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戦災で焼けた大平八幡宮の拝殿は近郷に希な立派な建物であった。特にその棟木の大きさは氏子の自慢とした。この棟木の松は明治二十年頃、洞村の神社の境内にあった大松を拝殿新築用に切り出した。 ところが、その輸送が大変なもので、当時の道は狭く曲がりくねっており、また、これ程の大木を運ぶ車もないので「コロ」を使い、道を作り、大平の里人総出で動かしたが、なかなか進まなく難儀をした。洞の里人、この様子を見て村人を呼び集め、運ぶのを助けた。 大平の里人、洞人の助力を喜びその礼として酒一樽を贈ろうと、急ぎ数名を岡崎に遣わして伊勢屋に酒の借入方をたのんだが店人はこれを聞かず、しかたなく他店で酒を借り来てふるまった。その拝殿造営が成り遷宮が行われる時、酒の購入二十五、六樽に及んだが、先にこころよく貸し与えた店より求め、伊勢屋の処置に腹を立てていた里人、二十五余りの酒樽に榊を立て消防団員がこれを担ぎ、店の思うがままのふるまい酒に勢いよくにぎやかに繰出して、伊勢屋の前をことさらにはやし立てて過ぎたと言う。拝殿に使用する瓦は岡崎より運んだと云うが、当時、大八車も少なかったので人夫の肩で運ばれ、一人の運ぶ瓦は十四枚が一人前とされたが、力の強い人達(酒井、吉野)は三十枚を運び人々を驚かせた。(人夫は夫役であったので家ごと一人がでた。) |