【アーネストシチー】 栗東 田中耕太郎厩舎
生年月日:1998年4月20日 性別:牡 毛色:鹿毛 生産者:片岡牧場
父:ホリスキー 母:ニホンピロハッピー 母父:ニホンピロウイナー

ODP値 :(B= 52 I= 28 C= 65 S= 22 P= 13)TOTAL=180 DI=1.67 CD=0.47

[5代血統表]

育成牧場(2歳春) 6戦目
写真提供 : 友駿HC 6戦目(パドック)

【競走成績】 全成績 : 1−0−0−8 本賞金 : 400万円 総賞金 : 600万円

年月日 開催 条件 距離 馬場 頭数 人気 着順 タイム 3F 着差 斤量 騎手 馬体重 1・2着馬
00/09/03 2札幌2 新馬戦 D1000 8 1 1 1.01.3 37.2 53 安田康 486 シルクフィールド
00/09/16 2札幌5 500万 D1000 11 2 6 1.01.1 37.4 0.3 53 横山典 486 スローンブラン
01/03/31 2阪神3 500万 D1800 12 10 8 1.58.1 40.7 3.6 55 安田康 506 タイムパラドックス
01/04/14 2阪神7 500万 D1400 16 7 7 1.26.3 38.1 0.8 55 安田康 498 ホーマンミヤビ
01/05/12 3京都7 500万 D1200 10 4 9 1.14.6 38.9 1.5 55 安田康 498 タイリーヴズ
01/05/26 2中京3 500万 D1700 16 10 15 1.52.6 43.5 5.4 55 安田康 492 ワンダーウォーカー
01/06/30 3阪神5 500万 芝1200 15 11 14 1.11.4 37.2 2.6 55 安田康 490 ナゾ
01/07/07 3阪神7 露草賞 D1800 15 12 10 1.54.9 38.5 1.6 55 安田康 486 ワンモアマイライン
02/04/20 1新潟1 500万 D1800 14 13 14 1.59.2 43.4 5.1 56 宝来 496 ケイアイジャパン

2002.05.01.左前屈腱炎の為、退厩 → 乗馬


【アーネストシチーについて】

友駿サマーセールのカタログが届く前に週間競馬ブックで見た友駿ホースクラブの広告で知った募集馬リストからは全くのノーマークだったが、手元に届いたカタログの写真を見てびっくり。内国産馬のなかでは1番いい体つきでこの値段(1000万円)。ここ2、3年に募集されたニホンピロビッキーのラインはすべて気になっていたこともあり、何とか説得して出資に漕ぎ着けた。(^_^;)
父がホリスキーと言うことで、産駒は芝・ダートを選ぶこともなく1600m〜2000mで活躍しているのが特徴。母系はスピードのある血統で固めた感じ、個人的に好感が持てる。ドサージュ値からの数値バランスでは、バランスのいい中距離系の馬になるのかなと考えられるが、(写真では父似だと思うが)母系の血が強く出ると短距離馬になってしまうかも。田中耕太郎先生管理馬は初めてだが、厩舎のイメージは、ニホンピロビッキー、ミルフォードスルー、ランフォーザドリームなど牝馬のイメージが強いが、従兄ヴィエントシチーの活躍もあり大いに期待している。

<1999.07.09.>

10/2(月)発売の週刊競馬ブックで、第2回札幌競馬新馬戦勝ち馬総評!で愛馬アーネストシチーの短評が載っていました。
井出力氏は『ホリスキー産駒だからダートに強いのは当然として、母がニホンピロウイナー×トウショウボーイ配合で、祖母が最優秀3歳牝馬に選ばれたニホンピロビッキーのアーネストシチーは、芝にも対応できる可能性を秘めたホリスキー産駒だと思う。中距離タイプ。良さが出るのは距離が延びるこれからであろう。』
小原靖博氏は『アーネストシチー(牡、父ホリスキー、母ニホンピロハッピー。田中耕太郎厩舎)はソエを気にしながらデビュー戦を圧勝した。続く、2戦目は追ってフラフラして伸び切れなかったが、乗った安田康、横山典騎手ともに「乗り味が良くって走ってきそう」と言っていた。腹袋が大きくてゆっくりしたフットワークはいかにも距離が延びて良さそうなタイプ。ソエが治まれば芝での走りを見てみたい馬だ。』と。

<2000.10.02.>

戦慄のデビュー戦で初めてクラシックを期待させた愛馬アーネストシチーが左前屈腱炎の為に引退する事になった。デビュー前にちょっとでも気合いを入れると、調教パートナーが壊れるとのことで、友駿側も大絶賛していたほどの逸材で、デビュー前から週刊競馬ブックで有望な2歳馬として紹介され夢見た愛馬だった。デビュー戦をもったままの圧勝。その後の専門紙のコメントも絶賛(上記のコメントを参照)。しかし、実際はソエがひどく追えない状態であることが判明。それが追い比べでなにもしなかった2戦目に表れている。長い休養明けで復帰したもののいいところが全然ない状況が続き(パドックでみた左前脚はハレがひどかった)、ソエから屈腱炎へと自己との戦いに終始した形で競走生活を終えた。
愛馬の中でも素晴らしい身体をした競走馬で、能力を発揮できないまま競走生活を終えた1頭であった事は間違いない(残念)。

<2002.05.01.>



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