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昔、大平の大田植と云って近郷に知られた風習があった。この起りは大平の「西大田圃」の耕地は比各的水利がよく、田に水を引き入れる時、一日余りで水が行き渡るので、いつの頃からか村中総出で田植を行うようになったものと思われる。大田植の日が定まると、その前日の夜に、用水の取水口が開かれ、夜を通じて用水路を水が流れて田に注がれ一夜が明ければ大田圃の半ばに水が入っているので、当日は村人はもちろん、他村に嫁入した娘や婿入りした息子の外に、縁者等も来て手伝う。大田植は、嫁選び、婿選びや新嫁、新婿養子を村人に披露する機会とされたので、其の姿は、男は真新しい紺のじゅばん、もも引、女子は紺ガスリの着物に白手、拭赤タスキ、帯び、手甲ハバキにすげの笠を着け立ち出でる。
仕事は前日に田ならし苗取等の手廻しを行ってあるので直ちに苗を運び田植にかかる。単調な仕事に疲れてくると田植歌が歌われそれをまぎらす。歌は、合唱または掛合で歌われ、労働の苦しさや、恋を内容とするものが多い、例えば ・五月田植に、泣く子がほしや、 あぜにこしかけ、乳のませ。 ・この田植えても、この米食はぬ、 稲に穂が出りや、わしも出る。 ・思い出す様じゃ、ほれようがうすい、 思い出さずに、忘れずに。 ・いやで幸い、好かれちゃ困る、 好いた御方は、ほかにある。 など仕事の調子に合はせた節廻しで歌われたのである。田植名物に米粉を練り黄粉をまぶした田植団子や麦粉で作った田植饅頭などは、激しい労働による空腹をしのぐ間食であった。饅頭は明治に入ってから作られたようで、団子は古くから作られていた。こうした大勢でにぎやかな田植は、近郷にめずらしいので見物に来る人も多く、年によっては殿様が観覧されたこともあり、大平並木に殿様が腰掛られた松もあった。 |