石のカルト

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画像1
用水路の左側で
カルトが発見された


 奧屋の西の外れ小林某の屋敷に昔から石のカルト(石棺)があると言われる。むかし、用水路を開く時、小林某の屋敷の一部を堀り開いたところカルトが現れた。中には鎧兜と二体の仏像があった。そこで仏像だけ取り出しもとの様に埋めもどした。仏像は一寸五分と一寸八分の観音仏であった。仏像は小林家で祀る事になったが、その後、同家で生臭物を食すると必ず気持が悪くなった。それは、観音仏が生臭の不浄を嫌うものと気付き、庭に小堂を造り祀ってからこの事が止んだ。しかし、その供奉に対しても、極度に不浄を嫌い家人を悩ましたから、赤渋の縁者の希望もあり、一体の仏像を譲り渡した。他の一体は矢作の某寺に祀ったと云う。この家では数代にわたり養子が続き、男子が生まれる事が少く生れても成人する者がなかった。当家の言伝えでは、男子が生れ主人となる時カルトを掘る事を許されるが、さもない時は祟りがあると云う。小林家では戦前まで用水脇にある楠木をカルトの目印とし正月、盆に供物を捧げ祀っていたが戦災で同家が焼失した時、楠木も火に遭い枯死したので切りたおされた。現在その跡は小薮となりカルトの位置は判らなくなった。
 昭和30年頃 当主が男子出生の主人であるのでカルト発掘を許されて東部史跡保存会により調査されたが遂にカルトの発見は出来なかった。
 

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HP「大平町周辺の昔ばなし」
愛知県岡崎市東部口碑伝説覚書より
(c) Syouichi Masaki,1998 2000,JAPAN
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