大平の六人衆

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油石

 昔、大平に六人衆と云われる家々があった。その家の祖先は大平が未開の頃、当地に来て荒地を開墾して住みついた、草分けの家と伝えている。その家の門前に二尺余りの川石を一対立てて草分のしるしとした。里人、これを生き石、又は油石と云う、今もその子孫の門前や門口にあり、里の草分けの家として尊敬されている。
 思うに六人衆とは土地の郷士であろう、三州一向宗乱記などに大平の本多党、柴田党、吉野党の名が見られる。現に、生き石を持つ家の姓は、本多、吉野、柴田、神谷であり、武士の出身と伝え、里の有力者でもあり、名家でもある。


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本多家の油石

生き石、油石はその家の盛衰をも表わし盛な時は石の色艶がよく、衰える時は色艶を失うと言う。後に他の郷士を加え十六人衆と云う時もあったが、加えた郷士は草分でないので油石は立てなかった。
 
 

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HP「大平町周辺の昔ばなし」
愛知県岡崎市東部口碑伝説覚書より
(c) Syouichi Masaki,1998 2000,JAPAN
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