第73章:降伏受諾
スキピオの予測通り、ハンニバルは直ちに手を打っていた。ハドルメトゥムへ向かう途中、彼は元老院に宛てた手紙をしたため、親衛隊の兵士に持たせて、カルタゴ本市に走らせたのである。
ザマにおける敗戦は、翌日のうちにカルタゴ本市に知らされていた。市民はパニックに陥り、今にもローマ軍が押し寄せるのではないかと怯えた。流言飛語が飛び交い、荷物をまとめて市外へ脱出しようとする者たちが、商業港へ押し寄せた。しかし、これを押し留め、市内に秩序を取り戻そうとする者はいなかった。磐石の信頼を寄せていたハンニバルが敗れた今となっては、カルタゴに残された途は滅亡しかない。カルタゴには後詰の軍勢はないのだ。元老院は沈痛な空気に支配され、スキピオが城門に至る日を、ただ手を拱(こまね)いて待っているだけだった。
まさにこのような時に、ハンニバルの使者は到着したのである。彼の携えていた書簡には、一刻も早くスキピオの許へ講和の使者を立てるべきことが書き記され、予想されるローマ側の条件と、それに対する戦後処理の方法が列挙されていた。
この書簡に関して、元老院内部ではなお徹底抗戦を叫ぶ者がいた。バルカ家に代わって再び台頭してきたハンノ一族の者達である。彼らは、ハンニバルの敗戦責任を弾劾し、この『戦争犯罪人』を処刑すべきであると主張した。また、ハンニバルの首を手土産にしてローマ軍と交渉すれば、スキピオも講和を結ぶことに異を唱えまいと主張する者達もおり、衆議は容易にまとまらなかった。しかし、何を措(お)いても祖国の滅亡だけは避けねばならない。その一点において、全ての元老の意見は一致していた。深更に至るまで議論を繰り返した元老たちは、降伏の条件がローマから提示されてから再度抗戦について論議することを条件に、ようやくハンノ一族を説き伏せ、講和の使者をスキピオの許へ送ることを決定した。兎にも角にも、今はローマの勢いを止め、祖国を滅亡から救うことが先決である。カルタゴの命運を担った全権使節は、夜更けに市を発し、ザマ・レギアに置かれたスキピオの陣営に走った。
カルタゴからの和平使節に接したスキピオは、その書簡を一読して苦々しげに舌打ちした。そこには、ハンニバルの突出した戦争責任が連綿と書き連ねてあり、この戦争はカルタゴ母市の望んでいたものではないこと、望みとあらば、その首を差し出す用意があることが申し述べられていた。
もとより、自分も一将軍として幾多の戦場を駈け巡ったスキピオである。将軍の権限がいかようなものか、嫌というほど知り尽くしていた。ただ一人の将軍の独断で、16年間にもわたる大戦争を起こせるわけがない。武器や食糧の補給、そして援軍。国家が総力を挙げてバックアップしなければ、いかにハンニバルといえども戦い続けられたわけがないのだ。増してスペインにおけるカルタゴと諸部族との連合国家的な関係を考えれば、母国の後ろ盾のない将軍に対して、諸部族が兵士を供出するわけもないことは、明々白々な事実であった。
にも拘らず、この期に及んでハンニバル一人に責任を被せようとするカルタゴ元老院の姑息なやり方に、彼は反吐が出る思いだった。スキピオは、その書簡に加え、講和に応ずる場合に提示する条件の草案と自らの意見を書き記した書簡を添えてローマに送り、本国の指示を仰いだ。
回答は即座に送られて来た。講和締結を『是』とするものである。ローマ元老院は、カルタゴを滅ぼすより、『当分の間』生かして活用することのメリットを取った。『当分の間』とは、ローマがカルタゴの商圏を引き継ぎ、そのノウハウを吸収するまでの期間である。利用価値のあるものは徹底的に利用する。ローマが、地中海世界の群雄割拠の中で生き残り、強大になった理由の一つが、この実利主義である。
この回答を受けて、スキピオはカルタゴの使節に対し、講和の条件を提示した。それは、前回の講和条件と較べて、格段に厳しいものであった。この条件を呑めなければ、戦争を継続する。スキピオは使節にそう申し渡した。伝えられるところによれば、それは以下の条項から成っていた。
1.カルタゴは、アフリカの外の領土を全て放棄する。
2.アフリカ内でカルタゴが領有しているヌミディア故領を、全てマシニッサに譲渡する。
3.カルタゴの軍船は、10隻を残し、それ以外は全て破却する。
4.カルタゴは、ローマに賠償金5千タレントを50年賦で支払う。
5.カルタゴ貴族の若者100人を、人質としてローマに送る。
6.カルタゴは、今後ローマの許可なくして戦争を行わない。
条項3は前回の半分、条項4は前回と同額となっている。条項2と5と6は、今回新たに追加された項目であるが、中でも大きな問題となるのが条項6である。これは、カルタゴの存立基盤を危うくするものであった。これを受け入れれば、カルタゴは、自衛のための戦いすらローマの許可なしにはできなくなる。まさに保護国扱いであり、この条約を受け入れることは、カルタゴが独立を失うことを意味するのだ。つまりローマは、この条約によって、カルタゴの生殺与奪権を握ることになるのである。これは重大な問題であった。
余談であるが、塩野七生氏は、その著書『ローマ人の物語』第5巻『ハンニバル戦記』第6章の中で、これとは別の条項を挙げている。比較のため、以下にそれを列挙する。
1.ローマは、カルタゴの独立・国内の自治・戦役以前の領地の確保を認める。
ローマの基地は、これを一切置かず、駐留軍も残さない。
2.カルタゴは、シチリア・サルデーニャ・スペインの海外領土を放棄する。
3.カルタゴは、マシニッサが王位につくヌミディア王国を公式に承認する。
4.カルタゴは、以後ローマと同盟関係にある国や都市を攻撃しない。
5.カルタゴに捕虜となっているローマ人捕虜を釈放する。
6.カルタゴは、軍船10隻以外の全てと戦象の全てをローマに引き渡す。
7.カルタゴは、アフリカの内外ともに、以後ローマの承認なしに戦争をしない。
8.カルタゴは、講和発効までの期間、ローマ軍の駐留費用を支払う。
9.カルタゴは、賠償金1万タレントをローマに支払う。
10.カルタゴ人子弟で14歳から30歳までの者100人を、ローマに人質として送る。
一読して分かるように、条項9の賠償金以外は、前に掲げた条件より緩やかになっている。もっとも、条項7が入っていることに変わりはないので、条項1の独立・自治・領土の確保が、当時の情勢下では全く意味を成さないことは明らかであり、その点ではやはり厳しい条件であると言える。
しかし、これを以って塩野氏は公平な条件であり、過酷なものではないとする。第二次ポエニ戦役は、カルタゴ側が始めたものであり、その責任は明らかであるという。16年間にローマが払った代償に較べれば、これは当然であると。だが、それは公平を欠いた見方である。自衛権を失った独立国家などはあり得ない。
何故カルタゴが、圧倒的な国力の差にも拘らずローマに宣戦布告しなければならなかったか。当時の社会情勢と経済的側面からの視点が、ここには全く欠落している。戦争は、始めた者だけに非があるとは限らない。略奪し、挑発し、圧迫を加えた者にも、当然その責任の一端は帰せられるべきである。
また、ハンニバルを含む、いわゆる『戦争犯罪人』を処刑しなかったことが、ローマの公平な考え方の表れであると氏は述べるが、これも間違いである。混乱したカルタゴの国内をまとめさせるには、その方が都合が良かったからであり、これは第二次世界大戦の折、連合国が天皇制を残すことによって、GHQによる支配を効率的に推し進めたことを見ても明らかである。カルタゴ市民たちにとって、ハンニバルは依然として『英雄』であり『偶像』であった。
そのような『支え』がいなくなったら、どういうことになるか。事実、この後第三次ポエニ戦役によってカルタゴが滅びた後(紀元前146年)、生き残ったカルタゴ人たちは海賊となってローマと戦い続け、その完全な殲滅が紀元前1世紀中盤にポンペイウスによって成されるまで、実に100年間にわたってローマは悩まされ続けるのである。
スキピオの提示した6条から成るこの条件は、ハンニバルが予想していたものだった。しかし、最早交渉の余地はないにも拘らず、カルタゴ元老院は紛糾した。何より、条項6の自衛権放棄が引っ掛かっていたのである。隣国にマシニッサという仇敵を抱えることになったカルタゴにとって、この条項は死活問題だった。彼がカルタゴの領土を狙って侵入して来ても、この条項がある限り、カルタゴはわが身を守ることができない。ローマが同盟国であるヌミディア寄りの裁定を下すことは、火を見るよりも明らかであり、許可が下りなければ、カルタゴはマシニッサの足下に蹂躙される。カルタゴに恨みを持つマシニッサは、この条項を活用し、思いのままに振舞うだろう。そうなれば、国家などないも同然である。市民を殺戮され、財産を奪われたカルタゴに、賠償金5千タレントは支払えない。それを理由にして、ローマが次の手を打ってくることは、容易に予想できた。エブロ条約を平然と破ったローマである。この講和条約も、いつまで有効に機能するか分からない。そのことが議員達を懐疑的にし、同様の理由から、民会、百人会もまた混乱を極めた。
ハンニバルが元老院に駆けつけたのは、まさにそのような一触即発の危機を国中がはらんでいる時だった。彼が議場に向かった時、元老たちは白熱した議論を戦わせていた。
「こうなれば、断固戦うべし!」
ハンノ一族の議員達が声高に叫ぶ。じわじわと首を締められていくなら、それよりいっそ戦いに活路を見出すべきである。まだマケドニアもエフェソスも、そしてビテュニアもいる。それらの国々と同盟して戦えば、必ずしもローマに勝てないわけではない。使者を諸国に送り、決起を促すべきだ。カルタゴと戦ってローマが疲弊している今こそ、諸国にとって絶好の好機ではないかと。
それは、一見もっともな意見であるように思えた。ローマの不実さ、周辺諸国への飽くなき侵略の手口を考えれば、この講和は一時的なものとなる可能性が高い。万に一つの可能性に賭けてみる方が、カルタゴにとって良い結果をもたらすのではないか。半数近くの議員達はそれに同意を示し、早速にも諸国に使者を立てることを提案した。
しかし半数以上の議員は、当然のことながらそれに同調しない。祖国は存亡の危機にあり、国民は長引く戦争で疲れ切っている。傭兵を雇う資金も、最早国庫にはない。加えて、隣国にマシニッサのヌミディアがいるという状況下で、あてにならない諸外国を頼りに一戦を構えるべきではない。この条件を蹴れば、カルタゴはローマに滅ぼされるだろう。祖国を救う、これが最後のチャンスである。ここは耐え難きを耐えても、この条件を呑むべきだと。
両者の意見は平行線をたどり、議論はいつ果てるともなく続いていた。次第に激してきた議員達は、お互いに野次と怒号を飛ばし合い、感情的になって議論を空転させた。しかし、その喧騒は、ハンニバルが議場に入って来た瞬間、潮が引くようにかき消えた。
「ハンニバルだ」「ハンニバルが来たぞ」「今更どの面さげて・・・」
ひそひそ声と焼けつくような視線の中を、顔を真っ直ぐに上げて、ハンニバルはゆっくりと演壇へ歩む。殆どの議員にとって、彼を見るのは初めてだった。大国ローマを相手に、16年間を戦い続けた伝説の将軍。その圧倒的な存在感に、彼らは気を呑まれた。やがて議場は水を打ったように静まり返り、突然訪れたこの人物の言葉を待ち受けた。
演壇に上がったハンニバルは、一同を見渡し、おもむろに口を開いた。
「市民諸君。私は9歳の時にこの町を去り、今36年ぶりに帰って来た。その間私は、遠くスペインの地で育ち、ローマとの戦いに半生を捧げ、イタリアの野を駈け巡った。今、この時にあたり、このような立場、このような状況下でここに立つことは、まさに断腸の思いである。だが、私は敢えてやって来た。それは、以前送った書簡にもある通り、諸君にローマの提示した条件を受け入れるよう説くためである。」
議場がざわめき、ハンノ派の議員から野次が飛ぶ。その多くが、ハンニバルの戦争責任を声高に罵るものだった。即ち、ローマと事を構えたのは彼であり、戦を起こしたのも彼なら、祖国の存亡を賭けたザマの決戦に敗れたのも彼であるという趣旨のものである。ハンニバルは、この野次に敢えて反論せず、黙したまま議場を見回した。その隻眼には、深い憂慮と悲しみの色があり、彼の全身からは、なおも祖国を救おうとする気迫が湧き上がっていた。
それに気づいた元老たちの口から、次第に揶揄(やゆ)の言葉が消えた。
誰もが分かっていたのだ。カルタゴは、そしてハンニバルは、戦わねばならなかったのだと。もし、ハンニバルがローマに戦いを挑まなければ、カルタゴはローマの圧力によって商圏を失い、坐したまま衰亡していくしかなかっただろう。ローマの属国に成り下がり、その意のままに搾り取られた挙句、多数の殖民を受け入れ、本来のカルタゴ人は奥地の不毛の地へと追いやられる。それがローマのやり口であった。ハンニバルはだからこそ、祖国の衰亡よりむしろ、乾坤一擲(けんこんいってき)の勝負を挑んだのだ。時に利あらず、天運に見離され、ローマの圧倒的な物量の前に敗れ去ったからといって、何故彼を責めることができよう。彼は、祖国の人々のために全力を尽くし、その半生を捧げて戦ったのだ。それに思い至った時、潮が引くように議場は静まっていった。
ところが、その沈静を待って、ハンニバルが再び口を開こうとした時だった。一人の議員が壇上に駆け上がり、怒りの形相を浮かべて彼を面罵した。
「今更何を言う。一体誰のせいでこんな状況になったと思っているのだ。元はと言えば、お前がさっさとローマの城門を衝かなかったから、こういうことになったのだ。カンナエで大勝した後、何をもたもたしていたのか。腑抜けの将軍と臆病者の兵士に、国の運命を託したことが、そもそもの間違いだったのだ。今すぐここで、その責任を取れ! お前の首をローマ軍の陣中に投げ込み、我々は徹底的に戦う。最後の一兵まで戦って滅びたトロイのように、カルタゴ人の誇りとはどういうものか、スキピオに思い知らせてやるのだ!」
ハンノ派のギスコという若い議員であった。ハンノの一族に繋がる彼は、これまで一度も戦いに出たことがなく、それゆえに血気盛んなものがあった。生粋のカルタゴ貴族である誇り高い彼にとって、戦いに敗れたハンニバルが演壇に立ち、のうのうと講和を説くのは許せないことだった。彼は、神経質そうな顔に憤懣(ふんまん)を漲らせ、眼前に佇む伝説の将軍を口汚く罵った。
目に余るこの行為に、議場はざわめいた。祖国の命運を担い、16年間も異国の地で戦い続けたハンニバルに対して、これはあまりにも無慈悲で無責任な言葉であった。たまりかねた何人かの元老が立ち上がり、彼を制止しようと演壇に歩み寄る。だが、それより早く、ハンニバルは行動を起こしていた。つかつかと歩み寄ってギスコの胸倉を掴み、演壇から引きずり落としたのである。それは、一瞬の間の出来事だった。戦場で剣を縦横無尽に操った彼の腕力の前に、ギスコは他愛もなくよろめき、議場の床に尻餅をついた。呆気に取られたその表情が、ハンニバルに睨みつけられて引きつる。議場は、水を打ったように静まり返った。
「市民諸君」ハンニバルは俯きがちに口を開いた。「お見苦しいところをお見せして、申し訳なかった。暴力に訴えてしまったことを、心より謝罪する。・・・16年間にわたる戦場での生活が、私の体に染み付いてしまっているのだ。私自身の置かれた立場、あるいは国家の状態が、私に戦場での法則、作法とも言うべきものを教えてくれた。しかし、都市や法廷の規則や作法には、不幸なことに私は疎い。法や慣習については、私は皆さんの教えを乞わなければならない。」
言葉を切って、一同を見渡す。しわぶき一つなく、集まった者の全てが、彼の次の言葉を待ち受けていた。彼はひと呼吸おくと、凛とした声で言葉を継いだ。
「共に手を携え、全身全霊を挙げて、再び祖国を立ち上がらせよう。我々は確かに敗れた。だが、ディドの血は、我々の胸の中に脈々と息づいている。長い航海と流浪の果て、この地に至り、カルタゴを建国された偉大なる女王ディドのように、我々もまた、新たなカルタゴを創り上げようではないか。それは、艱難辛苦(かんなんしんく)の険しい道のりとなるであろう。なれど、バールは必ずや我々をお守り下さる。いつの日か必ずや、カルタゴはローマの桎梏(しっこく)を脱し、昔日の栄光を取り戻すだろう。私はその日が来ることを信じている。だからこそ今は」
注がれる無数の視線の一つ一つに、彼は力を込めて締めくくった。
「この和平は、受け入れるより他はないのだ。」
議場のあちこちから、すすり泣きの声が上がった。ぱらぱらと拍手が湧き起こり、それはやがて、議場を揺るがすような万雷の拍手となった。誰の顔にも、この未曾有の国難に立ち向かって行こうとする新たな決意の色が漲り、元老院は全会一致で降伏受諾を決議した。
元老院に続いて、百人会も民会も、ハンニバルの提言を受け入れた。カルタゴは、再び立ち上がらねばならぬ。その思いが、ばらばらになりかけていた民衆の気持ちを、ようやく一つにまとめた。
停戦の使者が送られ、講和条約は締結された。講和締結と同時に、スキピオはカルタゴ本市の軍港にあった艦船500隻を、直ちに焼き払わせた。その黒々とした煙は、郊外のメガラにあるハンニバルの自宅からも望見され、彼の胸を重く塞がせた。
こうして、16年間にわたった第二ポエニ戦役は幕を閉じた。カルタゴは辛くも滅亡を免れ、これ以降、伝説の名将・ハンニバルを中心として、人々は復興への厳しい道のりを歩み出すことになる。ローマの圧政下にあって、それは長く、多難な道のりであった。しかしハンニバルは、優れた政治家としてこの難局に対処し、見事にカルタゴを再興するのである。