以下は、『タイタニック』の映画パンフレットに掲載されていたものからの引用です。映画パンフレットを入手できなかった方々、タイタニック号誕生前夜からその最後までのタイムラインを一度ご覧下さい。
年月 |
時刻 |
事 象 |
| 1898年 |
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アメリカの作家モーガン・ロバートソンが小説『Futility(愚行)』を発表。イギリスの客船タイタン号が、充分な救命ボートを搭載せずに4月の北大西洋上を処女航海中、氷山に衝突、沈没するという話。当時まだタイタニック号は計画もされていなかったが、小説に登場する船は、その大きさ、速力、装備、乗客数、犠牲者数においてもタイタニック号に不気味なほど似ている。 |
1909年
3月31日 |
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ハーランド&ウルフ社の第401造船所にキール(竜骨)が設置され、タイタニック号の建造が始まる。 |
1911年
5月31日 |
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タイタニック号の船体、10万人余りが見守る中、無事に進水。 |
| 7月 |
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ホワイト・スター・ライン社、ハーランド&ウルフ社によってタイタニック号処女航海の最初の予定日が1912年3月20日に決まる。 |
| 9月20日 |
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ハーランド&ウルフ社製造のオリンピック号(船長エドワード・J・スミス、後にタイタニッグ号の船長となる)が英国海軍の巡洋艦<ホーク>と衝突、船体にかなりの損傷を受ける。オリンピック号の修理に人手と資材を取られ、タイタニック号の処女航海が延期される。 |
| 11月11日 |
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ホワイト・スター・ライン社、ロンドン・タイムズにタイタニック号の処女航海を4月10日と発表。 |
1912年
1月 |
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木製救命ボート16隻、折畳式救命ボート4隻がタイタニック号に取り付けられる。 |
| 3月25日 |
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救命ボートのテストが行われる。 |
| 4月1日 |
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海上での試験運転は強風のために延期 |
| 4月2日 |
6:00AM |
海上での試験運転開始。1日で試験航海を終え、ベルファストから処女航海の出発地点であるサウサンプトンへ向かう。 |
| 4月3日 |
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真夜中過ぎにサウサンプトンに到着。 |
| 4月6日 |
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大多数の乗組員が召集される。大きな荷物の到着開始。最終的には合計559トン、11542個の荷物が積み込まれる。同様に石炭5892トンも積み込まれる。 |
| 4月8日 |
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生鮮食品が積み込まれる。 |
| 4月10日 |
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出港日 |
| 7:30AM |
エドワード・J・スミス船長、全乗組員とともに乗船。 |
| 8:00AM |
全乗組員集合。簡単な避難訓練を行う |
| 9:30AM |
二等および三等船室の乗客、乗船を開始。 |
| 11:30AM |
一等船室客乗船。 |
| 12:00PM |
タイタニック号舫いから解かれ、タグボートに曳航されて埠頭を離れる。その時引き起こした水流が原因でニューヨーク号との幅1.2メートルという超ニアミスを引き起こし、出港時間が1時間遅れる。 |
| 1:00PM |
タイタニック号、フランスのシェルブールに向けてイギリス海峡24海里の旅に出発。(1海里=1853.2メートル) |
| 6:30PM |
タイタニック号、フランスのシェルブール港に停泊。22人の乗客が下船。 |
| 8:00PM |
シェルブールからの乗客、全員乗船を完了。 |
| 8:10PM |
タイタニック号、アイルランドのクイーンズタウンに向けて出発。 |
| 4月11日 |
11:30AM |
タイタニック号、クイーンズタウン沖約2海里の海上に停泊。乗客7人が下船、三等船室客113人、二等船室客7人が乗船。 |
| 1:30PM |
タイタニック号、ニューヨークへ向けて大西洋横断処女航海に出発。 |
4月11日〜
4月12日 |
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天候に恵まれ、タイタニック号386海里(約715キロメートル)進む。 |
4月13日
〜
4月14日 |
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快晴が続き、タイタニック号519海里(約962キロメートル)進む。さまざまな氷山の警告を受けるが、4月の大西洋横断では珍しくないことである。 |
| 4月14日 |
9:00AM |
カロニア号より北緯42度、西経49〜51度に氷山および氷原ありとの無電を受け取る。 |
| 11:40AM |
オランダ船ノールダム号が、カロニア号の警告地点と同じ場所に「氷山多し」と報告してくる。 |
| 1:42PM |
バルチック号から氷山の警告。北緯41度54分、西経49度52分、タイタニック号の前方約250海里(約463キロメートル)の地点に「氷山および大きな氷原あり」。この電文はスミス船長に伝えられる。スミス船長は後にこの電文をブルース・イスメイに渡すが、イスメイはそれをポケットの中につっこむ。 |
| 1:45PM |
ドイツ船アメリカ号から北緯41度27分、西経50度8分に「氷山あり」の警告を受ける。この電文はブリッジまで届かず。 |
| 5:30PM |
気温が16度低下し、摂氏0.6度になる。 |
| 5:50PM |
スミス船長、タイタニック号の針路を正常よりやや南寄りに変える。 |
| 6:00PM |
ライトラー2等航海士、ブリッジのワイルド航海士と交代。 |
| 7:30PM |
ハロルド・ブライド通信士、大氷山を警告するカリフォルニアン号からの無電を3回傍受(北緯42度3分、西経49度9分)、ブリッジに報告。船長、一等客室ら富豪の夕食会に出席。その時氷山はタイタニック号から僅か50海里先にあった。 |
| 8:55PM |
スミス船長、夕食会を辞し、ブリッジへ。 |
| 9:20PM |
船長「何か変わったことがあったら起こすように」との言葉を残し、就寝のため自室に引き上げる。 |
| 9:30PM |
ライトラー航海士、監視台にいる見張り番に翌朝まで氷山に充分注意するように伝言を送る。 |
| 9:40PM |
メサバ号から氷山の警告を受ける。無線士たちは乗客の通信処理に忙殺され、このメッセージを見過ごす。この日受け取った7件の氷山警告すべてが、タイタニック号のまっすく前方78海里のところに巨大な氷原があることを伝えていた。 |
| 10:00PM |
ライトラー、マードック1等航海士と交代。監視台の見張り番交代。 |
| 10:30PM |
海水がマイナス0.6度に下がる。 |
| 10:55PM |
タイタニック号の北約10ないし19海里の地点に、カリフォルニアン号が氷原の中で立ち往生し、周辺一帯を航行する船舶に対して警告を送っている。カリフォルニアン号の無線士がタイタニック号を呼び出すが、「邪魔するな!黙れ!こちらの通信妨害になっている。只今レース岬と交信中」というそっけない返事が返ってくる。カイフォルニアン号の唯一の無線士はしばらくタイタニック号の無線交信を聞いた後、いつもどおり午後11時30分に装置のスイッチを切って就寝する。 |
| 11:30PM |
見張り番のフリートとリーはタイタニック号の前方に薄いもやが現れたのを認める。 |
| 11:40PM |
タイタニック号は22ノットで航行。突然見張り番は前方450メートルほどのところに海面からの高さ17から18メートルの氷山を発見。ただいに警報ベルを3回鳴らし、ブリッジを呼び出して「まっすぐ前方に氷山を発見」と報告。ブリッジのムーディ6等航海士はただちにマードックに知らせる。マードックは反射的に操舵手に向かって「面舵いっぱい」と叫び、機関室にエンジン停止を命じる。次いでレバーを引き喫水線より下にある水密区画の防水扉を閉める。操舵手は舵輪をぎりぎりいっぱいまで回す。タイタニック号は左舷に旋回しはじめるが、氷山は右舷にぶつかり、船腹をなぞるようにかすめて暗闇に去る。船の前部にいた乗組員はショックを感じたが、多くの乗客はその衝撃に気づかなかった。氷山を発見してから衝突までの時間は37秒だった。 |
| 11:50PM |
衝突から10分間でキール(竜骨)より4.2メートルまで浸水。 |
| 4月15日 |
0:00AM |
スミス船長はトーマス・アンドリュースとともに被害状況点検のため船内を一巡。船長に被害の程度を聞かれたタイタニック号設計士のアンドリュースは、沈没までに1時間ないし1時間半と割り出す。タイタニック号の舳先がゆっくりと沈み始める。スミス船長は無線でCQD遭難呼び出しを発信するよう指示。ボイラー室は機能停止。轟音をたてて煙突から蒸気の煙が噴出する。 |
| 0:05AM |
キールの上9.8メートルの高さにあるスカッシュ・コートが浸水。救命ボートのカバーをはずし、乗務員と乗客を集合させるようにとの指示が出される。 |
| 0:10〜1:50AM |
約10〜19海里離れた海上でのカリフォルニアン号の乗組員数人がタイタニックの明かりを認めるが、遭難と気づかず、遠ざかってしまう。 |
| 0:15〜2:17AM |
この時刻の間にタイタニック号から約500海里の地点にいた姉妹船オリンピック号を含む多数の船が遭難呼び出しを傍受。マウント・テンプル号(49海里)、フランクフルト号(153海里)、バーマ号(70海里)、バルチック号(243海里)、ヴァージニア号(170海里)、カルパチア号(58海里)など数隻が随時救助にへ向かう。 |
| 0:15AM |
船のバンドが軽快な曲を演奏しはじめる。 |
| 0:20AM |
キールから15メートル上の船員室に浸水。 |
| 0:25AM |
女性と子供を救命ボートに乗せるようにと指示が出される。 |
| 0:45AM |
最初の救命ボート右舷7号ボートが海上に下ろされる。定員65人のところ、実際に乗ったのは28人だった。 |
| 0:55AM |
左舷側の最初のボートである6号ボートがモリー・ブラウンを含む僅か28人を乗せて海上へ。右舷では5号ボートが降ろされる。ロウ航海士の指示に従おうとしなかったイズメイ社長が激しく叱責される。 |
| 1:00AM |
右舷側の3号ボートが降ろされる。32人しか乗っておらず、うち11人は乗組員。ボートに乗る人が増えてくる。 |
| 1:10AM |
右舷側の1号ボートが降ろされる。乗っていたのはコズモ卿、ゴードン婦人と乗組員7人を含む僅か12人。左舷側では39人を乗せた8号ボートが降ろされる。ロテス伯爵夫人がボートの舵をとる。 |
| 1:15AM |
海水は船首に表示された「タイタニック号」という文字のところまで達する。船は左舷に大きく傾き、甲板の傾斜も急角度になる。ボートに乗る人はますます増えてくる。 |
| 1:20AM |
右舷から56人を乗せて9号ボートが船を離れる。船は今度は右舷に傾き、船首が海中に没し始める。 |
| 1:25AM |
左舷側の12号ボートが女性と子供40人を乗せて海上に降ろされる。船員2名がボートの操舵のために乗り込む。 |
| 1:30AM |
船上に残った乗客の間にパニックが広がり始める。すでに定員いっぱいのボートに数人の乗客が跳び込もうとする。ロウ航海士は銃を空に向けて2発発砲して警告。 |
| 1:35AM |
左舷の16号ボートが50人以上を乗せて船を離れる。右舷側では13号ボートが64人を乗せて海上に降ろされる。その大部分が二等と三等の女性と子供の乗客。続いて30秒後に70人を乗せた右舷の15号ボートが13号ボートの上に降ろされ、危うく衝突しそうになったが、着水した13号が間一髪で船から離れ、難を逃れる。 |
| 1:40AM |
船首にあったボートは殆ど海に出てしまい、残った乗客は船尾のほうに移動を始める。右舷からの最後のボートである折畳式ボートC号(39人)が出発。それに乗ってイズメイ社長も船を去る。 |
| 1:45AM |
救助に向かうカルパチア号が聞いたタイタニック号からの最後の通信「・・・機関室、ボイラーまでいっぱい」。左舷側では2号ボートが降ろされるが、定員40人のところ25人しか乗っていない。 |
| 1:55AM |
ジョン・ジェイコブ・アスター大佐、4号ボートへの乗船をライトラー航海士に拒否され、妻の乗ったボートが無事海上に出るのを見送る。ボートには40人の女性と子供のほか、数人の乗組員が乗り込む。まだ20人の余裕を残して。 |
| 2:00AM |
海水はプロムナード・デッキの下3メートルのところに迫る。 |
| 2:05AM |
沈没寸前の船にはまだ1500人が残っている。折畳式ボートD号が出発。定員47人。乗務員たちは腕を組んで円陣を作り、女性と子供sか乗せないようにする。44人を乗せてボートは船を離れる。 |
| 2:10AM |
スミス船長、無線士のブライドとフィリップスを任務から解放。 |
| 2:17AM |
スミス船長、乗務員たちに「みんな、自分のために行動せよ」と告げ、ブリッジに戻って最後を待つ。船の建造者トーマス・アンドリュースは、一等喫煙室で空を見つめるように一人立っている姿を最後に目撃される。バイルズ神父がボート甲板の船尾の端で、集まったニ等および三等船客100人の告白を聞き、罪の許しを与える。バンド演奏が止む。多くの乗客や乗員が海の中に飛び込む。 |
| 2:18AM |
多くの生存者が船が2つに裂けるのを目撃(しかし、ライトラー他、著名人の証言で、事故調査委員会はタイタニック号は折れないでまっすぐ沈んでいったという結論に達した。その後1985年にバラード博士が海底のタイタニック号を発見するまで、タイタニック号は折れなかったというのが定説になっていた)。船首は半分まで沈没。 |
| 2:20AM |
ちぎれた船尾側船体が垂直に立ったまま数分間過ぎた後、沈没。「史上最大の海難事故」で1500余人の命が奪われる。 |
| 3:30AM |
救命ボートからカルパチア号の信号弾が見える。 |
| 4:10AM |
最初のボート、2号ボートがカルパチア号船上に収容される。 |
| 8:30AM |
最後のボート、12号ボートがカルパチア号に収容される。ライトラーが同号に乗船した最後の生存者となる。 |
| 8:50AM |
カルパチア号ニューヨークに向けて現場を離れる。同号が運んだ生存者は706人。タイタニック号の犠牲者は1517人と推定される。 |