(4)
時間よりずいぶん早かったのだが、ロベリアは舞台に来ていた。厚い緞帳が
下がったガランとした板間。だが、優れたレビュアーはいかなる場所をも、
自然に満ちた草木溢れる野原や、重々しい気品を漂わせる王宮や、見たことも
ない異国の叙情すら、感じさせることができる。
静かに中空に指を伸ばし、目線を添わせてみる。小さな小鳥が一羽、彼女の
手にとまった。もちろん現実には、何もいない。でも、確かに感じることがで
きる。腕の伸びやかなこと、目線のかすかな揺れ。誰に教えられたのでもない、
生きるための技として身につけたこと。それが天賦の才によって、より際立つ。
その鳥は…とても綺麗な声でさえずるものだから、銀髪の踊り子は喜びの表情
を浮かべ、しなやかに体を動かす。だが不意に、小鳥は消えた。喜びも幸せも、
永遠には続かない。嘆きを知った少女は、憂いに満ちた舞を舞うのだった……
「あ、これはロベリアさん… 稽古中とは知らず、失礼しました」
舞台袖に立つ口ひげの中年男をしらけた横目で見つめると、吐き捨てた。
「稽古なんかじゃないよ、ちょっと体を動かしたくなっただけさ…。
おい、勝手に絵を描くんじゃねぇよ。アタシのモデル料は高いんだぜ。
それから、もしブスに描いてみろ、生きてこの劇場を出れなくしてやる」
緒方は、口汚ないののしりにも動じず、立ったまま画帳にコンテを走らせて
いるようだった。踊り子の方も、傍らにいる男のことなんか気にもとめないよ
うに踊っていたが…不意に立ち止まると、黙って画帳を取り上げた。
「ああん?なんだこいつは…顔なんか描いてないじゃねーか」
「ええ、簡単なデッサンですから。私が惹かれたのは、あなたのその見事な
踊りだったので、即興で描かせてもらいました」
じゃあ他のダンサーを描けばいいだろ、とつっけんどんに押し返しながらも、
まんざらでもない表情をうかべている。プロの踊り子として、踊りを誉められ
れば悪い気はしない。
「しかし、アンタらほどおかしな夫婦は見たことがないぜ。奥方が巴里中の貴
族のサロンに呼ばれてるってのに、旦那はテルトル広場で絵の具にまみれてる
なんてさ」
「はは…お互いが好きなようにする、それが私たちなりでね」
「やれやれ…おまけに劇場で踊り子なんか描いてる。どうかしてるぜ」
「パパー、こんなとこにいたですか…。あーっ、パパったら、こんな泥棒さん
を描いたりして、見損ないますよー。ワタシを描くでーす!!モデル料なんて、
ケチくさいことはちっとも言いませんしぃ〜」
ロベリアのケッ、という呆れ顔をよそに、すっかり父に甘える姫君だった。
「それより…他の皆さんはまだなんですかー?しょうがないですねー」
「ここでなにかあるのかい、織姫?」
よくぞ聞いてくれました、と薔薇の少女は自慢げに腰に手を当てた。
「シャノワールにテーマソングを作ることになりまして、ワタシのスペシャル
な技術がどうしても必要だと熱心に言うものですから、ちょっち手伝ってやろ
うかなーなんて。ちなみにロベリアさんは、下っ端コーラスの一員でーす」
「ちっ、ふざけやがって…だいたい、コーラスごときに練習なんか要るのか?
他の連中はともかく、アタシをあんまりなめてもらっちゃ困るよ」
「はぁ〜だいぶ油断してるみたいですね〜そんなことじゃメルさんシーさんに
人気を奪われちゃいますよー。司会とはいえあの二人には、マニアなファンが
付いてるみたいだし、『花の巴里』だって、ずいぶん頑張ってますからね…
それこそ『クルマを貸して車庫を取られる』って、ドツボにはまるでーす!」
このことわざについては、あまりの間違いぶりに、父も泥棒もツッコミよう
がなかった。それから織姫は、レニがコーラス編曲において発揮する才能につ
いて我が事のように自慢したり、歌手デビューを渋るメルをグラン・マがほと
んど脅迫めいて口説いたその押しの強さ等などについて、尽きることなく、
まくしたてた。あくびをしてそっぽを向いていたロベリアはそれこそ、メルの
登場を救世主のように感じたに違いない。
「オーッ噂をすればナントカでーす!メルさん、今回はあなたがたが主役です
から、こんなコーラス連中なんてぶっちぎって、張り切っていきましょーっ」
「それどころじゃありません!織姫さんロベリアさん、一大事なんです!!」
日ごろ冷静沈着な秘書嬢の慌てぶりに、一同は顔を見合わせた。
「エリカさんが…エリカさんが、倒れたんです!」
「はぁ〜?」
「ど…も、すみません……」
点滴の針を腕に刺したまま、エリカは申し分けなさそうに、人懐っこい笑顔
をみせた。大神がもらしたのは安堵のため息だったが、グリシーヌは心底呆れ
た。
「断食だと?!いったい、どういうことなのだ?」
「はい…前に大神さんから、日本には願い事を叶えるために食べ物を食べない
修行があるって聞いて…どうも普段のお祈りだけだと、パンチが効いてない
ような気がしてたんですよね…それで、追加で……」
犯人は貴公か!とグリシーヌが大神に詰め寄った時、後ろの方でこれまた
呆れ果てた声があがった。
「そんなことで栄養失調ですかー、信じらんなーい。この人、本当におバカさ
んなんですねー!」
その言葉を耳にした途端こめかみを震わせ、すごむグリシーヌ。
「ちょっと待て、誰のためにエリカはこうなったと思っているのだ!」
「誰って…ワタシに言われても、見当違いってカンジぃ。元々は絵を盗んだ
泥棒が悪いんだし、だいたい断食してくれなんて、ワタシ一言も頼んでません
もの。変ですねー、自分だってエリカさんのことバカにしたくせに…」
「わたくしはよいのだ、仲間だからな!それより先ほどの言葉を撤回しろ!」
まったく取り合わない様子で、織姫は首を振った。
「だって、バカをバカって言ってどこが悪いんですかー?頼んでもない余計な
ことして、これじゃ『花の巴里』の練習だって出来ないじゃないですか。
そんなの全然オカシイです、とんだ迷惑ってカンジ〜」
そうだそうだーと、ロベリアが無責任な煽り文句を叫ぶものだから、貴族
令嬢はますます怒るし、その間を花火とコクリコが右往左往して…
「とにかく!」
たまりかねて、大神が口を挟んだ。
「病人の前で言い合いは止めてくれ。エリカくん、まずは体を治すんだ」
「えーっ、私、ちゃんと歌えますから…だから……あれ?なんらか、あたまが
ふらふら…ひまふ……」
「鎮静剤が効いてきたようだな。ちょっと、興奮気味だったから…
栄養剤を点滴したらすぐに持ち直すという話だから、交代で看病しよう。
さぁ……」
ざわざわ…という人の動きが感じられた。ややあって、静寂。
またやっちゃったですね…エリカは、心の中で涙した。どこに行っても、
何をやってもドジばかり。自分では一所懸命力いっぱい取り組んでいるけれど、
いつもうまくいかない。そのうえ、人並外れた霊力も思うように使えないし…
やっぱり、みんなの足をひっぱちゃってるのかな……
ぼんやりとした意識に、みんなの顔が浮かぶ。みんな…みんな、大好き!
ここにいたいの、みんなを守る力が欲しい。なのに……
「…心配ナッシングでーす!リゾットくらい…お米が先だったかしら、
それともスープ?」
甲高い声が聞こえた。赤いドレスが、視界にひらひらと舞う。
「…いいよ、ボクが作るから、おかゆ。さくらに習ったの。胃腸に負担のかか
らない食物が必要だから」
医務室の壁際から、静かな声が聞こえた。手前のドレスが、花びらのように
揺れる。さくら…さくら?どこかできいたことある名前… 春の花…
「好きにすれば〜?それにしても、ホントおバカさんですね〜こんなの相手に
してちゃ、中尉さんも大変でーす」
また言われちゃいました…誉め言葉だったら嬉しいんですけどね。
でも、ベッドに寄りかかった赤い姫君のため息は、軽蔑じゃないみたい。
「…こんな手のかかる人を抱えてちゃ、中尉さんも…心配で、帰る気になれな
いかもしれないですね……」
「そう?命令なら、そうするんじゃない」
「んなこた分かってまーす!そうじゃなくて、中尉さん自身の気持ちよ。
来るんじゃなかった、こんなところ…」
青い服の影は、しばらく言葉を探していたみたいだけど、結局なにも言い出
せないまま、沈黙の世界に帰っていった。だからきっと、この人と同じ気持ち
なのだろう。どうして、どうしてそんなに…哀しそうなの?
「巴里のこと…嫌い…ですか?」
エリカのか細い声に、二人ともひどく驚いたようだった。織姫は病人に向き
直ると、コホンと咳払いして、元気よく言い放った。
「そうですね〜アホたれが多いですけど、悪くはないでーす。ね、レニ?」
レニもうなずいた。二人とも、嘘をついているの?その方が、もっと悲しい…
「わたしたちのこと…嫌い?」
「ふんっ、キライになれたら、苦労しないでーす。あなたたちが、こんなに
素敵で、こんなに好きだから、文句の一つも言いたくなるんだから…」
額に、ひんやりして、それでいて柔らかな手を置いてもらったら、懐かしい
お母さんのよう。お母さん… 羽を持ち、空から降り立つ。天使……
「とっとと良くなりなさい。遅れた分、ビシビシしごきますからねー」
「そう、練習は甘くない」
無表情を保っていたけれど、けっして硬くない。静かな優しさを感じる。
「…おやすみなさい、エリカさん。戦う天使……」
二人は出ていったけれど、その暖かなまなざしは残っているような気がした。
戦う天使…それはあなたがたのことだ…と、思い返しながら。
《もうすぐ…もうすぐだから…… おやすみ、いまはやすらかに…》
グラン・マの二人の秘書嬢、メルとシーをメインヴォーカルにすえた新曲
『花の巴里』の稽古は、舞台袖で熱心に続けられていた。
大神とドミニクは、シーによって追い払われていたのだけれど、やはり気に
なって、こっそり客席から聞いていた。シー本人はかなりノリノリなのだが、
恥ずかしがりやのメルのことを気遣って、男どもを追い払ったらしい。
以前から幕間に使われていた曲を編曲しただけなのだけど、ますます華やか
な、うきうきするような曲に生まれ変わった。シーの高音とメルの低音による
デュエットは、意外なほどピッタリとはまっていて、普段から仲のよい彼女た
ちらしい。一方、いつも個性豊かでバラバラな花組の乙女たちも、それぞれが
持ち味をなくさないまま、上手く声をそろえていた。
普段はおしゃべりなドミニクも、口を閉じてじっくり聞き入っている。
本当のところ、織姫が楽団のピアニストも逃げ出すほどのピアノの腕前だとか、
レニのコーラスの技術の確かさについても、あまり信じていなかったらしい。
こうして演奏を聞いてみて、初めて納得した様子だった。
「わっ、ジュルジュさん…あなたも、聞きにきてたんですか…」
「もちろん。蒸気録音盤をお客さまに勧めるためにも」
元々無口なバーテンは、なおいっそう端然と立ち尽くしていた。
織姫のピアノと、レニの澄んだ声が…巴里の街に響く。
不意に…体中を締め付けられるように、痛切なものが走った。俺は、なぜこ
こにいる?帝都の…帝劇の景色が、胸に沸き上がってきた。帝劇…レンガ積み
の壁、緑の中庭、俺は…俺はどうして、あの場所を離れてしまったんだ?
もちろん、巴里は好きだし、花組のみんなも好きだ。隊員の中から次期隊長
を選べと言われた時、いずれ遠からず巴里を離れるだろうこと…辛くて、たま
らなかった。みんなを信用している、だからこそ…自分の手で育てあげてきた
巴里の乙女たちと別れることを、想像したくなかった。
でもこの瞬間、大神の心は帝都へ飛んでいた。遠い遠い、遥かな国。
そこで生まれ、育ち、愛し合った。なぜ?巴里の乙女たちが歌っている、
その声を聞きながら、俺はこんなことを考えているんだ…?
乱れ騒ぐ心をよそに、軽快な間奏が店中に響き渡った。楽しげに。
花の都・巴里。すべてが、恋
シャノワール地下の倉庫…監獄から出て以来、ロベリアはこの部屋に住みつ
いている。舞台用の書き割り、照明、余った客用椅子、ペンキ、音の出ない
オルガン…一階の道具室に入りきらないものを置いていたのだろう。そんな
場所でも、ロベリアにとっては居心地のいい『巣』になっていた。なおさら、
そう感じる自分にも腹が立つ。
自分の力を正当に評価されるということは、悪くはない。どうみても、巴里
華撃団には自分の力が必要だ。でも…このままでは、何事にも縛られないとい
う、己の身上に反する。なら、なぜここを出て行かないのか。グラン・マの持
つ「死刑宣告書」なんて、見つけ出して灰にしちまえばいいんだ。あとの連中
がどうなろうと、知ったことか。そのことを考えると、いつも…こんな風に
煮詰まってしまう。酒だ、酒!飲んで酩酊しちまえば、すべてどうでもよく
なってしまうはず。廊下の壁を力任せに殴りつけ、鉄製の飾りっけのない扉に
向き合う。鍵は…開けた形跡なし。部屋に入って、やれやれとため息をつき
安堵したのも、一瞬だけだった。招かれざる客のお出ましに、気づく。
「ふんっ…まだ巴里に居たのか?とっとと帝都に帰れよ、『貿易商』さん」
「いやぁ〜倉庫はいいなぁ〜 お宝がありそうで、なさそうで〜
う〜ん、書き割りもあるし〜」
薄暗い照明の影で、やたらと元気な声がする。しょうもない。
「招待した覚えはないぜ。とっとと消えな…」
「まぁまぁロベリアさん、そう無下にしないでくださいよ。不思議に思ってる
んです、どうして大神に『あのこと』を言わないのだろうか…と」
闖入者に構わずグラスを酒で満たしていたのだけれど、口をつけながら鋭い
瞳でにらみかえした。
「ふん、友達甲斐のない男だ。隊長だって気づいているさ。ああ見えて、なか
なかの切れ者だからね…そんなくだらないことを言うために、わざわざレディ
の部屋に潜り込んだのかよ。紳士じゃないねぇ…帝国華撃団 隠密行動部隊・
月組の隊長ともあろう男が」
加山雄一は、すました顔で暗がりから現れると、壁に立てかけてあったギター
を取ってかき鳴らしてみた。長いこと放置してあったらしく弦が緩んでいて、
どんよりとした音が出ただけだったが。
「あらら…まぁいいでしょう、俺の名演奏はまたいずれお聞かせするとして…
一つお伝えしたいことがありましてね。さすがのあなたも、苦労しておられる
ようですし」
「はーん、情報屋ってわけかい。だったら余計な口をきくんじゃないよ。
つまるところ、絵を取り戻せたらそれでいいんだろ。芸術、芸術ってどっかの
バカ女じゃないけどな、こっちはいろいろ算段してるんだ。仕上げを御覧じろ、
うるさく言うと降りるからな」
二杯めをついでいる様子を見つめていたけれど、突然おおげさな芝居がかっ
たため息をついた。
「なるほど…あなたほどの人でも『ギルド』には逆らえないというわけか…」
「アタシを怒らせてどうしようっていうんだ、ムッシュ加山。相手の本質を
見極めて言ってるんだ。無鉄砲に突っ込んでいくほど、バカじゃないんでね」
「それはつまり、あなたが再び『闇の世界』に戻っていくことを前提としてい
るからではないですか?」
ロベリアはグラスを置き、呼んでもいない客をにらみつけた。おまえに何が
分かる?こんなところに、いつまでも居られるものか。いずれ巴里から怪人ど
もが消え、平和が戻ってきたと確証されたら… 巴里華撃団が解散したら…
監獄で改悛しているはずの女が、陽の光を浴びながら堂々と街を歩くことなど、
誰が許す?闇から来た者は、闇に帰っていく…そのことを、なぜ問う?
おまえは、いまこの胸にナイフを突き立てているんだぞ!
「アタシがこの世で一番軽蔑しているのはね、アンタのような奴のことさ、
こうもり男。こう見えてもね、サツの連中のことは心の底で尊敬してるんだぜ。
あいつら命懸けでアタシに立ち向かってくるからな、こっちだって本気で
お相手さしあげる。スパイなんて…ケッ、ヘドが出る。泥棒以下、最低だ」
酔っ払いのくだにも、一向に動じることなく、いつものあの愉快そうな
微笑みを浮かべたままで、加山はつぶやいた。
「…ともあれ、お耳に入れておきましょう。ムッシュ・Dは…」
「元締めか!おい、あいつがどこにいるのか知ってるのか、教えろ!!」
やおら詰め寄った女をかわし、オルガンの鍵盤を叩いてみた。もちろん音は
出ず、カチカチという爪音が鳴っただけだが。
「ずいぶん苦労したんですよ、その辺くんでいただきたいですねぇ」
「ちっ、足元見やがって…くれてやるものはない。欲しけりゃ自分で盗ってい
きな、出来るものならね。どうする…?『巴里の悪魔』と呼ばれた天才犯罪者
ロベリア・カルリーニ様から、何を盗んでみせるね?」
グラスを手に、余裕しゃくしゃくでベッドに飛び乗った。高い棚の上から、
まるで猫のように男を見下ろして、皮肉めいた微笑みを漏らす。
「どうしたの加山さ〜ん、早く言わないと、頭からワインをかけちゃうわよ〜
あなたのそのキレイな白いスーツが、赤く染まっちゃうかもね…」
「乙女の血で染め上げるのは、あまり良い趣味ではないですがね」
「ハッタリかよ、どういう…なにっ?!」
腰掛けていたベッドから、いきなり閃光が走った。気を取られたのは
一瞬だったのだろうけど、次の瞬間には男の腕の中におちていた。
「チッ…無茶しやがる。キレイな白いジャケットに、ワインが染みたぜ。
だいたい、男の方が背が低いって、ちょっとこっけいじゃないか?」
「男の値打ちはそんなところにはありませんよ、マドモアゼル」
柔術を心得ているらしいな、身動きが取れないように押し付けてきやがる。
時間稼ぎをして、どうにか切り抜けるとするか…
『ロ・ベ・リ・アさ〜ん、エリカでーす!もうすっかり元気になりましたよー
一緒にお食事しませんか〜お腹すいちゃったけど、一人で食べるのもつまらな
いですから!』
「おい、バカが来たぞ。こんなことしてる場合か?」
「そうですね、ちょっとゴシップになってしまうでしょうねぇ」
エリカは遠慮なしに、ドンドン扉をノックし続ける。部屋の中でこの天下の
大悪党が、男に抱きすくめられているなんて…シスターは想像もしていない
ことだろう。
『ロベリアさ〜ん、どうかしたんですか?開けてください、ロベリアさんー
私、デザートはプリンがいいんです。あ、メロンでも構いませんよ。
ロベリアさんはどっちがいいですか、ロベリアさーん』
「早く離せよ、バカっ。このままだと、あのバカシスターがマシンガンぶっ
放すかもしれないぜ。いいよ、貸しにしとくから、さっさと情報を言えよ!」
「うーん、どうしましょうか…ローンとか借金はしない主義なのですが…」
くそっ、やさ男のくせしてなんて力だ。この、親指さえ、どかせれば…
『なにかあったんですね、ロベリアさん!待っていてください、今このマシン
ガンでぶっ飛ばしてあげますから…下がっていてくださいね!!』
「早くしろ、早く!あのバカはやるって言ったら、ホントにやるぜ!」
「女性からそんなにせがまれては、退くわけにはいかない」
踊り子サフィールの唇は奪われた。甘美にして、熱い報酬
「こ、この…なにしやがる、この野郎!ふざけやがって!!」
炎を投げつけたけれど、涼しい顔でよけられてしまう。それも、燃えては
困るものばかり背景にして逃げ回るし…負けだということは、分かっていた。
だからといって、それを認めることなど、出来るもんか!
「いただくものはいただきましたから、お教えしましょう。
ガストン・バティ公園・三番目の木のうろ、カミーユの店で合い言葉を」
天井板を外して、ひょいと上っていった。ロベリア自身がいざというときの
ために用意していた、秘密の逃げ道だ…
「クソったれ、降りてこい!このままで済むと思うなよ、ぶっ殺してやる!!」
こうもり男が姿を消したのと入れ違いに、部屋の中にエリカが転がり込んで
きた。ロベリアは、振り向こうともしなかったが。
「おっとっと…なんだ、この扉押すんじゃなくて、引くやつだったんですね、
びっくりしちゃいました。どうかしましたロベリアさん、顔色悪いですよ?
なんだか運動会してるみたいな音がしてましたけど、なんの競技をしてたんで
す?」
「ネズミを追いかけていたんだよ…クソッ、逃げ足の早い……」
「えーっネズミ!そういえばこないだ道具室にも出たって、メルさんが言って
ました。だいじょうぶですか、チーズとか、食べられてません?」
「ああ、だいぶやられたさ…フン、まぁいい。このロベリア様に手を出したこ
とを、地獄の底で後悔させてやる……」
しばらく天井の隅をにらみつけていたけれど、チッと舌打ちし、メシだろ…
とエリカに問い掛けた。返事を待たないまま、部屋から出ていってしまったけ
れど。
「へぇ、意外でした…ロベリアさん、ネズミ苦手だったんですね。
やっぱり、ロベリアさんて、いい人なんですね!!」
わけのわからない納得をしながら、エリカも後について駆け出していった。
厨房で仔牛肉のローストを作って食べたけれど、ロベリアは赤ワインを口にし
ようとは、しなかった。
(02/02/01掲載)
〈「貴婦人の肖像」(5) へ進む〉〉
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