大平の渡船

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 大平川には古くから橋がかけられていたが橋巾は二間、欄干の無い板橋が、扇松から現大平橋の下流に残る橋桁の石垣を残す所にあった、橋は水面よりあまり高くないので度々の大水で流れる事も多く、橋の流失後は、渡しを行った。舟は岡と大平に各一隻あり、大平の船小屋は弁天宮付近にあり船頭は村住の船頭仲間が輪番で渡した。岡村、大平村の人は渡銭を免除され其の他は徴収した。船渡の頃、雨が降り続き増水すると船止となる事が多く、下流の御用橋、竹橋、更に殿橋に回り川を渡らなければならなかった。御用橋、竹橋は低く増水により渡れなくなるからであった。

「八月八日は風も吹かずに大水で、久後崎六名は流されて、およそ死人は二十五人」と甚句に歌われる八月八日とは明治十五年の出来事である。この日は大雨が降り高さ六尺の樽に雨水があふれる程であった。大平では砂川があふれ桶十さんの裏が決壊しその西隣の家では縁下を深くえぐり取られたと云う。
 

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HP「大平町周辺の昔ばなし」
愛知県岡崎市東部口碑伝説覚書より
(c) Syouichi Masaki,1998 2000,JAPAN
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