クマのポーラーが語るタイタニック物語
![]()

![]() ダグラス少年の母手製の絵本「MY STORY」の表紙。 |
タイタニック号には、ダグラス・スペイドンという6歳の少年が父母と3人で乗船していました。彼は、クマのぬいぐるみの<ポーラー>をいつも抱いており、唯一の話相手なのでした。両親はアメリカの貴族で、いつも旅行を楽しんでいました。ダグラス少年は、タイタニック号が沈む時も<ポーラー>を離しませんでした。 |
|
![]() タイタニック号甲板で、コマを回すダグラス少年。 |
![]() 映画『タイタニック』で再現されたダグラス少年のコマ回しのシーン。画面真中を歩いているのは、ディカプリオ扮するジャック。 |
(参考:1998年8月30日放送のテレビ朝日「ザ・ゴールデンタイム」)
ダグラス・スペイドン少年は1905年生まれで、生家はアメリカのタキシード・パークにあります。ここは、アメリカの貴族がかつて多く住んでいた所。ダグラス少年の家は今でも残っています。
スペイドン家の遠縁にあたる、レイトマン・コールマン四世が、1988年、屋根裏部屋で埃のかぶった祖母のトランクを見つけました。そのトランクの中には、ダグラス少年の成長が記された一冊の本があったのです。コールマン氏の祖母とダグラス少年の母は、いとこ同士だったので、その遺品を大事に保管していたのでした。
ダグラス少年の成長が記されたその本は、母親デイジーの手製の絵本でタイトルは『マイ・ストーリー』。タイタニック沈没翌年1913年のクリスマスに贈られた事になっています。表紙には、ダグラス少年が大切にしていた、クマのぬいぐるみ<ポーラー>の絵があります。絵本の主人公はダグラス少年で、クマの<ポーラー>が語り手という設定になっていました。
【最初の数日間は、よく晴れていました。ぼくたちは、ほとんどの時間を甲板で過ごしました。ダグラスは、よくコマ回しをして遊んでいました。それはシェルブール港を出て、5日目の夜のことでした。大急ぎでダグラスに服を着せた後、奥様は、小さな網棚に居たボクを手に取ると、ダグラスにまかせました。必死に甲板に急ぎました。タイタニック号が氷山にぶつかり、沈みそうだったのです。】
ダグラス少年と両親の3人は、運良く救命ボート3号に乗り込みました。ダグラス少年はボートの上で母親に抱きしめられて眠りました。ダグラス少年は<ポーラー>を抱きしめていました。カルパチア号が到着する頃、目を覚ましたダグラス少年は、あたりの海上を見て、「まるでサンタクロースのいない北極みたいだ。」と言ったそうです。この少年の無邪気な言葉に周囲の大人達は、なぐさめられたと言います。
しかし、カルパチア号に救助されるとき、ダグラス少年は、大事な<ポーラー>をボートの上に落としてしまい、離れ離れになってしまいました。ダグラス少年は、カルパチア号上で打ちひしがれていました。
【ボクを良く知っているタイタニック号の人が、ボクを拾い上げて、ダグラスのところまで届けてくれました。「ポーラー!」懐かしい声がしたかと思うと、ダグラスは、ボクを抱きしめてくれました。】
しかし、ダグラス少年の身の上に起こった悲劇は、ここで終わったわけではなかったのです。タイタニック号沈没の3年後、ダグラス少年は、アメリカで初めてだと言われる自動車の交通事故で亡くなったのでした。9歳でした。タイタニック号、そして自動車と、文明の利器に左右された短い人生でした。
【ダグラスがこの世を去ってから、ダグラスのお父さんはプールで水死。後を追うようにお母さんも。それからずっとボクは一人ぼっちです。】
この、『マイ・ストーリー』という絵本は、翻訳本が発売されています。『ポ−ラ− タイタニック号にのったぬいぐるみのクマのお話』というタイトルです。詳しくは、「書籍情報」のページをご覧下さい。
また、このクマのぬいぐるみ<ポーラー>は実はテディ・ベアの一種だそうで、まもなく「Polar The Titanic Bear」という商品名で復刻版が発売される予定です。ドイツのシュタイフ社が発売元だという事ですが、日本でも、テディ・ベアを扱っているお店に問い合わせてみると入手できるかもしれません(情報をご存知の方、お教え下さい)。
![]()