ロベリアSS「貴婦人の肖像」
第一章 凱旋公演
(1)花萌える春もいいけれど…やはり秋も捨て難いと、巴里っ子たちは嘆息する。 耐え難い夏の暑さを乗り越えた末に訪れる、実りの秋。豊穣なる大地の恵み… おおむね新酒・ヌーヴォーを指しているのは、言わずもがな。 ともあれ、耳がちぎれてしまいそうな、あの凍てつく冬を前に、さまざまに 秋を満喫するのは必定。 「なにしてるですか〜?早くこっちに来るで〜す!!」 天蓋から降り注ぐ日差しは黄金に秋めいて、プラットホームを暖かに包んで いる。巴里東部・リヨン駅。古都リヨンのみならず、南仏マルセイユやイタリ アへも続く線路。到着したての列車から、旅行鞄をかかえ降り立つ人々、 そして出迎えの人、見送りの人、人、人。黒光りしてかすかな蒸気をたたえ つつ次の旅立ちを待つ列車ではなく、汽車の居ない空っぽのホームへ、 織姫は大神を呼びつけた。 「誰か、お客様かい?」 そんな問いかけにはまったく答えないまま、例の赤いバラのドレスを翻し、 いたずらめいた妖精のように駆けていく。巴里中を震撼させた、あの大災害 から数日しか経っていないのに、早くも街は平穏を取り戻しつつあった。 空中砲台オプスキュール事件…いや、真相を知る者はわずかであろう。 一般には、自然災害だということになっていたからな。避難誘導が迅速に行わ れたおかげで、人的被害が最小限に食い止められた。それでも、人々の間で、 こうささやかれる声は止まなかった…鋼鉄の機体に勇気を満たし、命懸けで この街を守り抜いた、巴里華撃団の活躍の成果を…… 大神は…テアトル・シャノワールのモギリ兼ボーイではなく、巴里華撃団・ 花組隊長としての大神一郎は、やはり達成感を禁じ得なかった。一つに力を 合わせるようになった巴里花組の、見違えるような姿に。この街に降り立った 半年前のあの頃には、とても想像できなかった。それもこれも、彼女たちが 自身の内面的な悩みを自力で解決していった賜物だ。いやいや、そんなことを 耳にしようものなら、たちまち帝都の娘たちから抗議されるかもしれない。 華撃団の先輩として、戦士として、巴里の娘たちを導いたのは、帝撃花組の 力が大だった。とりわけ、命を懸けた作戦に参加した元星組の二人には、 巴里全体が救われたと言っても、過言ではない… 「…来ました、来ましたよ……」 ペリドットの瞳を輝かせ、傍らの男のことなどまったく目に入らないようす で、ゆっくりと駅舎に滑り込んでくる丘蒸気を見つめていた織姫は、客車の扉 が開いて乗客が次々と降り立ってくると、キョロキョロと人探しを始めた。 「あっ、いたでーす。ママ… ママ、こっちでーす!!」 ひときわ優雅に、そして美しく降り立った婦人の胸に飛び込んでいった。 輝く緑の瞳は写し取ったように、娘にそっくりであった。再会を祝しあう 二人の美しさにみとれてしまい、彼の存在にまったく気づかなかったなんて。 「…久しぶりだね、大神さん」 不意に耳に飛び込んできた、日本語。聞き覚えのある声…。 「あ、あなたは…!」 緒方星也は、照れた風に片手を上げた。 テアトル・シャノアール…まだ開店して数年というのに、もはや知らぬ人の いないほどの繁盛ぶりを誇る理由とは何か。美味なるメニュー、そのわりに 暴利をむさぼらない経営方針を挙げる人は多い。だがやはり、他の店と一線を 画するのは、メインレビュアーが5人もいることだろう。誰が飛びぬけてと いうこともない、しかしいずれも劣らぬ。それぞれに個性的な、素晴らしい 舞姫たち。そして… 「みなさーんっ、楽しんでいらっしゃいますかー!!」 黒猫のスーツに身を包んだエリカが呼びかけると、観客たちはおおっ、と どよめき声を返した。 「今夜は、みなさんに特別なショーをお送りしまーす!この間、一回きりの 特別公演に登場してもらったんだけど、すっごい反響だったですよー。 ね、コクリコ」 「エリカの言う通りだよ!二人とも、欧州中で大活躍していたスタアだもんね。 それじゃ、みなさん待ちきれないようだし、ご紹介するよー!」 ピンクの山高帽を振るコクリコの笑顔に、観客たちがどよめく。もちろん、 ここに集まった客たちの目当ては特別公演、欧州に帰ってきた彼女たちの凱旋 公演なのである。 「欧州が生んだ輝く星二つ、地中海の赤いバラ、ソレッタ・織姫と…」 「青く静かな天の川、レニ・ミルヒシュトラーセ! ますます磨きがかかった歌と踊りを、ご堪能ください!」 二人とも、なかなかの名司会ぶりだ。エリカは以前から司会をしてみたいと 好奇心燃やしていたのだが、それでは頼もうというレビュアーが誰もいなくて (まぁある意味当然ともいえるが)お流れになっていたのだ。 今回は特別公演ということもあるし、コクリコをサポートにつければよい だろうと支配人の許可も降りたから、メルとシーの特訓により特別MCが登場 した。エリカにセリフを教え込むのは相当に大変な作業だったらしく、憤慨 したシーがいつか必ず自分もレビューに出るのだと交換条件を出し、いきまく 一幕もあったが。 それにしても…いつにも増しての活況ゆえ、ボーイの仕事は通常の二倍と いった具合で、のんびり公演を観ている暇もない。それでもなんとか、客の 注文の合間に、舞台に目をやることが出来た。 黒髪をなびかせ、自信と活気に満ちた織姫の笑顔…彼女をサポートしつつ、 けっして陰になることなく静かなる美しさをたたえるレニ。相変わらず… いや、共に暮らしていた頃以上に、二人は輝きを増しているように見える。 何が彼女たちを成長させ、生き生きとさせたのか…その日々を共に過ごすこと が出来なかったことが、苦く思えるほどに。 そういえば、グリシーヌと花火は、二階客席でこの舞台を観ているはずだ。 織姫にからかわれたのがよっぽどしゃくに障ったらしく、一言も口をきかない くせに、グリシーヌの敵愾心は静かに燃えているようだった。そうやって貴族 の沽券をめぐってのつばぜり合いが火花を散らす隣で、花火はむしろレニに 興味を惹かれているらしい。言われてみれば、闊達な織姫を静かにサポート するレニには、花火の立場に共通する部分がある。お互いが支え合って、 なおかつ劣るところ無く輝き続けている、その魅力に。 一方の一階客席では、織姫の両親が迫水典通大使、グラン・マと同席してい た。それにしても、夫妻の様子は対照的だった。悠然と構え、娘そっくりの 気品ある目元をゆったりと舞台に向かわせるカリーノ・ソレッタは、さすがは イタリアの名門「赤い貴族」の末裔らしいたたずまい。ところが、一方の 緒方ときたら、気の毒としかいいようがないありさま。織姫の一挙手一投足を、 ハラハラとして見つめているのだから…。ご承知の通り、自由気ままな性格の 織姫、特別な舞台とあって、ことさらに大胆に踊ってしまい… 特に、フィナーレで目を閉じたまま後ろに向かって倒れ落ちるところなど、 リハーサルにもなかったところだったから、観ていた大神もびっくりしたし、 観客には悲鳴をあげる人もいた。もちろん、すかさず支えるレニがいたから、 それはそれは見事なフィニッシュに落ち着いたのだけれど… 「織姫ったら…相変わらず、レニに甘えてしまっているのね。 星組の時からそうだったわ。しょうのない子」 やれやれ、という具合にため息つくカリーノだが、口振りほど呆れている わけでもなさそうだった。 「うちの子たちもあれくらい息が合っていれば、安心なんだが…それにしても ずいぶん張り切ってたじゃないか。やっぱり親御さんがいらっしゃると、 違うんだねぇ」 ワインを注文したグラン・マは、まだドギマギしている緒方の様子を、 面白そうにからかっている。 「い、いや、オーナー、こちらこそご迷惑をおかけしたことでしょう。 どうも、あの子ときたら、落ち着きがない娘でして…」 「謙遜なさるな緒方画伯、さすがは元星組のスタアだ。一回きりの公演では あんまりだと、再演の嘆願書がうず高く積まれて、秘書嬢の机がうまって しまったという話…大使館にも聞こえてきましたよ。帝都でもさぞかし、 喝采を浴びてきたことでしょう。…なぁ、大神くん?」 「ええ、もちろんです、迫水大使。緒方さん、ワインはいかがですか?」 「い、いや…すまんが、ミネラルウォーターを頼むよ。どうも汗ばかり かいてしまって……」 額をぬぐいながら、照れ笑いしている。まったく、父親というものは…… レビュウの後、婦人方は貴賓室に場を移して、談笑しているようだった。 緒方はすっかり気疲れしてしまっているようなので、そちらとは別にバーへ いざなった。薄暗く照明をおとした店内は静かな空気に満ち、重厚なカウンター は品のよい装飾で飾られている。客は、ただ一人だけで…… 「よう隊長…レビュウがはねたのか」 「ああ、ロベリア… どうだい、一緒に飲むかい?」 残りの酒を一気に含み、ニヤリとした嫌らしい笑みを浮かべながら 手を振った。 「男と飲む時は、サシって決めてるんだ。その方が…恋に似てるだろ?」 むやみに格式張って慇懃な礼をしながら、上目づかいでこちらを見つめた。 「もっとも、『織姫のおふくろ』や『アイリスのお姉ちゃん』なんて、 まっぴらごめんこうむるがね。じゃ、ごゆっくり……」 「お、おい、ロベリア…」 緑のコートを翻し、大股で立ち去っていった。ぞんざいな口調に、乱暴な ふるまい…悪党めいたセリフ。近寄る者、立ちはだかる者をすべて許さず なぎ倒す、巴里始まって以来の大悪人。でも、不思議だ…なぜ、こんなに 胸をかき乱されるんだろう。ロベリア・カルリーニ…… 「あいつ、今来たばかりじゃないんですか、ジュルジュさん?」 同僚のバーテンに尋ねると、コップを拭く手を休めずに静かに返す。 「…いえ、ずっとこちらで呑んでらっしゃいました。レビュウの間はそちら から舞台を覗いてましたよ、こっそりと。だいぶん、舞台を気にされていた ようですね」 取り澄ましたようすで、さりげなくバーテンは語った。なるほど、やはり 気にしていたのか。周囲の何事にも無関心に装うロベリアだけれど、帝撃の こととなるとそうもいかないようだ。マリアとの決闘騒ぎの時の、あの表情… その時は気づかなかったけれど、後からよくよく考えてみると、あれは 嫉妬以外の何物でもなかった。帝都で花組の隊員たちと培ってきた絆、信頼… ロベリアも、それを望んでいる?一方の、俺自身は? 分からない…ただ、巴里での暮らしと戦闘を経て、彼女が俺にとって、思い もよらないほど重要な人物になって来ている…そのことだけは、確かだ。 「どうぞおかけになってください、緒方さん。すみません、ロベリアときたら、 まったくしょうもない奴でして」 「気にしませんよ。いや、相変わらず女難の相ですか」 「からかわないでくださいよ…。それより、欧州の印象はどうです?」 緒方はにこやかな微笑みをたたえたまま、ふと遠い目で…つぶやいた。 「まさか、まさかこの負け犬のような私が、再び欧州の土を踏めるとは… 思ってもみませんでした。妻子を捨て日本に逃げ帰ったこの身は、二度と光を 浴びることはない…いや、そんな資格はない、と思っていた。 何もかも、大神さん…あなたのおかげだ」 いえ…と遠慮しつつ、今はすっかりと和解したこの父娘には、確かに大変な 目に遭わされたものだと、述懐する。ちょうど一年前、浅草の参道で初めて この男と出会った時、まさか運命がこんな展開を迎えるなどと、誰が想像した だろうか。 「俺は、何もしていませんよ。たとえ離れていても、緒方さんは織姫くんを 愛していたのだし、織姫くんだって同じです。お二人の行き違いをうめる お役に、少しでも立てたなら、俺は…」 「ハハ…変わらんね、大神さんは。それにしても、織姫の舞台を見ていると 寿命が縮まるよ。技術的なことはよく分からんけれど、見劣りもしないから 大したものだとは思うのだが、なにしろ安心して眺めていられないんだ。 あの子が次にいったいなにをやらかしてくれるかと、気が気でなくて… 実際、あれは母親にそっくりな勝ち気で奔放な気性じゃないか、 まったく、心配の種だよ」 「そこが織姫くんの良さですよ。ますます魅力的になっています」 「そう、だからこそ、気が気じゃない」 口髭に隠しながら、苦笑した。緒方こそ、相変わらず… 確かに、緒方にもう少しの勇気と行動力があったなら、父に捨てられた 悲しみを怒りに換えて過ごした織姫の少女時代も、もう少し幸せなものに なったかもしれなかった。だが、そのために「日本の男はゴキブリ」などと ずいぶんな扱いをされたり振り回されたり…そういった諸々の恨み言の原因 だと知ってからも、大神は緒方という男への好感を禁じ得なかった。 この男の持つ、弱さとか優しさは…不思議な魅力だ。 ことにこの巴里の空の下だと、異国に身を置く男同士、以前にも増して 親近感を抱く。それは大神が、あの人を帝都に残してきてしまったからなの だろう。もちろん、緒方とは事情が違い、無理に引き裂かれたわけではない けれど… 愛する人と離れ、異邦人として過ごす日々。道行く恋人たちに目をやり、 長い夜をため息しながら越えることもあった。 「…だが、君は違うよ。君は、私のように逃げたりはしない。保証する」 「俺の方こそ、緒方さんとカリーノさんを見ていて思います。人の絆は、 時間や距離を越えるものなのだって」 「いや、だが…17年間とは、いささか長すぎた感はあるがね」 軽くウィンクしてみせた。もし帝都を離れる時に強く望んだなら、彼女は 共に巴里に来ていたかもしれない。花組の他の面々だって、祝福してくれた かも…だが、大神はそれを選ばなかった。男の都合だけで、女性の人生を 決定してしまっていいのだろうか。時代は二十世紀、もう封建制度も鎖国も 解かれ、日本は列強と肩を並べる、近代文明国家となっているのだ。 俺は…俺が望んでいるのは、自分に都合のいい女性ではない。共に立ち、 肩を並べ、独立した心を持つ、あの人なのだ。けれど… 「こうして巴里に来てみて、いまさら気づくというのも遅いのでしょうが… そういった生き方は、辛いですね。気弱で、恥ずかしい限りですが」 「大神さんなら大丈夫だよ、君たちなら。新しい時代に新しい生き方をしよう とすれば、それは風当たりも強いかもしれないが、頑張ってくれたまえ。 後悔することのない人生を、君なら歩めるはずだ。はは、私が言うのも 『釈迦に説法』だがね。こんな、情けない父親に……」 薄暗い照明に照らし出された画家は、背負ってきた人生の重さと、それに よって引き出された円熟味を帯びて、巴里の酒場に不思議なほど溶け込んで いた。欧州は花の都、華やかな劇場の壁に浮かぶ、東洋人の孤独な横顔。 この人は、俺だ。でも…少しずつ変えていくことは、出来るはず。 そしていつかは、俺も…俺も、娘を愛する、こんなに優しく、 こんなに哀しい父親に、なることだろう。いつかは、きっと… 「実は今回欧州を訪ねたのは、イタリアで修行していた頃の恩人に会いに 来るのも、目的の一つでね。今は病気で静養されていて会えなかったから、 織姫の公演に合わせて、先に巴里に来たんだ。 私の絵も、日本でなんとか評価してもらえるようになって、こうして欧州を 再訪することが出来た。昔の御礼もこめて、絵を差し上げようと思ってね」 どんな絵かとたずねると、ヒゲをしごきながらウーンとうなった。照れ屋で 口数が少ないのは変わらない。 「その…知っての通り、私は事物をありのままに描く絵描きだから、日本の 風景でも描くかと思ったのだが… 結局、自分の描きたいものを描いてしまっ たんだ。 日本にいるとき、数枚習作を描いてみたんだがね、千葉助さんなんぞは、 『浪漫チシズムに過ぎる』って、批評するんだよ。 図星だとは思うんだが、人に言われると堪えるよ、実際。 もっとも…、タイトルは、彼の言うがままに、つけてしまったのだがね」 「なんという題名の絵なんですか?」 これまた照れて赤くなりながら、ようよう返答した。 「『貴婦人の肖像』…いや、なんとも名前負けしているんだがね。 来週には静養先から帰られると聞いているので、ローマに戻って、 直接手渡すつもりなんだ」 異国で再会した日本人は、お互いのこれからを祝し、乾杯した。 ちょうど…『貴婦人の肖像』が永遠に失われようとしている、その瞬間に。 (02/01/19掲載) 〈「貴婦人の肖像」(2)へ進む〉 「貴婦人の肖像」扉へ サクラ大戦 創作の小路へ ホーム へ |