タイタニック号惨事のルーツ。予告現象があった!?
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映画パンフレットにもありましたが、1898年に『無益』(モーガン・ロバートソン著)という恐るべき予言的短編小説が書かれてます。そこに登場する<タイタン号>は、タイニック号とほぼ同じ規模の汽船で、しかも氷山に衝突して沈没してしまうというものなのです。これは偶然にしては出来すぎてるほど気味の悪い事実です。
タイタニック号を所有する会社は、ホワイト・スター・ライン社でした。ここにタイタニック号沈没までの同社の不祥事件を綴ってみましょう。
| 1845年 | ホワイトスター社設立 |
| 1864年4月4日 | ロイヤル・スタンダード号、氷山に衝突。ひどい損傷を受けたが、何とか自力で港にたどり着く。 |
| 1873年3月20日 | アトランティック号が悪天候のため座礁。船は沈没。1000名のうち、546名が死亡。 |
| 1893年 | ナローニック号が行方不明になる。 |
| 1899年 | ジャーマニック号沈没。 |
| 1907年 | スエヴィック号座礁。 |
| 1909年 | リパブリック号が他船と衝突、沈没。この事故では当時一般的で無かった無線が活躍し、救助も早く、死亡は数名にとどまった。 |
| 1911年6月21日 | タイタニック号の姉妹船でほぼ同じ設計のオリンピック号が一足先に処女航海に出たが、いきなり、タグボートのハーレンベック号を巻き込み、沈没させかけた。この時の船長は、あのエドワード・J・スミス船長である。 |
| 1911年9月20日 | サウサンプトン湾で、オリンピック号は巡洋艦ホークと衝突。オリンピック号はひどい損傷を受け、11月末まで正常航行は不可能となった。この時もスミス船長である。 |
| 1912年2月24日 | 復帰間も無いオリンピック号は、海上の障害物と衝突。スクリューの一つが脱落してしまった。この時点でオリンピック号は処女航海からの不祥事続きで無保険状態になってしまっていた。 |
| 1912年2月26日 | オリンピック号の乗客の一人が海に転落して行方不明となる。 |
| 1912年4月10日 | タイタニック号、サウサンプトン港から2208名の乗客、乗組員を乗せ処女航海に出る。この時、あまりに大きいタイタニック号の余波を受けて、そばにいたニューヨーク号やテュートニック号が一時的に操舵不能となり、タイタニック号に衝突しかけている。 |
| 1912年4月14日〜15日 | 14日午後11時40分、それまでに数回にわたって他船から氷山の警告を受けながらも無視するように高速で航行する中、氷山と衝突。翌15日午前2時20分頃、タイタニック号は完全に沈没。船長はJ・スミス船長。 |
参照:『タイタニックは沈められた』(集英社)
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