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明治中頃の八幡社の本殿は壁囲などなく吹きさらしで五柱の神が祀られていた。拝殿の新築と同時に本殿も改築され立派な社になり遷宮が行われた。その御輿の道順は、八幡社を出て城屋敷を通り、才勝を過ぎ大平学校で昼食を取り東海道に出た。御成の道筋は木々の枝を払い引綱をして迎えた。この時の行列で一際目立つは、背たけを揃えた御輿を担ぐ人、篠田のハッピを着て腰に黒漆の水差を後ざまにさした仲間二人に「轡」を取らせ、馬上ゆたかにうたせる篠田氏の勇姿。また言う、篠田、薮田、発知、河合等は、餅米一俵、酒一樽を寄附すると・・・ 大平は養子が栄えると云われる、これは八幡様が「やつはた」から天神様の境内に移りその天神様をすみにおしやり、八幡様の神殿が立派に造られたからであると・・・ |