山 行 き の 記 録 |
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| **** 私 の 山 行 き メ モ か ら **** 山 梨 塚 原 プロフィール |
| 昭和43年以前 | 四尾連湖 大畠山 夜叉神峠 高谷山 飯盛山 女坂峠越え 檜峰神社 パノラマ台 紅葉台 乾徳山 帯那山 金子峠越え 甲府市街北辺の山々・・・ | |
| 昭和44年 | 天女山 三ツ頭 権現岳 編笠山 観音平 | |
| 昭和46年 | 櫛形山 | |
| 昭和51年 | 大田和峠 大寺山 牛ノ寝通り 大菩薩峠 雲取山 三条ダルミ | |
| 昭和52年 | 富士山 瑞牆山 金峰山 大弛峠 国師ヶ岳 奥北千丈岳 白駒池 高見石 丸山 麦草峠 | |
| 昭和53年 | 三ッ峠(木無山、開運山、御巣鷹山) 乾徳山 | |
| 昭和54年 | 千畳敷カール | |
| 昭和55年 | 立山室堂 | |
| 昭和58年 | 観音平 西沢渓谷 坪庭 北横岳 三ッ岳 雨池山 雨池峠 八丁平 麦草峠 茶臼山 縞枯山 雨池 | |
| 昭和59年 | 大菩薩峠 大菩薩嶺 | |
| 昭和60年 | 白駒池 高見石 丸山 麦草峠 北横岳 七ッ池 亀甲池 双子池 雨池峠 八丁平 | |
| 昭和61年 | 清里馬の背 乙女高原 霧ヶ峰 車山 | |
| 昭和62年 | 富士見平 瑞牆山 甘利山 | |
| 昭和63年 | 湯村山 千代田湖 健康の森 片山 甘利山 大菩薩峠 | |
| 平成 元年 | 深草観音 要害山 清里千ヶ滝 宮詞ノ滝 白駒池 | |
| 平成 2年 | 飯盛山 | |
| 平成 3年 | 太良峠 帯那山 奥帯那山 | |
| 平成 4年 | 健康の森 片山 | |
| 平成 5年 | 蓼科山 大河原峠 麦草峠 大石峠 五辻 八丁平 雨池 北横岳 | |
| 平成 7年 | 大河原峠 天祥寺原 亀甲池 双子池 双子山 中山 中山峠 黒百合平 ニュー 白駒池 | |
| 平成 8年 | 坪庭 中山 中山峠 東天狗岳 西天狗岳 | |
| 平成10年 | 八王子山 金子峠 中峠 ツク峠 | |
| 平成11年 | 太刀岡山 曲岳 羅漢寺山 白砂山 外道 | |
| 平成12年 | 帯那山 | |
| 平成13年 | 黒富士 升形山 茅ヶ岳 金ヶ岳 みどり池 | |
| 平成14年 | 夏沢峠 箕冠山 根石岳 東天狗岳 帯那山 旧大石峠 おとぎり平 硫黄岳 | |
| 平成15年 | 蛾ヶ岳 西肩峠 四尾連湖 帯那山 硫黄岳 横岳 桜峠 女坂峠 三方分山 パノラマ台 釈迦ヶ岳 黒坂峠 春日山 名所山 鶯宿峠 大石峠 滝戸山 節刀ヶ岳 新道峠 すずらん峠 黒岳 阿梨山 | |
| 平成16年 | 阿梨山 大栃山 トビス峠 千本桜 三ッ俣尾山 栂の峠 折門峠 大平山 蛾ヶ岳 女坂峠 王岳 五湖山 櫛形山 赤岳 大峠 雁ヶ腹摺山 | |
| 平成17年 | 深草観音 岩堂峠 鹿穴 躑躅ヶ崎 棚横手 笹子峠 笹子雁ヶ腹摺山 湯の沢峠 大蔵高丸 ハマイバ丸 帯那山 奥帯那山 黒岳 白谷丸 十二ヶ岳 毛無山 赤岳 横岳 硫黄岳 大蔵経寺山 | |
| 平成18年 | 浅間山 桜峠 源治郎岳 荒倉山 平川峠 (飯田)釈迦ヶ岳 ヌケド峠 八ヶ岳地蔵尾根の頭 甘利山 千頭星山 湯の沢峠 大蔵高丸 ハマイバ丸 入笠山 | |
| 平成19年 | 金子峠 塚原峠(中峠) 八坂峠 地蔵峠 アンバ峠 折門峠 大平山 サオラ峠 丹波天平 丹波山 保之瀬天平 淵坂峠 足和田山 権現山 和見峠 玄房乗越 兜山 岩堂峠 帯那山 樺峠 弓張峠 浅川峠 扇山 百蔵山 逢坂峠 | |
| 平成20年 | 達沢山 京戸山 帯那山 黒川鶏冠山 佐野峠 思親山 白鳥山 小松山 中峠 信州峠 横尾山 焼山峠 小楢山 中山峠 中山 | |
| 平成21年 | 湯村山 八王子山 帯那山 奥帯那山 天神峠 山神峠 見越山 阿梨山 塔岩 湯ノ沢峠 大蔵高丸 破魔射場丸 高川山 雨乞岳 岩殿山 筑坂峠 | |
| 平成22年 | 八王子山 九鬼山 札金峠 興因寺山 淡雪山 金子峠 中峠(塚原峠) 八王子山 羽黒山(天狗山) 浅間山 桜峠 松姫峠 奈良倉山 佐野峠 大笹峠 山伏 源氏山 鳥居地峠 高座山 杓子山 菜畑山 石割山 今倉山 白駒池 高見石 麦草峠 | |
| 平成23年 | 二十六夜山 桜峠 東峠 オイワケ 立野峠 倉岳山 穴地峠 旧大地峠 大地峠 千足峠 高柄山 矢平山 三石山 帯那山 湯の沢峠 迦葉坂 右左口峠 | |
| 平成24年 | 帯那峠 藤田峠 堀切峠 割石峠 宇野尾峠 鳩打峠 地蔵沢峠 勝坂峠 竹日向への古道 金子峠 中峠(塚原峠) 和田峠 |
< 昭和43年以前 > □ 私の最初の山歩きは、小学校高学年の頃の身延線市川本町駅からの四尾連湖(しびれこ)だったような気がする。その頃は盛んだった子どもクラブの何かの行事でだったのだろう。その後も中学校から高校にかけて、当時からあった湖畔の宿、「水明荘」<*>と親戚の友達がいたりして、何回もこの四尾連湖に行っている。女の子を含めた仲良し何人かで行ったこともある。遙か昔のこと・・・。 <*> 四尾連湖畔にはもう一軒「龍雲荘」という宿がこの頃からあった。 市川本町駅から宝寿院の脇を通り、暗い小さい谷間から登り始め、眺めのよい神社がある小山に寄ったり、両側が切り立った尾根道を歩いたりして四尾連湖に着いた。四尾連湖は山に囲まれた小さな静かな湖で、対岸の湖畔で話す話し声が山に反射して、湖にいるみんなに全部聞こえるようだった。 高校から大学の頃にかけては、山名もよくわからない近くの山々等をわけもなく登り歩いていた。同級生や友だち、その他何人かで行くこともあった。高校時代、入っていたボランティアサークルで、御坂の檜峰神社にも行ったこともある。(今考えると、檜峰神社は釈迦ヶ岳や大栃山の登り口なのだ。) 大学でも、入っていたサークルの行事で乾徳山にも登った。この時は途中で雨で引き返し、頂上までは登れなかったように思う。恩師の今は亡き飯田貞雄先生と夜叉神峠に登った記憶もある。しかし・・・ほとんどはひとりで気ままな山歩きであった。 四尾連湖 大畠山 夜叉神峠 高谷山 飯盛山 女坂峠越え 檜峰神社 パノラマ台 紅葉台 乾徳山 帯那山 金子峠越え 甲府市街北辺の山々・・・ 目をつぶると遠い日のその時々が、おぼろげではあるが、映画の一シーンのように甦ってくる・・・。 □ 何となく始めた山歩きだったが、山への思いが深くなったのが、学生時代に串田孫一 鳥見迅彦編著「友へ贈る山の詩集」(社会思想社)を読んでからであったように思う。 /旧街道の雑貨屋の店にいくつかの軍手が・・・/雑貨屋のおばさんが・・・「山になにをさがしにいくのかね。」・・・/ぼくはおばさんに愛想よく答えよう。「山へ、宝をさがしにゆく。」/ また、このころから新田次郎の小説をよく読んでいる。新田次郎を読み始めたから山への思いがさらに募ったのか、山への思いが新田次郎を読ませたのかよくわからない・・・。 芙蓉の人 孤高の人 冬山の掟 富士に死す 強力伝・孤島 永遠のためいき 鷲ヶ峰物語・・・ 多分、新田次郎のほとんどの小説、随筆を読んでいるだろう・・・ < 昭和44年 > □ 昭和44年8月1日2日 「天女山」「三ツ頭」「権現岳 」「ギボシ」「編笠山 」 初めての本格的な山行きは八ヶ岳権現岳だった。友だち数人で行く予定だったが、結局ひとりで出発することになった。甲斐小泉駅(多分「甲斐大泉駅」の記録メモの間違いだろう。)午前9時45分。天女山、前三ツ頭、三ツ頭を経て権現小屋午後1時45分。雨風強し。展望全くなし。権現小屋泊。2日目、権現小屋午前9時15分、ギボシから青年小屋9時50分。編笠山10時10分。延命水を経て小淵沢駅午後2時45分。駅まで長い長い道のりだった。がむしゃらにただひたすら歩いた山行き。 この権現岳には、小淵沢にあった東京都豊島区学校寮でアルバイトをしていた学生の頃、観音平から押手川分岐を直接青年小屋に向かうルートで、中学生と一緒に2回ほど登ったことがあった。 < 昭和46年 > □ 昭和46年3月28日 「櫛形山(裸山) 」 残雪多し。盆地から眺めているのと違い、この頃の私にとって、意外と奥深い山だという実感。長坂先生、内田君と。いきさつはよく覚えていないが、内田君の中学卒業記念登山だったような気がする。伊奈ヶ湖あたりから登ったのだろうか。 □ 大学を卒業し、就職してまもなくスキーを始めた。最初の頃は、休みのたびに行くというほど打ち込んだ。霧ヶ峰、車山ということもあったが、ほとんどは長野野沢温泉スキー場。村営の感じのいい本格的なスキー場で、思い切り滑った後の温泉も、街でゆっくり飲むコーヒーも、民宿(白樺)での語らいも・・・なによりの楽しみであった。このスキー行きで、大勢の人たちと知り合いになったことも、世間知らずだった私にとって大きな収穫であったように思う。 野沢温泉に行くのに国道141号線を韮崎から小諸へ抜けた。そのころはまだ中央道も長野道もなく、甲府からは小諸に出て18号線で長野に向かうのが早かった。野辺山の近辺はまだ舗装してなく、デコボコの道を走った。夜中に、清里から野辺山、海ノ口、八千穂、佐久と抜けることが多かったが、時に明るい時にここを通り抜けることもあった。今思うと、左に天狗岳から中山、茶臼山、縞枯山、北横岳などを眺めながら通ったのだった。 そのころ、何時かあの山々に行ってみようと思い始めていた・・・。 < 昭和51年 > □ 昭和51年春 「大田和峠(小菅・丹波越え) 」 古い記録で詳細はわからない。もう結婚して仕事の関係で、小菅村に住んでいた。小菅村は、山梨県塩山市側からは、柳沢峠を越え、落合、丹波山村を経て、そして東京側からは青梅、奥多摩を経て行き着く山村である。自然が豊か・・・、心温かな人々に囲まれ、穏やかな日々を過ごしていた。 家内と小菅と丹波の間の峠(奥多摩の山々に入るのだろうか。)を越える。「大田和峠」というのがある?。今調べると、今川峠か、大丹波峠の間違いのようにも思うが・・・。小菅側から出発したのか、丹波側から越えたのか、それもよくわからない。遙か若いころのこと・・・。 □ 昭和51年 春 夏 「大寺山(奥多摩仏舎利塔) 」 「牛ノ寝通り 」 大寺山に仏舎利塔があった。これも詳細な記録がないが、かすかな記憶からすると、南側の小菅村金風呂集落から登り、奥多摩湖畔の深山橋の近くに下り立ったような気がする。この時とは別に小菅の子どもたちといっしょにこの仏舎利塔に登った記憶がある。古いアルバムに、仏舎利塔をバックにみんなで撮った写真がある。 牛ノ寝通りは大菩薩石丸峠から東方に延びる尾根で、松姫峠、鶴峠、三頭山へ至る。ここへ、やはり子どもたちといっしょに登ったことがある。ツルネ山か大マテイ山まで行ったのだろうか。背の低いボケが咲いていて、ワラビやウドをいっぱい採った覚えがある。 □ 昭和51年10月3日 「大菩薩峠 」 小菅側より車で30分。車を乗り捨て、登山口より約2時間で峠。最初30分ほどはかなり厳しい登りであった。秋の大菩薩にミヤマリンドウが咲いていた。下りは1時間半ほど。途中荷渡し場がある。その昔、塩山と小菅の人々がこの場所でそれぞれの産物を物々交換したという。 □ 昭和51年11月3日 「雲取山 」 この頃住んでいた小菅から車で青岩谷出合いまで30分、車行き止まり。8時45分歩き始める。三条の湯までは、平坦な登り。そこから三条ダルミまではかなり厳しい登りであった。ところが三条ダルミから頂上まではさらに急な登りだった。11時30分頂上。山梨・東京・埼玉の境界、東京都の最高峰である。展望よし。富士山、南アルプスまで。12時頂上出発。小菅川池住宅3時10分、早い帰りであった。 雲取山には、鴨沢から登るルートがあるが、この途中に鍾乳洞があり、小菅の子どもたちと行ったことがある。 < 昭和52年 > □ 昭和52年7月25日 「富士山 」 富士スバルライン終点10時30分。6合目から登り。8合目9合目あたり厳しい。3時30分頂上。お鉢巡りの余裕は、時間的にも体力的にもなかった。4時山頂出発。6合目まで砂走り1時間20分。いっきに登り、いっきに下りた山行き。今考えると恐ろしい限りだ。甲府夜8時30分着。 □ 昭和52年8月7日 「瑞牆山 」 瑞牆山荘から50分で富士見平小屋。富士見平小屋から1時間半で頂上。途中天鳥川谷まで下り。川から登り。帰りは花の写真を撮りながら瑞牆山荘まで2時間。山の花は、ヤマオダマキ、ホタルブクロ、クガイソウ、キキョウ、ワレモコウなど。 後年、この麓で全国植樹祭が開催されることになる。頂上から見下ろすと、確かに会場になるような平らな森林が拡がっていた。 □ 山歩き、山登りを始めたほとんど同じ頃(学校を卒業し、就職したころ)、写真(撮影)が好きになった。別にその頃から今のテーマである「山と山の花」を撮ろうと思っていたわけでもないような気がするが・・・。それまでも何か玩具のようなカメラで写真を撮っていたことはあったが、そんなものと違う本格的な一眼レフカメラを買ったのが理由だったかもしれない。 アサヒペンタックスSPというカメラである。評判は後で知ったことだが、実際これは名機であった。本当に使い易い、いい写真が撮れるカメラであった。135ミリ(?)の望遠レンズや接写レンズを購入し、撮影したときは、こんな写真が撮れるんだと本当にうれしく感激したものだ。その後も、何台もカメラを購入したが、何かSPで撮った写真が、一番うまく撮れていたように思う・・・ 写真を始めて、感じたこと、よかったことが、ふたつある。ひとつは、ものをじっくりよく見るようになったことである。特に花の写真を撮るようになって、それまであまり気にしたことのなかった道ばたの本当に小さい草の花なども目に入るようになった。よく見るとこんなところにこんなものが、こんな命があるのだ・・・これは本当に写真を始めてよかったと思っていることである。大げさにいえば、ひとつの新しい世界が開けたという感じであった。 もうひとつ・・・花の写真とは別に、一時ポートレートに凝ったことがある。モデル撮影会にも出かけ、モデルさんの写真を撮っていて気がついたことである。アルバイトのモデルさんなどは違ったが、仕事にしているモデルさんは、始まる前とか休憩時間はさもない様子で、どこにでもいるごく普通の人という感じなのだが、撮影が始まると途端まったく別人のように身体も気持ちもしゃきっとし、周りの人の要望などにもきちんと応え、素晴らしい表情になり、ポーズをとるのである。ああこれがプロなのだ、プロの仕事なのだと思ったのだった。 □ 昭和52年9月18日 「金峰山 」 瑞牆山荘まで車。山荘出発、午前8時55分。富士見小屋、9時35分。大日小屋10時20分。大日小屋から、大日岩、千代の吹上を経て金峰山山頂、12時40分。五丈岩あり、よじ登る余裕はなかった。歩き始めから3時間45分の厳しい登りであった。 □ 昭和52年9月25日 「大弛峠 」「国師ヶ岳 」「北奥千丈岳 」 牧丘、焼山峠(乙女高原分岐、1537m)、柳平を経て石ころだらけのひどい道を大弛峠(2360m)まで、11時30分着。国師ヶ岳頂上(2591m)へは夢の庭園を経て40分ほどの軽い登り。頂上で弁当。北奥千丈岳にも登り、再び大弛峠に戻ったのは1時25分。林道がなければ、奥深い山である。 □ 昭和52年11月3日 「白駒池 」「高見石 」「丸山 」「麦草峠 」 最初に北八つに行ったのがこの時。白駒池→高見石→丸山→麦草峠と歩いた。 141号を走り、八千穂から白駒池入り口へ。(松原湖から上っていく道は、まだ知らなかった。)入り口広場には30台位の車が置いてあったので、安心して車を乗り捨て、20分ほどで白駒池へ。沢山車が駐車していた割には、人もおらず、まったく静かなたたずまいであった。高見石にも30分ほどで着いた。文字通り高見石で、森林に囲まれた白駒池が眼下によく見えた。遠く奥秩父の山々も。丸山は木で覆われていて展望はまったくなかった。麦草峠への下りは割合長く、40分ぐらい歩いただろうか。麦草峠からアスファルトの道路を佐久側へ15分も下ると先ほどの白駒池入り口の広場であった。 もう、二十数年も前のこと・・・。これから後の北八つ彷徨の始まり・・・。 < 昭和53年 > □ 昭和53年8月2日 「三ッ峠 」 御坂旧道は通る車も少なく両側から草木が覆い被さっていた。御坂トンネルは灯もなく真っ暗。トンネルを出たところの天下茶屋は既になく、ちゃちな売店のような建物があるのみ。富士は見えなかった。三ッ峠入口9時。頂上に無線中継所があり、そこまでジープが登るらしく、割合広い道が頂上まで通じていた。稜線に出たのが10時20分。木無山、開運山、御巣鷹山を歩き回り、11時50分下山。 □ 昭和53年8月16日 「乾徳山 」 最初の錦晶水までの登りが単調でつらかったが、そこから山頂(2020m)までは快適な登り。徳和登山口9時45分、錦晶水11時10分、山頂12時40分、山頂発1時10分、牧場小屋2時10分、徳和3時40分。花は、ヤナギラン、コオニユリ・・・。 学生時代に一度、この乾徳山には登った記憶があるが、その時は、雨か何かで頂上まで行けなかったような気がする。その時以来、今回は頂上征服。 < 昭和54年 > □ 昭和54年7月22日 「木曽駒千畳敷カール 」 仕事の仲間の親睦旅行での途中。夏なのに、寒々とした日であった。イワカガミ、シナニキンバイ、ハクサンイチゲ、ホタルブクロなどを見る。 < 昭和55年 > □ 昭和55年7月22日 「立山室堂 」 仕事の仲間の親睦旅行での途中。別山、剣御前、剣岳などを眺める。 < 昭和58年 > □ 昭和58年5月22日 「観音平(小淵沢) 」 八ヶ岳横断道路小淵沢インターから清里方面、料金所を過ぎ、しばらく行ったところを左に入る。途中から砂利道。観音平は、1560m。中央に権現岳、左にギボシそして右に三ツ頭を眺める。花の写真を撮り、清里を廻り帰宅。 □ 昭和58年8月3日 「西沢渓谷 」 家から1時間で西沢渓谷入口バス終点。10時10分村営西沢山荘(営業はしていないようだった)、二俣(西沢と東沢の合流点、工事中でブルの音がうるさかった)。11時30分不動小屋跡、12時不動小屋跡出発、軌道跡の道は通行止め、同じ道を戻ることになった。1時10分西沢山荘。1時40分バス停。 □ 昭和58年9月4日 「北横岳 」「三ッ岳 」「雨池山 」「雨池峠 」「八丁平 」 昭和58年9月の山行き。日本ピラタスロープウエイ山麓駅から、約10分で山頂駅へ。坪庭、北横岳ヒュッテを経て横岳山頂まで約50分。2480メートルの北峰から遙か大河原峠大河原ヒュッテを眺める。北横岳を戻り、三ッ岳、雨池山を経て雨池峠へ。三ッ岳付近が岩山で意外と厳しく、雨池へは近くに眺めながら、とうとう行けなかった。三角屋根の縞枯山荘の脇を通り、ロープウエイ山頂駅へ。花の写真は、ほとんど撮れなかった。 □ 昭和58年9月25日 「麦草峠 」 松原湖から松原白駒線を経て麦草峠までの道は、少し狭いところもあったが、まずまずのスカイライン。最初、茶臼山、縞枯山を目指したが雨が降りだしたので、雨池に向かう。しかし雨がさらに強く降りだし、結局峠へ引き返す。いずれも15分ぐらい歩いてからの引き返しだった。苔の写真など4〜5枚撮り12時少し前、麦草出発、帰路。これから山行きを続ければこれくらいのことはしょっちゅうあることだろう。 □ 昭和58年10月16日 「茶臼山 」「縞枯山 」「雨池 」 松原湖経由麦草峠まで車で2時間。麦草峠出発10時40分。霧濃く、風強し。11時30分、茶臼山着。霧のため展望全くなし。12時5分、縞枯山。山頂は、森林で展望なし。12時50分、雨池峠。濃霧、風強し。大石川林道を歩く。雨池着、1時10分。麦草峠へ戻ったのは2時40分。霧と風の中をひたすら歩いた山行きであった。帰路途中、松原湖高原で白樺と紅葉の素敵な写真が撮影できた。 < 昭和59年 > □ 昭和59年8月30日 「大菩薩峠 」「大菩薩嶺 」 甲府の家から36キロ1時間15分、上日川峠(長兵衛山荘)の無料駐車場着。10時30分出発。富士見新道クサリ場を経て、尾根上へ。尾根へ登り切った時の気持ちが何ともいえなかった。写真を撮りながら12時10分大菩薩嶺(2056メートル)。クサリ場出合いにもどり弁当。このあたりのお花畑が最高。マツムシソウ、コオニユリ、ミネウスユキソウ、ヤマユリ・・・。1時15分大菩薩峠(1897メートル)。懐かしい小菅の集落は残念ながら見えなかった。1時30分峠出発。2時勝縁荘、ここまでアスファルト車道が来ていた。2時30分上日川峠。嵯峨塩温泉を経て約2時間50キロ甲府の家。 < 昭和60年 > □ 昭和60年8月24日 「白駒池 」「高見石 」「丸山 」「麦草峠 」 昭和52年11月とほとんど同じルートを歩いた。甲府から松原湖を経て白駒池入り口まで車でちょうど2時間。前回は無料だったのにこの時は入り口の駐車場で駐車料を取られた。仕方がないか。 白駒池では青苔荘によって福島静雄写真展を見た。白黒の山の写真だった。私もいつかは・・・と思ったのだった。多分、この時見た写真を中心に福島さんがまとめたのが、平成元年に発行された「セピア色のモノローグ 遠い山 近い山」(山と渓谷社)だろう。 麦草峠では花の写真が沢山撮れ、うれしかった。麦草ヒュッテで、高山植物を保護しているのだという。ヒュッテでも花の写真展をしていた。ヤナギラン、クガイソウ、ノハラアザミ、、コケモモ、ホタルブクロ、ハクサンフウロウ、ミネウスユキソウ、コウリンカ、シュロソウ・・・。峠から今回は車道ではなく、森の中を歩いた。ほとんど平らな快適な道・・・。 □ 昭和60年10月21日 「北横岳 」「亀甲池 」「双子池 」「雨池峠 」「八丁平 」 10時10分ピラタスロープウェイ山頂駅出発。途中七ッ池へ寄って10時45分北横岳山頂。弁当、ゆっくり休む。12時出発、樹林帯の中の急坂を下る。12時40分、亀甲池。池の水が涸れた時に底が亀甲型にひび割れる様からの名だという。1時20分双子池。雌池、雄池畔のダケカンバ、シラビソ、カラマツ林の中を大石川林道に出て歩く。雨池峠を登り縞枯山荘を経て山頂駅へ。冷たい風が、冬間近を伝えていた。 < 昭和61年 > □ 昭和61年7月28日 「馬の背(牛首山途中) 」 家内といっしょ。高根荘から羽衣の池を経て1時間20分(休憩時間含めて)ほどであった。正しくは、「賽の河原」というようである。ホタルブクロウ、シムツケ、ハクサンフウロ、キバナノヤマオダマキ・・・。 □ 昭和61年8月16日 「乙女高原 」 甲府から車で約1時間。花はそれほど多くはなかったが、2時間ほどゆっくり写真を撮る。シモツケ、コウリンカ、ヤマハハコ、クガイソウ、カワラナデシコタチフウロ、ヤナギラン、ミヤマシシウド・・・。帰りは水ヶ゙森林道を廻る。太良峠まで結構時間がかかり1時間。途中、弓張峠、帯那山登山口などを経る。娘と一緒。 □ 昭和61年9月30日 「霧ヶ峰車山 」 秋の山行き。リフトで車山頂上へ。車山肩までゆっくり写真を撮りながら歩く。頂上へ戻り、車山乗越を経て駐車場まで約1時間。花は、ほとんどなかったが、マツムシソウ、リンドウ、アキノキリンソウ、ハクサンフウロウ、ヤマラッキョウなど少々・・・。 < 昭和62年 > □ 昭和62年7月25日 「瑞牆山 」 妻、娘とともに。10時瑞牆山荘、10時45分富士見平、ここまで花が沢山あり楽しい。キンバイ、ヤマオダマキ・・・。12時40分山頂。妻は、「こわい。」と頂上の岩山には上らなかった。1時20分山頂出発、3時5分富士見平、30分ほど休憩、4時20分瑞牆山荘。ゆっくり登り、ゆっくり下る。 □ 昭和62年8月30日 「甘利山 」 家からも見える山なのだろうとは思っていたが、どれが甘利山なのかは長い間わからなかった。後ろの鳳凰の山々に隠れてしまってあまり目立たないからであろう。乙女高原などと同じように昔スキー場があったという話を、前から興味深く聞いていた山である。また、アマチュア無線の移動運用に適した山であると聞いていた。 駐車場から歩いて20分ほどで山頂。山頂は広々とした高原。シーズンにはツツジが綺麗であろう。(6月頃、麓から山頂が赤く染まって見える。)花は、マツムシソウ、ヤナギラン(もう既に咲ききり綿のようであった)、ヤマハハコ、アザミ、ツリガネニンジン、ノコンギク、ハクサンフウロウ、シシウド・・・。 帰りは、鳥居峠脇を通り小武川沿いに下る。ツリフネソウが、沢山咲いていた。100ミリマクロレンズ使用。 < 昭和63年 > □ 昭和63年4月23日 「北山野道 」 うららかな春。甲府北山野道の一部を歩く。湯村山→千代田湖→健康の森→片山→山宮→千塚。全行程4時間30分。湯村山から鳳凰三山、甲斐駒ヶ岳の眺め抜群。花が思ったよりあり、楽しかった。片山には、イカリソウ(カタクリではなかった)とクサボケが沢山咲いていた。 □ 昭和63年8月24日 「甘利山 」 家族みんなで。甘利山の頂上まであと100メートルぐらいのところで雨。頂上まで登ったがすぐ下山。途中の東屋で休憩、弁当。 雨は止み、トンボを捕まえたりで、結構みんな楽しく過ごした。オミナエシ、ツリフネソウ、ヤマオダマキ、ツリガネニンジン、ノハラアザミ・・・。小武川を廻り帰宅。□ 昭和63年8月23日 「大菩薩峠 」 娘を連れて。福ちゃん荘まで、車で甲府から1時間20分。時々、サーッと吹き抜けていく風に慰められながら、歩き始めて40分で峠。介山荘あり。親不知の頭、賽の河原を経て尾根道を写真を撮りながらくさり場出合まで。ミネウスユキソウ、コウリンカ、ソバナ、マツムシソウ、ヤナギラン、ヨツバシオガマ・・・。くさり場を下りて福ちゃん荘に戻る。娘は、この時の虫さされがなかなか治らず、以後あまり山へは行きたがらなくなった。 < 平成元年 > □ 平成元年4月29日 「深草観音(岩堂観音) 」「要害山 」 久しぶりの家族全員での山行き。積翠寺要害温泉を少し入ったところから歩く。深草観音まで一登りである。深草観音は、安産の神様とか。洞窟があり、15メートルぐらいの梯子で上る。子どもたちも興味をそそられたようである。 兵どもの夢の跡、要害山(770m)を廻って出発地へ。途中思いがけず、私たち家族と同じように里山歩きをしていた知人の塩沢さん一家に出会う。山歩きには本当にいい季節だ。 □ 平成元年8月10日 「千ガ滝 」「宮詞ノ滝(清里) 」 千ガ滝から宮詞ノ滝を経て学校寮入り口まで、40分の沢づたいの登り。妻といっしょ。 □ 平成元年10月10日 「白駒池 」 甲府から松原湖経由約2時間。花の写真は撮れなかったが、白駒池の紅葉が綺麗だった。水面に紅葉が映りいい写真が撮れた。真っ青な空と紅葉を反射して、水面はキラキラ光っていた。白駒池をゆっくり一周、1時間ほど。麓長湖から、赤岳、横岳、硫黄岳・・・を眺める。 < 平成2年 > □ 平成2年7月8日 「三窪高原 」 ヤマオダマキ、ノハラアザミ・・・。 □ 平成2年7月24日 「立山室堂 」 仕事の仲間と親睦旅行の途中。みんなには悪いけど、時間ギリギリまで花の写真をとる。チングルマ、イワカガミ、ヨツバシオガマ、タテヤマリンドウ、ウサギギク・・・。 □ 平成2年8月20日 「飯盛山 」 平沢部落から野辺山に抜ける峠に車を置き、尾根づたいに登る。ずっとスキー場からのスピーカーを通しての音楽が聞こえていた。頂上の眺めはよかったが、リフトで登ってきた人も多く興醒め。若いころ登った飯盛山、仕事で子どもたちといっしょに登った飯盛山は、こんなではなかった。もう「山」ではないのかもしれない。 < 平成3年 > □ 平成3年9月15日 「帯那山 」 学生時代に友人と帯那の部落から登り、この帯那山頂上近くの芝原で寝ころび、青い空を眺めていたことがあった。 甲府市山梨市境の太良峠から車で15分、登り口がよくわからなかったが、道路脇に車をおいて登り始める。林道工事飯場を過ぎて草原らしきところに道があったのでそちらに入る。2分ほどで帯那山(1375m)であった。マツムシソウ、アザミなど沢山の花が咲いていた。アヤメの群生地も見つけた。(もちろん咲いていなかったが)そこからさらに左手に20分ほど行ったところが奥帯那山(1422、3m)。こちらには二等三角点があったが、背の高いススキ原で展望は全くなかった。すぐ引き返す。 < 平成4年 > □ 平成4年9月26日 「健康の森片山 」 山宮を廻って健康の森はすぐ。森林学習館をゆっくり見る。展望台は、そこから歩いて10分、ここが片山の頂上?(665、2m)。大宮山と呼ばれていた時もあるとか。南側の眺めがまあまあ。片山の遊歩道を西のはずれ(西の平)まで。(ここから平瀬へ下りる道がある。)散歩程度・・・。 < 平成5年 > □ 平成5年7月18日 「帯那山 」 アヤメ、オダマキ・・・。アサヒペンタックスLX。 □ 平成5年9月11日 「蓼科山 」 久しぶりの山行き。林道夢の平線で蓼科山7合目登山口。登りはかなり厳しかったが、それでも蓼科山荘がある将軍平を経て1時間45分で山頂(2530、3m)。山頂は学校のグランドほどの広い岩石原であった。真ん中に、蓼科神社がある。下山は写真を撮りながらゆっくり余裕を持って下る。 帰路、大河原峠へ。霧の中に大河原ヒュッテ。 □ 平成5年10月2日 「 麦草峠 」「 大石峠 」「オトギリ平 」「五辻 」「雨池 」 麦草峠→大石峠→オトギリ平→出逢いの辻→五辻→八丁平→雨池峠→雨池→麦草峠 今回は茶臼山、縞枯山の山麓を一周したという形。約4時間の行程であった。五辻付近では、茶臼山山頂で、休み話している人たちの話し声が聞こえてきていた。ロープウエイの山頂駅近くでは着飾った人たちが賑やかに歩いて戸惑ってしまった。ゆっくりゆっくりの山歩き・・・。天気がよく眺めは抜群、霧ヶ峰、浅間山、遠く北アルプスの山々も。ナナカマド、マイズルソウ、ゴゼンタチバナ・・・。 □ 平成5年10月10日 「北横岳 」 行きは、諏訪経由。日本ピラタスロープウェイ山麓駅は、祭日で大変混み合っていた。50分ほど行列に並ぶ。11時20分山頂駅出発。坪庭を経て12時30分、頂上。天気がよく、遠く北アルプス槍ヶ岳などもよく見えた。こんなに天気がいい山行きは久しぶりであった。息子、娘といっしょ。 < 平成7年 > □ 平成7年8月 日 「立山室堂 」 何回目かの室堂。今回も仕事の仲間と。ヤナギラン、ヨツバシオガマ、シモツケオオバギボウシ・・・。 □ 平成7年9月9日 「大河原峠 」「天祥寺原 」「亀甲池 」「双子池 」「双子山 」 ずっと前、昭和58年9月北横岳から遙か眺めた大河原峠にとうとう立った。大河原ヒュッテ脇を出発10時10分、天祥寺原を下り亀甲池11時05分。双子池(雄池)11時40分、そして双子山山頂12時10分。眺めがいい。お茶、弁当がおいしい。山での至福の時。花の写真を撮りながらゆっくり大河原峠13時10分。ヨツバツガザクラ、マツムシソウ、キオン、ハクサンフウロ、ヤナギラン、コケモモ・・・。 □ 平成7年10月21日 「白駒池」「中山 」「黒百合平 」「ニュー 」 白駒池入口駐車場→白駒池→高見石→中山峠→黒百合平→中山峠→ニュー→白駒池。始めて黒百合ヒュッテまで行く。中山峠からすぐであった。米川正利著「北八ガ岳黒百合ヒュッテ」(山と渓谷社)を読んで、いつかは行ってみたいと思っていたところ。中山展望台からは天狗岳が目の前にすぐ登れそうに見えたが、しかし次回ということで、今回はニューを廻り白駒池へ。このニューから白駒池までの間がまさに「黒い森」と表現してもいいような感じ。 ニューについて、何故「ニュー」というのか。藁を積んだ「にお」から来たという説もあるとか。森林にひょこっと頭を出しているところはまったく「にお」にもみえる。このあたり千坂正郎著「北八ヶ岳の黒い森から」に詳しい。ニューからは、硫黄岳の稜線の向こうに冠雪の富士山が、そしてその手前には、茅が岳、曲岳、黒富士がシルエットで見えていた。 < 平成8年 > □ 平成8年3月3日 「坪庭 」 ピラタスロープウェイは、雪山登山の人とスキー客といっしょでごったがえしていた。山頂駅を出たところの温度はマイナス15度、鉄骨の樹氷?ができていた。坪庭は白一色、写真を撮っているグループが沢山いた。クロスカントリースキーで奥に入っていく人々も。北横岳へ向かうツアー客のカラフルな行列が印象的。 □ 平成8年9月29日 「中山 」「東天狗 」「西天狗 」 白駒池を経て高見石小屋、中山(2496m)、中山峠、東天狗まで、時々10分ほどの休憩を取りながらいっきに登る。中山峠からは40分ほどかなと思ったが、意外と時間がかかり頂上まで1時間ほどかかってしまった。東天狗山頂で弁当、コーヒーを作り、飲んだりでゆっくり、40分。山行きの喜びをかみしめる。南方には、根石岳根石山荘がすぐ手に取るように見えた。いつか行ってみよう。西天狗へは20分ほど。帰りは、天狗の奥庭、摺鉢池から、黒百合ヒュッテへ。中山峠へ戻る。中山峠からは、切り立った崖の下に船底型の凹地、そしてその向こうに同じぐらいの高さで稲子岳が見えた。中山峠から来た道を戻る。かなり厳しい戻りであった。 < 平成10年 > □ 平成10年12月12日 「ツク坂 」「金子峠 」「中峠 」「八王子山 」「梨木峠 」 甲府市街の北辺を画していて甲府盆地、南アルプス、富士山などの眺めがいい。帯那の集落を上り詰めて帯那山に登る道を左に分け、昭和池を過ぎたところが穴口峠675メートル。ここを穴口の集落から積翠寺へのツク坂が越えている。何でツク坂というのか、また調べてみたい。穴水峠から左に甲府盆地、右に帯那の集落を眺めながら尾根状の道をゆっくり歩く。白山を下り、金子峠。金子峠は学生の頃、麓の塚原の集落から帯那に越えたことが何度もあり、懐かしい。 中峠は塚原峠ともいう。以前読んだ本に、塚原に住んでいた千代田小学校の校長先生が、この峠を越えて、学校へ毎日通ったとかいうことが書いてあった。和田峠から八王子山(白山)。八王子山とか、白山とかいう山はどこにでもある名だなと思う。ここで以前歩いた湯村山からの道が合流している。すぐ梨木峠560メートル。 これ以後も、時々八王子山には、ウオーキング、散歩で登っている。 < 平成11年 > □ 平成11年7月31日 「甲府盆地縦断 」 山行きではないが・・・甲府盆地を歩いて縦断。北のはずれ甲府敷島境金石橋脇、片山のふもとスタート。千松橋→長松寺橋→荒川橋→千秋橋→中央道荒川橋→穏池橋→下曾根橋→中道考古博物館南の山。約13キロ、26000歩、4時間の歩き。次は、盆地横断に挑戦したいと思っている。 □ 平成11年9月12日 「太刀岡山 」 玉穂に住んでいる頃、天気により遙か北方に富士山のように浮き出てきたのを不思議に思いながら眺めたのが、この太刀岡山。自分の住んでいる所さえよく知らない子どもだった私にとって、遠くの遠くの山であった。 日本武尊が東征の折、その太刀を山中に埋めたという伝説がある山である。 下芦沢の登山口午前7時40分。民家の庭のようなところを通って山の中へ。最初からかなり厳しい登りであった。途中、鋏岩の裏あたりで蛇(まむしかな)に出逢い仰天。あえぎながら頂上へ1295メートル。頂上で20分ほど過ごす。霧も出ていて展望はあまりなかった。下りは越道(こいど)峠<*1>へ出て草鹿沢林道を平見城へ。林道は草ぼうぼうで、ジープででもなければ通れない。道ばたには、萩が藪のように茂み、いっぱい咲いていた。平見城を通って朝出発した登山口へ。沢沿いには、トリカブト、ツリフネソウがいっぱい咲いていた。ひさしぶりの山歩きであった。 <*1>この峠は太刀岡山とその北側の鬼頬(おにかわ)の鞍部を、東側の草鹿沢から西側の平見城に越えている。 □ 平成11年10月10日 「曲岳 」 観音峠の登り口に、「熊に注意」の看板。目眩岩等を経て、峠から40分で頂上1642.4メートル。黒富士までは行かなかった。また次の機会に。盆地の真ん中からは遙か北方向、右に小首を傾げたかなり目立つ、高い山のように思っていたが、観音峠からは、わずか40分のあっけない山であった。 幼い頃から、いつかは登ろうと思っていた山、また一つ征服。 □ 平成11年12月11日 「八王子山 」「羅漢寺山 」「白砂山 」「外道 」 バスは清川で15分ほど停車、金桜神社を廻り仙ガ滝上。ロープウェイでパノラマ台へ。ここを八王子山(1025m)というそうである。一旦、羅漢寺山(1058m)へ。川窪の部落30戸を湖底に沈めて昭和61年にできた荒川ダム(能泉湖)や先日登った太刀岡山など眺めがよかった。その後、白砂山(985m)を経て尾根づたいに亀沢へ下る。 本当は、その昔、黒平などの人々が、甲府の町に出るのに使った道、「外道」を吉沢に下ろうと思ったのだが・・・。亀沢から歩いて金石橋へ。後は、いつも歩いている荒川河川敷を千松橋まで。さらに千塚自宅まで。約4時間、2万歩。 < 平成12年 > □ 平成12年11月5日 「帯那山 」 家から山宮、千代田湖、そして帯那山の山名の由来である帯那の部落を経て、30分で帯那山駐車場。霜の道を歩いて10分もかからず山頂(1375m)。花はもちろんなかったが、ススキ、紅葉の向こうに富士山が霞んで見えていた。四角いコンクリートの廃墟は、昔の県警無線中継所である。奥帯那山(1422、3m)まで約20分、展望は以前と同じでほとんどなし。北方向が少し、赤い実をいっぱいつけた木々を通して国師岳、乾徳山が見える。二等三角点標識あり。 車に戻り、帯那牧場へ。南アルプス方面、茅ヶ岳、曲岳の眺めよし。八ヶ岳はあまり見えず。甲府の町からもよく見える新しい無線中継所が場違いである。 < 平成13年 > □ 平成13年7月15日 「黒富士 」「升形山 」 清川から観音峠を越え、2〜3キロ行ったところ右手にちょっとした広場がある。そこが八丁峠への最短での登り口。10分で八丁峠(1545m)、そこからさらに10分で八丁平(升形山分岐)。森が切れ、ちょっとした草原で色々な花が咲いていた。あちこちに開きかけたワラビがあった。さらに20分で黒富士頂上(1635m)。あいにくの曇り空で、展望はあまりなかった。しかし、念願の黒富士。30分ほど休憩。 八丁平に戻り、升形山(1650m)をめざす。こちらはけっこうの登りだったが、10分で頂上。頂上は岩場で、展望が黒富士頂上よりよくなっていた。黒富士はもちろん、清川の太刀岡山、山宮の片山も見えていた。北側は、金峰が雲に隠れ、同定できなかった。 □ 平成13年8月5日 「茅ヶ岳 」「金ヶ岳 」 茅ヶ岳は古い火山である。裾野に広がる高原の上にすくっと立つ姿を、大航海時代の帆船のように見えるといった人もいる。子どもの頃から実家の畑の向こうの集落の上にいつも見えていた形のよい山で、ものごころついてからいつかは登ろういつかは登ろうとずっと思っていた山である。 観音峠茅ヶ岳登山口は、家から30分。登山口からすぐNTTの鉄塔。これは結構遠くから(南の盆地側からも北の清里側からも)眺めることができる。登山口に敷島町役場の看板があり、「このルートは急峻で十分注意して!」とあったとおり結構厳しいルートであった。クサリ場が何カ所もあり、登山道も時々気を付けないとルートを間違えてしまうような感じの所もあった。シモツケソウとツリガネニンジンが、登山道の脇に沢山咲いていた。レンゲショウマを最初の見たのもこの山行きだった。 1時間半で茅ヶ岳・金ヶ岳の分岐。そこから40分で茅ヶ岳山頂(1704m)。南側から登ってきたパーティーが何組かいた。ガスっていて展望なし、残念。しかし、念願の茅ヶ岳頂上!少し休み、金ヶ岳へ向かう。金ヶ岳の南面は草原になっていて花が沢山咲いていた。茅ヶ岳山頂から、金ヶ岳を廻り観音峠まで写真を撮りながら3時間。シモツケソウ、ツリガネニンジン、ソバナ、コオニユリ、オオバギボウシ、レンゲショウマ、タチフウロ・・・。 □ 平成13年9月25日 「みどり池 」 稲子湯上唐澤橋ゲート際の駐車場には、既に5〜6台の車が留まっていた。多分この大部分の人たちは、中山峠や夏沢峠を経て天狗岳や根石岳等に登っているのだろう。みどり池までなどというのは私一人・・・。途中トロッコの軌道跡あり。「ああ、ここにも昔、人の生活があったのだ。」と何かうれしいというか懐かしいというかそんな気持ちになった。登っている間ずっと沢の川の流れの音が快く聞こえていた。今夏は雨も結構降ったし、沢の水も豊富なのかもしれない。 樹間にニューや稲子岳が見え始めて、みどり池しらびそ小屋。駐車場から1時間30分ほど。みどり池の水も満水であった。みどり池の向こうに天狗岳、右手に稲子岳が見えていた。この景色は、映像詩「四季八ヶ岳」(NHKソフトウエア)で何度も見た景色だ。ひっそりとみどり池を取り囲む木々、秋の碧空と流れる薄い雲、微風が頬をかすめ、澄んだ鳥の声が中空を渡っていった。しらびそ小屋の人たち以外誰もいないみどり池で、しばらくの静かな幸せな時を過ごした。 帰路麦草峠、白駒池に寄る。茶水の池も白駒池も、真っ青な空を反射してきらきら輝いていた。 < 平成14年 > □ 平成14年6月9日 「夏沢峠 」「根石岳 」「東天狗岳 」 桜平の駐車場には、既にかなりの車が留まっていた。身支度をして9時30分出発。25分で夏沢鉱泉。車道歩きは、この先100メーターほど、オーレン小屋の車もここまでのようであった。登山道はよく整備されていて気持ちよく登りやすかった。オーレン小屋まで45分。さらに夏沢峠まで27分、桜平から夏沢峠まで1時間37分で登ったことになる。南八つと北八つを分けるといわれる夏沢峠・・・ついに登った。夏沢峠には、ヒュッテ夏沢と山びこ荘がある。自家発電用らしいブロペラ飛行機のようなものが何基も音をたてて廻っていた。何か峠には不似合いのような感じ。 感じ的には夏沢峠は南八つ的で、私は中山峠あたりまでが北八つという感じだなと思った。夏沢峠からは、硫黄岳が迫って見えた。登山道を頂上へ目指す人が沢山見えた。今日は反対方向の根石岳を目指す。途中、登山道にまで残雪があり、雪を踏みながら歩く。箕冠山を過ぎるとすぐ森林はなくなり、北八つ方面の眺めがよい。もう少したてば、このあたりコマクサが咲き乱れるのだろう。根石岳でお昼、休憩。東天狗岳には12時55分到着。風が強く冷たかったが、天気はよく眺めは最高・・・。南北八ヶ岳は勿論、浅間山、中央アルプス、北アルプスまで絶景。見下ろせば、前回行ったみどり池や松原湖そして茅野諏訪の街が・・・。オーレン小屋で、おいしいコーヒーをごちそうになり下山。 まだ、花はほとんど見られなかった。オーレン小屋のおやじさんの話だと、今年は季節が早いからもう6月にはコマクサも咲いてしまうかもしれないと云っていた。硫黄岳方面もコマクサが咲くようで、こんどは今月末ぐらいに硫黄岳を目指す? □ 平成14年7月7日 「帯那山 」 アヤメは時期を過ぎていた。2、3咲いているものもあったが、ほとんど花は枯れていた。ホタルブクロ、フウロウ、オダマキなどが咲いていて写真を撮る。私の他、写真を撮っている人が数人いた。 □ 平成14年7月14日 「夏沢峠 」「箕冠山 」「根石山荘 」 思い出深い山行きになった。 7時20分千塚出発。9時10分桜平。駐車場は、満杯だった。なんとか駐車スペースを見つけ駐車。身支度をして、9時30分歩き始める。夏沢鉱泉を過ぎるあたりから、雲が低くたれ込め風が強くなっていった。下ってくる人たちはみんな雨カッパを着ていて、心なしかホッとしたようすであった。オーレン小屋10時40分。11時05分夏沢峠。場合によったら硫黄岳へ登ろうという気持ちもあったのだが、その思いは完全に打ち砕かれた。霧と強い風・・・峠の小屋の風力発電機のプロペラが狂ったようにゴウゴウとものすごい音を立てて廻っていた。箕冠山を目指す。イワカガミとかシャクナゲが見られ、写真に撮った。 根石山荘前は、立っていられないほどの風と霧であった。しかし、そんなものすごい風の中で、コマクサが咲いているのを見つけた。しかも、あちこちにいっぱい・・・。けなげというよりも、力強い花だ。まさに「高山植物の女王」だ。憧れのコマクサ・・・。狂ったような風の中で、我を忘れてコマクサを見、写真を撮り続けた。 桜平へ戻ると、曇ってはいるものの風もあまりなく穏やか・・・。あの山上の強風がウソのようだ。 □ 平成14年8月10日 「麦草峠 」「旧大石峠 」「おとぎり平 」「コケモモの庭 」「駒鳥池 」 麦草ヒュッテより100メートル位諏訪寄りに公共無料駐車場有り。麦草ヒュッテを利用しない時は、こちらの方が気兼ねなく利用できる。 麦草峠の野草園をゆっくり見る。自然のままでなく人の手が加わっていることで、寂しい気持ちがないわけではないが、たくさんの高山植物があり、写真に撮ることができた。管理している麦草ヒュッテに感謝。 麦草峠の「麦草」とはイワノガリヤスという麦に似た多年草のことだそうだ。かつて峠一面に生い茂っていたのだろうか。 麦草峠→茶水池→大石峠→おとぎり平→コケモモの庭→駒鳥池→麦草峠とゆっくり歩く。コケモモの庭、駒鳥池など、時期で色々な花が咲くのだろう。静かな山歩きが出来た。 □ 平成14年8月31日 「硫黄岳 」 千塚を6時出発。中央道諏訪南ICから桜平へ、7時35分着。8時桜平出発。夏沢鉱泉、オーレン小屋を経て夏沢峠へ。桜平から峠まで1時間30分。前回諦めた硫黄岳へ今回は向かう。 10時夏沢峠出発。しばらくは林の中、すぐ左にガレ場を見る。林から出て急な厳しい登り。火口壁を左に見ながら頂上へ。いくつかのケルンを通り過ごして11時5分頂上着。広い山頂であった。南には、横岳、赤岳、中岳、阿弥陀岳が豪快に控えていた。北には天狗岳が。天気もよく、気持ちのよい山頂での時間を過ごした。 硫黄岳山荘まで足を延ばす。20分ほど。小屋番の兄さんもこの時間は暇なのか、しばらく話の相手をしてくれた。コマクサの花もすでに終わり、花は少ない山行きになってしまった。 オーレン小屋でおいしいコーヒーをいただき、桜平へ。 □ これ以降、デジカメニコンD100で写真を撮るようになった。「山と山の花のアルバム」はナンバー4まででそれ以降写真は増えていない。 < 平成15年 > □ 平成15年6月29日 「帯那山 」 毎年恒例になりそうな帯那山のアヤマを見に出かけた。我が家からだと車でちょうど30分。頂上へもわずか10分位で着いてしまう。 今年は去年と違って盛りのアヤメを沢山見ることが出来た。櫛形山のアヤメは全国的に有名だけれども帯那山のアヤメも捨てたものではない。デジカメD100で山の花を初めて撮った。「山と山の花」のページにアップしていくつもりだ。 □ 平成15年8月 日 「蛾ヶ岳 」 記録紛失で、思い出しながらの記述。梅雨明けが遅く、雨の日が多かったこの夏・・・、久しぶりの山登りであった。 はっきりとした記憶記録がないのだが、若い頃一度登ったことがあるような気がする蛾ヶ岳(ひるがたけ)。四尾連湖手前まで車道が通じている。駐車料を払い出発。わずかの時間で大畠山分岐(尾根道)に出る。後は快い尾根歩きである。最後、急坂を登って山頂。シルエットの富士山が見えていた。反対側には、南アルプスが・・・登山道の脇や山頂にもソバナが咲いていた。風鈴のようなかわいらしい花を付けている。 □ 平成15年8月2日 「硫黄岳 」「横岳 」 桜平の駐車場は、沢山の車が留まっていて止めることが出来ず、結局ゲートよりちょっと下った道路端に車を止める。6時40分桜平出発。今回はオーレン小屋から、直接硫黄岳を目指した。オーレン小屋8時出発。森林の中の登山道をひたすら登った。赤岩の頭まで1時間。赤岩の頭は、眺めがよいところなのだろうが、赤岳、阿弥陀岳は見られなかった。それでも、硫黄岳と峰の松目は見ることが出来た。硫黄岳着9時30分。桜平から2時間50分。やはりガスっていて眺めはよくなかった。沢山の人が三々五々頂上での時間を過ごしていた。 硫黄岳出発10時、硫黄岳山荘先のコマクサの群生地を見る。根石山荘前に劣らず、すばらしいに尽きる。11時横岳(奥の院)着。稜線の狭い登山道の両脇足下にチシマキキョウなど高嶺の花がいっぱいであった。赤岳がガスっていなければ眼前に見える二十三夜峰の辺りまで足を延ばし、引き返す。硫黄岳14時、夏沢峠14時55分、花の写真を撮りながらゆっくり桜平17時。 □ 平成15年9月7日 「桜峠 」 桜峠(560メートル)へ登った。甲府盆地南端、芦川北側稜線にある山である。三珠町大塚から林道桜峠線が上っている。 林道途中、側壁崩壊のところがあり車はそこまで。そこから林道を歩いて登る。林道を芦川側へちょっと下ったところに階段状の登り口があり登り始めたが、灌木や藪がひどく道がわからなくなった。先日地元のボランティアの方々が藪を切り開いたと山梨日日新聞に出ていたが、すぐまた茂ってしまったのだろう。 ようやく富士講の石碑などがある場所を見つけた。松が何本かありその下は藪もなかった。しかし、展望は全くなし。ここが桜峠だという確証はないが、多分この辺りだということは間違いないだろう。この間の蛾ヶ岳への時と同じようにイノシシが歩きまわった思われる跡がいっぱいだった。登ってきたとは反対側に下る道があったが、先ほどではないにしろ、やっぱり灌木が覆い被さっておりひどく難儀をした。すぐ、先ほど上ってきた林道に降り立った。 浅間山(593、9メートル)へと思って西方向に進むが、わずかについている道は山腹南斜面を次第に下って行く。これはだめだと思い引き返す。 ほとんど登られていない山のようであるが、小さい頃からいつかは登ろうと思っていた山に登ることができて満足。 □ 平成15年9月14日 「三方分山 」 はっきり覚えてはいないのだが、はるか昔、まだ大学生だったころ、何人かで芦川から女坂峠を登り、精進湖に下りたことがある。何でそういうことをしたのかもよく覚えていない。 今回は、反対側、精進湖畔の駐車場に車を置き、精進集落から女坂峠を目指した。登り道の左、昔精進小学校があったところに大杉を見る。砂防堤を三つ越え、登りやすい道をゆっくり登る。昔駿河の魚を甲府へ送ったりした道(中道往還)であったという。峠へは1時間ほどで到着。右五湖山方面、左三方分山方面、峠の向こう側は芦川への下り道。道は草に覆われてい、もしかしたら下りるのに難儀する道かもしれない。 峠からけっこうの急坂を三方分山(1,422m)へ。山頂は南東方面が切り開かれ、逆光の富士山が眺められた。頂上から北へ先日登った蛾ヶ岳へ続く道が分かれている。(ちゃんと歩ける道なのだろうか。) 山頂から南へ続く尾根を下る。精進山を通り、45分で三沢峠(精進峠?)1260m、さらに1時間、根子峠を経てでパノラマ台(1320m)へ。ここも学生時代来た記憶が微かにある。三方分山ではほとんど人に会わなかったが、パノラマ台には大勢の人がいてにぎやかであった。富士山は残念ながら見えなかったが、眼下に精進湖、東方に西湖、河口湖、そして五湖山、節刀ヶ岳、十二ヶ岳などが眺められた。 □ 平成15年9月14日 「新道峠 」 三方分山下山の後、精進湖有料道路から芦川を上流に走り、水ヶ沢林道終点まで。行き止まりの駐車場は、車が5、6台でいっぱいであった。そこから5分で新道峠(1,575m)。若い女の二人組が座って向こう側富士山方向を眺めながら休んでいた。やはり富士山は見えなかった。左方向はスズラン峠を経て黒岳。右方向は、大石峠を経て節刀ヶ岳、そして更に今日登った女坂峠三方分山に至る。今日はは、あくまで下見程度。 □ 平成15年9月28日 「釈迦ヶ岳 」 家を午前7時車で出発。八代町を経て新鳥坂峠7時45分。古道若彦路がこの上の峠を越えていた。芦川を遡り、どんべえ峠に着いたのが8時5分。反対側黒岳方面へ登って行くグループがあった。8時15分どんべえ峠から歩き始めた。すぐ尾根道。南方に御坂山塊主稜のスカイラインが雲間に眺められた。黒岳頂上は雲に隠れていることが多かった。府駒山(1562m)を経て釈迦ヶ岳(1641m)頂上までちょうど1時間ほど。頂上には先客が何組かいた。富士山が見えないかと10時まで待ったが、結局眺められず、団体さんが登ってきたのを契機に逃げるようにどんべえ峠にもどる。50分。トリカブトがけっこう咲いていた。 □ 平成15年9月28日 「春日山 」 どんべえ峠から車で35分で黒坂峠。峠を切り開いた感じで、駐車場があり、ベンチなど整備されていた。まず峠の東側「春日山(1158m)を目指す。わずか10分でほとんど展望のない頂上。山梨100名山の標で確認できる程度で、なければ気が付かず通り過ぎてしまうかもしれない頂上であった。ここをさらに東に行くと古峠を経て、崩山(1235m)になる。 黒坂峠にもどり今度は西に急坂を登る。15分で名所山(1236m、タヤンハチともいう)。どうも境川方面ではこのあたり一帯の山域を春日山といっているようでここが春日山では最高地点。 □ 平成15年10月18日 「滝戸山 」 家から鶯宿(おうしゅく)峠まで26キロメートル1時間。地元の人らしき数人がシートを敷き宴会を始めようとしている脇を通り、峠の少し境川村寄りから登山道に入る。途中、キノコ狩りの人たちと何人か遇う。峠の人たちももしかしたら採ってきたキノコを焼いて一杯かなと考えたりしながら、ひたすら歩く。雨が降り出しそうで心配だったが、30分で滝戸山(1221メートル)山頂着。結局降り出した雨に追われるようにすぐ下山。意外と役に立った傘をさしてほとんど濡れずに峠に戻ることができた。 この峠から分かれた林道を更に2〜3分東に行ったところが昔の鶯宿峠。有名な「なんじゃもんじゃ」の樹がある。学名は「両面檜」だそうだ。大勢の人たちがこのなんじゃもんじゃの樹をながめながら峠を越えたのだ。 □ 平成15年11月2日 「大石峠 」 「節刀ヶ岳 」 家から上芦川駐車場まで26キロメートル45分。駐車場から25分、落ち葉の林道を歩く。林道終点にも2台ばかり車がおけるスペースはあったが、私の車ではこの林道の通行は無理であったろう。歩いて正解。林道終点から本格的な山道。これがあの若彦路だ。歩きやすいジグザグ道を、落ち葉を踏みしめながら1時間ほどで大石峠。明るい草原であった。逆光の富士山が眺められた。靄の中、河口湖も見えた。しばらく休む。峠から尾根道を少し上り下りして、1時間ほどで節刀ヶ岳(1736、4m)。眺めは本当によかったが、盆地(甲府方面が)確認できなかった。また十二ヶ岳、金山、鬼ヶ岳まではわかったが、その先王岳三方分山等ははっきり同定できなかった。 □ 平成15年11月9日 「新道峠 」「黒岳 」 家から新道峠駐車場まで33キロメートル1時間5分。駐車場から5分で新道峠。富士山はもやの中にぼんやり見えていた。麓の河口湖も同様。10分ほど休み、7時50分黒岳へ向けて出発。破風山8時5分、すずらん峠8時20分。木の葉ももう落ち、前に登った釈迦ヶ岳も木々の向こうに見え隠れしていた。黒岳到着8時42分。10mばかり先にどんべえ峠からの道が登ってきていた。葉が落ちているが、ブナの林が気持ちいい。200mばかり南の展望台にも行ってみたが、富士山はやっぱりうすぼんやりしか見えていなかった。頂上で30分休み、雨も少し心配になり下山。葉が落ちた木々の中、赤や黄色、紺色の木の実が、沢山見られた。新道峠10時10分。ここで今日登り始めて初めて、人(夫婦連れ)に会う。お湯を沸かしてコーヒーを飲む。至福の一時・・・。 |