唯一の日本人細野氏の体験記と悲話(98/4/3更新)

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  元YMO(Yellow Magic Orchestra)の細野晴臣さんのご祖父である細野正文氏が、タイタニック号に乗船していた唯一の日本人船客であり生還者である事は、映画『タイタニック』号のパンフレットにも書かれていますので、多くの方はご存知でしょう。ここに、その細野正文氏の体験日記の一部と、日本に帰国してからの彼の悲しい運命についてご紹介させて頂きます。

  以下の内容に関して産経新聞に詳しい記事がありますの是非ご覧になって下さい(情報提供は田中裕之さん)。

  1998年4月11日付ニュースで更に新しい情報が紹介されました。

  細野正文氏(42歳、第1回鉄道院在外研究員)は、東京出身の公務員で、タイタニック号に乗船していた唯一の日本人です。彼は、サウサンプトンから乗船し、救命ボート13号(その後の調査で10号が正解の可能性大)に乗り込み救助されました。

   細野氏は、タイタニック号で、便箋に彼の妻宛に、英語で手紙を書き始めました。しかし、救助後、彼は、日本語で彼の体験を日記風に書き綴っています。二等客室にいた細野氏は、ドアのノックで起こされました。急いで外に出ましたが、外国人なので、下の階のデッキに行き、ボートからは離れているように命令されました。

『緊急救難信号弾が絶え間なく打ち上げられる間、ぞっとする青くまばゆい光と音に恐怖を感じ続けた。私は、恐怖と悲しみの声を上げたい感情を抑える術がなかった。』
と、細野氏は手紙に書いています。

  『私は、日本人として不名誉にならないように、平然と最後の瞬間を迎えようと心に決めることにした。しかし、一方では、何とか助かる見込みを探して待っている自分もいた。』
そして彼は、何とか上の階のデッキに行こうとしました。

  救命ボートを降ろしている船員が "もう二人ほど乗れるぞ!" と叫んだ時に、彼のチャンスがめぐってきました。一人の男性が救命ボートに飛び乗ったのです。

『タイタニック号と運命を共にしようと心に決めてからずっと、私はもう愛する妻や子供たちを見る事が出来なくなるのかと考えて深い悲しみの中にいた。しかし、一等客の一人の男性がボートに飛び乗るのを見て、私はこの最後のチャンスを逃すまいと思った。』

  『タイタニック号が沈んだ後、その沈んだ場所で溺れる者達が、恐ろしい耳をつんざくような叫び声をあげていた。私達の救命ボートもすすり泣く子供たちや、父や夫の安全を心配する女性で一杯だった。そして私も、彼女たちと同じように、これから長い漂流になるかもしれないと、ひどく落胆してみじめな気持ちでいた。』

  細野氏は、救命ボート13号(訳注:10号が正解)で救出されましたが、彼は、多くの人々が亡くなったのに自分だけ助かった事を、帰国してから周囲の者に責められる事となりました。彼は役所をクビになり、日本の新聞は、細野氏を臆病者だと中傷しました。教科書は日本男児として恥ずべき行為の典型例として細野氏の生還の事を例にあげました。道徳の教授は、細野氏を非道徳者だと非難しました。1954年に日本の定期船が沈没した時も、細野氏の一件が再び悪例として出されました。悲哀の人、細野氏は1939年に亡くなっています。

  細野氏の家族は、彼の日記の存在をずっと知っていましたが、最近まで、引き出しの底にしまいこまれていたせいで所在がわからなくなっていました。細野氏の孫娘の悠理子さんが、その発見を公表しました。

  以上の文書は、原文は英文で、出典は、"ENCYCLOPEDIA TITANICA" です。日本語訳は私が行いましたので、誤訳がありましたら全て私の責任です。

  しかし、私は今日(98/3/28)初めて、ここまで細野正文氏が誹謗の対象になっていた事実を知りました。本当に驚きです。

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