負けたのでした。ダイエーの本拠地の福岡では意気消沈したため息混じりの声が聞こえるようだ。でも、新垣投手の最後まで投げ抜いた心意気には脱帽。心中では勝たせてやりたかった。勝利の女神のサジ加減は、西武に傾いたのでした。きっと福岡の飲み屋さんでは「悔し涙の杯での乾杯が続いたかな」。ダイエー本体の行き先も不透明。産業再生機構の軍門に下るのか、それとも民間企業での企業再建となるか。この二週間くらいが山場となりそうだ。沖縄本島でもダイエー関連のスーパーがあるので、倒産で〜すっっていうのもシャレにならないのでした。できれば民間企業の力で再生して欲しいのでした。
国会が開幕した。郵政民営化がお題目のようだが、それよりも沖縄での米軍基地の問題が本格的な論戦でもお願いしたいが、基地撤去をうたっても次回の選挙では当選も覚束ないとなれば日和見的な投票行動となるのだろう。小泉首相は、国会開幕直前に沖縄問題を言及したが、これは小泉流の気を紛らわせるための言動なのだろうか。これまでも何回か首相クラスがリップサービスとして沖縄問題を話題に取り上げたが、結局は何の変化もない状態が続いているのでした。普天間基地の返還を華々しく話題にされた元首相は、政治献金騒動で「知らぬ存ぜぬ」を通している。もう沖縄で生活している人は騙されないゾって。
11月は那覇市長選挙だ。保革一騎打ちとなることが決定した。それに自民党から利敵行為をしたとのことで自民党の沖縄県連から除名処分を受けた元国会議員の動向が面白くさせるのでした。渡嘉敷村や座間味村の合併問題も再燃するのかな。保守が勝利すれば合併問題は白紙かな。保守が勝てば合併問題が決着するのかな。地域合併の問題も含んで、ますます複雑になって行くのでした。三位一体の改革が、地方にとっては補助金の削減となって現実となってきた。メインの地場産業に乏しい沖縄にとっては国からの補助金がばっさりと削減されるとなると大変なことになる。困ったことになるのでした。たかが那覇市長選挙ではありますが、やがて県知事の選挙へと波及することになります。
自分の書く独り言も台風と北風、海が荒れているのでダイビングが厳しい状況にあるってことの不満だらけになっている。何を考えても自然環境の中での仕事になるので、どうしても阻害する要因はってことで愚痴っぽくなるのでした。これも一種のストレス回避の技かな。フラストレーションが貯まっている現実、それをどのように回避するか。それとも回避ではなく解決する方法を考えなければなりません。人間独りで考える自問自答は、宜しくないと言われるが話し相手がキーボードだったりしてね。あぁイヤダァでした。



2004年10月11日

 皆さんお疲れして家路についているのだろうか。10月の連休はとうとう台風22号の置き土産の北風の影響をもろに受けてダイビングは散々でした。沖縄本島ではダイビングポイントを、どこにしようかと考えあぐねているのでした。ダイビングサービスの方々は相当苦労していました。明日からはちょっとだけ気が抜けるかな。本日は那覇空港への送りが多かったとのことでした。今回のようにずっと北風が吹き続けているのでした。とうとう二週間以上も続いているかな。結局、9月末の台風21号の接近からでした。いつまで続くのかな。もう10月は諦めムードです。
体育の日で休日だった。体育の日、これはハッピーマンデーとして余暇を楽しめるようにという議員立法で休日が増えることになったのかな。月曜日に講座を開講している大学関係者のお話では、他の曜日に比べると圧倒的にお休みになる機会が多いので授業を持っても年間の流れとして講座を開講しているとのこと。その分、教員も大変ですが、学生は目ざとく月曜日に開講する授業を率先して取っていたりして。自分流では頭の中では10月10日は東京オリンピックの開会式。その後は”体育の日”としての記念日だったのです。これは本土でのこと。沖縄では10月10日ってのは、昭和19年10月10日は那覇空襲の日なのでした。今年は60周年記念となった。若い人は「?」のようだ。昭和20年の沖縄本島への侵攻作戦の前哨戦としての空襲と偵察だったようだ。歴史の再認識というか、本当に何があったのかを改めて検証する必要がありそうだ。
この連休中にも深夜になるとバイクの爆走族が五月蝿かった。彼らも連休だからロングツーリングに出るのだろう。相変わらず秘密基地前の58号線では、アクセルをブルブル吹かしたり、絞ったりとわざと五月蝿くして走るのでした。58号線にテレビカメラと音声を拾うシステムを設置しないのかな。あぁ国道の管理は日本国のお仕事だ。でも道路を五月蝿く走り回っているバイクの取り締まりは石川署の管轄だぁ。高速の出口付近のサトウキビ畑に潜んでスピードガンにてスピード違反の取締りをしているが、それよりも58号線でスピード違反の取締りをすべきと思うのだが。そういえば和歌山でバイクを追跡していた白バイが道路の起伏でバランスを崩して転倒、バイクは滑ったまま子どもに当たったとの記事がありました。和歌山県警には、夜間でも暴走車両を追跡し検挙するバイク部隊があるとのこと。58号ではパトカーが一台暴走車両の後ろを追いかけているだけ。検挙する気持ちはないのだろう。抑止させるだけかな、しかしパトカーが居なくなれば、それまでだ。バイクでの暴走行為は、フラストレーションの”はけ口”なのだろうか。若者の不満の”はけ口”が暴走行為で消化できるのなら、それもひとつの方法なのかな。でも、地域住民を巻き込んでの騒音はご勘弁願いたい。
本日から紙切れ同然のボロボロスーツから6半ワンピースに切り替えた。ウエイトは1Kgから4kgに増えた。途端に腰に負担がかかるのが判った。6半ですので、スーツの浮力はそれなりの力があります。本来なら6kgとか5kgくらいの重さのウエイトベルトを用意すべきだが、とりあえず本日はお試し潜りとして4kgだった。上半身が浮き気味だった。ちょっと真面目にフィンキックのダウンキックをしていると脚が攣りそうな嫌な予感がした。とくに午後からの真栄田岬ブイでの荒れた海況でのゲストのエキジットを補助している際に顕著になった。危なかったが何とか大丈夫なままでエキジットできた。ホッとした。あぁ寝不足かな。それとも加齢現象での筋肉疲労かな。あとはトレーニング不足からかな。
クマさんは冬支度のために食べ物を探して人里に降りて大問題になっている。自分の冬モードでのダイビングでは、BCにしろ、レギレーターにしろ、スーツにしろ、フィンにしろ、ブーツにしろ、あれこれサイズ的に合わなくなるので、ジャストサイズを探すのに苦労するのでした。BCもあれこれサイズ調整を行うのですが、バックインフレーションパックタイプのBCで冬バージョンでのジャストサイズに出会うことが厳しいのでした。あれこれ騙し騙し使っていると身体に負担がかかることが判るのでした。フィンについては、自分で納得できる柔らかさのフィンができたので問題ないのでした。またブーツについても二重底でガレ場でも歩いて大丈夫なものが出来ました。あとはBCだけかな。あとスーツについてはウェットスーツだけでなくドライスーツも作ったので大丈夫かな。あとはドライスーツの下に着るインナースーツ、その保温性能を確認しなければならないのでした。浮力に余り影響の出ないインナースーツを探さねばならないのでした。



2004年10月10日

 連休中のど真ん中、連日の崎本部でのビーチダイビング、スタッフの顔にも疲労が出ている。普段と違う長距離の運転、砂まみれの器材、メンテナンス等。本日は、前兼久漁港からの出港できた。一説による船長よりもダイビングサービスが先に大きな船に潜水器材を積み込んで出発する準備を整えた。全てお膳立てが出来ている中、まあしょうがないかぁ。「でも途中の水路は揺れるからね」ってことで砂地ポイントとなったようだ。で、他の和船タイプも砂地に出港となったようだ。和船はリーフ内を移動になりますので、大きな船ほどの揺れはなかったようだ。ただ吹いている風が北風だったので潜り終わって港に戻るまでが寒かった。接岸と同時にトイレに飛び込んでいた。
本日は、技術問題解決の訓練場と化していた。揺れる船上、様々なグループが混在、足の踏み場が狭い中でのダイビング準備。考えただけでもゾッとではなく大爆笑の中での問題解決でした。一つ目はよくある、スクーバユニットを背負ってから後悔する羽目になるタンクバルブの開け忘れ。おっとその前にスクーバユニットを背負ったのにウエイトベルトをつけるのを忘れていた。さあ、後ろのステップに行き、エントリー準備だぁってフィンを装着。あれぇ背中のタンクが動いているぅではないかぁ。Sマークのタンクバックルは曲者だぁ。はいはい、ステップの上に座って、タンクの位置を確認してバックルを再固定。今度はバックルが締まるパッチンって音を確認してもらった。
タンクバルブについては、開けたか閉めたかを忘れることはよくあること。実は、本日の他のグループでもあったのを見た。最初に飛び込んだグループでもお一人の方はタンクバルブを閉めたままだった。何故かって、そのダイバーさんは必死に水面にてスクーバユニットを背負ったまま肩ごしにバルブを開ける動作をしてもがいているのでした。何とか開けることができたようで、そのままレギレーターをリカバリーして潜降していった。メインレギレーターを咥えて残圧計を確認しながら二回か三回、普通にレギレーター呼吸を行い、残圧計の針が動かないか、どうかを確認してください。多くは一回だけ呼吸して大丈夫だぁって。スクーバユニットを背負う直前にエアーの確認を取る習慣を忘れないように。一回の呼吸の問題点は、セカンドステージ内に残っている空気を吸ってしまうのでした。二回目も吸えるかもしれない。この状態でレギレーターを咥えてエントリー、潜降を開始したが途絶感しかないのでした。慌てて水面に飛び出してくるのでした。
あとはスクーバユニットを組み立てたあと、残圧の確認やレギレーターが正常に作動するかチェックしますが、その後、タンクバルブを閉めて、セカンドステージのパージボタンを押して中圧ホース内に残っている空気を抜くのでした。ファーストステージの内部のシート類に負担がかかるのでした。タンクバルブを閉めるが、パージしないままの場合もあります。これはスクーバユニットを背負う際にバルブが開いたままかなって錯覚する原因となるのでした。
次にSマークのバックルは女性にとっては手ごわいものです。ワンタッチでタンクをBCに固定できるシステムとしては画期的な存在だった。でも、女性の腕力では難しい場合があります。また厳冬期などは手がかじかんでいる場合も厳しいのでした。沖縄は暖かいから平気かぁ。でもアルミタンクとスチールタンクが混在している沖縄では、その都度バックルの位置を変えなければならない。その際に僅かな閉め具合の差が問題になるのでした。あとはタンク固定ベルトが濡れているか、乾燥したままかによっても違いがあるのでした。
自分が最後まで船上にいたので、それぞれのトラブルに対処することになった。まるでITCでの技術問題解決の実習となった。それも左右に揺れる中での対処となりました。ほっといて事故につながるのも嫌だから対応せずにはいられなかったのでした。
ムーンビーチ砂地ポイントが、船酔い続出するくらい揺れる海面だったのですが、真栄田岬では北風がバッチリと当たっているのにも関わらず米兵は潜っていたようだ。中の一人がマスクが外れて水面でバタバタしていたとのこと。でも何とかトラブルを回避して階段までたどり着いたとのことでした。まあ怖いもの知らずの米兵だった。荒れた海況でも潜るのかなぁ。海岸に監視員が居るわけでもないから自主的な判断となるのだろうが、本当に潜れる状況なのかってのを再考してもらいたいと思うのでした。10月の連休も明日で終わりだ。あと一日無事故であって欲しいのでした。



2004年10月09日

 自然の脅威のワンマンショー状態だ。沖縄では考えられない多元中継だ。基本的にはNHKが各地に設置しているお天気カメラを切り替えているのだろう。あとは手持ちカメラにて取材なのだ。民放では雨具、ヘルメット装備でのキャスターが風に煽られながら必死に現場から中継しているのでした。鉄道、バス、航空機が軒並み運休。交通機関の麻痺、停電が続いているのでした。大都市部では中小河川の氾濫での洪水により地下街・地下鉄は大丈夫なのだろうか。
静岡の伊東市内、港湾施設内を放映してたが、護岸にたくさんの船(漁船やプレジャーボート・ヨット等)が打ち上げられていた。最初は、何だろうって見ていたが、それらが船であると判った。もしかして台風の威力を侮っていたのではないか。台風対策としてロープで固定するが、その縛り方が甘かったかな。台風が上陸した伊豆半島の反対側に位置していたが、台風の進行方向の右側が風が強くなるのかな。外洋のウネリを遮断するはずの外側の堤防を越えて波が構内に入り込んで係留していたボートを弾き飛ばしたのかな。10トン未満のボートだけと思ったら、米海軍横須賀基地に係留されていた巡洋艦「ビンセント」(約9000トン)の係留ロープが台風の強風で切れ、港内を漂流したとのこと。約230メートル東に接岸していた揚陸指揮艦「コロナド」(約1万7000トン)に接触して止まったとのことでした。軍艦は、台風時は出港していると思ったが、違うのですね。ぶつかった時の音って凄かったのかな。それに衝撃はどうなんだろう。
沖縄では二週間以上も連続して台風21号から北風が吹き通し状態だ。おまけに天気もすぐれなく雨がパラパラと降っているのでした。地域によっては土砂降りってとこもあるのでした。海はリーフに寄せ波が打ち寄せて砕けている。リーフの切れ目は流れが激しくなっているのでした。何日も砂地ポイントに潜れていないために、ちょっと心配だ。水中地形が大幅に変化していなければと思うのでした。砂でサンゴが埋まったり、逆に埋まっていたサンゴが姿を現したり地形全体に変化が起きていないことを願うのみでした。
これで10月の体育の日を中心にした連休が終わります。気象に恵まれずの沖縄本島でした。先島方面はラッキーだったかな。沖縄本島では、ストーブリーグが始まった。例年よりも1ヶ月は早いように思う。例年になく台風の被害が表面化してきた。従業員を多数雇っている経営者は、辛いと思います。今年も多くのスタッフが退職している。次の仕事はって言うと”フリーインストラクター”を選ぶケースが圧倒的になっているのでした。退職の挨拶と同時に、今度フリーインストラクターで仕事をしますので、今後とも宜しくお願いしますとののことでした。FA宣言ではないが、フリー宣言となるのでした。
これは就労しているにも関わらず給与面での問題があるとのことだ。フリーインストラクターの相場ですが、仕事内容によっても違うと思うが、1日仕事か半日仕事かで金額に差が出ます。まあ相場で1万円から1万5千円ってとこです。お店のスタッフをしているよりも時間が自由になることと、スタッフとしての給与よりも日当を日々貰ったほうが、はるかに良いと判断するようだ。まあ待遇面での問題、ダイビング費用でのデフレで、1万円から8千円とかの他のお店よりもお安いですよってのキャッチコピーが氾濫。大人数を集めなければならないが、毎日たくさんのお客様が殺到することはないから、当然給与面では安い新人さんを雇うことになるのでした。ある日、1日の仕事を終えたフリーインストラクターがお金の入った封筒を発注元から頂く。中身が見えるとは思わないが、当然、お店のスタッフは、あぁ日銭がもらえるんだぁ。組織への帰属欲は、昔に比べると薄くなっているから、やっぱフリーインストラクターを選ぶことになるのでした。あとは何年仕事を続けることができるだろうか。
かつては潜水指導団体がフリーインストラクターの存在を認めず、必ずダイビングサービスに属するということでインストラクター資格を発行していたが、徐々にサービスに勤務しないで非常勤のスタッフが出て来た。当初は資格を停止していたが、インストラクター数を確保するためにフリーも認めざるを得なくなった。資格を厳しく制限すると潜水指導団体の死活問題にまで発展したのでした。そのために何でもありの世界となったのでした。フリー宣言盛んな沖縄本島でした。
さあ本格的な秋に突入。明日から、どんな天気になるのだろうか。秋晴れ。東京オリンピックのように晴天の10月10日であって欲しいのでした。



2004年10月08日

 台風22号は本州方面を目指して北上しています。沖縄本島では雨模様、気象レーダー画像を見る限りでは台風の外側の雨雲がばっちりとかかっているのでした。雨脚は強くなっています。風は北西から北風に変わりました。台風は本州の中部地方に上陸を目指すコースで進行しているのでした。本州の連休は台風連休となりそうだ。本当に週末を狙って、これでもか、これでもかって襲ってくる台風には困ったものだ。沖縄では台風の直撃は避けられたが北風がずっと吹き付けているので沖縄本島のダイビングサービスでは潜るポイントを探すのに一苦労しています。
台風の中心気圧は920ヘクトパスカル、最大風速は50m/sで、そのままの状態で上陸するのかな。沖縄では、台風接近となると緊張しますが、本州に生活していると接近する台風は衰退した勢力ってのが定番でしたが、今年はホットな状態で強烈な風と雨をもたらすのでした。洪水と土砂崩れの発生となるのでした。これまでの戦後59年の植林と、その後に倒壊した林野政策のつけが土砂崩れとなっているのでしょうかね。綺麗に整備された大きな河川での河川敷、本来は川の流れと土手に間に大量の水が流れても大丈夫なような遊水地の機能を有しているはずだが、実際は大水が流れてこないとでも想定して公園や運動場に造成されているのでした。天災は忘れた頃にやってくる。の教訓は生きているのでした。多くの台風による被害を補填する保険があるのですが、これだけ被害が続出すると損害保険の支払いも限界に達するのではないか。来年度からは損害保険の保険料が跳ね上がることになるのだろうか。日本だけでなくアメリカでもハリケーンの被害が甚大です。そう言えばロシアも京都議定書を承認することを決めたそうだ。この議定書を批准していないアメリカに、この異常気象による被害の損害賠償を請求するかな。地球の温暖化に苦労しているのに二酸化炭素排出世界一のアメリカが、何じゃかんじゃ言いながら批准していないのは、大問題なのでした。台風の被害に遭われた方々は、ブッシュ大統領を訴えるかな。それともアメリカ国籍を取得してアメリカ大統領の選出に絡むしかないのかな。
昨夜は暗視野装置を海上にて使いました。真っ暗闇でも波頭がひとつひとつ昼間のように見えるのでした。ただ画像自体は、薄い緑色ですが、これほどまでの性能とはびっくりした。村田は近眼・老眼・乱視の三拍子そろっていますが、メガネを外して頭に暗視野装置を固定するマウントを被ります。接眼レンズは左右ニ眼式、対物レンズは単眼となっています。電源は単三乾電池二本となっています。装着しても重さを感じさせない、まさに小型軽量なのでした。実戦で鍛えられた製品ってことですね。さてお値段は、今の自分には手が出ない金額だよとのこと。さすがに最新鋭の文明の利器。
願わくば、完全耐圧の暗視野装置があれば面白いと思うのだが、もっとお値段が高く、潜り終わった後の整備は大変だと思います。でも、マスクに密着ってことになるのかな。それとも水中マスク、そのもののに暗視野装置を組み込んで使うことになるのかな。電子部品に電気、それに海水と圧力って問題を解決しなければならないのでした。水中での屈折率の問題も考慮しなければならないのかな。非常に興味のある商品なのでした。軍事技術では、すでに開発済みで実戦で使われているのだろう。シールズでは当たり前の装備品となっているのかな。イスラエルの技術が凄いらしい。
フカヒレが庶民の口から、また遠くなりそうだ。フカヒレを食するのは日本と中国だけなのだろうか。新聞報道のよると、またもやサメ取引の規制拡大が提案された。ワシントン条約締結国会議で豪州などがサメを保護しましょうって。これでまたもや「フカヒレ」で日中に危機感が高まっているが、反対も数が少ないので苦戦が予想されています。先月、先島諸島では大規模なサメ狩りが行われた。沖縄のTV各局とも大々的に放送していました。沖縄で行われているサメ駆除は「有害動物除去事業」という名目であり、あくまでも漁業保護が目的なのです。人的な被害は対象外となっているとのこと。それは危険な海洋生物とされるが、「世界的に見てサメに関しては絶滅危惧種に指定されている」のでした。
フカヒレスープについては、味の素の「クノールふかひれスープ」おかずスープ4人分の袋を眺めています。原材料名には”うきみ”としてチンゲン菜・ふかひれ・しいたけ・食塩・ブドウ糖と印刷されているのでした。前兼久の共同売店にて購入したのですが、まだ食べておりません。コピー食品が多くあるけど目隠しして味わってみても区別がつくのかな。自分はつかないと思うのでした。4人分だから、何時チャレンジしてみるか悩むのでした。父と二人では量が多すぎるかな。



2004年10月07日

 台風22号が静かに接近して来ているのでした。風は北東ですが5〜6mくらいの強さで吹き始めています。沖縄本島直撃はなさそうだが、近くを通過するようだ。明日くらいからもっと強くなるかな。
本日は渡嘉敷島近くの前島付近にて夜間の漂流グッズ(光物)の見え方の検証会を行う予定でいました。でも、台風22号の接近と悪天候のために中止して、嘉手納漁港から読谷村の沖合いから北谷町砂辺の沖合いに海域を変更して行いました。現場海域は嘉手納空軍基地の海沿いで、着陸誘導灯を超えて宮城海岸まで移動しながら行いました。漂流ダイバーは読谷沖にアンカーリングしたブイ周辺で海面にて待機。水中ライト各種、ストロボライト各種、レーザーポインター、ケミカルライトそれに暗視野装置を使いました。目印のブイはレーダーリフレクター付きを2種類用意した。本番ではRS−4を2本、合計8発を打ち上げる予定でしたが、嘉手納空軍基地のエリアということで中止しました。
現場海域では横殴りの雨が降る中で行いました。読谷沖にアンカーを設置して漂流ダイバーを漂ってもらった。各自が様々なライトやフラッシュライト等を持ってもらった。GPSにて位置確認を行い、徐々に離れて、見えなくなる限界って、どれくらいかを測定しました。海面とボートの間は小型小電力無線にて行いました。防水方法は、まず無線機をスイッチON状態にして、ジップロックMサイズに入れて封をして、それを携帯電話の防水専用ケースに入れて使いました。この方法でも防水ケースに水滴が何個かついていた。でも無線交信には支障がなかった。
結論から約2km離れてもライト類は視認することができました。もっと詳細のデータは、安対協のホームページに掲載しますので、ご確認ください。水中ライトについてはメインライト(単一乾電池に換算して4本から8本くらいまでか専用バッテリーを使用している)については、電池容量が十分であればそれなりに遠くまで届くのでした。ただ水面近くで振るよりも水面より高く掲げて左右に振ると遠くから見て、その存在が判りました。レーザーポインターについては、今回は緑色のレーザー(もしかしてルビーではなくエメラルドかな)でしたが、遠くから視認もできた。あぁあ赤のレーザーポインターも一緒に実験に使えばよかったと反省した。ガイドダイバーとしては、最悪の状況を想定した装備を持つ必要があります。ライト類については日頃から持って潜る習慣をつけるべきかな。ダメなら、ミニライト(単三乾電池が4本くらいかな)を持ち歩くこと。それにストロボライトもお忘れないように。ただストロボライトについては当たり外れがあり、イザ使おうとした際に電池の性能が終わっていたとか、何故か点灯しなかったなんてことがあるのでした。
ライト類については、流されてからライトを点灯していては意味がない。自分等の近くにヘリコプターや固定翼の爆音が聞こえてから点灯して存在感をアピールすることを忘れないように。暗いからとじゃ水中ライトを点灯しようとしてイザというときに電池の性能の限界を超えた、つまりバッテリーがなくなったなんてことにならないように。ヘリコプターについては正面の機長と副機長が座っているが、彼らから見て正面になるように位置を維持して水中ライトを点灯することが有効だ。通り過ぎてから点灯しても航空機からは見えていないことが多いのでした。最後はRS−4(信号弾を発射できる機能付き、深度50m耐圧、4発発射することができる)を打ち上げるのみかな。これは次回のチャンスを見つけます。
2回目はストロボ類やライトを水面に浮かんでいるブイにつけて点灯し、漂流役のダイバーを船に上げてブイから徐々に離れて、どのように見えるかを経験してもらった。各自で今度自分なりにプラスにして欲しいのでした。如何に捜索勢力に自分の存在をアピールするか。光物があれば比較的容易に思えるが、意外に難しいことが判った。今回は読谷とか嘉手納とかの市街地の光、空には航空機が飛び交っていた。海面に浮かんでいるダイバーからは捜索船が見えにくいとの指摘もあった。捜索船を光物で飾っていると船上で監視していると暗い海面を見ても良く見えないという欠点があるのでした。
年々ダイビングスタッフの若年齢化している。経験不足って言われています。今回のような実践的な訓練を通して各自で工夫を行ってみること。それに対して老錬なガイドさんは適切なアドバイスをお願いしたい。あれもダメ、これもダメって結局、自分自身で考える能力が退行することになります。場合によっては金銭的な問題に当たるかもしれないのでした。夜間訓練を終わって、マクドナルドで最終的な打合せをして秘密基地に戻った。あぁ眠い。



2004年10月06日

 あぁ恨めしい台風。全然天気が好転する気配が見えないのだ。明日の夜に訓練を予定しているが、開催が相当難しいそうな天気だ。二年連続、海上保安庁との事故対策訓練が台風関連や天候悪化で中止になる例が多いのでした。次回のチャンスがあればなんですが、中国、台湾と国境が海洋のど真ん中にあるために他管区に比べて領海侵犯での警備事案が多いのも事実でした。そのために対民間との救助訓練や事故対策訓練等も含めると大変。尖閣諸島が有人島だったら、また条件が違っていたのだろう。国会を尖閣諸島に移したら、どうなんだろう。国会議員さんの送迎は、飛行艇(PS−1型かUS−1A型かな)となるのでした。下地島空港に東京との直行便を飛ばし議員さんの足を確保する。あとはインターネット中継で議事進行が見えるようにすれば問題解決かな。US−1Aの飛行艇が、那覇というか沖縄に配備されていないのは、何故だろうか。岩国だと瀬戸内海の海面を利用して離発着することができるか。でもUS−1Aは陸上基地にも着陸できるように車輪が装備されているはずです。かなり波高の高い海面でも着陸や離陸ができる性能を有しているはずだ。
飛行艇については、海上自衛隊しか装備していないが、海上保安庁の装備機体としても考えてもよいのではないだろうか。ヘリコプターはアメリカのベル社、シコルスキー社、あとはフランスのユーロコプターのスーパーピューマ、固定翼はYS−11が国産だけで他はアメリカ製が多いかな。回転翼も固定翼もすべて海に降りることはできない機体ばかりになりました。タービンエンジンを2基装備した中型ヘリコプターにて途中に飛行甲板を装備した巡視船を飛び石の如く点在させて燃料補給しながら急患搬送することになるのでした。洋上救急については、非常な危険性をはらんだ運用となっている。整備関係は丹念に行われているから安全運行が続いているかな。でも、長距離の場合は固定翼を先に進出させて目標物の船舶を特定して、回転翼が現場に到着、ホバリングしながらの揚収作業となるのでした。これとて気象状態に左右されるのでした。
海上自衛隊に新型のヘリコプター、シコルスキー社のH−60型のファミリー機体名(SHやUHとか)を延べで80機くらい装備するが、10機だけでも海上保安庁に回して欲しいのだ。先に会計検査院の調べで、日本海側に飛行基地を作り、そこに配備する機体が厚木基地にあるのは予算の無駄遣いなのかって指摘を受けてニュースがありましたが、勿体ないと思うのでした。ベル社で統一しているから大変と思うが、ベル212の解役が間近って聞いているので、配備されなく予算的に持て余している機体があればお役所の垣根を取り払って海上保安庁にリースするとか考えないのだろうか。
でも、機体に慣れるまでに時間が一年とか二年とかかかったり、取得する操縦免許が違うのであれば人員もリースするとかしないのだろうか。他省庁に出向ってこともあるのだろうか。ただ海上保安庁は警察組織。自衛隊は軍事組織の違いがあるのでした。立場の違いがあるのでした。ヘリコプターはプラモデルではないので、アッチの機体をコッチに置き直すなんてことは難しいのでした。
そうだ沖縄本島に新しい道路が出来るようだ。現在は、国道58号線が南北に沖縄本島を縦断しているが、慢性的な交通渋滞が発生している。それを緩和するために西海岸に沿って読谷から那覇まで海岸線を走る道路ができることが決定している。陸地から海岸に出ることができるのかって、それは高架スタイルにするのだろう。全て湾岸線が完成すると58号線の渋滞は緩和されるが、海を見るために海岸に出ると太陽が沈む光景を見ているとライトをつけて車がビューンと走って行くのでした。中には黒煙をモウモウと吐き出して走るダンプカーや大型貨物車が走り抜けて行くのだろうか。それとも乗用車だけの走行が許され、トラックやダンプカーは58号線を走るように規制するのだろうか。一説によると現在の沖縄本島の道路網は、沖縄本島を占領した米軍が予め決めていた道路計画が、そのまま継続したということだ。
先日から沖縄方面でも地震が続いています。沖縄本島近海だったり、宮古島近海だったり、本州では和歌山方面や茨城方面で地震が観測されている。天変地異の始まりかな。それともたまたまで、地中に溜まったエネルギーを地震だ放出することで、逆に大きな地震を誘発することがないのではと考えることもできるのではないか。一発だけの大きな地震よりも、小さな地震が続くのは、エネルギー放出と考えると気が少しは楽になります。沖縄の場合は、震源地が近い場合が多いので揺れよりも音が先に来る場合が多いように思うのでした。台風22号、どれだけ沖縄に影響を与えるのだろうか。ちょっとだけ心配だぁ。



2004年10月05日

 あぁぁ台風22号は迷走するかもよとの情報。どうしようもないですね。週末の連休を楽しみにしているお客様には、申し訳ないのでした。ただただ自然の脅威を受け入れるしかないのでした。行き先不明の迷走台風の怖さが蘇るのでした。自然の脅威と言えば、本州ではクマ騒動でテンヤワンヤ、これも里山が頻繁に接近した台風の暴風雨のために食料となる食べ物が不足したために里山から人里に降りて冬ごもりの食料調達。これも自然の脅威のお陰のようだ。のんびりと紅葉を眺めるという風情ではないのでした。今年は、里山では鈴の音がチリンチリンと聞こえてくるのでした。沖縄の里海は、オニヒトデの食害と栄養塩、水温上昇と人為的な破壊で里山以上に回復が厳しい状態になっていると思うのでした。
里海って九州大学の先生が提唱している言葉です。これまでは里山って言葉はパソコンの辞書にもありましたが、最初の文字変換を試みたら「差と生み」と出た。何回か変換キーを押して「里海」に落ち着いた。まあ一般的な言葉ではなかったのでした。沖縄周辺では、リーフ内やリーフの外でも20〜30mくらいまでは生物の生産性が高い水域だと考えることができるのでした。食物連鎖、つまり植物プランクトンがあり、次に動物プランクトンがあり、そしてそれらを捕食する動物が連鎖して行くのでした。現在のように、その食物連鎖が間引きされた状態ではなく、できるだけ間引きされた部分だけでも復活することができるように地上部分の環境整備が急務となるのでした。北海道や東北方面の漁協が実施している山の整備も沖縄でも必要となるのでした。
中国が東シナ海にて開発していた海底油田ですが、現場で直接採掘作業していた欧米の石油会社が突然の撤退宣言を出した。詳細は知らなかったが、中国の石油会社が作業をしていると思っていたのですが、欧米の企業が絡んでいたとは知らなかった。現在も東シナ海にある石油掘削井戸、継続的に石油の掘削をしないのであればダイビングポイントとして使えないのだろうか。経済的排他水域だから簡単に接近することはできないのか。無理に接近したら中国への領海侵犯で拘束されるのかな。石油問題ですが、ダイビング関係では車やボートの燃料代が、ジワジワと値上がりしているのでした。年末までに、まだ2回くらいは値上がりするだろうと予測しています。沖縄本島ではダイビング費用のダンピング合戦が盛んになり、2日間を潜ると価格差が6,000円も出る事態となりました。これですと燃料代が高騰するに従って、ダンピング合戦していると最後は燃料代を支払うことが出来なくなることも予想されているのでした。週末ごとの台風襲来、航空運賃の高騰、燃料代の高騰等、ダイビング界も正念場を迎えているのでした。
昨日はF−15戦闘機が空中接触して緊急着陸した。本日はKC−135空中給油機が緊急着陸した。また本日は、8月のCH−53型ヘリコプターが墜落した原因が公表された。その原因とは、ヘリコプターを整備した隊員がテールローターを固定するボルトを止めるピンを最後に取り付けるのを忘れたために起きた事故との結論が公表されました。テールローターってヘリコプターの後部にある回転翼です。このローターが外れるとヘリコプターはクルクルと回転して墜落となるのでした。初歩的なミスで墜落したことになるのでした。付け忘れた整備兵は懲戒処分が下されるというコメントでした。ヒューマンエラーの典型例でした。自衛隊機のF−4ファントム戦闘機の風防ガラスの落下原因は、何だったんだろう。知りたいのでした。
でも改めて8月の民間地域への墜落事故、一般住民に死傷者がゼロってのは奇跡なのかな。ただ心的ストレス症候群は、多くの住民に影響を残したのです。爆音がすると振り返ったり、空を見上げる習慣がついたかな。とりあえず爆音には、これまで以上に耳を澄ませることが多くなりました。建物内にいると怖い感じは払拭できないのでした。でも、ここまで航空機事故が続くといい加減にしろって考えたくなることがあるのでした。ニュートンの法則にしたがって重力の影響で物体は落下するということ。
現在、安対協のメンバーで夜間のオニヒトデ駆除を実施しています。これまでは昼間に駆除作業を行っていました。サンゴの奥深くにオニヒトデが潜んでいることが多いかった。そのために有志の方が、ナイトダイビングにてオニヒトデの出現を検証したら、とんでもない数をカウントしたのでした。夜間ですので、船上に引き上げるということも危険なために、海中にてバラバラに解体処分としています。先日もオニヒトデに二回目に刺された捕獲ダイバーさんが20分くらいでアナフィラキシーショックに陥ったのでした。



2004年10月04日

 台風21号の置き土産で大陸から冷たい空気の供給源の高気圧を呼び込んだ。沖縄方面では、 秋の到来を告げるミーニシ(新北風)となったのでした。ちょっと肌寒い沖縄となりました。そろそろ長袖が似合う季節となるのでした。あぁあまた台風22号が発生し、週末くらいから沖縄に影響が出てくるようだ。当分の間、北風が強く吹き続けるのだろうか。勘弁して欲しいのだぁ。
本日の沖縄本島では、アメリカ空軍のF−15戦闘機が2機が空中接触事故を起こして嘉手納空軍基地に緊急着陸した。機体の所属はアラスカのエルメンドルフ空軍基地とのこと。映像を見る限り、水平尾翼を破損した一機と垂直尾翼が二枚とも破損した機体もう一機が映し出されていた。結構際どい飛行をしたのか。編隊を組んだ際に近くに寄り過ぎたのだろうか。県の副知事が県議会にて振興策と基地の沖縄県内への移設がリンクしている旨の発言をした。これまでは様々な振興策と米軍基地とは関係ないという姿勢だったが、本音がポロリと出たのだろうか。本音と建前を使い分けるのは苦手な村田でした。直球勝負だけでした。全国区でのニュースは放送されたのだろうか。それにしてもアラスカから飛んで来ているのは、朝鮮半島有事を想定しているのだろう。それにしても、エマージェンシー・ベイルアウトにならなくて良かった。東京では、武器輸出三原則の相手を限定した一部改定をされるべきとの見解を首相に提出した。それに武器使用についても踏み込んだ提言も一緒になされたとの報道だった。

今年のテレビ界は、漫才というか”お笑い”と”マジック”がブームかな。チャンネルを捻るとお笑い系の笑いと拍手の音が、マジックでは驚嘆の声が聞こえてくるのでした。お笑い系も適者生存というか、弱肉強食の世界と聞く。最後に笑うのは、誰だろう。1980年代の漫才ブームで生き残ったのが、島田伸介さんとさんまさんかな。今のブームを生き残るのは誰か。お笑い系の存在を知ったのが武田鉄也とサマーズが司会していたTBSの”新すぃ日本語”って番組かな。マジックは不思議だぁ。種明かしの番組もあるが、見ている者の目の錯覚を利用しているのだろうか。マジックもトレーニングあるのみなのだろう。
また東南アジアでは、鶏インフルエンザが猛威を奮い始めているようだ。これまでは鶏インフルエンザが直接ヒトに感染することはないとされていましたが、現実はヒトからヒトへと感染しているようだ。この連休や年末年始に東南アジアに旅行される方が多くなりますが、渡航規制が発令されるのかな。まだまだ東南アジアでは、鶏が人間と一緒の生活環境にあります。隣接した生活環境となっていますので隔離処置が文化的にできないのでした。鶏インフルエンザに罹った鶏を焼却処分するが、根こそぎ処分するのではなく、病気に罹って倒れた鶏だけを集めて、それだけを処分しているのかな。組織的な防疫セクションが確立されていないのかな。日本でも鶏インフルエンザへの警戒が必要になるのでした。こんなことを書いているとケンタとか焼き鳥が食べたくなるが、時間も遅いので生唾ゴックンだけで終わりにします。
今週末は体育の日関連の連休となっています。台風22号の動きが懸念されます。現在、沖縄では北風が吹いていますが、このまま一時的に北風が収まってくれるのだろうか。これに台風接近ともなればWパンチだ。まあ今年は、台風に翻弄された年は珍しい。1980年代から2000年くらいまでは大きな台風が来なかった。人間の人情として、台風が強いよって理解していても実際は、そんなに被害も出ないとなると、人は台風って大丈夫なんだぁと錯覚するようになるのでした。台風対策が甘くなったり、場合によっては怠ったりとなるのでした。先日の台風21号では、お客様が予約していた帰りの便がビンゴ。大当たりとなった。結局、2日間沖縄での待機を余儀なくされたとのことでした。観光客が多かった島では、早い段階から食料が不足したとの報道がありました。交通の便がよくなると食料については生鮮食品を中心に頻繁に輸送される。でも船便となると早い段階から欠航となるのでした。そのために食料の備蓄って発想への認識が乏しくなっているのだろうか。若い人だと、コンビ二があるから大丈夫だよ。食料の買いだめなんかする必要がない。腹減ったらコンビ二に行けばよい、例え暴風雨であっても平気で出て行くのでした。
漁師さんものんびりというか、台風対策が甘かったようで漁港内にて漁船が相次いで沈没したこともありました。さすがに漁師さんも恥じていました。人間、自然の脅威を忘れている。備えあれば憂いなしとしたい。



2004年10月03日

 風は北、太陽はサンサンと輝いている。風が当たらなければポカポカ陽気なのだろう。北側に建物があれば風避けとなる。サトウキビの葉が風でたなびいている。ちょっとした秋の風情だ。バックの海は青く輝いているが、外洋ではウサギが飛んでいるのでした。3日くらい吹き続けるかな。北海道では初雪のニュースが入電していた。南北に長い日本の秋ならではの趣きですね。
北米のセントへレンズ火山が噴火している。水蒸気爆発と地震が観測されているのでした。1980年の爆発では周辺に大きな被害を及ぼした。とくに成層圏まで火山灰が舞い上がり成層圏を飛ぶ旅客機のジェットエンジンがフレームアウトを起こしたことがあるはず。火山灰の微小な粒子が問題を起こしたのでした。成層圏だと太陽光線をも遮光する働きがあります。火山活動が活発になるに従い様々な障害が起きるのでした。これから北半球は冬の季節となりますが、寒気団が一段と活発になるのだろうか。イチローさんが属しているシアトル・マリナーズの近くの火山なのでした。イチローさんのバットが火を噴いた。おまけにセントへレンズ火山も噴火したのでした。ちょっと前から浅間山の噴火騒動、首都圏に活火山があるのは、日本くらいかな。ひとたび噴火すると広い範囲に火山灰が降り注いだのでした。高原野菜が被害を蒙ったのでした。
昨日の独り言に那覇市内で「普天間基地の即時閉鎖と名護市辺野古への移設反対」県民集会が開かれたと書きました。本日の地元新聞を見ると主催者発表ですが参加者は3,500名とのこと。同じ頃、宜野湾で開かれたMONGOL800(モンパチ)の無料ライブには20,000人が参加したとのこと。年齢による温度差があるのだろうか。若年層には比較的安定した就職先として在日米軍基地が人気の的だ。政治に関心が乏しいのか、それとも政治家自体が有権者を惑わせたためなのだろうか。利権絡みが深く関わってくるとややこしくなるのでした。他の島に米軍や自衛隊基地を増やすとなれば猛烈な反対運動が起きるが、また基地の補償対象となるのでした。三位一体の改革で補助金が減額される中、新たな補助金としての基地対策費が交付されるとなれば島を二分するくらいの争いがみえてくるのでした。ますます混迷を深める基地問題なのでした。
10月は衣替えのシーズンだ。真夏に着ていた保温スーツを厚手のスーツに切り替えように準備しています。これまで着ていたスーツは、作ったときは5mmでしたが、2mmくらいしかないかな。とくに伸びきったのは手・肩と足の部分で、不思議にもお腹の部分だけは裏地はしっかりとしているのでした。手足の部分では裏地も伸びきってボロボロになってしまった。手足は、できるだけ身体にぴったりと作ってあるために装着脱するたびに伸び縮みし、劣化が胴体部分に比べると早く進むのでした。胴回りは結構伸縮しているはずなのだが、皮下脂肪のお陰なのだろうか。
これから保温スーツに切り替えるとBCのサイズも少しだけ大きくしないとならないのでした。現状では5mmの比較的新しいスーツとなります。これまでは1kgのウエイトで潜っていました。新しいスーツでは4kgくらいのウエイトが必要となるかな。あまり腰に負担をかけたくないのでした。2kgくらいで潜れるようにウエイトの量とバランスを考えたい。10月は泳ぎ込んでトレーニングするしかないのでした。5mmでも寒くなったら、6半ワンピース、ドライスーツとなるのでした。年齢的な加齢現象で、真面目にダウンキックをしていると大腿部の筋肉に違和感を覚えるようになりました。あぁ歳は取りたくないのでした。まだ下腿部の表面に浮き出ている血管には静脈瘤がないのでした。これは一般の人に比べるとフィンキックしているから、それなりに血流があるために血管が柔らかいのかな。何てことを考えています。
BCについては、新しいタイプを模索しなければと考えています。お気に入りのBCもすでに5シーズン目となりました。外皮は黒なのですが、日焼けで色あせしています。メーカーにお願いして、さらに改造もしてもらっています。BCはできるだけシンプルにしたいのでした。タンクを固定するベルト、背中に背負うことがサスペンダー、浮力をコントロールする空気袋、それにウエイト玉を収納するケース、漂流グッズについては別な収納スペースを確保すれば大丈夫かなって考えています。でも、各メーカーとも1998年くらいから既存の製品のマイナーチェンジだけになっているのでした。これは困った。新しい発想でのBC製作は投資した費用の回収が難しいために新作を作るのを躊躇しているのでした。10月7日に夜間漂流の実験を行う予定です。当日使う予定は信号弾やライト類、フラッシュライト、マーカー類です。航空機からのどのように見えるかも実験する予定です。



2004年10月02日

 本格的な北風シーズンの到来だ。5〜8mくらいの強さで吹き付けているのでした。ダイビングも沖縄本島北部の崎本部海岸を目指すことになるのでした。昨年よりは二週間くらい遅かったかな。おまけに高気圧の縁のために天気が不安定になった。北風に加えて雨が降っているのでした。
イチロー選手の大記録、凄い。メジャーリーグでの年間最多安打記録を更新したのでした。それも80年も前の記録だったのでした。先日の際どいアウトを取った一塁塁審の誤審(?)のためにシアトルにて新記録を達成できたと揶揄されています。しかし、怪我をしないように肉体改造でもしたのだろうか。トレーニングを重ねた結果かな。集中力もトレーニングしたのだろう。次年度は、またもや自分が記録した年間最多安打記録の再更新のチャレンジになるのだろうか。メンタルトレーニングもかな。ますます日本のプロ野球界が如何に選手の能力を活かしきれていないかが如実に判るのでした。コーチングの問題なのかな。
さて沖縄本島の点在する米軍基地を本州にも移設することを視野におくべきと小泉首相が突然、言い出した。また、横田基地が軍民共用空港になりそうだ。普天間基地ではCH−53型機の試験飛行が始まった。まだ普天間基地内だけの試験飛行だけになっている。那覇では抗議集会が開かれた。沖縄が自己主張を始めたかな。まだまだかもしれないが、米軍基地の負担を沖縄以外にも求めることで、該当地域の住民が反対運動を展開することになるのだろう。独立国でありながら首都圏内に外国軍隊が駐留しているのは、そんなに数が多くないだろう。もとは占領軍として駐留していたのでした。沖縄が置かれた立場が理解できるかな。政治が解決しなければならない問題なのだが、昭和30年代の日米安保改定時期に真剣に協議せずにほったらかしにして来たツケが回って来たかな。
まあ小泉流のびっくり発言なのだろう。防衛官僚にも説明せずに小泉首相の思い付き発言ではないだろうか。新しい内閣支持率が50%を切っている現実がありますので、問題点のすり替え的な発言でなければよいと思うのでした。沖縄は基地経済に依存してきたが、これからは自主財源の捻出が必要となる。これまでのように補助金という名目でのばら撒き予算、徐々に削減されてることが決まっている国家予算。何らかの改善として自主財源の確保、これは地元での経済活動だけでは無理があります。まして地場産業の生産性が低いので、どのように稼ぐかです。例えば観光資源としてのサンゴ礁の価値を金銭的に解析すると200億とも250億とも評価されるとも聞いたことがある。沖縄県内に年間どれくらいのダイバーさんが潜りに来ているのだろうか。30万人、いや50万人とも言われる。でもサンゴ礁での生態系やサンゴそのものが壊れたら、ダイバーさんがどれくらい沖縄に対して見向きもしなくなるのだろうか。沖縄の海は綺麗だ。サンゴが綺麗だ。サカナが綺麗だ。綺麗だ綺麗だの連発なのですが、本当に綺麗に存在しているのだろうか。現実の水中を覗くとマイナス思考にならざるを得ないことも事実だ。沖縄本島周辺ではサンゴの生存率が10%未満。他の地域では、どれくらいサンゴの生存率があるのだろうか。サンゴが減ったことでサカナの数や種類の変化についての調査はあるのかな。沖縄県が委託している海洋調査会社のデータでは、希望的には明るい数字が提示されていますが、本当なのかなって疑問を感じぜざるを得ないのでした。これらの調査データって公表されているのかな。
ダイビングポイントでの問題点があります。それはダイバー自身のダイビング技術の低下が顕著になっているためにバリバリボキボキとモウモウという擬音が聞こえそうな潜りになっている。サンゴをバリバリボキボキ、砂塵モウモウでのダイビングとなっている。ある種のカニさんを見つけようと岩をひっくり返したまま、そのままにして水中での環境が壊れて来ているのでした。ダイバーが水中環境を破壊している張本人となるのでした。赤土の流入も、まだまだ解決するまでには至っていないのでした。赤土は目に見える汚染ですが、もっと怖いのが環境撹乱物質のホルモンの問題が深刻となっているのでした。無色・透明な物質が、ごく微量でも問題を起こす可能性があるのでした。人間の排出する糞尿の処理、沖縄県民以外に年間500万人を越える観光客の糞尿処理も大きな課題となるのでした。国立公園内ではゴミ箱は存在しない、これはゴミをゴミ箱に入れるのではなく自分の出したゴミはお持ち帰りをして頂くという発想なのでした。勘違いした観光客のクレームは、ゴミ箱がないのは不便とばかりだ。基地が撤去された後の計画は存在するのだろうか。ただ盲目的に基地を撤去だけでは片手落ちのように感じるのでした。将来の明るいビジョンの提示が必要と思うのでした。



2004年10月01日

 10月になりました。昨日よりは、ちょっとだけ寒くなりました。北風が吹き始めているのでした。でも、拾った3mm以下の紙みたいな半袖半ズボンだけで潜っているデブちゃんがいるのでした。年齢は19歳かぁ、見た目寒そうだからスーツを着ろと言うのですが、まだ大丈夫ですっての答え。あれぇ誰が好き好んで人の我慢大会を見に来ているのではないのですよ。お客様からすれば寒そうな格好だ。いつまで続くかな。鼻水垂らし始めるのは何時かな。風邪をひかないようして欲しい。
気象庁の長期予報としては暖かい冬の様相だということです。今年は台風が勢力を保ったまま本州に上陸して大量の雨を降らせている。今回の台風21号では四国や紀伊半島では地面が雨水を吸い込んだままで限界に達しているとされ、ちょっとした雨でも土砂崩れとなってしまう危険性が高いとのことででした。今年は5回とか6回も台風の被害を受けている地域が多数あるとのことでした。土砂崩れ、土石流、家屋の倒壊、車が水浸しになったのでした。いくらこの冬は暖かいと言っても、冬は冬ですのでそれなりの防寒対策が必要になるのでした。また災害復旧となると冬の長雨は復旧工事を遅らせることになるかもしれないのでした。工事が天候の加減で長引けば、また梅雨時期に突入することになるかもしれないのでした。今年だけ四国や紀伊半島では、どれくらいの降雨量が記録されたのだろうか。豪雪地帯では、延べで10mくらいの積雪が記録されたことがありますが、雨での延べ降雨量ってのは記録されているのだろうか。当然あるよね。
台風が過ぎ去ってヤレヤレと思ったら、早速バイクの爆音が58号線から響くのでした。58号線の夜はバイク族のサーキット場となっているのだ。結構なスピードを出して走行しているのだ。路面が乾いているから滑ることはないと思うが、100kmくらいは出しているのかな。警察は取り締まりをしないのかな。酒酔い運転の検挙だけに総力戦となって深夜のバイクの爆走族には手が回らないのだろう。四輪車であれば写真撮影して、後日違反摘発ということになるのかな。でもバイクは前にはナンバープレートがないのでした。警察は検挙するつもりはなさそうだ。爆走族は増えるだけだ。58号線に24時間監視できるウェッブカメラでも設置して県民が映像と音を体感できるようにしてもらいたいものだ。県警に専属の検挙取締りする部署を設けてくれないのかな。ビシビシ取締りをして検挙して、罰金を徴収することで財布の紐作戦で撲滅するようにしては如何か。
那覇と名護間の高速道路を年間に何回か、一般に開放してスピードレース場として提供しないかな。高速道路だと観客さんが居ないから、爆走族は集まってこないか。映画キャノンボールのように一般道でのレースを行うドラマがありましたね。本州では、この映画が公開された当時、これと同じことを計画したが、警察当局に中止させられたことがあったね。特別料金を徴収して参加者を募ったらと思うのでした。
ちょっと残念なことがありました。それは、今度沖縄県が多機能な医療が施せる最新の病院を建設しています。当初は急患用にヘリポートを病院の敷地内に建設するってことでしたが、実際の建設が始まったのですが、ヘリポートについては作るつもりはないということが県の担当者が県議会にて答弁したのでした。この記事を読んでガックリしました。これまで離島での急患搬送には航空機を使った急患搬送が最適だということで、様々な活動をしてきましたが、昨日の答弁を聞いてガックリときました。建設しない理由としては、ヘリコプターの騒音が五月蝿いと地域住民からのクレームがあるためにヘリポートは作らないことになったとのことでした。騒音苦情については、民間機であれ、自衛隊機であれ、海上保安庁機であれ、まして米軍であれ、日常的に寄せられているのでした。急患搬送については、那覇空港に搬送して、そこから救急車に移し変えて近くの病院への搬送されるのでした。1分でも1秒でも早く病院に搬送すべきなのですが、ワンクッション置いて他の手段に移し変えるのは、リスクが高いこと。それに時間の短縮には程遠いことになるのでした。人の生命と騒音苦情、どっちが優先されるのだろうか。急患搬送って24時間体制となるが、そんなに頻繁に起きることはないのでした。近所迷惑ってことなのだろう。せっかく高度な医療体制が総合的に確立することができるが、那覇空港からも遠く渋滞路線の一つではありました。恩納村からでもヘリコプターで搬送すべきと考えるのですが、救急車があるから大丈夫ってことなのだろう。でも、真栄田岬で事故があっても、恩納村役場近くの消防署から救急車が走ってくるのでした。読谷村のニライ消防から出動したほうが、はるかに早いのですが、行政の区分は恩納村は恩納村だけなのでした。お隣りの読谷村から行政区域が違うために出動することはないとのことでした。怪我はしないこと。事故は起こさないこと。病気にならないこと。自己防衛するしかないのでした。9月や10月は潜水事故が起きることが多い時期でもありますが、最低限、自分は注意しよう。