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要約ー源氏物語 (1)桐壺明石
(第1帖〜第13帖)

(光源氏の誕生から、須磨流離を経て京に復帰するまで)

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桐壺(きりつぼ)第1帖

 いつの御代のことでしょうか。宮中には女御や更衣などが大勢お仕えしておりました。その中に特に高い身分の方ではありませんが、桐壺帝のご寵愛を一身に受ける美しい姫君(更衣)がおりました。

 更衣の部屋は後宮の一番端にあり、多くの女御たちの前を通り過ぎて、暇のないほど帝の御前に渡りますので、他の女御たちは苛立ち、悪戯などをしていじめておりました。更衣は大層思い悩んで、次第にご病気がちになられましたので、帝はますますいとおしく可愛がりなさいました。

 前世でも深い御縁だったのでしょう。やがてお二人には輝くばかり美しい男御子がお生まれになりました。

 第一皇子は弘徽殿の女御がお産みになりました御子で、御後見も大層厚く、疑いもなく皇太子になられる方として、大切に養育されておりました。

 この更衣の御子は誠に美しく、桐壺帝はこの上なく可愛がりなさいましたが、この御子が三歳になられました頃、母更衣はご病気になられ、すっかり衰弱なさいました。

 「まさか私を一人残して逝くことはないでしょうね……」と、

帝はお泣きになりましたが、治癒祈祷のため実家にお帰りになりました夜、遂にお亡くなりになりました。
 帝は大層お嘆きになり、御心も乱れて、お部屋に閉じこもってしまわれました。

 儚く月日が過ぎて行きました。桐壺帝は第一皇子をご覧になるにつけても、若宮(更衣の御子)への恋しさが募るばかりで、更衣の実家に遣いをお出しになり、若宮を参内させなさいました。帝はこの若宮を亡き更衣の形見として大層可愛がり、

 「母のない御子なので可愛がってやってください……」と、

女御のところにも連れておいでになりました。若宮は輝くばかり美しく、その上聡明で、琴や笛を奏じても宮中の人々を感銘させていらっしゃいました。

 その頃、高麗人の人相見が、

 「この御子は帝になるはずの人ですが、そうなれば国が乱れることになるでしょう……」と予言しました。帝は、

 「この若宮が親王(王位継承者)になれば、すでに第一皇太子がいるのだから、大変危険な事になるだろう。『源氏』という臣下(ただ人)の姓にして、一番低い位のままにしておこう……」とお考えになりました。
そして将来が頼もしげであるように、学問を習わせようと決心なさいました。

 月日が過ぎても、帝は亡き更衣をお忘れになることはありませんでしたが、先帝の姫君が亡き更衣に大層よく似ておられましたので、お心の慰めにと入内を申し入れなさいました。藤壷という名のこの姫君は大層美しく、本当に不思議なほど亡き更衣に似ておられましたので、自然に帝の御心が、この藤壷に移って癒されていきますのも、感慨深いものでございました。

 源氏の君は十二歳になられ、御元服の儀式が盛大に催されました。そのお姿は輝くばかりに美しく、つややかな童髪を削ぐ時に、帝は、

「亡き更衣が見たなら……」と、また悲しく涙を落とされました。

 加冠の儀をお済ませになりました夜、源氏の君は左大臣の皇女・葵(あおい)を添臥(そいぶし)として迎え、ご結婚なさいました。けれどもこの可愛らしい姫君を、なぜか好ましく思えずに、ただ母の面影に似た藤壷を慕い続けておられました。

元服をなさって後は、今までのように藤壷の御簾の中に入ることは許されません。継母・藤壷への想いは募るばかりで、管弦の遊びの折には、藤壷の弾く御琴に合わせて、源氏の君は笛をお吹きになり、空しい御心を慰めておいでになりました。

( 終 )




:    夕顔(ゆうがお)ー第4帖          



 源氏の君がお忍びで六条の御息所(みやすどころ)の御邸にお通いの頃、大弐の乳母(だいにのめのと)が重い病気になられましたので、お見舞いにお出かけなさいました。

家来の惟光(これみつ)をお待ちになる間に、その家の辺りをご覧になりますと、隣に御簾などを清しく整えた涼しげな家がありました。板塀には青々としたつる草が這いかかり、白い花が美しく咲き匂っています。

「そこに咲く白い花は何か」とお尋ねになりますと、

「その白い花は夕顔と申します」と、家来が一房折り取りました。するとその家の中から女童が出てきまして、

「これにのせてお目にかけて下さい」と、香を焚きしめた扇をさしだしました。

その扇には、

  心あてに それかとぞ見る白露の 花にそえたる夕顔の花

淡い墨つぎもゆかしく書かれていましたので、源氏の君はどのような姫君が住んでおられるのか……と、大層興味深くお思いになりました。


 いつしか秋になり、源氏の君は葵上の御邸にもたまにしかおいでにならず、六条の御息所に対しても、以前のように一途になられることはなくなりました。

 惟光が、源氏の君のお心に添うようにと、段取りをつけましたので、夕顔の宿にお通いでございました。

 ささやかな庭には しゃれた呉竹が美しく、秋草の露が二条院と同じように輝いていました。
 夕顔の姫君は大層なよやかで、美しくいらっしゃいました。白い袴に薄紫色の柔らかい衣を重ねた愛らしいご様子に、源氏の君は狂おしいまでに心惹かれてしまいました。しかし夕顔の家の周囲は、卑しい人々の住み家で、大層騒々しいところでした。

 ある夜、月が急に雲に隠れて、明け行く空の美しい頃、源氏の君は、

 「どこか静かな所で夜を過ごしましょう……」と、

姫君を軽々と抱き上げて御車に乗せて、某(なにがし)の別荘に移られました。
その邸はひどく荒れ果てて、木々が生い茂り、不気味な様子でした。夕顔が恐ろしげに大層怯(おび)えますので、ずっと添い臥して睦まじくお過ごしになりました。

 夜深く過ぎる頃、源氏の君の枕元に 幻のように美しい女が現れました。

「私がこんなにお慕いしていますのに、何の見どころもない女をご寵愛なさるとは、恨めしうございます……」と申しました。

 源氏の君は 物怪(もののけ)に襲われる思いがして目を覚ましますと、辺りは灯が消えて真暗闇です。太刀を抜いて魔除けにして、御几帳の内に入りますと、何と夕顔はうち臥して息をしていません。

源氏の君は驚いて夕顔を抱き上げ、

「愛しい人よ、生き返って下さい……」とお泣きになりましたが……、

やがて身体もすっかり冷えて、息も絶え果ててしまいました。

 夕顔の亡骸を密かに東山の寺に移すことにして、源氏の君は惟光に促され 、二条院に戻られました。けれども

「今一度、夕顔に逢いたい……」と、東山の寺へお出かけになりました。

 亡骸は大層小さく、むしろ愛らしげで、まだ生きているようにさえ見えます。その手を握って、

「今一度声を聞かせてください……いかなる前世からの縁でしょうか。少しの間、心を尽くし愛し合えたのに、私を捨てて死んでしまわれるとは……」と、声を惜しまずお泣きになりました。

 朝霧の立ちこめる帰り道、源氏の君は悲しみのあまりに、馬から滑り落ちてしまわれましたが、なんとか助けられ, 二条院にお帰りになりました。それからというもの、病床に臥され、すっかり衰弱してしまわれました。内裏では、限りなくご心配なさいまして、御平癒のご祈祷がしきりと催されたのでございました。


 夕暮れの静かなひととき、源氏の君は 夕顔に仕えていた女房の右近をお召しになり、

「あの姫君とは、こうゆう宿世の仲だったのであろう……。女は儚く頼りないように見えるのが愛しいもので、内気にふるまって、連れ添う人に従うのが可愛いいものだ。そういう気立ての女を、自分の思うように躾けたら、仲睦まじくいくでしょう……」等と仰せになりました。

右近は、
「そういうお方でしたのに、お亡くなりになられて、口惜しうございます……」とまた涙を流すのでした。

 はや立冬となり、時雨れる空も哀れに思える頃、源氏の君は終日物思いにふけってお過ごしになりました。
こうした忍ぶ恋は辛いものだ……と、身にしみてお分かりになられたことでしょう。



( 終 )



   若紫(わかむらさき)ー第5帖      

   


 源氏の君は熱病を患っておられました。お呪いや加持祈祷などをなさいましたが効果もなく、度々発作を起こされますので、評判の聖がいる京都北山の寺にお出かけになりました。

やがて発作も治まりましたので、近くにある御邸の辺りを歩かれました。小柴垣のところから、その家の様子を垣間見(かいまみ)なさいますと、西側の部屋に持仏を置き、尼が苦しそうに読経しておりました。
 その側に白い衣に山吹色の着物を重ね着た、十歳くらいの愛らし少女がおりました。髪は扇を広げたようにゆらゆらと美しく、泣いてこすったように赤い顔で立っています。

「何事ですか」と尼君が見ますと、

「雀の子を犬君が逃がしたの。伏籠に閉じ込めておいたのに……」と悔しそうな様子です。

「まあ、何と子供っぽいことを……私が明日をも知れぬ命なのに、雀の子を追っているなんて……」

 その少女は誠に愛らしく、心を尽くしてお慕いする藤壷の宮に大層よく似ておりますので、源氏の君は思わず涙を落とされました。実はこの兵部卿(ひょうぶきょうー藤壷の兄)の姫君は、幼くして母を亡くし、この尼君に預けられていたのです。

 「心惹かれる可愛い人を見てしまいました……」

源氏の君はこの少女を手元に引き取り、恋しい人を想いながら、御心のままに理想的な女性に育てたい……と、熱望なさいました。

 内裏では、藤壷の宮がご病気になられ、お宿下がりをなさいました。
源氏の君は、
「この機会にこそお逢いしたい……」と、王命婦(藤壺付きの女房)に何度もお頼みになりました。

どう計ったものでしよう。ある日、強引に藤壷にお逢いになりました.。
けれども、藤壷の宮は、

「せめて、この一度だけで終わりにしよう……」と堅く心にお決めになりました。この道ならぬ逢瀬に思い乱れるご様子は、誠に畏れ多いことでございました。


 七月に入り大層暑い頃には、藤壷の宮は床に伏せたままお起きになりません。この頃になると、人目にもはっきりご懐妊と分かるようになりましたので、この運命を大層怖ろしいものと、深く思い悩んでおられました。
宮には、はっきりと思い当たる事がありましたので、ご自分の罪を意識なさいまして、密かにお苦しみでございました。 

 やがて内裏に上がられますと、帝は ご懐妊なさいました藤壷の宮へのご寵愛がますます募られ、ご気分のすぐれぬ折には藤壺をお慰めしようと、暇なく源氏の君をお呼びになり、お琴や笛など様々に奏でさせなさいました。
 源氏の君はご自分の気持をじっと抑えておられましたが、忍びがたい感情が態度にでてしまう折などには、藤壷の宮もすげなく拒む態度を取りながらも、源氏の君を愛しく想い続けておられたのでございました。


 源氏の君にとって秋の夕べは、心の暇ないほどに藤壷の宮への想いが募るばかりで、北山で見つけた藤壷と縁続きの少女を、二条院に引き取りたいという身勝手な気持が、なお一層高まるようでした。

     手に摘みて いつしかも見む紫の 根に通ひける野辺の若草

 やがて 初冬になり、北山では尼君が空しく亡くなられました。

 藤壷の面影を宿すあの少女は、亡き尼君を大層恋しがりましたが、頼る人もなく悲しくお過ごしでございました。父・兵部卿がご自邸に引き取ろうと、、姫君を迎えに来る前夜、源氏の君は姫君の家の門を叩かせ、まだ眠っている少女を抱いて御車に乗せて、密かに二条院にお連れしてしまいました。

 日が経つにつれ、姫君はこの後の親(源氏の君)に慣れ、大層慕ってつきまといなさいました。源氏の君が外からお帰りになると、真っ先にお出迎えなさって、懐に抱かれても少しも恥ずかしいともお思いにならず、本当に可愛らしい遊び相手のようでした。

源氏の君は「この姫君は本当に大切な娘……」と心からいとおしくお思いになり、大層可愛がりなさいました。         

( 終 )
(こうして紫上の二条院での暮らしが始まったのでございます。)









末摘花(すえつむはな)ー第6帖


 花に置く露のように、儚(はかな)く亡くなられた夕顔の姫君を、源氏の君は今でも忘れることができません。これまでの姫君の中でも、夕顔の可愛らしさは比べようもなく、夕顔のような愛らしい女性はいないものかと、密かにお探しでございました。

 ある日、命婦(みょうぶ)から常陸宮(ひたちのみや)の姫君のことをお聞きになりました。父・親王に先立たれ、生活の後ろだてもないまま、ただ七弦の琴を慰めにひっそり暮らしておられました。

 源氏の君はそっと常陸宮邸を訪れました。姫君は梅の薫る庭を眺めていらっしゃいましたが、命婦の勧めで、琴をほのかにお弾きになりました。源氏の君は大層愛しくお思いになりましたが、身分の高い姫君に少し躊躇(ためら)いなさいまして、その夜はご自分のお気持だけを命婦に伝えてお帰りになりました。

 八月二十日過ぎ、松の梢を吹く風の音も心細い夜、姫が琴を掻き鳴らしておられますと、源氏の君が再びお越しになりました。内気な姫君は男性とお逢いする心得を全く知りませんでしたが、命婦の助言のとおり「ただお話を聞くだけならば……」とお逢いになりました。

 源氏の君は御簾越しに熱い想いを語られましたが、口の重い姫君は何のお返事もなさいません。たまらず強引に御簾の中にお入りになりますと、ほの暗い中で姫君が大層怯えていらっしゃいますので、何かお気の毒になり、何事もないまま、諦めてご退出なさいました。
 後朝(きぬぎぬ)の御文(結婚の後に交わす御文)もやっとの思いで書かれましたが、その後のお通いは気が進まずに、すっかり途絶えてしまいました。

 ある雪の降る日、源氏の君は思い直して、再び常陸宮邸をお訪ねになりました。こんな日はしみじみ心惹かれますのに、姫君は相変わらず心打ち解けなさいませんので、誠に残念に思いました。

「せめて美しいご容貌ならば……」と、源氏の君はかすかな期待をなさいました。

 やがて夜が明けてきました。庭の植え込みの雪をご覧になり、

「美しい雪景色をご覧なさい……」とお誘いなさいますと、

姫君はにじり出ておいでになりました。雪明かりの中でそのご容姿をそっとご覧になりますと、黒髪は誰にも負けぬほど美しいのですが、身体つきが胴長で大層痩せておりました。そして長く青白い顔の真ん中に、なんと紅い鼻が伸びて垂れ下がり、それはまるで普賢菩薩が乗る象の鼻のようでした。
 お召しになっている格調高い御衣裳もすっかり色あせて、源氏の君が何か話しかけても、口元を御袖で覆い「むむっ」とお笑いになるだけでした。

 「やはりそうか……」と胸潰れる思いがなさいまして、早々に退散してしまいました。

 源氏の君が内裏の宿直所におられますと、命婦が常陸の姫君からの贈物を持ってまいりました。その衣装箱の中には薄紅色の大層古い直衣が入っておりました。源氏の君は呆れて、歌をつぶやきなさいました。

    懐かしき色ともなしに何にこの 末摘花(紅花)を袖に触れけむ

「どうしてべにばな(紅い鼻)の姫と契りを結んでしまったのだろう……」と、後悔なさいました。

 末摘花が世間並みのご容貌ならば見捨てることもできましょうが、はっきりお姿をご覧になってからは、

 「この姫君をお世話する者は他にあるまい。色恋とは別に後見人として、お気の毒な姫君の面倒を見ることにしよう……」とお決めになりました。

 春の大層のどかな日に、二条院で、源氏の君は愛らしい若紫の姫君と雛遊びをなさいました。寝殿の紅梅の蕾が色づいているのをご覧になり、末摘花の紅い鼻を思い出されまして、思わず溜息をつかれました。    

( 終 )


   紅葉賀(もみじのが)ー第7帖                  


 朱雀院への行幸は十月十日過ぎに催されます。帝はその美しい舞楽を藤壷の宮がご覧になれないことを、物足りなくお思いになりまして、紅葉散り交じる清涼殿の前庭で、予行演奏を行わせなさいました。

 源氏の君は頭中将と共に清海波(せいがいは)を舞われましたが、その舞姿は、この世に類の無いほど美しく、帝は思わず感涙をお拭いになりました。

 行幸の当日、鮮やかに舞う源氏の君のお姿が、不吉なまでに美しく見えましたので、帝は、

 「鬼神に魅入られ、早死にするのではないか……」と不安になられ、御誦経などおさせになりました。

 春宮の母・弘徽殿の女御だけは、それを大層妬ましく、お恨みになっておりました。

 左大臣(義父)は 源氏の君が幼い姫君(若紫)を、二条院に迎えられた事を伝え聞き、大層ご心配なさいました。葵の上も大層不愉快にお思いで、源氏の君がお渡りになりましても、ただ取りすまして打ち解けない態度をなさいますので、

 「こんなに愛しく思っていますのに、お分かり頂けないのか……」と、源氏の君はお辛いようでございました。

 一方、二条院に引き取られた幼い姫君は、慣れるほどに大層愛らしくなられました。日が暮れて、源氏の君が女君のところにお通いになる時には、すねてしまいますので、ますま可愛らしく、愛しくお思いになりました。

そこでこの姫君のために正式に家政を管理する人をお決めになり、将来にも不安なく仕えさせなさいました。

 藤壷の宮のご出産が予定の十二月を過ぎてしまい、物の怪の仕業であろうかと内裏の人々が騒ぐので、藤壷の宮は、
 「もしかしてこの出産で命を終えるのではないか……」と思い悩んでおられました。
源氏の中将は、お生まれになるのは間違えなく「わが御子」と思い当たられ、密かに御祈祷などおさせになりました。

  二月半ば、男の御子が無事お生まれになりました。
内裏の人も皆、大層お喜び申し上げました。この御子は誠に呆れるほど源氏の君に生き写しのお顔だちですので、藤壷の宮は、あの日の過ちを思い出し、良心の呵責に攻められて、大層お悩みでございました。

 
 四月になりまして、藤壷の宮は内裏へお上がりになりました。桐壺帝は忍びの逢瀬があったとは知る由もなく、この皇子を大層可愛がりなさいますので、藤壷の宮はなお一層お苦しみになりました。

 源氏の君は父帝に対して恐ろしくも畏れ多くも思われましたが、わが御子に対しては誠に嬉しく、 愛しさに思わず涙がこぼれるのでした。


けれどもこの皇子が 源氏の君に似ているその真実に、気付く人はないようでした。

 内裏には年老いた典侍(女官)がおりました。家柄も良いのに好色に見えますので、源氏の君はお戯れに言い寄ってごらんになりました。
これを聞きつけた頭中将(葵の兄)は、恥をかかせようと企んでいました。

 ある涼風の吹く夕暮れ、典侍が弾く琵琶の音が、物悲しく 源氏の君の御心を誘いました。夜が更けて、お二人がうとうとした頃、頭中将はお部屋に忍び込み、屏風をバタバタとたたんで大騒ぎをしました。驚いた源氏の君は逃げだそうとなさいましたが、頭中将の悪戯と分かりますと、お互いに直衣の引っ張り合いになりました。遂にはお袖が破れ、恨みっこなしの情けないお姿になられまして、そろって部屋を出ていかれました。
 この二人の競争心は何とも呆れるほどでございました。

 藤壷の宮が中宮の位にお就きになり、源氏の君は宰相になられました。藤壷が参内なさる夜、源氏の宰相がお供をお務めになりましたが、御輿の中のお姿が愛しく思われ、いよいよ手の届かない遠い御方になられたようで、しみじみ寂しく思われました。       


( 終 )












花宴(はなのえん)ー第8帖


 春二月二十日過ぎ、南殿の桜の宴が催されました。夜更けて宴は果て、后や春宮もすでに帰られ、清涼殿の人々も寝入ったのを幸いに、源氏の君は,

「こういう時にこそ、恋しいあの方に逢えるかも……」と、藤壷の辺りを忍び歩かれました。

しかし戸口はすべて閉ざされておりました。そこで弘徽殿の細殿に立ち寄られますと、何と戸口が開いています。ほろ酔い気分の源氏の君はそっと中にお入りになりました。

 その時「……朧月夜に、似るものぞなき……」と歌いながら、美しい姫君がこちらにやって来るではありませんか……。
源氏の君は嬉しさのあまり、そのお袖を捉えて姫君を抱き下ろし、細殿の戸を閉じてしまいました。

 その怯える様子が大層愛らしく、すっかり心惹かれなさいました。姫君も相手が源氏の君とお気付きになり、心和むようでございました。

やがて夜が明けてきましたので、お別れに名前をお尋ねになりましたが、姫君はお答えになりません。仕方もなく、この夜の証としてお互いの扇を取り替えて、細殿を退出なさいました。

 源氏の君はお部屋に戻られましたが寝入ることができません。「しかし美しい姫君だった……弘徽殿の女御の妹君に違いない……」等と、思い巡らしておられました。

 翌日、家来たちに様子を探らせましたが、あの姫が誰かも判からずに、大層心残りでした。一方、かの姫君は儚い夢のような一夜を思い出して、恋しく物思いにふけっておられました。

 三月二十日すぎに、右大臣邸で藤の花の宴が催されました。源氏の君は夕闇に紛れて席をお立ちになり、東の戸口から寝殿にお入りになりますと、姫君たちが藤の花を見物しておいでになりました。源氏の君は、
 「あの姫君はどの方だろうか……」と胸をときめかし、一人の姫君の手をとって問いかけますと、そのご返答の声がまさしくあの朧月夜の姫君なのでしたが……

(その朧月夜の姫君は、帝の御后になられることが内定していましたので、弘徽殿の女御の逆鱗(げきりん)に触れ、源氏の君を苦しい立場へ追い込むことになります……)     


( 終 )





葵(あおい)ー第9帖



 桐壺帝の譲位があり御代が変わりました。弘徽殿の春宮が朱雀帝に即位なさいまして、右大臣勢力下の世の中になり、源氏の君には辛い日々をお過ごしでした。

 六条御息所を母とする姫君が、新しい伊勢の斎宮にお決まりになりました。御息所は源氏の君の愛情が頼りないので、姫君と一緒に伊勢に下ろうとお考えでした。

桐壺院はこの噂をお聞きになり、
 「亡き皇太子(光源氏の兄)がご寵愛なさった方を、疎かに扱うのは良くないことt……」とお諫めになりますのに、源氏の君は正妻・葵の上が初めてのご懐妊と分かり、大層愛しくお想いになりますので、なお一層、御息所へのお通いも遠のいてしまいました。

 賀茂の祭の前に、御祓の儀式が盛大に催されました。
初夏の空は晴れ渡り、一条大路は見物の人々で埋まりました。葵の上も女房たちに勧められ、見物にお出かけになりましたが、大路は大変な混雑で御車を停める場所がありません。
供人達は振る舞い酒の勢いから、側の質素な網代車を押し退け、所争いになってしまいました。その御車には六条御息所が忍んで乗っておられたのでございます。
悔しさから御息所が身震いなさっておられます時、源氏の君の行列が前を通りました。一段と光輝くお姿をご覧になり、正室・葵の上に圧倒された自分の立場を、この上なく悔しくお思いになりました。

それが原因となって、心の奥深くに葵の上に対する憎しみが生まれたのでございました。

 御息所はその御車争い以来、大層思い乱れて、わが魂が身体を離れ、葵の上を突き回し掻きむしる光景を、幾度も夢にみました。御心があの御車争いのため憎しみに変わり、物怪となって葵の上に取り憑いたのでございます。
 源氏の君は葵の上がご懐妊の上、物怪にひどくお苦しみになりますので、加持祈祷などを心尽くしてさせなさいりました。

 ある日、源氏の君がご寝所にお入りになりますと、葵の上は臨月のお腹は膨れていますものの大層美しく愛らしげで、なお一層深い愛情が感じられ、お泣きになりました。

    嘆きわび 空に乱るるわが魂を 結び留めよ下がひのつま

歌を詠む葵の上の声が、何と御息所のそれに代わっていました。今まざまざと生霊をご覧になって、源氏の君は誠に耐え難くお思いになりました。

 まもなく葵の上は男御子を出産なさいましたが、源氏の君が司召の儀式で参内し、御邸がひっそりしている間に、急にお苦しみになり亡くなられました。ようやく葵の上と心が解けはじめていましたので、源氏の君にとっては、ご逝去が尽きることなく悲しいことでございました。

 更に父・左大臣の悲しみは大きく、 
「余命いくばくもない老いの末に、愛する娘に先立たれまして大層辛く……」と、涙を拭く御袖を顔からお離しにならず、乱れるお心を抑えるご様子は胸に詰まるものでございました。

 喪があけまして、源氏の君は二条院に戻られました。喪服を脱ぎ直衣装束に着替えて、若紫のいる西の対屋にお渡りになりました。小さな御几帳の向こうに姫君が座っておりました。恥ずかしそうに微笑まれたご様子は誠に愛らしく、あの藤壷の中宮に違うところなく美しくなられ、もうご結婚に相応しいお年頃になられたようです。

 源氏の君は葵の上を亡くされた寂しさにまかせて、ずっとご一緒にお過ごしになりました。姫君は大層愛敬があり魅力的で、とても愛くるしい心をおみせになりますので、源氏の君はもう我慢できなくなられ、
……若紫の姫君と新枕を交わしなさいまして、やがて新しい年もあけました。

 正月、源氏の君は左大臣家を訪れ、葵の上のおられた頃の慣わしどおり、母君の用意なさいました新装束にお召し替えなさいました。
「悲しみの私にさえ、春がくるのかと参上したのですが、悲しく思い出されることが多く……」

     新しき年ともいはず降るものは ふりける人の涙なりけり


( 終 )








  


賢木(さかき)ー第10帖


 葵の上が亡くなられた後には、御息所がご正妻になられると期待していましたのに、源氏の君の訪れは途絶えてしまいました。(わが身が生霊となり、葵の上に取り憑いたために、源氏の君の御心が離れてしまった…… )とお分かりになりました御息所は、斎宮になる娘と共に、伊勢に下る決心をなさいました。

 源氏の君は美しい御息所が京を離れてしまう事をさすがに残念にお思いになり、野々宮をお訪ねになりました。嵯峨野の野辺は秋草も枯れ果て、松風が寂しく吹いて、誠に趣の深い情景でした。御息所は、

 「お逢いすれば、決心も揺らぐ…」と躊躇いなさいまして、なかなかお逢いになりませんでしたが、ようやく出てこられたそのお姿は、心憎いほど奥ゆかしく、美しくいらっしゃいました。源氏の君は榊(賢木)の枝を御簾の中に差し入れて、
 「この榊(常緑樹)のように、変わらぬわが心を……」と訴えなさいましたので、御息所の御心は大層乱れましたが……、やはり予定通り、伊勢に下って行かれました。

 桐壺院のご病気は、神無月に入り大層重くなられました。朱雀帝に春宮や源氏の君の事を繰り返し遺言なさいまして、特にお苦しみもなくご崩御されました。

 藤壷中宮や源氏の君のお悲しみは、誰にもまして深いものでございました。四十九日の御法要の後に、中宮はご自邸の三条院にお下りになりました。
 年が改まり、服喪の新年には華やかな行事もなく、源氏の君はずっとご自邸に篭もって悲しくお過ごしになりました。

 朱雀帝は亡き桐壺院のご遺言通り、源氏の君の事を心にかけておられますのに、母后(弘徽殿)や祖父・右大臣が疎ましくお扱いになりますので、源氏の君にとっては、大層不愉快なことの多い日々でございました。

 深い悲しみの中、源氏の君は何とか藤壷中宮にお逢いしたいと願っておられました。
 ある夜、逢瀬は夢のように実現してしまいました。中宮の御簾の前で、源氏の君は語り尽くせぬほどの熱い御心を訴えなさいましたが、中宮は、
 「再び、過ちを繰り返してはなりませぬ……」と、心惹かれながらも必死にお逃げになり、やがてその夜は明けてしまいました。けれど、源氏の君はお部屋から退出しようとなさいません。
 藤壷の中宮は急に胸を咳上げ大層お苦しみなさいましたので、驚いた女房たちが、ひとまず塗籠 (ぬりごめ・納戸)に押し込めてしまいました。中宮は大層切なく辛いとお思いになり、なほ一層お苦しみになりましたが、ようやく日の暮れる頃になって、快方に向かわれました。
 藤壷の中宮は、源氏の君がこのように塗籠の中に入っておられるとは全く御存じなく、女房たちもまた御心を惑わすことのないようにと申し上げずにおりました。

 ところが源氏の君は、塗籠の戸が細目に開いていましたので、ご自分で静かに押し開けて、御屏風の間を伝わって、愛しい藤壷の中宮のお部屋にお入りになってしまわれました。そして中宮の清新で美しいお姿を見つけ、嬉しくて涙を流し、ただ見つめておられました。
 静かに外を眺めておられますお姿は大層愛らしく、源氏の君は、藤壷の中宮の髪ざしや御髪のつやつやした美しさなどをご覧になって、あの西の対屋の紫の上と驚くほど似ているとお思いになり、少し悩みが晴れるような心地がしておられました。
 気品があり、思わず気後れするほど美しい藤壷の中宮を、昔から限りなく心深くお慕いしてきたせいでしょうか、お心も冷静さを失い、御帳の中にそっと滑り込んで、宮のお召し物の裾をお引きになりました。中宮は、源氏の君とはっきり分かる薫香がさっと匂ってきたので、思いがけず嫌だとお思いになって、そのまま臥しておしまいになりました。
 「せめて、こちらをお向きください」 恨めしく情けなくて、宮のお召物を強く引き寄せなさいますと、藤壷の宮はそれを脱ぎすべらせてお逃げになりました。源氏の君は宮の御髪が手にとれたので、長い間、抑え鎮めてこられた熱い想いを泣き泣き申し上げましたので、中宮もさすがに深く心打たれておられました。源氏の君に心を惹かれながらも、大層言葉たくみにお逃げになって……、やがて今宵も明けてゆきました。

 「春宮のためを考えますと、源氏の君に隔てをおくのはよくないことですけれど、このような逢瀬を続ければ、きっと世間で悪い評判がたつに違いない……」と、深く思い悩まれまして、「中宮の位を辞退して 穏やかな日々を送りたい……」と、遂に出家を決心なさったのでございます。

 故桐壺院の一周忌の御法事に続き、御八講が行われました。その最終の日、藤壷中宮はご出家なさる旨を仏に申し上げなさいました。人々は大層驚きお引き止めしましたけれど、中宮のご決心は堅く、法会の終わる頃に御伯父の横川僧都が黒髪をお切りになりました時には、御邸は泣き声に揺れんばかりでございました。

 かの朧月夜の姫君は尚侍になられ、朱雀帝のご寵愛を受けて、華やかに栄えておいでになりました。しかし心の中では源氏の君を忘れることができず、密かに御文を交わしては逢瀬を重ねておられました。

 ある日、朧月夜の君は熱病になられて、三条のご実家に帰られました。やはり今宵も源氏の君がお通いでございます。雷雨はやがて激しくなり、源氏の君はご寝所から出られぬまま、夜が明けてしまいました。そこへ右大臣が娘を心配して、お部屋においでになり、いきなり御簾を上げなさいました。姫君の袖に男帯がからんでいます。更に傍らに、和歌などを書き散らした畳紙が散らかっています。右大臣はその筆跡から源氏の君と気づき、弘徽殿の大后に訴えなさいました。

 大后のご立腹は大変なものです。「朧月夜が皇太子妃に内定している事を知りながら、源氏の君のこの振る舞いは、朱雀帝を軽んじ嘲る心があるからに違いない。……源氏の君を政界から葬るには、ちょうど良い機会だ……」等と策略を巡らしておられました。     


( 終 ) 





花散里(はなちるさと)第11帖


 五月雨の空が珍しく晴れた雲間に、源氏の君は久し振りに花散里の御邸をお訪ねになりました。

 昔、麗景殿の女御には、故桐壺帝の華やかなご寵愛こそありませんでしたが、源氏の君は親しみ深く、心惹かれる方だと思っておられました。花散里はその妹君にあたり、以前に少しお逢いになりまして、今も愛しくお想いでございました。

 その道すがら中川の辺りで、木立など風情ある家から琴の音が聞こえてきました。
ふと耳に留められた源氏の君は、昔、お通いになった女君の家だとお気付きになり、胸をときめかされました。ただ通り過ぎる訳にもいかずに躊躇っておられます時、何と、ほととぎすが鳴いて飛んでいきました。

 例の惟光を邸内に入れ、その姫君と逢えるように話をつけさせましたが、姫君はお逢いになりません。源氏の君も、
 「他に男でもできたのなら、仕方もない……」と諦めなさいましたが、姫君はひとり、心の中で残念に思っているのでした。

 
 目指す花散里の御邸は、桐壺帝が亡くなられ、すっかり世の中も変わってしまった今は、人々の訪れもなく、静かな佇まいでございました。源氏の君が女御のお部屋で故院の話をしておられますと、次々に昔のことが思い出されて悲しくなり、お泣きになりました。折も折、ほととぎすが先程と同じ声で鳴きました。

     橘の香を懐しみほととぎす 花散里を訪ねてぞとう

 源氏の君は西側の部屋に忍びやかにお渡りになりました。花散里の姫君にとっては、珍しい方のご訪問に加え、比類ないほど美しい源氏の君のお姿ですので、長くお忍び通いの絶えていた辛さも、すっかり忘れてしまうようでございました。   

( 終 )

                    

 

 
 
  
           


須磨(すま)ー第12帖   


 朧月夜の尚侍との秘事が発覚して以来、源氏の君は位官剥奪の身となられ、右大臣の攻勢がますます激しくなりましたので、更に流罪の刑などを受けることになる前に、自ら須磨へ身を退いてしまおうと決心をなさいました。しかし京都を離れるには何かと心残りが多く、
 「どんな辛い旅でも、ご一緒できるなら……」と紫上がお泣きになりますので、これが永遠の別れの旅立ちになるかもしれないと、一層悲しく思われました。

  身はかくてさすらへぬとも君が辺り 去らぬ鏡の影は離れじ(源氏)

  別れても影だにとまるものならば 鏡をみても慰めてまし  (紫上)

 須磨に発つ前に、左大臣邸にお渡りになりました。亡き葵の上のお部屋は大層寂しげでしたが、その若君(夕霧)は愛らしく戯れ、源氏の君は膝の上にお抱きになりまして、別れの悲しみを一心に堪えておられました。

 藤壷の入道の宮には「私が罰を受けるのは、ただひとつの事のためであり、もしわが身が亡きものになっても、春宮の御代が平穏無事であるように願うばかりです……」とお話しなさいますと、宮にも思い当たることがあるようで、乱れた御心をお鎮めになるご様子は、誠に心惹かれるものでございました。

 三月二十日過ぎ、源氏の君は夜の明けぬうちにお発ちになり、夕方須磨にお着きになりました。須磨は都とは隔絶した侘びしい海辺で、渚に寄せては返す波を見つめ、
 「羨ましくも波は立ち返るよ……」とつぶやかれました。更に霞みがかった遙かな京の山々をご覧になりますと、まるで三千里も遠く離れたような心地がして、涙を抑えることができませんでした。

 この侘び住まいに少し落ちついた頃、源氏の君は都の人々と御文を交わすことで心を慰めておられました。秋になり十五夜の月を見て、清涼殿で行われた管弦の催しや、女君の様子などを懐かしく思い出されましたが、君の侘びしさは募るばかりでした。

 秋になり、物寂しい夕暮れに、源氏の君は海を見渡せる廊にお立ちになりました。遠く沖には小舟が浮かび、遙か京の方に向かって飛ぶ雁の列を眺め、物思いに沈んでおられました。

    初雁は 恋しき人のつらなれや 旅の空飛ぶ声の悲しき

 秋が過ぎ、長い冬がきました。都からの訪れもなく、親しい人たちとは御文を交わしておられましたが、それを大后に告げ口する者があって、やがて御文を交わす者もなくなってしまいました。
 「もうこのまま自分の人生は終わってしまうのか……」と、心は沈むばかりでした。

 年が明けて春がめぐってきた頃、宰相の中将(もと頭中将)が右大臣方の厳しい目をくぐって訪ねて来ました。久しぶりに詩歌をやりとりし、琴を奏でるなどして、しみじみと心深い時を過ごされました。又、幼い若君のことや、左大臣や大宮が悲しんでおられる様子などをお聞きになりますと、胸の詰まる思いがなさいました。しんみりと別れを惜しむ暇もなく、宰相の中将はお帰りになりまして、源氏の君の御心はますます悲しく沈んでしまわれました。

 三月はじめの巳の日に、御祓をなさろうと海辺に出られました。舟に人形を乗せて流す様子を見て、ご自分の身の上のようで、大層心細くなられ、

    八百よろづ神もあはれと思ふらむ 犯せる罪のそれとなければ

 その時、突然あたりは激しい暴風雨に襲われました。高波が打ち寄せ、雷が恐ろしげに轟いて、まるで神の怒りのようでした。

 その夜、源氏の君が少しうとうとなさいますと、夢に怪しい物影が現れては消えました。源氏の君は急に不気味になられて、
 「もう、須磨は耐え難い……」と心からお思いになりました。 


 ( 終 )















明石(あかし)ー第13帖

 やはり雨風は激しく、雷も止まずに幾日も過ぎました。一日中荒れ狂った風雨にお疲れになった源氏の君がうとうとなさいますと、故桐壺院が在世のお姿そのままに現れ、
 「舟を出して、この浦を立ち去りなさい……」と仰せになりました。そこへ明石の入道が、住吉のお告げ通り、小舟を寄せてお迎えに参りました。源氏の君がお乗りになりますと、激しい風雨の中に不思議な追い風が細く吹いて、小舟は明石の浦に着きました。

 明石の景観は大層美しく、入道の御邸も都と変わらないほど眩く優雅でした。源氏の君は入道と昔話をしたり、御琴や琵琶を奏でてお過ごしになりました。この明石入道には、将来 都の高貴な方に差し上げようと大切に育てている美しい娘がおりました。この姫君は琴の名手で、源氏の君はその琴の音を聞きたいと思いましたが、紫上を恋しく想う君の御心が動くことはありませんでした。

 明石では秋になると浜風が物寂しく吹きました。独り寝の源氏の君は寂しくなられ、十三夜の月の美しい夜に、姫君の御邸にお出ましなさいました。

 道すがら、四方の浦々を見渡し、その美しい入江の月影に、恋しい紫上を思い出しなさいまして、
 「このまま馬を引いて、都の方へ行ってしまいたい……」とお思いになりました。

    秋の夜の 月毛の駒よわがこふる 雲居を翔れ時の間も見む

 岡辺の家は木々が深く、近くの念仏堂の鐘の音が松風に悲しく響き、心にしみる趣がありました。源氏の君が御簾の前で躊躇いがちに何かを仰いましたが、姫君は打ち解けない様子ですので、心乱れておられますと、その時、姫君の近くにある御几帳の紐に箏の琴が触れ、美しい音が鳴りました。つい先ほどまで、くつろいで琴を弾いていた姫のご様子が想像できて、源氏の君は興味深くお感じになりました。

 姫君は上品ですらりと細く、誠に高貴な美しい方でした。やがてお二人は契り、源氏の君はこの姫を一層心深く 愛しくお想いになりました。けれども紫上に心遣いをなさいまして、お忍びの旅寝も少々控えておられるようでした。


 その年、京では奇怪な前兆がしきりに起こりました。ある嵐の夜、朱雀帝の夢に故桐壺院がお立ちになり、厳しく帝を睨みつけお諫めなさいましたので、その日から帝は御目を患われ、遂に重いご病気になられました。

 更には母大后(弘徽殿)も病みつかれました。帝は、
  「源氏の君が流離の身に沈んでおられる限り、その報いを受けるだろう。」とお考えになり、大后の忠告にさからって、遂に源氏の君をお許しになる評定を下されました。源氏の君にはすぐに京に帰るべく宣旨が下りました。

 その頃、源氏の君は一日も欠かさず明石の君とお過ごしになり、ご懐妊の様子に、この明石の浦を離れることを大層お嘆きになりました。

 お別れの日が近づき、源氏の君は目が覚めるほど美しいこの姫君を、明石に見捨てていくことを、残念にお思いになり、
 「然るべき御待遇のもとに、必ず都にお迎え申しましょう」と堅くお約束なさいました。

 明石の君は大層悲しく、やがて忍びやかに琴をお弾きになりました。その音色はあくまでも澄んで美しく、妬ましいまでに優れておりました。源氏の君も琴をかき鳴らし、
 「この琴を、又一緒に弾く時までの形見として……」と仰せになりましたが、姫の悲しみは例えようもなく、ただ涙にくれていらっしゃいました。

 源氏の君は明石を離れ、難波の浦に渡り、住吉の神にかけた大願の御礼を申し上げてから、京に向かわれました。二条院にお着きになりますと、ご帰京をお待ちしていた人々は喜びのあまり、泣き出すほどに騒いでおりました。紫上は大層愛らしげに大人っぽくなられまして、どうしてこのように長い年月を、別れて過ごすことが出来たのか……と、呆れるほどに愛しくお思いになりました。

 朱雀帝からお召しがありまして、源氏の君は参内なさいました。帝はご病気で伏しておられましたが、この頃、少しご気分もよくなられた様子でございました。源氏の君はもとの官位に改まり、権大納言になられました。
 藤壷の入道の宮にもご対面なさり、しみじみと感慨深いお話をなさいました。

 そして明石の君に心を込めて御文をお遣わしになりました。

     嘆きつつ 明石の浦に朝霧のたつやと人を想いやるかな            


  ( 終 )

 


朱雀帝のご寵愛を受ける朧月夜の姫君との密会が露見して、
自ら須磨へ退いていた源氏の君も、ようやく京に戻り、復権されました。 

背景 : 有識文様素材「綺陽堂」