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要約ー源氏物語 (2)澪つくし〜少女
(第14帖〜第21帖)
(京に戻られた源氏の君は、明石の姫君を引き取り・・・)
澪標(みをつくし)―第十四帖京に戻られた源氏の君は、まず最初に、父院の御霊供養のため法華御八講を催されました。
剥奪されていた官位をもとにお戻しになりましたので、朱雀帝の御病気も清々しくなられたようでした。
やがてこの朱雀帝がご譲位なさる日が近くなりました。帝は朧月夜の姫君の悲しみをご覧になり、
「どうして、せめて御子だけでも持たなかったのだろう……」とお泣きになりました。姫君は、
「帝の愛情が年月を経てますます深くなりますのに、源氏の君はそれほど私を愛しては下さらなかった……」とようやくお分かりになり、ご自分の未熟で無分別な日々を、心から悲しくお思いになりました。
翌年、春宮の御元服の儀が行われました。春宮は源氏の君によく似て、眩いほど美しくなられましたので、母宮(藤壷入道の宮)だけは心を痛めておいでになりましたが、世の人々は素晴らしいとお喜び申し上げておりました。やがて源氏の君は内大臣として政治を執る事になりましたので、致仕の大臣(今は辞任している左大臣)を太政大臣として、政界に復帰させなさいました。
一方、明石の君には二月の初めに女の御子がお生まれになりました。源氏の君は大層お喜びになり、昔、故院に仕えていた女房の娘を、乳母として仕えさせることを決め、沢山の贈物を持たせて、明石へ出発させなさいました。明石の君は 源氏の君が帰京されてから大層悲しくお過ごしでしたので、このご配慮に気が晴れるようでございました。
源氏の君は明石の姫君ご誕生について紫上にお話しなさいました。紫上は、
「須磨にお別れして以来、死ぬほど悲しくおりましたのに、他の女性に愛情をかけておられましたのか……」とお泣きになり、おっとりと愛らしく、恨んでいるご様子が、かえっていとおしく見えますので、源氏の君は、
「なんと可愛らしい方だ……」とお思いになりました。
源氏の君は 二条院の東院を華やかで風情ある様子に改築して、花散里や五節の姫のような忘れがたい姫君たちを集めて住まわせ、もし御子でも生まれれば大切にご養育して、その後見人になろうとお考えでした。
その秋、源氏の君は住吉神社に参詣なさいました。御願が叶いました御礼にと、大層立派な行列でおいでになりました。時を同じくして明石の君も舟で参詣におでかけになりました。渚は素晴らしい行列の人々で溢れ、華やかな衣裳をつけた供人は眩いほどに見えました。明石の君は 源氏の若宮(夕霧)が限りなく大切に傅かれている様子をご覧になり、同じ源氏の御子でありながら、わが姫君を数に入れてくださらないような気がして悲しくなられ、お参りもなさらずに、そっと住吉を漕ぎ去りました。
その事を惟光から聞き、源氏の君は大層気の毒にお思いになり、明石の君に歌をお贈りになりました。
みをつくし 恋ふるしるしにここまでも 巡り逢いける縁は深しな
帝の譲位に伴い斎宮も代替わりしましたので、あの六条御息所も京に戻られましたが、やがて重く病みつかれ、出家をしてしまいました。源氏の君は大層驚いて、早速お見舞いなさいました。御簾ごしに、
「私が亡くなりました後、娘の斎宮をお世話下さいませ。決して恋人としてではなく養女として……」と言い残して、遂に御息所はお亡くなりになりました。
朱雀院はこの斎宮を、院に入内させるように申し入れなさいましたが、源氏の君はこの美しい斎宮を手放すことを残念に思い、藤壷入道の宮(帝の母)にご相談なさいました。宮は、
「故御息所の御遺言として、この斎宮を冷泉帝にお仕えさせるように……」と申しなさいました。
やがて、藤壷入道の宮がご病気がちになられましたので、幼い帝には、斎宮のように、少しお年上の世話役が必要なのでございました。
( 終 )
蓬生(よもぎう)ー第十五帖
常陸宮の姫君(末摘花)は、父宮が亡くなられ、後見人もない身の上になられまして、大層心細くお暮らしでございました。思いがけず源氏の君と契ることになり、援助をうけておられましたが、源氏の君が遠い須磨に去ってしまわれた後は、その頃の残り物で、泣く泣く過ごしておられました。けれども年月が過ぎるにつれて それも尽きて、大層お気の毒な生活になってしまわれました。
御邸はすっかり荒れ果てて、庭には蓬・雑草が生い茂ってしまいました。邸内の御調度などは大層古い物ですので、骨董好きの者が売却を申し入れてきましたが、末摘花にとっては、父宮の御心が留まっている心地がしますので、どんなに貧しくとも決して手放すことはなさいませんでした。
この末摘花の叔母上が落ちぶれて受領の妻になっておりました。
「姉君は、身分の低い所へ嫁いだ私を軽蔑していたので、これからはこの哀れな姫君を、自分の娘の使用人として扱い、今までの恨みを晴らしたい……」と考えておりました。
やがてこの叔母の主人が太宰府の次官になりまして、九州に下ることになりました。そこで末摘花に九州へ同行するように……と、言葉巧みに誘いましたが、末摘花は一向に承知なさいません。
「源氏の君がこの私を思い出して、いつの日かきっとお訪ねくださる……」と、一途に頼みをかけておられたのでございます。叔母は 長いこと末摘花に仕えていた侍従をも九州に連れて行くことに決め、遂には姫を見捨てて別れて行ってしまいました。あとに残された末摘花はただ物思いに沈んで、独り悲しく過ごしておりました。
卯月、源氏の君は花散里をお訪ねなさいました。その道すがら、常陸宮邸の前を通り過ぎますと、大層胸潰れる思いがして、牛車を止めさせなさいました。大きな松に藤の花が咲き匂って、柳が大層しなだれていました。雨の滴が時雨のように降りかかりますので、惟光は源氏の君に傘を差しかけて、蓬生い茂った邸内にご案内しました。
煤けた御几帳の帷子(垂れ絹)を少し上げますと、末摘花が例のように大層恥ずかしそうに座っておりました。ほんの少し身動きなさったご様子も、袖の薫りも、昔より感じがよいと源氏の君はお思いになりました。
「ただ一途に私の訪れを待ちながら、荒れ果てた御邸で、どのように辛くお過ごしだったのでしょう。こんなにも長い間、お見舞いに訪れなかったとは……」とご自分の情の浅さを思い知らされたのでございます。
そこで下人達を末摘花のところにお遣わしになり、生い茂った蓬を刈り払わせ、御邸の見苦しい所を修繕させなさいましたが、これが人々の噂になるのは不名誉なので、ご自分からお通いになることはありませんでした。
源氏の君は二条院の邸内に東院を造らせなさいまた。
「そこに貴女にお移りいただきましょう。……」と仰せになり、末摘花を心深くお世話なさいました。末摘花に見切りをつけて散り散りに去って行った女房たちは、我も我もと争って戻ってまいりました。
この宮邸に二年ほどお過ごしになりました末摘花は、その後 二条院の東院にお移りになりました。源氏の君がお通いになることは大変難しいことですけれど、東院にお渡りの時には立ち寄られまして、軽視するような待遇は決してなさいませんでした。
あの叔母上が九州から上京して驚く様子や、侍従がもうしばらく待たずに、姫を見捨てて下向してしまった事を、どんなに悔いたか等は、いずれお話しすることにいたしましょう。
( 終 )
帚木(ははきぎ)ー第二帖 (雨夜の品定め……10年前の話)
長雨の降り続く頃、源氏の君はお忍び通いもなさらずに、毎日うっとうしくお過ごしでした。退屈なままに物語など読んでおられますと、頭中将(とうのちゅうじょう)がおいでになりました。
「女は沢山いるけれど、上流階級よりむしろ中流にこそ、心惹かれる女性がいるものだ……」等と話しているところに、左馬頭等もやってきまました。興奮して話す声で、雨音もかき消されるほどです。左馬頭は、
「私が一番心惹かれるのは、世間から知られてないような家に、思いがけなく見つけた優美で気品のある女だ。音楽の才能もあり、字が上手な美しい女、そんな女性を見付けた時こそ、心が弾むものです……」と申しました。
源氏の君は退屈な素振りを見せながらも、ひどくこの話に惹きつけられて、何とかして、中流の女性に出逢いたいものだとお思いになりました。
長い間降り続いた雨もすっかり晴れ上がりましたので、源氏の君は葵の上(正妻)のところに参りました。しかし
「今夜はここに泊まるには方角が悪いので、よそに方違えを……」と申します。いた仕方もなく、紀伊の守の家に泊まることになりました。源氏の君は,
「これこそ中流の家庭だ。どんな女がいるだろうか……」と胸が高鳴るようでした。
その夜、源氏の君は寝つくことができません 辺りはすっかり静かになり、やり水の音だけが聞こえてきます。そこへ女の声が聞こえてきました。胸ときめいた源氏の君は、その部屋に忍び込みました。柔らかい着物の御袖が女の顔に被さって、女は声も出せません。源氏の君のように素晴らしい男を嫌だと思う訳はないけれど、さらばと受け入れる訳にもいきません。「わが身分が低いと軽蔑なさって、こんなお振る舞いをなさるのでしょうが、私は伊予介の妻でございます。人妻としての扱いをなさいますように……」と申しましたので、源氏の君もたじたじとなりました。その女は上品で誠になよやかで、言うべき事は筋を通しています。そのゆかしさに 源氏の君はすっかり心惹かれてしまいました。
二条院にお帰りになりましても、ひたすら身をひそめるこの女に、今一度逢いたい……と、恋しく想い続けておられました。
( 終 )
空蝉(うつせみ)ー第三帖
今まで女性から冷たくされたことのない源氏の君は、かえってこの人妻に心惹かれてしまいました。「あの女を忘れることができない。何とかもう一度逢わせてほしい。」と小君(人妻の弟)に仰せになりました。
ある日、紀伊の守が任地へ下り、女だけが家にいる時に、小君は源氏の君をそっと家にお連れ申しました。
御簾の間から中を覗いて見ました。暑さのせいで御几帳の垂れを巻き上げていますので、ずっと座敷の方まで見えます。中柱に寄りかかって座っている後ろ姿が、恋しい女のようです。紫の濃い綾の単衣をかけて、ほっそりした小柄な女性でした。もう一人は、色白でよく肥えた若い女で、淡い藍色の小袿をかけ、着物の襟がはだけて胸がでています。こうした少々だらしない女も、源氏の君には魅力的のようでした。
やがて家の中が寝静まった頃、小君は部屋の中へ源氏の君を導き入れました。源氏の君の柔らかな絹擦れの音が際立って聞こえます。
その人妻は 時折あの夢のような一夜を思い出し、夜は寝覚めがちになっておりました。若い方の女は傍らでもう寝てしまいました。源氏の君がその部屋に入りますと、衣に染み込んだ薫物の香がさっと広がりました。それに気付いた人妻は、そっと寝床を抜け出してしまいました。源氏の君は女が一人寝ていますので、上に被っていた着物をのけてみました。あの夜の女よりも大きい気がします。ようやくあの恋しい女でないとお気付きになりましたが……。
愛しい女が脱ぎ残していった空蝉(ぬけがら)のような薄衣を手に持って、部屋をお出になりました。
源氏の君は二条院に帰り、恋しい女に逃げられてしまった今夜の出来事を、恨めしくお思いになりました。持ち帰ったその薄衣には、恋しい女の匂いが染みついていとおしく、源氏の君は寝床の中に入れてお寝みになりました。
空蝉の 身をかへてける木のもとに なほ人がらの懐かしきかな
その女(空蝉)には、源氏の君の真心が感じられて、「娘の頃であったなら……」と、帰らぬ運命を悲しく思っておりました。
( 終 )
関屋(せきや)ー第十六帖 (そして10年が経ち……)
桐壺院がご崩御された次の年、伊予介(空蝉の夫)は常陸の国司に任命され、空蝉を伴って下向してしまいました。空蝉は、源氏の君が須磨に退去された事を、遙か常陸の国で聞きましたが、心の内を伝える術もなく、空しく年月が経ってしまいました。
源氏の君が京に戻られた翌年の秋に、常陸の守も京に帰ることになりました。一行が逢坂の関に入る同じ日に、源氏の君も石山寺に参詣なさいました。山々の紅葉が趣深い風情を見せている中、源氏の行列はまるで関から紅葉が舞い散ったように色鮮やかでした。行列は道も避け切れぬほどの大勢で来ますので、常陸の一行は皆御車から下りて、牛車を木々の隙間に引き入れ、木陰に隠れるように畏まって行列をやり過ごしました。
小君(空蝉の弟)は、今は衛門の佐となっておりました。源氏の君はこれをお呼びになって、空蝉へのお手紙を託されました。
「偶然 逢坂の関でお逢いできるとは、前世の縁が深かったのでしょう……」。源氏の君にとっても決して忘れる事のできない女性ですので、折々につけてお便りなどなさいました。
逢坂の関やいかなる関なれば しげき嘆きの仲をわくらむ
やがて空蝉の夫・常陸の守は病みがちになり、空蝉に心を残して、遂にお亡くなりになりました。
残された空蝉には、しばらくの間は継息子たちが情けをかけてくれましたけれど、やはり辛いことの多い日々でございました。ただ河内の守(継息子)はこの空蝉に好意を持っていましたので、情け深い態度をとっておりました。しかし やがて……わがものにしようという呆れた下心が見えてきましたので、空蝉は人知れず思い悩みまして、遂に尼になってしまいました。
河内の守は「まだお若いのに、この先どう暮らしてゆかれるのか……」と驚き、人々は「何とも情けないことを……」と大層嘆いておりました。
( 終 )
絵合(えあわせ)ー第十七帖
藤壷入道の宮はご病気がちになられましたので、幼い冷泉帝のお世話役として、少し年上の前斎宮(故御息所の娘)が入内なさることを、熱心に勧めておいでになりました。しかしこの前斎宮に好意をよせておられる朱雀院は、誠に残念に思われ、心をこめて
贈物などなさいましたが、姫君からのご返歌には、
別るとて 遙かに言いしひとことも 帰りてものは今ぞ悲しき
院はこれをご覧になって、しみじみ悲しくなられました。かつて源氏の君が須磨に退去するという命を下したその報いを、今お受けになったということなのでしょう。
夜大層更けてから、前斎宮は帝に入内なさいました。夜の御殿にて、大層慎ましく
小柄で愛らしいお姿に、帝は「何と可愛らしい……」とお思いになりました。帝のお側には、既に弘徽殿の女御(権中納言の娘)が入内していましたが、帝は大層絵がお好きですので、絵の上手な前斎宮をもご寵愛なさいました。
権中納言(もと頭中将)は、将来わが娘こそ冷泉帝の中宮にしようと、先に入内させたのに、今、前斎宮が梅壺に入られ、この二人が競い合って帝にお仕えするようになったことを、大層不安にお思いでした。
三月の初、内裏の行事のない時期に、女房達は絵を集めて競う合う事に夢中でございました。源氏の君は「同じ事なら、帝の御前で競い合わせよう」と思い立ちなさいました。
そして二条城に戻り、いつの日か藤壷中宮だけには、お目にかけたいと思っていた須磨の絵日記を選び、梅壺へ届けさせなさいました。一方、権中納言はどこまでも負けず嫌いのご性格なので、優れた画家達を家に抱えて、厳しく口出しして、見事な絵を描かせ、弘徽殿に持たせました。
絵合せの日、帝のお召しがあり、源氏の君と権中納言が参上なさいました。
左方(梅壺)と右方(弘徽殿)の二つに分けて、双方から数々の御絵が帝の御前に出されました。
左方は紫檀の箱を蘇芳の花足の台に載せ、敷物は紫地の唐の錦、打敷は葡萄染の唐の薄絹を用い、六人の女童が赤色に櫻襲の汗杉を着て袙は紅に藤襲の織物で大層美しい様子でした。
右方は沈(香木)の箱を浅香の台に載せ、打敷は青地の高麗の錦、組み紐や花足の趣味も華やかに、女童は青色に柳の汗杉、袙は山吹の襲を着て、姿や振る舞いなど特に優れて見えました。
藤壷中宮もおいでになり、所々に判定の揺らいで心もとない折には、中宮にご意見をお伺いするのも、源氏の君にとっては人知れず嬉しい事でございました。
「竹取物語」と「うつぼ物語」では左方が負け、「伊勢物語」と「正三位物語」では議論がただやかましく勝負がつきません。勝負の定まらないまま、夜になりました。
最後に「須磨の巻」が梅壺方から出されました。須磨で過ごされた日々がどんなに辛く悲しかっただろうかと、みな感涙を流し、源氏の君が心の限りを尽くして描かれた須磨の風景画に、心打たれておりました。結局、みな譲って、この絵を出した左方(梅壺の女御)の勝ちとなりました。
明け方近くになり、源氏の君はお杯を酌み交わしなさいました。師の宮が、
「故桐壺院が特に熱心に源氏の君にご教授あそばした甲斐があって、文才は言うまでもなく、諸芸にもご立派で……」と話されますと、皆、故院を思い出し、うち萎れてしまわれました。
やがて二十日過ぎの月が差し出て、空が美しい頃になりました。書司にある和琴が召し寄せられ、中納言が和琴を、源氏の君は琴をお弾きになり、琵琶を少将の命婦に弾かせなさいました。殿上人の中から楽の優れた者をお召しになって、心ゆくまで合奏なさいました。夜が明けるままに、花の色も人の姿もほのかに見えてきて、何とも美しい朝ぼらけでございました。
帝は「あらたに宮中の儀式の中に、この御代から始まった行事として、将来も人々が言い伝えるような素晴らしいものを加えよう」とお考えになりした。「絵合せ」という単なる遊びも、特に優れた人達に催させれば、素晴らしい御清栄の御代と伝えられる事でございましょう。
( 終 )
松風(まつかぜ)ー第十八帖
源氏の君は二条院に東院をお建てになりました。西の対に花散里をお移しになり、東の対は明石の君のために……と、御心に決めておられました。更に北の対を大層広く造らせて、御几帳などで仕切りをして、今まで将来の契りを交わした姫君たちを、集めて住まわせようと心遣いなさいました。
明石に宛てたお手紙が途絶えることはありませんでした。「御子が生まれた今は、京に上るように……」と仰せになりましたが、明石の君はご自分が受領の娘であることを惨めにお思いになり、
「このまま都に出て、宮中の女御たちと一緒に暮らしても、私の低い身分が露見するだけですし、人々に見下され どんなに悲しいことでしょう」と思い悩んでおられました。けれど幼い姫君がこのように寂れた海辺で成長し、源氏の御子として数にもいれられない事はなお可哀想と、源氏の君に逆らうことなど出来ようはずもありません。
父・明石入道は京の大堰川近くの荒れ果てた御邸を思い出し、ここを修理して、姫君たちを上京させることを思い立ちました。美しい松陰に建てられたこの寝殿は、流れの畔にあり山荘の趣を見せていました。源氏の君は惟光の朝臣を遣わせ、明石の君がお住まいになるのに相応しい様子に、心を尽くして準備させなさいました。
明石の君は「もう逃れようもなく、今は京に上るしかない……」とお思いになりましたが、住み慣れた明石の浦を離れることを思いますと、大層悲しくなられました。
秋も深まり、別れの日に、旅立つ者は誰もが皆、涙を堪えきれずにおりました。明石の一行は密かに舟で京に上られました。大堰の辺りは趣深く、明石の海辺に似ているように見え、一層悲しくなられました。
源氏の君がお渡りになることはないまま、空しく月日が流れました。明石の君は大層寂しくなられ、源氏の君がお別れに形見として置いていかれた御琴をお弾きになりますと、松風が荒々しく琴の音に合わせて吹いてきました。
身をかへて ひとりかへれる山里に 聞きしに似たる松風ぞ吹く (尼君)
源氏の君は 明石の君に逢いたいとただ一途に心乱れ「嵯峨野の御堂に立ち寄りますので……」と紫上にご挨拶して、実は大堰の御邸にお渡りになりました。ようやくお逢いになりました明石の君は誠に美しく、ますます愛しくなられました。更に幼い姫君は愛嬌づいて可愛らしくなられ、「この姫君こそ、誠に優れたわが御子」とお思いになりました。その夜は一晩中、明石の君に末長い愛情をお約束なさいまして、睦まじく語り明かされました。
次の日は京にお帰りになる予定でしたので、近くの桂院に供人が集まり、大堰の山荘にも大勢が出迎えに参りました。源氏の君は、明石の君のお気持を思って心苦しくなられ、戸口で立ち止まりますと、姫君が愛らしく手を伸ばして後を追いますので、
「しばらく逢えないのは辛いものだ。なんとここは京から遠いことか……」と仰せになりました。明石の君は悲しみに臥せ、御几帳の蔭からお見送りなさるご様子は、誠に美しく、内親王のように気高く見えました。
供人に促されて、源氏の君は桂院に移られました。月が華やかに差し出る頃には、
酒杯も巡り、琵琶、琴に加えて笛の合奏が始まりまして、大層風雅な時をお過ごしになりました。
二条院にお帰りになりますと、紫上に山里の話などをお聞かせなさいました。
「本当は可愛い姫に逢ってきたのです。公に私の御子として扱うのも憚られるのですが……、無邪気な愛らしい姫なので見捨てておけません。ここ二条院で、貴方の手で、御袴着(成人式)をしてやりたいのです。」
紫上は「その姫を私がひきとって、この手に抱いて大切に育てたい……」とお思いになりました。
しかし幼い姫君を手放す明石の君には、どんなにか辛いことでございましょう。
( 終 )
薄雲(うすぐも)ー第十九帖
冬になるにつれ、大堰川の御邸にお住まいの明石の君は心細く暮らしておられました。源氏の君はこれを見かねて、二条院東院に移るようにお勧めになりましたけれど、明石の君は躊躇っておられます。「それなら幼い姫君だけでも……」と、説得なさいましたが、
「姫を手放した後、どう暮らしたらよいのでしょう。」と心の憂いは限りありませんでした。けれども姫君の御ために……と、ついに決心をなさったのでございました。
雪の降る日が多くなり、この雪が少しとけた頃に、源氏の君が 姫君を迎えにお渡りになりました。明石の君は大層悲しく、御車の所に姫君を抱いてお出でになりますと、姫君は無邪気に母君のお袖をとらえて「お母様もお乗りなさいませ」と愛らしい片言でお誘いになりました。明石の君は堪えることができずに、大層お泣きになりました。源氏の君は、
「なんと酷いことをすることになったものか……」と心深くお慰めなさいました。
辺りがすっかり暗くなって、ようやく御車は二条院に着きました。姫君は道中ずっと眠っていましたが、御車から抱き下ろされても、泣いたりなどなさいません。紫上のお部屋でお菓子を食べるなどしていらっしゃいましたが、ようやく母君のいないことに気づき、愛くるしい様子で不安な表情をなさいますので、源氏の君は乳母をお呼びになり、なだめさせなさいました。源氏の君は大堰に残された明石の君の悲しみを思うと大層心苦しくなられましたが、今、思い通りに愛らしい姫君を手元に引き取り、紫上と共に育てていく日々は、誠に幸福に満ち溢れた心地がなさいました。
御袴着の式は大層心尽くしておこなわれました。明石の君も姫君を恋しく思われましたが、姫君が二条院で大切にご養育されていると耳にしますのは、大層嬉しいことでございました。
その頃、太政大臣(葵の父)が亡くなりました。国家の重石にあった人ですので、若き帝は大層お嘆きになりました。源氏の君も尽きることなく遺憾にお思いになりました。その年は天変地異があり凶事と思われる事が多々起こりましたが、源氏の君には心当たりとなる秘事があったのでございます。
三月に入り、藤壷入道の宮がご重態になられ、帝は大層悲しくおられました。藤壷への想いは今も限りなく、源氏の君はご祈祷などを心尽くしてさせなさいました。枕元の御簾近くにお寄りになりますと、弱々しいお声が微かに聞こえてきますので大層お泣きになりました。しかし灯火が消え入るように儚く、藤壷はお亡くなりになりました。
源氏の君は念誦堂に引き篭もり、悲しみにくれておられました。
入り陽さす 峰にたなびく薄雲は ものおもふ袖に色やまがへる
四十九日の御法事も終わりました。ある静かな夜明け、尊い僧都が帝に申し上げました。
「申し上げ難いことですが、帝がこの事実をご存知ないのは罪が重く、天眼恐ろしく思われます。実は、故藤壷中宮は 帝をご懐妊された頃から深くお嘆きになり、祈祷をするよう仰せつけになりました。その事情とは……」
帝は今までこれほど驚くべき事を聞いたことがなく、恐ろしさと悲しみに、御心が動揺なさいました。源氏の君が実は父親でありながら、臣下として朝廷に仕えておられることを、哀れで畏れ多いこととお悩みになり、もう譲位して心穏やかに過ごしたい……と、お思いになりました。
秋になり、前斎宮の女御(御息所の娘)が二条院に退出なさいました。源氏の君はこの女御に密かに想いを寄せておられましたが、故御息所のご遺言どおり、親代わりとしてお世話をなさいました。
秋雨の降る日、この女御のところにお渡りになりました。
「こうして須磨から戻り復権しましたが、私には心静め難いものがございます。この熱い心を抑えて、貴女の後見をしていることをお分かりでしょうか。」女御はお返事なさいません。かすかな気配に心惹かれ、
「私は四季折々の風情につけても、心満たされる遊びをしたいと願っています。貴女は春と秋、どちらがお好みですか。」と、お尋ねになりますと 「……中でも秋の夕べこそ……、儚く亡くなりました母が思い出されますので…」とお答えなさいました。
源氏の君には、今少し道に外れたこともできましたが、女御が嫌がっておられるようですので、諦めて退出なさいました。
源氏の君は明石の君のことを思いやって、大堰の山荘にお渡りになりました。木々の間から漏れる篝火が、蛍に見間違うほどに美しい光景をご覧になり、歌をお詠み交わしなさいました。今宵はいつもより長くご一緒にお過ごしになりましたので、明石の君の御心も紛れるようでございました。
( 終 )
朝顔(あさがお)ー第二十帖
朝顔の姫君は父院(式部卿宮)の服喪のため、斎院を退下なさいました。源氏の君は例のように、古い恋も忘れることが出来ない癖がおありで、始終御文を送っておられましたが、姫君は煩わしい……とお返事もなさいません。
九月になり、この姫君が桃園の宮邸にお移りになりましたので、源氏の君は、叔母の女五の宮のお見舞いを口実に、宮邸をご訪問なさいました。女五の宮と斎宮が、御邸の西と東に分かれて住んでおられました。女五の宮は御簾越しにお逢いになり、
「年老いて涙がちに過ごしているところへお立ち寄り頂いて、心の憂さも忘れます。」等と、お話しなさいました。源氏の君がお庭の秋草の枯れた風情をご覧になりますと、それは何となくもの悲しく、朝顔の姫君が恋しくなられましたので、我慢できずに濡縁を通って姫君の方に行かれました。
長い年月、姫君を慕ってきましたのに、姫君は御簾の中から、女房を介してお話しなさいますので、源氏の君はお恨みになりました。年月と共にますます引っ込み思案になられたようで、お返事さえもなさいませんので、深く溜息をついて退出なさいました。
帰宅後、源氏の君は夜も眠れませんので、早くに御格子を上げさせ、朝霧を眺めなさいました。枯れた草花の中に、朝顔が這い回り、あるか無きかの花をつけているのを手折らせて、姫君にお贈りになりました。
見しをりの つゆ忘られぬ朝顔の 花の盛りは過ぎやしぬらむ
お返事は青鈍色の紙に書かれ、その柔らかな墨跡は大層趣深く、手放し難くご覧になりました。不本意なまま長い時が過ぎたことを諦めきれず、また御文を差し上げなさいました。しかし朝顔の姫君は、
「昔以上に色恋に相応しくない年になりましたので……」と心打ち解ける様子もありません。源氏の君は「このまま引き下がっては、物笑いとなるだろう……」と心騒いで二条院にお帰りにならない夜が続きますので、紫上は人知れず涙を流しておられました。
「なぜ貴女が機嫌を悪くしているのか判りませぬ」と、源氏の君は 紫上の額髪の毛を払い、憐んだ表情で紫上の顔を眺めているご様子は、絵に描きたいほど美しい夫婦と見えました。
「斎宮(朝顔)に御文を差し上げたことを恨んでいるのですね。昔からあちらはよそよそしい態度で本気ではないのです。何もご心配なさることはありません……。」と一日中お慰めなさいました。
雪が積もった上になお雪が降って、松や竹が異なった風情を見せる夕暮れ、源氏の君は童女たちを庭におろして、雪まろげをさせなさいました。愛らしく遊んでいる姿を眺めながら、紫上に、
「昔、藤壷中宮がお庭で雪山を作らせなさった日々を思い出します。中宮は私に隔てを置いておられましたが、信頼はして下さいました。この世にあれほどの方がいるでしょうか。しとやかで気品があり、縁続きの貴女に大層よく似ている……。また前斎院のご性格は格別で、心淋しい時にお便りしあえる方として、この世にお残りになり……」とお話しなさいました。紫上が、
「尚侍(朧月夜)は利発で優れておられ、軽率なことには無縁な方でしたのに、あんな事になって……」と仰いますと、
「そうですね。優美で美しい女性でしたのに、お気の毒で悔やまれます。」と涙をこぼされました。源氏の君は、
「貴女が軽蔑している山里の女君(明石の君)は、身分以上に物をわきまえていますが、気位の高い方です。東院の花散里は愛すべき人で、心から愛しいと思っています。」等と、昔や今の女君の話をして夜が更けてゆきました。
寝室に入ってからも、中宮のことを恋しく想い続けながらお寝みになりますと、夢ともなく、ほのかに中宮のお姿が見えました。大層お恨みのご様子で「秘事を漏らさないと仰ったのに、私達の過失は知れてしまいました。私には大層辛いことで……」
源氏の君はお返事をなさるつもりでしたが、物怪に襲われるような声でしたので、はっと目が覚めました。張り裂けるほど胸が騒ぐのを抑えておられますと、次第に涙が溢れてきました。
翌朝早くお起きになって、まず誦経をおさせになりました。
「藤壷中宮が辛いとお恨みになったのは、仏勤めをなさったのに、あの一つの過失のために、この世の罪障が消えなかったのか……」と悲しくなられ、
「どんなことをしてでも、その罪に代わって差し上げたいものだ。」とお思いになりました。ご自分の御心に阿弥陀仏を念じ続け、
「同じ蓮の上に……」と心からお祈りなさいました。
( 終 )
少女(おとめ)ー第二十一帖
源氏の若君(夕霧)が十二歳になり、元服の儀を迎えられました。源氏の君は、
「まだ若いので官位をつけずに、暫くは大学で勉強させよう。学問を基礎に、いずれ朝廷に仕えるならば、世間に認められることになるだろう……」とお考えでした。夕霧は父君をお恨みになりましたが、もともと真面目なご性格ですので、わずか数カ月のうちに「史記」などを読み終えてしまわれました。源氏の君は大学寮の試験を受けさせようと、まず予備試験をさせなさいましたが、呆れるほどよくできるので、
「亡き大臣が生きておられたら……」とお泣きになりました。夕霧は誠に上品で、大層可愛らしいご様子でした。
立后の儀が近づき「斎宮の女御こそ、帝のお后に相応しいと母宮(藤壷)も遺言されました」と源氏の君が主張なさるのに対し、「弘徽殿の女御がまず誰より先に入内されたから……」と主張する者もいましたが、結局、斎宮の女御が后に決まりました。
源氏の君は太政大臣に上り、大将(もと頭中将)は内大臣になられました。
この内大臣には御子が多く、どの方もご立派で一族は栄えておられました。女の御子は弘徽殿の女御ともう一人、大宮に預けた愛らしい姫君がおりました。夕霧は大宮の御邸で、この姫君とご一緒に成長されましたが、十歳を過ぎて部屋が別々になりました。けれども子供心にも、お互いに慕わしく想うようで、大層仲良くしておられました。
時雨が降って萩の風がしみじみ感じられる夕暮れに、内大臣が大宮の御邸に参上なさいました。
「わが娘(弘徽殿の女御)を帝の中宮にと入内させたのに、思いがけず、源氏の君が後見する歳宮の女御に負けてしまいました。せめてこの姫君だけは、春宮のお后にと願っていますが、明石姫君が入内なされば、またしても……」と、源氏の君に恨みを持っておられるようです。
内大臣は姫君をお呼びになり、和琴を弾いておられますと、夕霧が参上なさいました。御笛を差し上げますと、大層若々しく美しい音色で吹きなさいましたが、姫君を奥に引き取らせ、強いて二人の間を遠ざけようとなさいますので、女房たちは、
「お気の毒なことが起こりそうなお二人です。知らぬは親ばかり……」と噂をしておりました。内大臣はこの噂を偶然耳に留められ、心穏やかでなくなってしまわれました。
二日ほどして、内大臣が再び参上なさいました。大層ご機嫌が悪い様子で、
「信頼していた母君にこの姫をお預けして、一人前にしてくださるものと信じていましたのに……残念です。若い二人を放っておかれたとは……」。これを聞いて大宮は、
「まだ年端もゆかない二人に、考えもしないことです。つまらぬ世間の噂を信じて、私をお責めになるとは……」と大層お嘆きになりました。
夕霧は 夜お寝みになっても心落ち着きません。人々が寝静まった頃、姫君のお部屋の障子を引いてみました。いつもは錠など下ろしていないのに、今夜は堅く錠されています。ちょうど姫君も目を覚ました様子で、風の音に雁が飛んでいく声がかすかに聞こえますので、
「雲居の雁も私のように悲しいのかしら……」とつぶやきました。その様子が誠に愛らしいので、夕霧は、
「ここをお開けください」と仰いましたが返事はありません。独り言を聞かれたのも恥ずかしく、乳母たちに気付かれるもの辛いので、音も立てずにおりました。夕霧は大層心細くなられました。姫君も可愛らしく悩んでいらっしゃったのでございます。
内大臣は大層不機嫌で、女御が立后できずに悲しんでいるので、里家に退出させなさいました。更にこの女御を慰めることを口実に、姫君(雲居の雁)を大宮のところから引き取り、夕霧と引き離すことをお決めになりました。夕霧が心細く涙を拭う様子をお気の毒に思い、夕暮に紛れてお二人を対面させなさいました。お互いに胸がどきどきしてただお泣きになりました。
「内大臣の御心が辛いので、諦めようかと思いましたが、ただただ恋しくてなりません。私を恋しく想ってくださるでしょうか……。」と仰ると、雲居の雁が頷く仕草も大層愛らしい感じでした。夕霧は一途な気持ちで、腕の中から姫君をお離しになりませんでしたが、内大臣が戻られましたので、二人は仕方なく別れました。
源氏の君は、今年五節の舞姫(惟光の娘)を帝に献上なさいました。あの日以来、夕霧はひどく塞ぎ込んでいましたので、気分転換に邸内を歩きまわり、屏風の中を覗いてご覧になりました。なんと恋しい人に大層よく似た舞姫がおりました。その愛らしさが心に焼き付いて、「雲居の雁に逢えない心の慰めにも、この少女に逢えるようになりたい」と思いました。
八月、六条院が見事に完成しました。東南の春の町に源氏の君と紫の上が入られ、北東に花散里、北西に明石の君、そして西南の秋の町に梅壺を住まわせなさいました。それぞれの町には数々の趣向を凝らし、大層素晴らしいものでした。
( 終 )
背景 : 有識文様「綺陽堂」