「鋼の錬金術師」二次創作小説(第9巻より)


               あらしの中


 ブロッシュ軍曹が駆け込んだ公衆電話は、中央司令部からそう遠くもなく、
かといって人通りも多くない、公園側の目立たぬ場所にあった。電話の相手は、
憲兵隊に所属する悪友だった。
『はぁ〜い、こちらニコニコローンでぇす。残念ながら、お客様はご返済が
滞っておられますので、ご融資にはお応えしかね…』
「バカ言ってんじゃねぇよ!こっちは急用なんだ、借金なら返すから、とにか
く…」
『こちらの利息は高くつきますけれど、いいんですか〜お客さん、ブラック
リスト載ってますからねぇ。ポーカーには向いていない顔なんですよ〜〜』
「いいからあらいざらい、おまえの知ってることを教えろって!」
『……… いやにせっかちですねぇ、お客さん。ま、おまえにしちゃ上等か。
暇になったら、こっちから連絡する。そこ動くんじゃねぇぞ』
「へっ?だって、おまえ…ここがどこか、わかるのかよ?」
 言い終える間もなく、電話は切れた。軍曹は仕方なく受話器を置き、電話
ボックスの中にしゃがみこむと、イライラと貧乏ゆすりをした。こんなに急い
でいるのに、なんだって公園のガラス箱の中に入ってるんだよ、オレは…!

 待つ身はつらい。それでも、数分しか経たないうちに、公衆電話が鳴り響き、
1コールで軍曹は受話器をもぎ取る。
『よ〜しよし、ちゃんと待ってたか、偉いぞぉ。短絡的なデニーくんが、わざ
わざ外線で電話してくるなんてな、その配慮に免じて……』
「そっちも、外に出てきたのか。でも、どうしてこの場所が…」
『おまえの考えることなんざ、それこそチビっ子レベルだからな。で、例の件
だろ、上官殺しで憲兵隊に連行された……』
「ロス少尉は、人殺しなんかしていない!まして、ヒューズ准将を…冗談にも
程がある!!」
 アームストロング少佐は、不在。少尉とは別に上官責任を問われ、尋問を
受けているのだろう。職場は、信頼できないウワサが飛び交って、埒もない。
留置所へ面会は申し込んだが、それすら叶うかどうか…
『んで、おまえはどれだけ知ってるの?』
「…使途不明とされる弾丸が一発、アリバイは両親のみで立証されない、殺害
現場から逃走する姿が目撃されている……どれが真実なのか、混乱しちまって
…」
『こっちも下っ端憲兵だからなぁ、それ以上の情報は無いぜ。それで、おまえ
が彼女を弁護する理由は?』
「使途不明の弾丸は、オレも撃っているんだ!同じ時、同じ場所で…任務の
一環だから、少佐にもちゃんと報告したし。なのに、どうして……アリバイ
だって、家族や親しい間柄だと認められないだって?休日に、家族や親しい人
と過ごさないヤツがいるかよ!」
「う〜ん、そういうのをロンリーって言うんだろうなぁ。おまえだって、休み
はいつも、俺らのカモになってくれるんだし…そういうのも、認められないん
だろうねぇ」
 受話器を握りつぶしそうなほど歯がみする軍曹に、冷たい声が響く。
『…やっぱ、その女が殺したんじゃねぇの?』
「だから、弾丸は…!」
『そんなの、命令を下したヤツが与えたに決まってるだろ。まさか、単独犯だ
と思ってるわけ?おまえの言うような性格なら、個人的恨みで人生をフイに
するようなことはしねぇけど、上からの命令だったら…』
「少佐がそんな指示するはずがないだろ、准将とは親友だったんだぜ!」
『そうそう、軍令違反の前科持ちだもんな。でも、その上からは?少佐以上の、
将軍レベルからの命令だったら?…忠誠篤い軍人なんだろう、彼女は…』

 まさか…本当に、ロス少尉が殺したのか?そんなはずないと、頭から思い込
んでいて、疑いもしなかった。でも…彼女が特別に指示を受けて、殺人を実行
したのだとしたら…本当に、マース・ヒューズを銃殺したのだとしたら…体
中の力が抜け、背中に汗が走る。ガラス窓に拳を押し当て、頭を支えた。

(『その上』から、指示されたのだとしたら……)

 軍務に忠実な少尉が、その指示通りに?なら、中佐、いやヒューズ准将には
どんな咎があったっていうんだ?あのマイホームパパの、そのくせ抜け目ない
やり手の軍人が、どうして殺されたのか……
『お〜い、カモ・デニー、早くしてくれねぇか?こっちも、いつまでもサボっ
てるわけにいかねぇんだからさ〜 にしても、おまえの女の好みも変わったよ
なぁ〜〜』
「…おまえの言うことも可能性としては、否定しない。でも、ロス少尉はそう
いう人じゃない。たとえ軍令でも、理不尽なことを実行するような人間じゃな
い」
 そうさ…あのバカガキども、エルリック兄弟を叱責するのに、命をかけるよ
うな彼女が…こんなやり方で、人を殺すものか。

『…まったく、この上官にしてこの部下あり、だな。んじゃ、おまえのお望み
通りの、無罪の方向で考えてみてもいいぜ。そうだなぁ、やっぱりカモは
ローストかなぁ』
「ローストでもなんでも、食わしてやるから!そうだろう、だいたい、准将
殺しは、複数犯の犯行が濃厚だって話じゃ…」
『カモにはやっぱり、オレンジソースだよなぁ。問題は少尉が犯人に仕立て
あげられなきゃならない、理由だ。なんでまた、一ヶ月以上も経ってから、
しかもこんなちっぽけな、どーでもいい証拠なんかで、連行されなきゃなら
ないのかってことよ。こんな証拠でかまわないなら、犯行直後にとっとと
しょっぴけばいいはずなのに、なんでいまさら。そこが、ツボだぜ』
「…………」
『あとは、おまえらが関わってたヤバイ任務と絡んでるんだろーよ。おっと、
言うなよ、言うんじゃねーぞ、俺はまだ死にたくないからな!じゃ、また俺ら
に貢いでくれよっ そうそう、マイ・リトル・グース、少尉が罠にはめられた
なら、次の「生贄の羊」はおまえだぜ。あんまり首突っ込みすぎるなよ。
せめて、ニコニコローンに完済してから死んでくれ。じゃあな』

 温室の中のような、やけに暖められた箱の中で、あの会話を思い返す。
  元第五研究所、賢者の石、大総統… 鋼の錬金術師
 やっぱりそこに行き着くのかよ、ヤバイって、あれほど痛感したのに…でも、
いまさらどうしようがある?憲兵相手に、たかが軍曹ごときがじたばたしたと
ころで…… 面会は叶わなかった。畜生、やっぱり少尉を犯人と決め付けてや
がる!留置所で出くわした少佐は、司令部に帰る道のりも、珍しく無口だった。
南部で負った頭の傷が完治していないのだ。戦い…それが、軍人の……
 職場に戻ると、第一報が知らされた折のざわめきはいくぶんおさまり、副官
の指示の元、皆淡々と仕事をこなしているようにみえる。…みえる、というの
は表面上のことで、この場所にいる誰もが、事の成り行きを気にしつつも、
それを忘れるために単純作業に没頭しているという方が正しかった。
(緊急資料…こっちは総務か。経理、外報担当者宛、軍法会議所……そうか、
あそこなら!)
「この書類、急ぎですよね!軍法会議所まで行ってきます!」
「…いつにも増して、落ち着きのないやつだなぁ。少しは自分の椅子を温めて
やれよ」
「無理ないって、この状況じゃ……」

「知りません、なにも知りませんって!憲兵さんにお話した通りです、他には
なにも、お話することはありません!!」
 シェスカは、黒ブチの眼鏡越しに、かたくなな瞳を向けた。ヒューズ准将が、
その死の直前に部下に配した一件には、ブロッシュ軍曹たちもかんでいたのだ。
「だいたい、准将が亡くなったときのことは、フォッカー大尉やテレフォン
オフィスの担当者の方が詳しいんですから、そちらで聞けばいいでしょう!」
「そっちが無理だから、君に聞いてるんじゃないか!だいたい、本に埋もれて
餓死寸前だったのを助けてやったのは、どこの誰だと思ってるんだよ。オレた
ちが発掘してやらなかったら、今頃君は大好きな本と心中して、ミイラになっ
てたんだぜ!」
 薄暗い書庫の中で、シェスカは上目づかいに、軍曹をにらみつけた。
「…それだって、命令だったからでしょう。軍人さんは、人を殺すのが仕事だ
から」
「人が死にそうになってたら、助ける!おかげでこっちは、二次遭難しかけた
んだからな。人を殺人鬼扱いするなよ。だいたい、准将は資料室で刺された後、
外の公衆電話で撃たれてたんだろ。それなら、犯人は二人以上…」
「あなたじゃないんですか、軍曹。あなたはいつだって、ロス少尉と一緒だっ
たじゃないですか、それで、准将のことも…!これ以上お話することはありま
せん、帰ってください!本当のことは、憲兵隊が証明するでしょう、なんで
軍人さんが探りまわるんですか!…もう、もう誰も信じられません…あのロス
少尉が殺したなんて言われて…いったい、誰を、何を信じろっていうんですか!
人間なんて、信じられません。本に書いてあることだって、全部が真実じゃな
いけど……」
 何を信じていいのかわからない…何をよりどころにすればいいのか……
「…でも、君はヒューズ准将を信じている」
「当たり前じゃないですか!死んじゃった人を信じてあげなくて、どうするん
ですか…裏切ることも、謝ることも、もうできないんですよ……」
 軍服を着ていても、あの本の山に埋もれていたどうしようもないグズっぷり
は、変わらない。まっすぐな、シェスカ。
「悪かったよ、しんどいこと聞いちゃって。でも…君がオレを疑うのは自由だ
けど、オレは少尉を疑っていない。あの人は、理不尽な殺人を命じられても、
従わない。たとえ殺されても、だ」
 軍曹は、ドアを開けて周囲を見渡した。軍法会議所の書庫に部外者を立ち入
らせるなんて、見つかったら懲罰ものだ。いくらロス少尉のためとはいえ、
せっかくメシの種にありついたシェスカを窮地に追い込むわけには、いかない。
「じゃあ…そうだ、今度、メシでもおごるよ。今日のお詫びに、さ」
「い、いえ、その…あの、それでしたら、ロス少尉が帰っていらしたら、で」
 先手を打たれて、苦笑いしか浮かばない。両手に花、といきますか?
「そんじゃ、もう一人野郎を加えて、カルテットだな。カモのロースト・
オレンジソース添え…また、声をかけるよ」
 シェスカの、無邪気な笑顔が戻ってきた。でもまた不意に、小声になった。
「あの…マスタング大佐は、お元気にしてらっしゃいますか?」
 はぁ?なんでここで大佐が出てくるんだ??軍曹はもちろん、男の動向なん
かには、まったく興味が無い。そりゃあ少佐とは内乱以来の戦友だけど、職場
も関係ないし…
「…ここのところ何日も、こちらに調べ物をしに通ってらして…それが、
ヒューズ准将の調べてらしたことに似ていたみたいで……詳しいことは、
私には全然わからないんですけど…」

 早足で、司令部に戻る。でも、自動車に三台、馬車にも一台、ひかれそうに
なった。考え事をすると、他に神経が回らなくなってしまう。集中力は一応あ
るけれど(じゃなきゃ護衛なんて任務は務まらないよな)、能率はあまりよく
ない男なのだった。
(意外とガードが堅かったなぁ、あの「本の虫」…じゃなくて!今はロス少尉
のことだろ、だけどオレの証言なんて門前払いだったしなぁ…他に弁護できる
人材…第五研究所は瓦礫の山だし、目撃者も……そうだ、あのガキ!)

 ちょうど、執務室から出てきたホークアイ中尉を呼び止めることができた。
有能にして怜悧な副官…マスタング大佐を相手にするよりは、よほどマシだ。
というか、大佐自身より大佐のことを熟知しているというか…東方司令部から
異動してきたこの美人士官を狙った男は、一人や二人じゃない。まぁ、ことご
とく…口にするのも恐ろしい目に遭ったので、今ではそんな命知らずも減った
ようだが。
「所属と氏名を。用件は、簡潔に述べなさい」
「はっ、アームストロング少佐配下、デニー・ブロッシュ軍曹であります。
ホークアイ中尉に、ぜひ教えていただきたいことがあり、参りました!」
 ブラウンの鋭い瞳が、こちらを射抜く。さすが、鷹の眼…だけど、引くわけ
にはいかない。
「鋼の錬金術師、エドワード・エルリック氏の連絡先を教えていただきたいの
です!その…弟のアルフォンス君に用事がありますので。以前護衛した折に、
伝え損ねたことがありまして……」
 この言い訳は、道々何度も繰り返し唱えていたにもかかわらず、どうにも
バレバレな口調になってしまった。だいたい、これじゃ任務遂行において怠慢
があったことになるじゃないか!まぁ、ウソだろうがデタラメだろうが、
とにかく情報を手に入れないことには……
「エドワード君の所在は、こちらには伝わっていません。職務に復帰するよう
に」
「し、しかし……」
 もう一度言わないとわからないの、この子は…というような眼で見つめられ
ては、たまらない。ロス少尉もたいがい強い女性だと思っていたけど、上には
上がいるもんだ。仕方ない、退散…か。
 敬礼し、夕暮れの廊下を歩いていると、ガチャガチャと物音がした。ほんの
少し開いた扉から、小柄な背中が見える。
「ブレダ少尉?大佐が報告待ちしてましたよ、ハボック少尉が…って、うわっ、
な、なんだ、いきなり!!」
「いきなりって言われても…なんすか、フュリー曹長。隠し事なら、ちゃんと
鍵をかけとかなきゃダメですよ」
「い、いやその、ブレダ少尉と打ち合わせが…って、いや、そのこれは、つ、
釣りの準備なんだ!」
 黒ブチ眼鏡を焦りながら押し上げる不自然さは、軍曹と同等か、それ以上に
隠し事が苦手とみえる。
「この辺に、川や湖なんてありましたっけ?っていうか、このあいだ異動して
きたばっかりなのに、よくそんなポイントを見つけましたねぇ」
「ま、マスタング大佐だよ、僕じゃなくて!」
 部下にそんな準備させるなんて、完全に公私混同な残業なんじゃ…って、
まだ就業時間内だぜ!どーせあの大佐のことだ、さっそく女ひっかけていちゃ
つくつもりなんだろう、あんな美人副官がいるくせに!とまぁ、恋愛問題に
ついての情報には人並み以上に詳しいブロッシュなのだった。お前も仕事しろ!
と、常時叱責くらっているが。

「誰だった?」
「デニー・ブロッシュ軍曹でした。ロス少尉を案じて、来たようです」
 ふうん、と革張りの椅子を斜にかまえ、窓越しに夕景を眺める。
「…恨まれますよ」
「憎まれっ子、世にはばかる…か。今に始まったことではなかろう。ハボック
は?」
「まだです。準備は整っていますが。『彼』が動かないことには、こちらも…」
 予定通りだな、と大佐は引き出しの中身を確認した。発火布で作られた手袋。
人を殺すのは、久しぶりだ。慎重にやらなければ。
「…釣りの準備は、進んでいる。できれば、中尉にも同行願いたかったがね。
貴重な休暇とはいえ…他にも大勢きれいどころがそろうものだから、私一人
では気配りしきれるかどうか…」
「なんとかなるんじゃないですか、腕次第ですけど。獲物を追うときは、ほど
ほどを旨になさった方がよいですよ。言っても、聞かないでしょうけど」
 そんなことをわざわざ口に出して言うところが君らしいよ、と大佐は口元を
ゆがめた。

「あーっ、あの時の護衛の、かたわれの人!!」
「デニー・ブロッシュですってば…ウィンリィさん、いつ中央に?」
 さっき着いたところよ、と長い金髪をなびかせ、機械鎧整備士は微笑んだが、
すぐにムッとした表情になる。
「ちょうどよかった、マスタング大佐にとりついでよ!まったくもう、軍部っ
て融通が利かないったら!外線電話はとりつがないし、こうしてわざわざ足を
運んでも、まだ話が通じないんだから!」
「しかたないよ、就業時間も過ぎてるんだから。ほら、もうこんなに暗くなっ
てるし…で、大佐に何の用なの?」
「エルリックバカ兄弟がどこにいるか、聞きに来たの!」
 それなら…と、軍曹はさきほど中尉から聞いた言葉を、そっくりウィンリィ
に返した。彼女は、まぁ予想していたようで、やれやれとため息をつく。
「やっぱりねぇ…さっきの様子からみて、エドが大佐のところにひょいひょい
顔出すようには思えなかったけど。しょーがない、宿で待つしかないかぁ」
「そう、もう暗いから宿で…って、えーっ!!宿で待っていたら、エドワード
君が来るの?!」
「そりゃそうよ、隣の部屋なんだし。ったく、エドもアルも何も言わずに飛び
出していって… もう、あたし何のために中央まで、あのお尻の痛くなる箱に
揺られてきたんだか!そもそもあいつらがちゃんと連絡とってれば、ヒューズ
さんが実家に帰ったことだって、わかっていたのに!!エリシアちゃんへの
お土産が無駄になっちゃう。だいたい、大佐が異動していたことだって……」
 ちょ、ちょっと待てよ…エルリック兄弟はこの街に来ているのか?だったら、
なぜ中尉は…大佐の指示か?でも…准将の死まで、知らされていないなんて。
おい、いったいなにがどうなってるんだ?誰が本当のことを言ってるんだよ!!
「じゃあ、あいつらを見かけたら、即刻宿に連絡いれるように言っておいて
くださいね!」
 夜道で一人歩きする女性はかならず送る鉄則も忘れ、しばらく呆然と立ち
尽くしてしまった。ただ、どうしようもなく嫌な予感がする。磐石たる大地と
信じていたものが、巨大な蛇の背中であるかのように。目に見えるものが、
すべてではない。そして、館内放送が最後通告をもらした。

『抵抗すれば 射殺して良し』

 マリア・ロスの両親が訪ねてきたのは、その翌日のことだった。アームスト
ロング少佐は上官責任で自宅謹慎を言い渡されていたので、彼らを追い返す
役目を、軍曹は担うことになった。彼女の母親は黒髪で、娘に良く似ていた。
「…どうして!せめて、一目会うくらいは……」
「申し訳ありませんが、遺体はすでに『処分』されました」
 夫妻は、かろうじて互いを支えあい、そこに立ち尽くしていた。帰るまで、
動けない。動かない。それが、任務だから。
「家族の証言は採用されないって、私たちだけでなく、ご近所の方も、利用し
た交通機関の人も、顔なじみのお店の方たちも…あの子、おみやげにケーキを
買ってきて……そのお店の人たち全員の言葉も、証拠にならないんですかっ」
「おまえ、もう、そんなことを言っても……」
「いいえ、いいえ!マリアが…娘が上官を殺して、平気で実家に帰ってくるよ
うな人間に見えますか?人を殺して、あんな笑顔を浮かべるように思いますか!
あなたのことも…明るくて真面目な青年だと、そう言って、あの子……」

  人は 何かの犠牲なしに 何も得ることはできない

「正直に申し上げて、ご覧にならない方がよかったんです…」

  何かを得るためには 同等の代価が必要となる

 なら、この犠牲は何のための代価なのか。彼女の死は、いったい何を得るた
めのものなのか。そうさ、別に、変わらない。ほら、こうやっていつもどおり
陽が昇り、日が巡る。誰か一人がこの世から消えても、世の中は何も変わらな
い。炭になり、灰になり、この世界から消滅した。

 でも、錬金術じゃない。そんな化学式は、勝手に考えてればいい。
思い出と記憶と、心に深く刻まれた傷を治す方法なんて、どこにあるんだ。

  前触れのある別れなんて ない

  二度と 取り戻すことのできない場所に


 あらしの過ぎ去った後、失ったものの大きさに気づく時まで

                           (05/05/18 掲載)

「あらしの中」後書き

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