あなたの国語辞典は、何ですか?
「どんな国語辞典を使ってきたか」ということは、ある意味、その人の言葉人生を左右するも
のがあると思う。
ちなみにわたしは、新明解国語辞典・第三版を子供の頃から自分のメイン辞書としてきました。
奥付を見るに、どうやら小学校高学年頃に手に入れたようである。
以後、高校の合格祝いに広辞苑の第三版を買ってもらい、この2冊の辞書を所持してきたので
ありますが、やはりサイズが手軽ということもあって、大抵のことは新明解で済ませてきました。
けれどもこの長い「新明解時代」の間に、わたしはおかしなことに気づいたのであります。
それをわたしに最初に気づかせたのは、中学校の国語教師でありました。
何かの授業で辞書を持ってくるように言われた。で、わたしは無論、マイ新明解を携えていっ
た訳であります。
が、それを見て教師はちょっと、困ったような顔をした。
「家に他の辞書はないのかな? いや、あの、新明解は訳がちょっと特殊だから……」
曖昧に語尾を濁しつつ、教師はそそくさとその話題を切り上げてしまった。
わたしは大層、ぽかんとしたものでした。
……ええ、何分、その頃のわたしはお子様でした。辞書というのは言葉の意味や漢字を記した
もの、そして言葉の意味、などというものは誰にとっても同じだと思っていた。意味の説明文が
優しいか難しいかの違いはあっても、そこに書かれている本質に違いなどある訳がない、そんな
風に思っていたのでございます。全く、お子様でありました。
その時、わたしの心に「新明解は訳が特殊」という小さな染みがつきました。
わたしは何気に、よその辞書をちらちらと気にするようになりました。そして、確かに……
「なんかヘンだ」と思うようになる。なんかヘン。用例がやたらと多かったり、説明が独特だっ
たり……でも、わたしはそれを「明解」につかみとることができませんでした。
ところが。
高校の時、何気にひいたページの中に、「ようかん」という単語を見つけてしまった瞬間、わ
たしの目はそこに釘付けになったのです。
「練り−・蒸し−・水−・クリ−・カキ−・ウメ−・イモ−」
わたしはこれを見た瞬間、思わず吹き出してしまいました。何なんだこれは。
まずこれだけの用例を並べた意図が判らない。思わず広辞苑をひいてしまったところ、「蒸よ
うかん、練ようかん、水ようかんなどがある」と書かれていました。まあこんなもんでしょう。
しかし新明解氏は違う。ようかんといえば、まずこれだけは書かねばなるまい。
かと言って逆に、ならばもっといろいろあるではないか、という気持ちにもなります。抹茶と
か、牛乳かんとか。
更に、「ようかん」でこうなら、「せんべい」なんかもっとすごいんではないか、という気持
ちになって、ひいてみる。だがしかし、そこには「瓦−・南部−」のたったふたつ。あまりにも
そっけない。塩や醤油の立場がない。
ここで判った。つまりこれは、「新明解氏の好きなようかんの種類」なのではないか? と。
新明解氏はようかんが好きなのです。
ちなみに葛も好きらしい。用例の中にこそ何もないが、単語として「葛餡、葛掛け、葛粉、葛
桜、葛溜まり、葛練り、葛餅、葛湯」と実に8つもの加工品を列挙。しかも「葛練り」において
は、「葛粉一、砂糖一、水二の割合でかき交ぜ、とろ火にかけて半練りにしたもの」と、分量か
ら作り方まで懇切丁寧な指示がある。ただ「練る」んではない、「半練り」です。だがしかし、
この「半練り」という単語は、新明解の中にはなかったので、これだけを頼りに葛練りを作ろう
というのは、ちょっと難しいかもしれない。
これらを見るにどうも新明解氏は、水菓子が好きなようです。しかし同じ水菓子でも、洋菓子
系には全体そっけない。「アイスクリーム」なんか、単語自体なくて、「アイス」という単語の
中に組み込まれ、しかもその用例ときたら「あずき−・−もなか」だ。普通は「バニラ」とか
「チョコ」とかじゃないでしょうか。やはりこれも、「新明解氏が好きな種類」と考えざるをえ
ない。新明解氏は和菓子が好きなのだ。
わたしはその当時、この新明解氏の態度があまりに不思議だったので、新明解氏の宣言、すな
わち序文を読んでみました。
そこで新明解氏は、今までの辞書には「創意」がなかったということをたいへん憂いている。
どれくらい憂いているかというと、この「創意」という単語の上下の部分を空きスペース、すな
わち 創意 という状態にして強調してしまう程憂いているのであります。
逆に言えば、新明解氏の中には、言葉に対するありあまる 創意 があふれかえっているので
しょう。何しろそのすぐ後には、「辞書が文字習得・確認の為という、より低い目的を超え」と
あるのです。新明解氏は超えているのだ。
そして新明解氏が目指すものは他にもある。それは、「言葉を操る」能力の習得であります。
その為には「単語と共に何を用いれば可いか、何を用いるとおかしいか(注・ここ「おかしいか」
にはわざわざ傍点までふられている)」という「型の選択」に対する能力を養うべきだと申して
おります。だから新明解氏はたくさん用例をあげるのだ。
立派である。わたしはほとほと感じ入りました。
この『新解さんの謎』において、文豪(赤瀬川さんのこと)は新明解を「攻めの辞書」と呼ん
でいるが、それがほんとにぴったりくる。この序文を読んだ時、「成程、この辞書は他所んとこ
とはひと味もふた味も違うのね」と思ったが、それをうまく単語にすることはできなかった。
「攻めの辞書」。その通りだ。うまい。
当時わたしがほんのりと感じた「辞書の気配」というものを、赤瀬川さんはSM嬢の力を借り
て、これでもかこれでもかと暴いていく(ちなみにSM嬢は、その後、単独で『新解さんの読み
方』鈴木マキコ(リトル・モア)をお出しになりました。これも滅法、面白い)。そこに現れる
「新解さん」の姿は、実に奥深く、可笑しく、時にこわく、そして泣かせる。
これを読むまで、判らない言葉がある時は「辞書をひいてみよう」でした。しかしこれ以後、
「新解さんに聞いてみよう」に変わった。辞書という存在をこんなに身近で熱いものにしてくれ
た、文豪とSM嬢に感謝! です。
2000.5.31
……ちなみに、この本でメインとして扱われているのは「新明解第四版」だった為、その後、
わたしはしっかりこれをゲットしました。それから「第二版」まで手に入れた(笑)。現在うち
には、3冊の「新解さん」が仲良く並んでいます。
……どの単語だったかど忘れしちゃったのが我ながら口惜しく情けないんですが、何かの用例
に、「捕鯨は日本に伝わる文化である」みたいな文がありまして。
これを読んだ時にも、滅法感激しました。ああ、本当に、新解さんは、誰に聞かれなくともこ
うやって日々静かな自己主張を続けているのだな、と。→後日、発見しました。第四版における
『文化』の用例・「捕鯨は一つの文化であって他国からとやかく言われる筋合のものではない」